71限目 デートできません! 死にます!
「悪い想像をしてみます」
重々しい口調が、部屋に響く。
黒髪の美少女――藤井ヒナは人差し指を立てて、そんなことを言い出した。
「ゴールデンウィークの最終日、突然『ぜったいイベント』で優斗くんとすることになったわたしのきょうのデートは、失敗してしまいます」
「ふむ」
どこか説明くさい彼女の言葉に、シュルツは「今度はなにを言い出すんだろう」と胡乱な目を向けていいる。
ヒナはしたり顔だ。
「なぜならわたしのパラメータはまだまだ低いからです。
きっと、やることなすこと全部空回りだと思います。
選択肢を選んでも、それはかなりダメな感じになっちゃいます。
気の利いたジョークひとつ飛ばせません」
「まあ、それはあるかもね」
ロールプレイングゲームに例えるなら、デートはボス戦のようなものだ。
普段レベル上げをして、各種ステータスを高めてから挑むハレの舞台だ。
そうそう簡単に攻略できるようにはなっていないかもしれない。……まあ、ゲーム次第だが。
シュルツの勤める会社の乙女ゲーは、特にコアなユーザーを対象としているわけではない。
ゲームバランスの調整も甘々のユルユルだ。なので、恐らくその難易度も極めて低いだろうが、シュルツは黙っていた。
そんな会社がなぜ葬式ゲーなんかを作り上げたのかは、わからない。ひょっとしたら馬鹿なのかもしれない、と最近シュルツは思い始めていた。
それはそうと、ヒナは顎に指を当てて、うーんとうなる。
「そうですね、空回り……。
例えば、階段を転げ落ちて、優斗くんの元に辿りつけなかったり、
玄関のドアを開いたら、心臓発作で倒れたり、
待ち合わせに向かう途中の道でよろけて、車に轢かれたり、
遠くから優斗くんの顔を見つけたらドキドキして、その場で爆発四散したり……」
「どれもデート現場にたどり着けてないんだけどそれは」
シミュレート内容が暗すぎる。
失敗というレベルですらない。
どのタイミングで気の利いたジョークを言うつもりだったのか。
そもそもデートとは一体。
悪い想像というよりほとんど現実だ。
だめだ、とシュルツは首を振る。ひとつのセリフに四つも五つもツッコミを入れては身がもたない。
「ヒナさんしんどい」
「それはともかく」
シュルツの心からのため息を、ヒナはたった一言で切り替えてゆく。
どこかのゴーストライターを使った作曲家の人のように、耳が聞こえていないのかもしれない。
「わたしは優斗くんの元に向かおうと思います。
大丈夫です、勝算は十分にあります。
心を無に保ちながら。心頭滅却すれば火もまた涼し、なんです」
できるんだったらとっくにやっているだろう、とは言わない。
言っても無駄だと、シュルツにはわかっているからだ。
ヒナは魔法少女のように瞬時にお着替えをすると――なぜか一度鏡の前でキラリとポーズを決めてウィンクし――シュルツを抱えた。
ニチアサのヒロイン、キュアビッチは自室のドアを開き、悠々と歩き出す。
「さ、いきましょう、シュルツさん。
これ以上優斗くんを待たせてはいられません。
お約束事は、五分前行動が基本です。
でもわたし、張り切りすぎると五時間前から待機しちゃうことだってあるんです。
その待っている間、色々と想像を膨らませているのも、楽しいですからね」
「気持ちが重い」
「えへへ」
はにかむヒナは、やはり階段から転げ落ちた。
直接の死因は転落死ではなく、デートに期待をしすぎたために起きたドキドキ死なのだが、そのようなことは家族にはわからないだろう。
幸せなはずだった一軒家に突如として響き渡る悲鳴。そんなゴールデンウィークの朝、シュルツもまた、頭を抱えながらうめいた。
「話が進まない!」
今さらのことであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ガチャリ、と自室のドアを開くヒナ。
廊下を前にした彼女は胸に手を当てながら、ふー、と細く長い息をはく。
「デート、つまり日付を意味するDateの語源は、ラテン語のDataから来ていると言います」
