88限目 ファンファン・フレンズ
※修正しました。
『ユッキー』→『サーヤ』
『二百万円』→『三百万円』
「あれ、もしかして、ヒナさん?」
帰り道、声をかけられて、藤井ヒナは顔をあげた。
歩きながら本を読んでいたから気づかなかった。
「ふぇ?」
「あ、やっぱりヒナさんだ。久しぶりだね」
こちらに手を振りながらやってくる温和そうな顔をした男の子に、ヒナはわずかに小首を傾げ。
「あっ、ええと……あっ、健二くん、しばらくぶり!」
「……今の間がちょっと気になるけど、まあいいや」
健二は頬をかくと、ヒナの横に並ぶ。
乙女ゲーのキャラとは比べるのは多少分が悪い、まあ、普通の青年だ。
「もしかして、中学卒業以来かな? みんな、違う学校に行っちゃったもんね。僕と豪と晋平は同じ高校だけど、今でもときどき『ヒナさんなにをしているかなー』って話すよ」
「えー、別に大したことはしてないよー。地味で平凡だもん、わたし」
「……まあそうだね。それで? 歩きながら、なんの本を読んでたの?」
「えと」
ヒナは本を立てて、健二に表紙を見せる。
古典だった。H・G・ウェルズの『タイムマシン』である。
「ずいぶんと古い本を読んでいるねー」
「うん、作ろうかなって思って」
「作ろうかなって思って!?」
仰天してこちらを振り返る健二に、ヒナは思案しながらつぶやく。
「いろんな方法があるみたい。どうするのが早いんだろう。わたしがこうして作ろうと願うことによって、タイムマシンを発明した未来のわたしがわたしのことを迎えに来てくれたりしないかな」
「え、SFだね……」
健二は精一杯そんなことを答える。
それからおずおずと。
「相変わらず、ヒナさんは未来に生きているね。どうせないと思うけど、小学校からの幼なじみのぼくになにか手伝えることとか、ある?」
「えと……ない、かな」
「だよね。わかってた。ヒナさんだしね」
旧友との再会を喜ぶでもなく、ヒナは再び本に目を落とす。
だがやはり、楽な道ではなさそうだ。
タイムマシンの制作は、人類がずっと願い続けながらも叶っていない発明なのだ。
ヒナが本気になったところで、一朝一夕で完成させられるような代物ではあるまい。
「とりあえず、大学はヴィクトル・コンドリア大学に進んで、SERNに就職をすることにします」
「な、なんかすごい将来設計だね……でもまあ、今さらヒナさんがなにかしたところで、ぼくたちは誰も驚かないよ」
タイムマシンを作ると言われてめちゃめちゃ驚いていた健二がそう答える。
すさまじい集中力を発揮して本にのめり込むヒナを見つめながら、健二はそっと口を開いた。
「でもさ、ヒナさんはなんでもできるから、ときどき忘れちゃいそうになるかもしれないけど、周りにはちゃんとぼくたちがついているんだからね」
ふ……と、ヒナは本から顔をあげた。
それから健二を見つめる。彼はそれに気づかずに。
「もしなにか困ったことがあったら、相談してくれると、嬉しいな。それがぼくたちにとっての友情の証っていうか、さ……」
「……健二くん」
「え? あ、えっと」
ようやくその視線に気づいた青年は、あたふたと慌て出す。
「ご、ごめん、なんからしくないこと言っちゃったかな。でも、その気持ちは、嘘じゃないから……」
「うん、ありがとう、健二くん!」
ぱたんと本を閉じ、ヒナはにっこりと笑った。
その笑顔を見た彼は、徐々に赤面してゆく。
「や、やっぱりかわいいな……」なんてそんなことをつぶやき、目を逸らした。
そんなヒナは彼の手をぎゅっと握り、無自覚に告げる。
「わたし、これから美卯ちゃんのところに言ってくるね! 美卯ちゃんなら、相談に乗ってくれそうだもん!」
「あ……はい」
健二は影を背負いながら、そのようにうなずいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「きゃーきゃー、ヒナちゃんー!」
