43限目 生きたけど……えっ?
こんかいのあらすじ:これはひどい。
結局、しばらく休んで。
英気を養ったヒナは、自信を取り戻した顔で立ち上がる。
「……シュルツさんから、たくさんの恋愛力を補充しました。
いちゃいちゃらぶらぶした後のわたしに、もう怖いものはありません」
「事実がねじ曲げられている」
とりあえず義務的に突っ込むけれど、
今のヒナにはまるで効く気がしない。
どこ吹く風だ。
柔らかな笑顔を浮かべながらヒナは頭を下げてくる。
「やっぱり根を詰めるのはよくないですね。
わたしもどうやら自分を見失っていたようです。
ご心配をおかけしました。
もうわたしは大丈夫です、シュルツさん」
「……それは良かった」
どうやらヒナは本当に気力を取り戻したようだ。
黒く濁っていた瞳は、宝石のように透き通っている。
あるいは良いアイデアが浮かんだのかもしれない。
パワーダウンしたヒナとは別れがたかったが、
ゲームを続けていけばそのうちまた会えるだろう。
「ではいざゆきましょう!
わたしたちの戦いの地、ヴァルハラへ!」
「う、うん」
そのパワーに圧倒されながら、シュルツはうなずく。
戻ってきたのだと一目でわかるほどの輝き。
彼女こそが、僕たち私たちのヒナさまだ。
髪の先の一本までもが自ら光を放つように、きらめいている。
「もう、わたしは七海光センパイには負けません。
絶対に……です!」
掲げた拳を胸の前で握り締めるヒナ。
蒼炎がその手の中で砕け散り、辺りに火の粉をまき散らした……ような気がした。
彼女の決意の言葉は今までに何度も聞いた。
気合いだけでは突破できない壁もあるだろう。
シュルツは現実を知っている。
今まで700回以上死んできたのだから。
けれど、なぜだろうこの安心感は。
彼女といるときのこの高揚感はなんだ。
この子が。
この少女が。
頼もしく感じる。
しない。
ああ、しない。
負ける気が、
――しない。
◆◆
すなわち、七海光の恐ろしさは、
世界を崩壊させるほどのイケメン力、ただそれだけだ。
――お昼休みまでやってきて。
ヒナは廊下の中央に腕組みをして立っていた。
その姿、まさに威風堂々。
風になびく髪はマフラーのようで。
たったひとりの乙女が、ヒーローにも見えた。
「ふー……」
ヒナは目をつむっている。
この七海光時空において、進入者は七海光以外にはいない。
感じ取るのだ。彼の気配を。
それは今のヒナにとってはたやすいことだった。
「……一撃必倒、乾坤一擲……」
物騒なことを口走っている。
きっとただの心構えだと、ポケットの中から顔を出しているシュルツは信じている。
また、彼女の脇には空っぽの水筒が置いてあった。
この七海光時空に引きずり込まれたときに、辺りに水をまいたのだ。
それが一体なにを意味するのか、シュルツにはわからない。
ヒナの放つ熱気に煽られて、水蒸気となり立ち上っている。
そして、現れる。
ゆっくりと、その男が廊下の向こう側から――。
「あ、あああ来た、来たよヒナさん!」
シュルツは思わず叫び声をあげた。
彼女を信頼していないわけではないが、光のことも同じぐらい恐ろしいのだ。
「そ、そんなのんきに構えてないで、
なにか、なにか策があるんでしょーッ!?」
狼狽するシュルツ。
ヒナは微動だにしない。
ただ、なにか“奇妙な呼吸法”を行なっている。
1秒間に10回の呼吸をするように、あるいは10分間息をすいつづけて10分間はきつづけられるような、そんな。
そんなヒナの元に――ついにやってくる。
颯爽を姿を現す金髪の美青年。
その男はアポロンだ。太陽を従えた輝けるもの。
美しく冷酷で残忍な、ヒナディーテを陥れる男だ。
「お、子猫ちゃん、ちょっといいかな?」
軽薄な口調で話しかけられながら、
ヒナはやはり目をつむり押し黙っている。
だめだ、このままじゃ。今までと同じことだ。
彼は近づいてきて、ヒナの耳元に愛の言葉をささやきかけるだろう。
このままでは死ぬ。
なのにヒナは相手が5メートルの間合いに踏み込んできたのに動かず。
「おまえは何をやっているんだ藤井ヒナーッ!