「急にどうしたの」
「日付を指定して合う日を約束する、という意味から転じて、
やがて、男女が約束をして逢引をする意味へとなったようです」
「ヒナさんなんでも知っているね」
「なんでもは知らないです。アカシックレコードに書いてあることだけです」
「ぱねえ」
しれっとジョークを飛ばすヒナは、しかし、おっかなびっくりと階段を下ってゆく。
その足取りは、不安定だ。こわい。いつ転げ落ちてしまうのか。
シュルツの方がドキドキしてしまう。
一段、また一段と、ヒナの細くて長い白い足が、階段を踏みしめる。
木がわずかにギィと鳴り、それはまるで断頭台に向かう死刑囚が登る(下っているのに)最後の十三階段のようであった。
「そうそう、アカシックレコードと言えば、
あれは輪廻転生を象徴する蛇として描かれることもあるそうですね」
「待って。突っ込んだ話をされても、ボクわからないから」
シュルツは嫌そうに首を振る。
アカシックレコードから話を広げる女子高生など、聞いたことがない。
それを言うなら、リノリウムの床の足跡の痕跡を目視できる女子高生も、体内に龍を飼っている女子高生も見たことはないが。
ヒナは階段を下りながら、何気ない顔で。
「まあ、大した話じゃないんです。
アカシャとは空にして虚空。宇宙を構成している五つの要素。
ヤージュニャヴァルキヤの哲理を経て、
エドガー・ケイシーのリーディングより出た言葉を借りますと、
わたしたちのいるこの状況も、生命の書に記されたその蓋然性の揺るぎの結果なら、
それも面白いなあ、って思ってまして」
「ごめん待って。なに言っているか全然わからない。全然わからない」
「偶然ってすごい! って話です」
「そっか!」
と、そんなことを話していると。
ふたりは見事に階段を下ることができた!
「やりました、シュルツさん!」
「お、おう」
「益体もない話をして、ドキドキからその気を逸らす作戦は成功です!」
「や、やったね!」
「やりました!」
小躍りしながらシュルツとハイタッチを交わそうとするヒナであったが。
その腕は軽快な音を打ち鳴らすことなく――どっちみちぬいぐるみなので打ち鳴らないが――、力無く垂れた。
「……ひ、ヒナさん?」
「あ、ふ」
ヒナはぐったりと膝をつき、そのまま前のめりに倒れてゆく。
「シュルツさん、わたし、やりました、よね……。
もう、がんばりました、よ、ね……?」
しかし彼女の表情には、なにかをやり遂げた、満足気な笑みが、浮かんでいたのだった。
階段の元で倒れ、そのままぐったりと息を引き取るヒナに、シュルツは静かに首を振った。
「家から出られない……」
玄関が遠すぎるのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「家から出ましょう」
「う、うん」
どの面下げて言うのかわからないが、ヒナは改めて決意した。
それから少し頬を膨らませて、拳を握る。
「こんなんじゃ……こんなんじゃ……。
……いつまで経っても、デートなんてできませんよ! もう!」
どの口が言うのかわからないが、ヒナは珍しくご立腹であった。
不甲斐ない自分に対して腹を立てているのだろう。
「わたしの戦いは、まだ始まったばかりなんです。
このゲーム生活は、まだ五日目なんです……!」
「ヒナさんってそういうことを口走って、たびたびボクを現実に引き戻すよね。
無意識のドSだったりするのかな、ひょっとして」
うめくシュルツを抱え、サディスティックビッチは深呼吸をした。
「飛び立ちましょう。明日の空に向かって」
「あ、ちょっと」
ヒナは自室の窓を開く。二階のそこから身を乗り出そうとして。
……そして、なにかに気づいて止まった。
眉をひそめながら、彼女は振り向いてくる。
「……窓枠が、またげません」
「いや、まあ、ゲームだし。
転落すると、大変だし。
通行止めだよ、さすがにね」
「……なるほど」
ヒナはスカートの裾を押さえながら、そっと窓を閉める。
シュルツは彼女を見上げて、小さく問いかけた。
