49限目 ばいばいシュルツ
シュルツは、今の仕事は自分の天職だと思っている。
幼い頃からゲームが好きだった。だから将来はゲームを作る仕事に携わりたいとずっと夢見ていた。
『好きなことを仕事にすると辛い』とよく人は言うけれど、シュルツに限れば逆だ。
まったく興味のないことを仕事にする方が辛いに決まっている。
少なくともゲーム業界にいれば、自分はその趣味のトレンドの最先端を走り続けられることになるのだ。
大体、モデルで着飾ることに興味がない人がいるだろうか? 漫画嫌いの漫画家は? 活字嫌いの作家は……まあいそうだが。
ともあれ、シュルツにとってゲーム会社は幸せな環境だった。
プログラムだろうが、営業だろうが、デバッカーだろうが、なんでも構わない。
ゲーム会社にいられることが、シュルツの喜びだった。
だけど、もう限界だ――。
シュルツの意識はバーチャル空間ではなく――モニター室にあった。
モニター越しの画面の中には、珍しくオロオロしているヒナが映っている。
シュルツを探しに、今にでも飛び出してしまいそうだ。
両手を組み合わせて、そこに顎を乗せながらシュルツは隣の部屋に口出す。
「えー、ヒナさん」
『えっ、シュルツさん!? ど、どこいっちゃったんですかぁ!?』
ヒナが狼狽する姿は、いつまでも見ていたくなるぐらいに面白かったけれど。
シュルツは目を糸のように細めながら、告げる。
「ボクは疲れた」
『疲れた!?』
「ヒナさん正直しんどい」
『しんどい!?』
ヒナは愕然としていた。
『そ、そんなぁ……シュルツさん、帰ってきてくださいよお……
シュルツさんがいないと、わたし……わたし……』
瞳を潤ませながらそんなことをぬけぬけと言うヒナ。
あれだ。あの清楚で純情そうな顔に、いつも騙されてきたのだ。
一度、この淫欲の悪魔は魔縁に落ちてみるべきだ。
六道輪廻。そうでもなければ、地獄道の先にあるというビッチ道から一生抜け出せないだろう。
二日目をクリアした今がチャンスなのだ。
自分の息抜きと、ヒナの真人間化の一石二鳥の手段を思いついたのだから。
「ヒナさん、しばらく反省してくれないとね」
『そ、そんな……! わたしなんにもやってないですよ!? ただ精一杯生きているだけですよ!?』
「人間は生きているだけで酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出しているんだよ……」
『そんなレベルの話なんですか!? え、じゃあわたしがんばって植林してきますから!』
「よそうか」
冗談をマジに受け止められてしまった。
このビッチが本気を出したら地球は緑の星に生まれ変わってしまう。
ヒナはなおもシュルツのモニターがあると思しき方を見つめながら――些細な疑問なのだが、なぜヒナは光学迷彩処理を施されているカメラの位置を正確に追えるのだろうか――声を振り絞る。
『シュルツさんがいなくなったらわたし、こんなところでひとりぼっちじゃないですか!』
「エア友達っているじゃない。そんな感じでエア恋人作ればいいじゃん」
『やだー! ひとりやだー!
エア恋人ってそれ、にぎにぎもなでなでもぎゅっもできないじゃないですかー!
それやだー! やだー! 意地悪しないでくださいよぉー!』
拳を胸の前で握り、悲鳴をあげるヒナ。
シュルツはいつしか薄笑いを浮かべていた。
「効いてる効いてる……」
まるで親に捨てられた雛のようだ。
平常時なら胸が痛むところだが、今のシュルツに怖いものはない。
吹っ切れたのだ。
仕事だからと我慢してきたけれど、もう仕事もなにもあるものか。
どうせここから脱出するまで延々と閉じこめられるのだ。
少しぐらい羽を伸ばしたって、シュルツを怒るようなものはいないはずだ。
そんなやつがいたらヒナさんをお見舞いしてやる。
今はこの圧倒的優位に浸っていよう。
普段感じることのできぬ「セーフティ」という名の悦楽……。
「安全」であることの愉悦……!
なんてことを考えていると。
『……ますよ』
「え?」
ヒナが俯いたままぽつりとつぶやいた。
聞き逃してしまった。シュルツは問い返す。
すると……。
『……あんまり意地悪するなら、壊しちゃいますよ』
「いやいや、あの、え?」
『ここの壁を壊して、シュルツさんをさらいにいっちゃいますよ』
ヒナの目が据わっている。
一瞬、全身の毛が逆だってしまいそうな気がしたけれど。
すぐにシュルツは噴き出した。
このビッチはあまりにも物を知らないのだ。
「ははは、なにを言っているの? ヒナさん。
こことその部屋が物理的に繋がっているとでも思っているの?」
『……』
ヒナはぺしぺしとなにかを確かめるように壁に手を当てて。
シュルツは高笑いしながら煽る。
「あはっはっは、未来の科学はSFなんてもんじゃないんだよ?
いくらヒナさんでもできることとできないことがあるに決まっているじゃないか!
なんでもかんでも力技で片付けられると思ったら、大間違いなんだぞ!
できるの? できるならやってみたらいいんじゃない?
どうぞ、お気に召すまま、抗ってごらんよ? 未来の科学にさぁ!
あっはっはっはっは、おかしい、とってもおかしい、ちゃんちゃらおかしいね!
