60限目 キッチンだって死の危険はあります
明けましておめでとうございます。
2014年の藤井ヒナの『死に初め』です。
本年度もよろしくお願いします。
厨房にはもう何人かのアルバイトがいて、作業を始めていた。
というわけで、念願のキッチンに配属されたヒナは、控えめに右手をあげる。
「あの、藤井ヒナです。
きょうからどうぞよろしくお願いします」
「新人だ。面倒を見てやってくれ」
付き添いの椋が告げると「おーっす」という、あまりやる気のない返事が飛んできた。
ヒナは大きなコックコートを着て、その前にピンク色のロングエプロンを身につけていた。
髪を後ろにまとめてコック帽をかぶり、胸元にはワンポイントのネクタイ。
形から入るのを地で行くようなスタイルだ。
これはこれで十分かわいいと思うので、問題は一切ない。
「というわけで、精一杯がんばりますよー」
ヒナはぎゅっと拳を握って、口元を引き締めた。
やる気はいつだって、満ち満ちている。
「ま、がんばれよ、僕もときどき様子を見に来るからな」
「はい、椋くんっ」
彼に背中を押されて、ヒナは笑みを浮かべる。
ようやく、まっとうにお金を稼ぐ道が見えてきたような、そんな気がしていた。
「……もう二度と死ぬもんかっ」
決意とともにつぶやく。
それを聞いたブルーメが、一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべていたが、
そのことにヒナは気づかないふりをした。
とりあえず与えられた仕事としては、皿洗いと下ごしらえである。
ヒナは一心不乱に皿を洗い、せっせせっせと野菜の皮を剥く。
こういったひとりで没頭できる作業は、大好きだ。
一度集中してしまえば何時間でも続けることができるのは、ヒナの地味な――と自分では思っている――特技のひとつだ。
「フーン、ま、まあ、それなりに手先は器用でいやがるのです」
ブルーメはシンク台のそばで寝転びながら、
そんなヒナの仕事っぷりをつまらなそうに監督している。
「イマドキ、女子が料理をするべきだなんて固定概念はひどく間違っていやがりますし、
ワタシはどちらかというと、作るより食べるほうが好きですから、
当然結婚するなら料理の上手なイケメンBOYか、あるいはコックでも雇うつもりですけど、
まあ、まあ、まあ、それでも芸は身を助けると言いますし?
こうやってはした金を稼ぐこともデキて良かったのです、コムスメさん。
あ、や、別に? ワタシが料理できないってわけじゃないのですけど?
やろうと思えばきっとデキますし、人並みぐらいは作れますし。
ご飯ぐらい炊いたこともあるのです。できるに決まっていやがるのです。
きっとデキるとワタシ自身はワタシのことを信じているのです。
ただやらないだけで。ワタシは爪を隠すことができやがるのです。
能あるブルーメは爪を隠すのです」
自分が料理しない、できない理由をよどみなく語るブルーメ。
ラジオ代わりに聞き流しながら、ヒナはひたすら手を動かす。
『乙女は辛いデス』は、パラメーター至上主義である。
元々どんなに頭の良い人がプレイしたところで、
『勉強』ステータスが水準に達していなければ、テストで学年一位を取ることはできない。
同じように料理だってその通りだ。
ヒナのサブステータスである『料理』スキルは最低値である。
だから、所詮皮むきとは言え、最初から上手にできるはずはないのだが。
ヒナ自身の技量が飛び抜けているため、彼女は皮むきをなんなくこなしてゆく。
「えへへ……楽しい……」
ヒナはちょくちょくとウィンドウを操作し、パラメーターの変動を観察していた。
ゼロからのスタートだけに、『料理』スキルが面白いように上昇してゆくのだ。
ヒナは頬の緩みを抑えられない。
「わたし、こういう風に、コツコツと、
積み重ねていくのって大好きなんですよねえ……」
ああ、なんという幸せなひとときか。
誰にも干渉されず、ひたすらひとりっきりで野菜の皮むき。
あがってゆくステータスを横目に、ヒナは恍惚の微笑み。
「はぁ……こんなことで人の役に立って、お金をもらえるのなら、
もうわたしこのゲーム、ずっと皮むきしてても構いません……」
「それはもはやただの皮むき体験ゲームなのです」
とまあ、そんなことを続けながら、
実に平和な――とても短かった平和な――料理の時間は過ぎてゆく。
お昼の忙しい時間が終わり、少しずつ手が空いてきた頃。
「藤井さん働きものだねー」
「――」
声をかけられたヒナは一瞬だけびくりと震え、硬直する。
実はずっとずっと、見ないようにしてきたのだ。
存在をなんとか頭の中から追い出していたのに。
ついに話しかけられてしまった。
「あ、えと、そんなことないですよ」
愛想笑いを向ける。
「いやー、女子高生の子が入ってくるとか、マジテンションあがるよねー」
「サボってないで手を動かせよ。椋さんにシメられっぞ」
厨房にはずっと、ふたりの男性がいた。
どちらも大学生で、友達同士らしい。
ひとりはチャラそうな青年。常に涼しげに笑みを浮かべている。