「きゃーきゃー、美卯ちゃんー! 久しぶりー、美卯ちゃんー!」
玄関先。ふたりはきゃっきゃとはしゃぎながら手と手を取る。
「もー、ヒナちゃんってば、今どき携帯電話を持っていないんだもん。いっつも突然来るんだからー」
「えへへ、ごめんね」
「ううん、いいの、ヒナちゃんだし。さ、入って入って」
「お邪魔しまーす」
リビングに招かれたヒナは、内装を見てさすがに一瞬ぎょっとしてしまった。
「す、すごいね美卯ちゃん……相変わらず、ぴんきゅ」
「だってピンク可愛いんだもん、うふ」
カーテンもピンク。ソファもピンク。カーペットもピンクだし、立てかけられた掃除機もピンク。間接照明もピンクだから、なんだかもう妖しさ爆発だ。
美卯も帰ってきたばかりなのか、カーテンリールに吊された高校の制服が、さらにいかがわしい雰囲気を増長させているような気さえする。
住吉美卯はヒナの小学校からの幼なじみである。
彼女はフリフリのフリルがついた部屋着を身につけていた。
さらになぜか頭の上にクマ耳をつけていたりする。とても可愛らしいけれど。
彼女がヒナの数少ない――というか四人しかいない――同性の友達のうちのひとりである。
小学校からの幼なじみであり、ヒナの超暴走に巻き込まれてきながらも、それでも関係が続いている貴重な子だ。
「それできょうは? 美卯の顔を見たかったってわけじゃないんでしょ?」
「えー、見たくなかったわけじゃないよー?」
「そう?」
「うん、美卯ちゃん大好きだし」
ソファに座ってハートのクッションを抱く美卯は、落ち着いた笑みを浮かべる。
「だったら、ダーリンの話も聞いてく? 聞いてく? ねえねえ、聞いてく?」
「う、それはいいかな……」
ヒナが乾いた笑顔で両手を前に突き出すと、美卯は両手を振り回す。
「えー、だって他の人にはヒミツにしているから、誰にものろけられないんだよ! つらたんだよ!」
「別に言っちゃってもいいのに」
「やだよ、言ったらもうちやほやしてもらえないもん。美卯はお姫様扱いされたいんだもん。あーあ、しょうがないからまたあの子にお電話しよっと」
しれっと酷いことを言う美卯に、さすがのヒナも苦笑いである。
「う、うん……ほどほどにしてあげてね。なんだかこの前ちょっと話したら、自分の女子力の無さに胸をかきむしってたから。あれ絶対美卯ちゃんのせいだよ」
「ヒナちゃんに言われるのも心外かなあ……」
とまあそんな、共通の友人についての話で盛り上がっていると、ヒナは思い出したように手を打った。
「違うの、そういう話をしに来たわけじゃなくて」
「美卯の新婚生活の話?」
「じゃなくて!」
ぱちんと手を打つと、ヒナはその声色を正す。
「……えと、ちょっと信じられないかもしれない話なんだけど、聞いてくれる?」
「今さらヒナちゃんがなにかしたところで、美卯たちは誰も驚かないよ」
あれ? それさっき言われたばかりだな、と思いつつもヒナはうなずいた。
「う、うん、ありがとう」
「長くなりそうだね。紅茶入れるね。ヒナちゃんは甘いレモンティーでいいよね」
「あ、お気遣いなく」
「いいのいいの、こういう奥さんっぽいこと、憧れているんだもん、うふ」
微笑み、美卯がダイニングから戻ってきたところで、ヒナは本題に突入する。
「それじゃあね、実は……」
そうしてヒナは語り出した。
彼女が眠っている間に見ていた夢――精神だけが引きずり込まれた、そのバーチャル乙女ゲームの話を。
一通り、長い話を終えたところで。
「なるほどー」
美卯は頬に指を当て、そうつぶやいた。
ヒナはこわごわとうなずく。
「う、うん」
現実にはありえない話だ。そう切り捨てられる可能性もあると思っていたのだが。
美卯は目をつむり、腕を組んだ。
「乙女ゲーのクリアにしては、中途半端だもんね。ノーマルエンドなんて、バッドエンドと大差ないものだし。それでクリアしたって言われても、困っちゃうよね。だいたいそれだったら、クリア条件の中に入ってなきゃ」