「二階から飛び降りてショートカット! とか考えてたの?」
「ええ、お恥ずかしながら」
「そんなことをしても根本的な解決にはならないと思うんだけど」
「とりあえず、手っ取り早くおうちから出たかったので……」
そんな指摘をしながらもシュルツは、普通の女子高生が二階から飛び降りることに対して、危険や事故などをまったく考慮していない自分に気づく。
一軒家の二階は、それなりに高い。四メートルほどだ。
骨を折ってしまったり、頭から落ちてしまったり打ちどころが悪ければ致命傷にも成り得る。
なのに、シュルツはそう注意をすることを忘れていた。
これが成長するということなのか、慣れてしまうということなのか、あるいはなにかを失ってしまうことなのか、それは誰にもわからない。
しかし、前に足を進めようとしている人間の『適応』を誰が咎められると言うのだ。
シュルツは間違いなく、この世界で生きている。
それこそが、生の輝きであるのだ――。
「じゃあ、ちゃんと正規ルートで玄関まで向かいます……」
しょんぼりとした顔でドアを開くヒナ。
シュルツは短い腕を組んで、うなる。
「家から出るのに、なんで様々なルートを構築する必要があるんだろう」
「困難を前に試行錯誤するのは、当然なのではないでしょうか」
「その困難が、なんというか……いや、うん、まあいいや……」
口には出せないもやもやを胸に抱いたまま、シュルツはさらにヒナに抱かれ、疑問を抱く。
抱きまくりである。男を食い漁るビッチでもないのに、だ。
そしてとうのビッチは、すまし顔。
「でも大丈夫です。段々とデート前のドキドキが、薄れてきている気がします」
「そいつは良かった」
「代わりに、一生この家から出られないのではないでしょうか……。
……というそんな不安で、胸がドキドキしてきちゃいます」
「良くない!」
「がんばります」
「がんばれ!」
どことなくヒナの声からも元気がなくなっていた。
彼女はとぼとぼと階段を降りてゆく。
「なんだかデートの前なのに、ちょっと疲れちゃいましたね……」
「そうだね……」
「わたしたち、ホントにこの世界から出られるんでしょうか……」
「や、やめようよ、そういうこと言い出すの」
「まさか一生このまま、なんてこと……」
「いつものヒナさんらしくない!」
「おうちに帰りたいです……」
久々にめげてきたヒナは、肩を落としながら廊下を歩く。
黒髪の一房を口に咥えたりなんかして、全身から負のオーラが漂ってきていたりする。
「ごはんだって全然味がしないし、人を好きになってもすぐ死んじゃうし」
「う、うん」
「家族にも、友達にも、わたしに構って慕ってくれる中学の後輩の子にも会えないし……」
「謎の友達に続いて、非実在後輩まで」
「ブルーメちゃんどこかにいっちゃったし、シュルツさんすぐわたしのことビッチって言うし……」
「気にしてたのか」
気にしてたのか。
いや、普段は気にしていないことでも、落ち込んだときにはチクチクと表面化するかもしれない。そういうものだ。
まあだからといって、やめたりはしないけど。
ヒナは玄関に立ち、靴を履きながら、一際大きなため息をつく。
「……まあ、でも……」
ヒナは顔をあげる。
ゆっくりと扉を開くと、陽の光が飛び込んできた。
眩しい太陽は、雲ひとつない青空の中、燦々と輝いている。
ヒナの瞳に、わずかな輝きが戻って。
「……でも」
ヒナは空を見上げて、目を細める。
その微笑みの中、瞳には恋愛力の証であるハートマークがぴょんと浮かぶ。
彼女は桃色の唇を、薄く開いた。
「……わたし、好きです。
なんだかんだいって、この世界が、
『乙女は辛いデス』が、ホントに、好きですから」
抱えたシュルツを撫で、伝説の超乙女――ヒナは言う。
「だから、がんばります。
これからも。
ね、シュルツさん」
761回目。
死因:ドキドキ死。
762回目。
死因:アカシックレコードの導きにより(達成死)
シュルツより一言:家も出られたことだし、もうクリアでいいんじゃないかな。