もうひとりは真面目そうな青年。髪が短く、どことなく料理人のような雰囲気を漂わせていた。
攻略対象ではない。広義でのモブキャラたちであるのだが。
これは言うまでもないことに――乙女ゲーなので――ふたりとも、かなりの美形でもある。
「キッチンに女の子がいるのって、初めてじゃない?」
「まあ、そうだな」
「椋さんも気が利くよねー。一番のやる気に繋がるって」
「藤井、こいつがウザかったらちゃんとウザいって言えよ」
「あ、ひどいなー」
「えへへ……」
ホワイトシチューをかき混ぜながら具合を確認しているヒナ。
そんな彼女を挟むようにして、ふたりは談笑している。
こんなに困ることはない。
ヒナの敏感すぎるセンサーは自動的にふたりの声を拾ってしまう。
「藤井さんって椋さんと同じ学校なの?」
「あ、えっと、まあ……」
「へー、椋さんって高校でどんな感じ? やっぱり友達いない?」
「おいおい」
「いや、あの……」
「いやーだってあの物腰、雰囲気、どう考えてもエリートサラリーマンでしょ。
年下だって知って超ビックリしたんだよ。おまえだってそうだったじゃんー」
「まあそれはな」
「いや、まあ椋さんはいいや。
藤井さん料理上手だよね? おうちで色々やっているの?」
「あっと……」
「家庭的な感じがして、すごくいいよねそういうのー。
藤井さん、得意料理とかある?」
「えと、その、北京ダックを少々……」
「え、なにそれめっちゃウケるー」
「あう…………」
やばい、質問攻めだ。
はっきり言って死にそうだ。
これはあくまでも、仕事において、業務を円滑に行なうために、
お互い自己紹介しているにすぎないのだと思い込もうとするけれど。
だめだ。チヤホヤされて、どうしても気持ちよくなってきてしまう。
イケメンを両脇にはべらせて。世界で一番お姫様の気分だ。
ヒナがホワイトシチューをかき混ぜる手がぷるぷると震えてきた。
時計を見やるけれど、店が混み始める時間まではまだまだかかりそうだ。
今すぐお相撲さんの団体さんがやってきて、
ホワイトソースのチーズリゾットを120人前ぐらい頼んでほしい。大歓迎だから。
「うーうー……」
小さくつぶやくヒナ。
真綿で首を絞められるように、数値が上昇してゆく。
そろそろ本気で耐え切れない。
吐血しそう。
もう自分の死期はそろそろ自分でわかるようになってきた。
この真新しいキッチンに血をぶちまけてしまいそうだ。
ブルーメなんかすでに退避していたりする。
キッチンの端っこの冷蔵庫を開けながら「あ、お魚」とかのんきにつぶやいているのは、きっと現実逃避だろう。
「あの……」
せめて控えめに『あ、もうちょっと離れたほうが汚れないで済みますよ』とか、
『今から死にますけれど、お気になさらないでくださいね』だとか、
そういった常識的な心配りをしようとしたその時だ。
「――なにをしている」
凛とした声がキッチンの入り口から届いてきて。
そこには腕組みをしたオーナー、九条椋が眉根を寄せて立っていた。
大学生たちが「げっ」という顔をする。
「私語はやめろ。万が一でも、食事に混入したらどうする。
今は勤務時間中だぞ。目の前の仕事に集中しろ」
その物言いに、大学生ふたりは曖昧な笑みを浮かべながら「すみませーん」と頭を下げたけれど。
――今のヒナにとって椋の姿は、神様のように見えた。
毅然として言い放つ彼の姿は、とてもカッコ良くて。
胸の中で小さく灯ったその明かり。
あれもしかして、あれあれもしかして、と気づく。
もしかして自分は、椋のことが好きかもしれない、と。
彼はきっと自分を助けに来てくれたのだ。
乙女のピンチに駆けつける、これこそ王子さまの役目ではないか。
助けてくれた。助けてくれた。椋が助けに来てくれた。
助けてくれた。助けてくれた。椋が、椋が。いつもはあんなにツンケンしている椋が。
助けてくれた。助けてくれた。椋が自分を、助けてくれた。
助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた。
助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた。
助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた。
助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた。助けてくれた……!
ときめきメーターの数値は、爆発的に、膨れ上がり。
もはや恋心は制御不能。メルトダウンを引き起こす――。
「りょ、椋さ、わたし、ずっと前から、
初めて会ったときから、りょうさんのことが――ごう゛ぁッ!」
『!!!???』
口から大量に血を吐いて、膝から下を真っ赤に染めたヒナは、前のめりに倒れてゆく。
その前にあった鍋も同じように、ブラッドシチューへと早変わりだ。
やがてキッチンには男たちの悲鳴が響き渡り。
……そこは絶叫のコンサート会場へと変貌してしまっていたのだった。
743回目。
死因:椋さんの王子力。
ブルーメより一言:ちょろすぎるのです(畏怖)。