どうやら美卯は、こんな荒唐無稽な話を、百パーセント信じてくれたようだ。
持つべきものは友である。
「そう! そうなの!」
ヒナがぐっと拳を握ってうなずくと、美卯は紅茶を持ち上げ、口をつける。
「色々と考えられることはあるよね。システムの不具合とか、ゲームのバグとか」
「うん……まだ発売前のソフトだって言ってたし……」
「でもそれだったら、通帳に早速お金が振り込まれているのはおかしいかな。良いデータが取れたらボーナスも追加するって言われていたんでしょ? それなのに早すぎるよ。そこらへんもタイムマシンでどうにかしているんだとしても、明細ぐらいは届けられてるべきだよ」
淀みなく語る美卯に、ヒナは憧れのまなざしを送る。
「み、美卯ちゃん、すてき……!」
「別にまだ大したこと言ってないよー」
苦笑する美卯は、視線を斜め上に向ける。
「となると、やっぱりイレギュラーな事態が起きたと思うんだよね。なんだろうね、ゲームの進行に不具合が見つかったとか。ヒナちゃん、すごく無茶なプレイをしていたみたいだし」
「む、無茶かな……? 普通じゃないかな?」
「それを普通だというのなら、TASさんも一般人だよ」
言い切る美卯。さすがに幼なじみだけあって、遠慮がない。
「それにしても、ひとりで勝手に楽しそうなことをしちゃって。もう、ズルいよ、ヒナちゃん。次は美卯も呼んでよ。美卯も悲しみに浸るイケメンを見て、悦に浸りたいよ」
「うわあ」
いた、ここにも購買者がいた。
ヒナに「うわあ」と言われるのも本当に釈然としないだろうが、ともあれ、美卯は首をひねる。
「うーん、なんだろうな……。こういうの昔、本で読んだ気がするなあ……」
「なんだろ、地味で平凡な女の子が困っちゃうお話?」
「じゃあヒナちゃんのことではないよね確実に。ちょっと考えているんだから邪魔しないでヒナちゃん。ほらほら、猫じゃらしだよ」
「わたし猫じゃないケド……」
ぷらぷらと猫じゃらしを動かす美卯に、仕方なくにゃーにゃー言いながらつきあうヒナ。いや、つきあってもらっているのはヒナの方だ。ばかにされている気もするが。
ぞんざいな扱いを受けていると、美卯がぽつりとつぶやく。
「んー……ねえ、ヒナちゃん」
「なになに?」
「これは美卯の勝手な推測なんだけど」
そう前置きして。
「現実世界に戻ってきて、なにか変わったことはなかった?」
「変わったこと……?」
「うん、なんでもいいから。つじつまが合わないことでもいいよ」
「変わったこと……」
「うん、なにかない?」
美卯はなにか感づいているようだ。ヒナは「あ」と顔をあげた。
「変わったことと言えば、KGBの第三局の副局長さんが、こないだから行方不明になっちゃったとかで」
「つじつまが合わないこと!」
「う、うん」
怒鳴られ、ヒナは猫じゃらしにパンチをしながら、さらに思い出す。
「なんだろう、そういえばお母さんが仕事だったはずなのに、おうちに早く帰ってきてたこととか……」
「あれ」
ポケットから携帯電話を取り出して、時刻を確かめていたそのとき、美卯が言った。
「ヒナちゃん、携帯電話いつの間に買ったの? 高校に入ってから全部供養したって言ってたのに」
「え?」
ヒナは美卯を見返し、それから携帯電話に目を落とす。
これは――。
パッと頭の中に閃きが瞬いた。
「あっ、これ! わたしが『乙女は辛いデス』で持っていた携帯電話だ!」
そう叫んだ次の瞬間だった。
部屋の中に、prrrrrと着信が鳴り響く。
ヒナは美卯を見た。
美卯はゆっくりとうなずく。
「出てみて、ヒナちゃん」
「……うん」
おそるおそる受話ボタンを押し、ヒナは携帯電話を耳に当てる。
「えと、もしもし」
数テンポ遅れて。
――声がした。
『………………もしもし』
なにやら、すごく、すごく、すごく気が進まないような声は――。
思わず立ち上がって、ヒナは黄色い声を上げた。
「シュルツさん!」
――シュルツのものだった。




