61限目 あ、お疲れ様です、お先死にま~す
「きょうからキッチンに入ります、藤井ヒナです。
仕事中は本気です。
仕事に関わりのないことは一切話さないでください。
すべて無視します。
それではよろしくお願いします」
『お、おう』
ふたりの大学生は口を揃えてうなずく。
「……な、なんかすごい子入ってきたね、椋さんみたい」
「……オーラがあるな」
それから隅っこでそんなことをつぶやいていたが、
当然これも仕事に関係ないのでヒナはスルーした。
本当は職場でのコミュニケーションを「仕事に関係ない」などと言い切るのは、ヒナにとって愚の骨頂であるが。
しかし、この椋を含む三人が葬式場で泣き崩れるシーンを目の当たりにした身として、情を挟むことはできない。
『血が、血がぁぁぁぁ』だとか、『ふ、ふへへ、へへふ……シチュー、真っ赤なシチュー……』だとか、『人間の体の中には、あんなに血液が詰まっているんだな……』だとか、
そういう会話を聞いたらもう、
この人たちの精神を守るために手抜きなどしていられないのだ。
余談だがその後、当然のようにファミリーレストランは閉鎖した。
そして三人とも、専門家のカウンセリングを数ヶ月に渡って受診することが決定したらしい。
人ひとりが正気を失い、狂ってしまうだなんて、
タイミングと運さえ噛み合えば、ひどく簡単なものなんだな、とヒナは学んだ。
……このゲームを通じて、またひとつ成長することができた! 女子力アップだ!
というわけで。
「なんかあの子の仕事っぷりすごいんだけど……」
「ターミネーターみたいだな……」
「あれって椋さんが九条財閥で開発したキッチン用アンドロイドとかじゃないよね?」
「瞬きさえもしていないように見える……」
まさに氷の女王のように手を動かし続けるヒナ。
彼女は全身から『話しかけるなオーラ』を発散していた。
柔和で愛嬌のある顔立ちをしたヒナがそういった態度を維持するのは、
彼女としても骨が折れる行為なのだが、人の死(というか自分の死)にはかえられない。
内へ内へ没頭しながら、ヒナはひたすら作業を続けてゆく。
キッチン内の雰囲気を絶対零度に落とし込みながら。
そのおかげでか、仕事は実にスムーズに進んだ。
休憩時間を過ぎ、夕食時になると余計なことを考える余地もなく、
三人は黙々と手を動かし、オーダーをこなしてゆく。
「あ、伊佐木、なのです」
暇を持て余したブルーメが冷蔵庫を開け閉めして、東アジア沿岸の岩礁域に生息する魚の氷漬けを見つけたり、
暇を持て余したブルーメがイケメンの作ったハンバーグを一切れいただいて、
「この程度じゃ、まだまだワタシの婿にはなれないのです。や・り・な・お・し。やりなおし」
とかつぶやいたりする以外は、実に平和な時間だった。
ヒナもまた、ときどきウィンドウを覗いては、
上昇するパラメーターを見て「えへへ」と時折頬を緩めてしまっていたが。
それでもすぐに剣呑な雰囲気の鎧をまとい直し、無言を貫き通すことができた。
『おつかれさまでしたー』
やがて朝番チームの担当する時間が終了し、ヒナたちは揃ってこの日の仕事を終えた。
一縷の望みをかけて「このあと、休憩室でちょっとお喋りしたりしないー?」と誘ってきた大学生を、
ヒナミネーターは凍てつくような視線で黙らせて、女子更衣室へと向かう。
しかしフジイロイドは心を持つ。
内心はドッキドキだったのだが、なんとか耐え切れた。
女子更衣室に入り、彼女は胸を撫で下ろしながらブルーメに微笑みかけた。
「ふぅぅぅ……やったね、ブルーメちゃん!」
「……複数回死んでおきながら、よくもまあそんな笑顔でいられるものなのです」
手を叩いてはしゃぐヒナミネーターに、ブルーメはため息をつく。
先ほどのブラッドシチュー事件はブルーメの心に強い爪痕を刻んだものの。
しかしブルーメは持ち前の鋼のメンタルと、
半分職務を放棄して、その決定的な瞬間を見なかったためにやり過ごせた。
これもブルーメの作戦勝ち、ということだろう。
「さ、あとは帰るだけ、ですけど」
無事、アルバイト初日は終了だ。
やっぱり学校みたいに人の往来の多いところではなく、
キッチンのように閉鎖的な環境のほうが制圧しやすいのだと、ヒナは学んだ。
これからも積極的に人気のないほうへと向かおう。
希望がヒナの胸に生まれる。