さあ! やれるものならやってごらんよ!? あははははは――」
――笑い声の途中、ゴォンという音が響いて。
シュルツの見つめているモニターに一斉に真っ赤なアラートが表示された。
埋め尽くされるのは、警報、警報、警報の文字。
「ひっ」
なんだ、なにをしたんだ。慌ててキーボードを叩く。
ヒナは壁に手を添えて、わずかに目を光らせただけなのに――。
「ばかな……隔絶空間に配置された18層の特殊隔壁を一撃で……」
もう一度同じことをされたら、踏み込まれる!
『えへへ……』
絶句した。シュルツのこめかみを汗が流れ落ちる。
前髪で目を覆ったヒナの素っ頓狂な声が、その恐怖心をさらに加速させた。
『しゅーるーつーさーんー。
あーそーびー、まーしょー……』
「ちょ、待って、マジ、待って、
お願い、すみません、待ってください」
あちら側からはこちらが見えていないはずなのに、シュルツは思わず平謝りした。
「すみません、ボクが調子に乗ってましたー!
ほんの出来心だったんですー! 無敵のヒナさんに逆らう気なんて毛頭なくて!
ただちょっと、上からシュルツがしたかっただけで! ね! 謝りますから!」
『……』
「え、ちょっとなんか言ってよ、こわい」
ヒナはポケットから取り出したハンカチで目元を拭う。
それから顔を上げると、きっ、とこちらを睨んできて。
『シュルツさん、わたしだって突然意味もなくそんなことをされたら、びっくりするんですからね。
どこにいっちゃったのかと、心配したんですよ。もう』
「いや、まあ、はい……その、すみません」
『いいですよ、もう、別に』
頬を膨らませながら、ぷい、と横を向くヒナ。
すねているのかもしれない。
なんだかおかしな空気になってしまった。
ヒナは俯きながら小声でつぶやく。
『……戻ってきたときに、そうですね、今度は七海光先輩の格好になっていてくれたら、すごく許します。
樹先生と、凛子ちゃんと、パパと、優斗くんとローテーションで……』
あ、こいつぜんぜん堪えてねえ。
危なかった。うっかり反省するところだった。
「け、けどね! だけどね!」
シュルツはキーボードを叩き、力説する。
「ヒナさんはいいかもしれないけど、ボクはヒナさんほどタフじゃないんだよ!
だから、おやすみがほしいんだ! この気持ちわかってよ」
『えっ、そうだったんですか……?』
「えっ」
『わたしが、無理に付きあわせてしまったんですね……』
すると今度はこのビッチ、突然しゅんとした。
気にするように胸を押さえて、自分の髪を撫でて。
それから、駅のホームで恋人を見送るような、悲しそうな目。
『……それだったら、それこそ早く言っていただけたら……
ううん、ごめんなさい、わたし気づかないで……
…………やっぱりこの空間だと、相手のメンタル数値も全然コントロールできないから』
「え、う、うん……」
最後の言葉に若干、戸惑いながらうなずく。
どうしてヒナがあんな顔をするのかわからない。
「だからボク、しばらくこの部屋で持ってきたゲームするから。
だらだらするから。すげーもうだらだらするから。
ベッドに横になって一歩も動くつもりはないから。だらだら界の王になるから」
『はい、いくらでもごゆっくり、リラックスしてください。
あ、全身マッサージしますか? された方はみなさん口をそろえて、
気持ちよすぎて死ぬかと思った……、って言ってますよ?』
「それはいい」
健気に微笑むヒナ。シュルツは改めて自分に言い聞かせる。
騙されてはいけない。あれがヒナのやり口なのだ。
かわいい顔と殊勝な態度で相手を油断させたところを、狂気と恐怖で追い込む。
美人局のようなものだとシュルツは思う。
ヒナはこの緩急とアメムチがとんでもなく巧みだ。誰もが庇護欲をそそられるような可憐さと、誰もが包まれるような母性を同時に使いこなす。
これこそがACP(Assault combat pattern)ビッチだ。呆れるほどに有効な戦術である。
ともあれ、ヒナの許可は取った。
これで心おきなく、自分の世界に引きこもれる。
ヒナはぼんやりと首を傾げながら。
『ってことは、わたし、しばらくここでおやすみですね。
どっちみち、二日目が終わったら休憩するつもりだったので、大丈夫ですよ?
空想して遊んでいますね』
「さっき、エア恋人はいやだって」
『たまにはいいかもしれません。……えへへ』
澄ました顔でそんなことを言うヒナ。
これがシュルツに心配をかけまいとしているのか、あるいは駄々をこねたのがフリだったのか、議論がわかれるところだろう。
シュルツとしては第三の「どちらも本当で、ヒナさんは本能で生きている」説を推そうと思う。
今泣いたカラスがもう笑った、だ。
今フラれたビッチがもうサカった、でも大体意味は通じるだろう。
とりあえずシュルツは手元を操作しながら、あっけらかんと告げる。
「まあ、でもゲームは進めていてくれても構わないよ」
『え? いいんですか? 三日目以降を?』
ヒナは目を丸くして。
「うん、ちゃんとデータは取っておくから。だから」
シュルツが一際高い音でキーを叩いたその瞬間――。
――ヒナの目の前に、一匹の小さな白猫のぬいぐるみが出現した。
白猫は肉球でごしごしと顔をこすり、まぶしそうに目を細めた後、
ぺこりと頭を下げ、鈴のような甲高い声でご挨拶をしてきた。
「はじめましてなのです。ご主人様」
「だれーっ!?」
軽く握った拳を口元に当て、内股で嬉しそうに叫ぶヒナ。
それから隣の部屋からの声。
――シュルツは驚くべきことを告げてきた。
『彼女はブルーメ。
三日目からこの子がヒナさんのオペレーターを務めるから』
ブルーメより一言:これからよろしくお願いしやがります。




