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72. 空色の瞳 12

短いですが

「……おくやみ?」


 言葉の意味が分からず呆然と呟いた私の腕を、誰かが掴んだ。見上げると私の家庭教師のカミラがいた。カミラは蒼白な顔色で――私の腕を握ったまま、階段の下を睨みつける。


「下がりなさい。誰が公女殿下への直言を許したのです。――お下がり、無礼者!」


 カミラの言葉に弾かれたかのようにタウシクが兵士を促した。


「詳細は……?」

「こちらにしたためております。どうか、ご確認を……」

「……向こうで話を聞こう」


 呆然と立ち尽くす私の前から、呪いを吐いた兵士はいなくなってしまう。


「待って」


 駆けだそうとした私をカミラがとどめた。

 タウシクたちを見送ったセバスティアンが階段を上がってきて私を促す。


「――お嬢様、人前に軽々しくお顔を出してはいけませんよ。こちらへ」


 嫌だと抗議したけれども、初めて見るようなセバスティアンの怖い表情に狼狽えて私はその場にとどまらされてしまう。私はセバスを見上げた。手が、震えているのがわかる。

 ドクドクと心臓から送られる血液の音が聞こえる気がする。顔がひどく、熱い。


「セバス、……どうしたの?さっきの人は何を言っていたの?」


 声が震える。セバスは首を振り、カミラがうつむくのが見える。


「お嬢様が心配されることではありません。今はお部屋に戻られて――」

「いや!」

「レミリア様……」

「いやだ!」


 私が声を荒げたとき、「あの……」と背後から声がかかる。

 私たちが振り向くと、母上の侍女達が顔を強張らせてそこに立っていた。彼女たちは不穏な空気に怯えて手を胸の前で組んでいた。――まるで、祈るように。


「どうしたね?」


 セバスティアンが執事の表情を取り戻して、聞く。


「――何かあったのでしょうか、先ほどからお客様が見えられたようだと……」

「奥様が、顔を見せたほうがいいのかと気になされて………」

「まさか!奥様が顔を見せられるなど……、とんでもないことだ」


 セバスティアンが言って、カミラを見た。


「カミラ、お嬢様をお部屋に連れて行ってくれるかい?私は奥様の所へ行くから……ヒルダ!」


 階段の下に控えていたヒルダが小走りに階段を駆け上がった。一緒に居たトマシュもそれに倣う。


「タウシクと共にお客様の話を聞いてくれるかい?」

「はい、セバスティアン」

「トマシュ」

「はい」

「おまえは、私の代わりにこれから見えられるお客様の応対をしてくれ――お身内でないものは誰一人屋敷に入れてはいけない」

「……はい、ええと、それはどこまでをお身内と……」

「ヴァザ家の方とユゼフ様以外はすべてだ、いいね?」

「承知しました、セバスティアン」


 セバスティアンは二人に指示すると、母上付の侍女たちと共に去ってしまう。私はカミラにしがみついた。


「――カミラ、どうしたの?何があったの?」

「なんでもございません、お嬢様……、さあ、お部屋に戻りましょう」


 カミラの腕を私は、払った。


「レミリア様……」

「やめて、なにも知らないままにさせないで……!皆、変だわ……それにあの人が言ったわ、お悔やみって――ねえ、カミラ、教えて……何が……誰かに……何が起きたの?」


 カミラは何かを堪えるかのように唇を噛んだ。かがみこんで私を見上げる。


「お許しください、お嬢様――私が知るのも確かな情報ではないのです……」

「そんなの!カミラの知っていることでいいから、教えて」


 私がカミラにせがんだ時、馬の嘶きと聞きなれた音が耳に入った――。

 公爵家の馬車の音だ。聞き間違えるわけもない。父上とスタニスの乗った馬車の音――。


「お父様!お父様!スタニス!!」

「お嬢様!」


 駆けだす私を制止しようとしたカミラの手をするりと抜けて、まろぶように私は階段を駆け下りた。

 玄関の分厚い扉をトマシュが開いている。その扉を抜けて、続く石段の下には馬車が止められていた。見慣れた公爵家の馬車。


 扉が開くのを見て、私は声をあげた。


「お父様!!!」

「――レミリア」


 私は転びそうな勢いで軍服姿の父上に抱き着いた。


「お帰りなさいませ、父上!!」

「……レミリア、ただいま」


 父上は私をみつけ、息を吐いた。


「……公爵、おかえりなさいませ」


 息せききったカミラが私に追いついて、頭を深々と下げる。父上は私を引き寄せると、抱きしめた。僅かに手が震えているような気がするのは思い過ごしだろうか。


「――カミラ、報せが来たのか」

「先ほど、軍部から使者が――。詳しいことはタウシク殿がうかがっている最中です」

「……なぜ、私より先に報せがきている?」

「……それは、わかりません……。申し訳ございません、閣下」

「私も行こう」


 父上の腕が私から離れる。私は、父上の腕に追いすがった。


「お父様……!教えてください、何があったのですか」

「レミリア……」

「あの人は、いいました――お悔やみって……お父様」


 声が震える。唇がわななく。


「誰が、亡くなったのですか……私達に近しい方ですか?……お父様」


 父上は……、膝をついて私に視線をあわせた。いつの間にか馬車から降りて来たスタニスが父上の背後に控えている。


「……とても、とても残念な報せだ。レミリア。……ウカシュが、君のお祖父さまが、お亡くなりになった」

「お祖父さまが……?どうして、ですか……嘘だ」


 私は呆然と呟く。嘘だ。ほんの数日前に、祖父には会ったのに。

 あんなに元気そうだったのに。


 嘘だ。


 いつも私を甘やかしてくれた。

 ヴァザのくせに背が低い私を自分に似たのだと、喜んでみせて、慰めてくれた。小柄な、いつも明るい祖父。


(レミリア様はよい趣味をおもちになられましたな……)


 そう言って、私の温室を褒めてくれた、火傷の薬が出来るのを心待ちに、してくれた。


(世界一可愛い孫娘だ)


 そんなわけ、ないのに、私をいつも肯定してくれた。


(――ゆっくりでいいのですよ、少しずつ覚えていけばいいのです)


 いつも、いつも……励ましてくれた。私の大好きな、お祖父さま……。


「嘘……」


 私の願いを込めた視線に首を振り、父上は無言で私を抱きしめた。


「ひどく、残念な……、悲しいことだ」


 私を抱きしめる公爵の腕は、僅かに震えていた……。



「スタニス」

「はい」

「レミリアを、部屋へ……」

「……はい」

「使者が帰ったら、すぐにヴィカの部屋に行く……それまでは、何も報せるな」

「承知しました」


 踵を返した父上を追うそぶりを見せた私を、スタニスがとどめた。


「レミリア様は、どうかお部屋へ……」

「スタニス……」

「お嬢様」

「……スタニス、どうしてお祖父さまが亡くなったの?あんなにお元気だったのに」


 視界の端でカミラが俯く。スタニスは彼にしてはひどく珍しいことに、言葉を探す。


「……事故です。詳しいことは……私にもわからないのです、お嬢様……今はどうか、お部屋にお戻りください……」

「いやだ、スタニス。いやだよ……ひとりにしちゃ、いやだ……」


 私は涙声で、スタニスに抱き着いた……。



続きは明日

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