もしかしたら、明後日に控えたデートだって、
一対一ならさして問題はないのではないだろうか。
優斗ひとりをなんとかすればいいのなら、
それは対凛子戦とあまり変わらずにクリアできるのではないか。
「なんだぁ、乙女ゲーなんて簡単じゃないですかぁ」
そんなことを思いながら、エヘヘと含み笑いを漏らすと。
なぜだかブルーメが爪を伸ばしてヒナを威嚇していた。なぜだか。
着替え自体は操作ひとつで簡単チェンジだ。
達成感に包まれたヒナは、ルンルン気分で帰ろうとしたところで。
『藤井、まだいるか?』
ノックされた。
扉越しに聞こえてくるのは、椋の声だ。
ドキッとするよりも、ビックリしてしまう。
「え、あの、いるけど」
『ならよかった。帰りに事務所に寄ってくれ』
「はーい」
なんだろうか、お給料の受け渡しだろうか。
いやでも、これはゲームだ。
初日が終わった時点で財布の中に振り込まれるシステムのようだし。
唇を尖らせながら少し考えて、ヒナはふと気づく。
「……えっと、これ」
新たなるイベントの扉が開いた。そんな気がした。
面接を受けたときと同じく、椋は椅子にふんぞり返りながらヒナを迎えた。
「来たか」
「えと、はい」
椋とふたりきりだ。(ブルーメはいるけれど)
前回の死は、椋に命を救ってもらったことによる死(!?)だったので、否応もなく緊張してしまう。
あとから何度も呪文のように「彼は仕事だから彼は仕事だから彼は仕事だから彼は仕事だから」と自分に言い聞かせ、
自身をマインドコントロールしたような気になっていたけれど。
実際に理知的なメガネ男子を前にすると、
その洗脳もたちどころにはがれてゆくようだ。
「そ、それで、どうしたの? 椋くん」
できることならなるべく早く終わらせて帰ろう。
そんなことを思っていると、椋は。
「実は、頼みごとがあるんだが……」
「……え?」
頼みごと。
お願い。
こんなわたしに。
お願い、が。
「えぐっ」
「!?」
ヒナは目を閉じながら舌を噛む。
その痛みで気を逸らすことになんとか成功。
涙目で問い返す。
「そ、それへ、たのみことっへ……?」
「いや、なんか今、だいぶ、
やっぱりやめようかなって思ったが……」
よくわからないことを言いながら、椋はわずかにずり落ちたメガネを整えて。
それでも彼はイベントを達成しようと、なんとか言葉を続ける。
相手が『どんな人物』だろうと、ゲームの中のキャラクターはAIである以上、プレイヤーを選べない。
それが乙女ゲーの世界の鉄則だから――である。
「明日な、ちょっとつき合ってもらいたい場所があるんだ」
「……え?」
「他のやつらには言えない。秘密だ。
ふたりきりで、な。……藤井にしか頼めないんだ」
椋の低くて重いその言葉は、
藤井ヒナの脳をガツンと震わせた。
え。
え。
えーーーーーー。
藤井ヒナの目に星が浮かぶ。
やだもう。
そんなのってアリー!?
きゃー☆
まさかあたしが、
学園でモテモテのイケ☆メンの、
九条椋クンに、ふたりっきりで、
お出かけデート(きゃ)に誘われちゃうだなんて!
これってもしかして、
ユメ……だったりするのかにゃあ……(ふわふわ)
九条椋クンと、ふたりで……。
幸せすぎて、困っちゃうよー、もー(キュンキュン)
平凡で、何の取り柄もないあたしが、
こんなカッコイイ人に誘われちゃうだなんて。
これだから、乙女ゲーって……。
しゅ、しゅっごーい!(どっかーん)
「おい、藤井! おい! おい!
しっかりしろ! 藤井! どうしたんだ急に!」
はぁぁん……。
やだー、目の前が真っ赤に染まって、
もうなにも見えないってカンジ……。
心臓のバクバクだって遠のいちゃっているし。
ほっぺたの下の床ってば、冷たくてキモチイイっ(えへへ)
あーん、もうー。
困っちゃうなぁ~(もじもじ)
トキメキの足音が、
き・こ・え・ちゃ・うー♡
「誰か! 救急車を!
藤井が突然、血を吐いて!
痙攣が、止まらなくて……なんだこれ、なんだこれは!
くそう! どうなっているんだ!
さっきまでは、あんなに元気だったのに……!
しっかりしろ! 藤井ヒナああああああ!」
血溜まりに沈む藤井ヒナのその表情は、
心の底から安らいでいるような……笑顔だったという。
744回目。
死因:頼られて~春~。
ブルーメより一言:あ、今折れた。半分心が折れたのです。