行動はともかく理由を言えーッ!」
シュルツが叫んだその瞬間。
ヒナは目を開きながら両腕を風車のように回す。
直後、光の姿はまるでステルス迷彩を身にまとったかのように変貌する――!
髪から足の先まで、彼は透明となっていたのだ!
「あ、ああーッ! そんなことが――!?」
驚愕するシュルツを置き去りにして、ヒナと光は言葉を交わす。
イベントを進めているのだ。
一方シュルツは、その技の正体を見極めることに躍起になっていた。
微量の風が光の周囲に取り巻いているのに気づく。
「か……『風』だ……
この透明の正体は『風』か……?」
ごくりと喉を鳴らしながら口走る……。
「先ほどヒナさんがばらまいた水が水蒸気となり、七海光のまわりにウズとなってまとわりついている……
おそらくそれは光の屈折現象!
その水蒸気がスーツとなって太陽光線を屈折させてヒナさんの視界から守っているんだ。
だから透明のようにみえる!」
ヒナは光に連絡先を聞かれて、大慌てでメモ紙を渡している。
すでに彼女が用意していたものだ。
その様子から察するに、光の姿が見えなくなるのは数十秒程度の短い間だけにちがいない。
人間が海の中を潜るのと同じように。
他にもおそらく、多くの条件が必要なことだろう。
たとえば5メートル以内にしか効果がなかったり、辺りを水浸しにする必要があったり。
風の発生しない屋内限定であったり、他に人がいなかったり、だ。
それでも――この技は有効だ。
これからも必要となる場面が出てくるだろう。
しかしいつまでも『技』では呼びにくい。
「このシュルツが名づけ親になってやるッ!
そうだな……『メキシコに吹く熱風!』という意味の『サンタナ』というのはどうかな!」
名前は、ヒナ式風の流法、ということになった。
電話番号とメールアドレスを受け取った光は満足そうにしていた。
ヒナも透明人間の彼に穏やかな笑みを浮かべている。
だが、なかなか光はその場を離れようとはしなかった。
執拗にヒナにちょっかいを出している。
「でさ、良かったら今度遊びに来ない?
友達も一緒に連れてきても良いからさ」
「あ、は、はい、そうですね……えへへ」
ちらちらとヒナは時間を気にしていた。
きっともうすぐ風の流法の効果時間が切れてしまうのだ。
「なかなかチケットも手に入らないんだけど、
君みたいに、磨けば光る原石を見つけちゃったらさ、
もう声をかけないほうが失礼だと思ったからさ」
「原石だなんてそんなぁ」
透明人間の光が身じろぎするごとに、ちらちらと彼の姿が浮かび上がる。まずい。
もう限界なのだろう、ヒナは自分から会話を打ち切ろうとして。
「あ、す、すみません、
もう少しでお昼休みも終わっちゃうので、わたしはこれで」
「あ、ちょっと待ってよ」
横を通り過ぎるヒナの手を、光が掴み――
そうになったけれど、彼は慌てて手を引っ込めた。
「え? あ、あれ?」
「……っ」
「なんだろう、おかしいな。
今、子猫ちゃんが、炎をまとった巨大な虎――、
そう、『苛虎』とでも言うべきものに見えたような……」
「き、気のせいですよ……たぶん……
気迫かなにかが、ヴィジョンとなって見えただけですよ……
……でも、あんまり深く追求しないほうがいいと思います」
俯きながら言ったその言葉に、光は釈然としないようだったが。
まあいいか、と手を振った。
「じゃ、子猫ちゃん、また今度ね」
「はいっ!」
彼の後ろ姿はすでに風のスーツがほどけていたけれど。
ヒナはそれを、この日一番の笑顔で見送ったのであった。
かくして。
お昼休みの死闘を、様々な準備によりヒナは乗り切った。
さすがに疲れたのだろう。
帰ってきて机に突っ伏すヒナは、シュルツにこうつぶやく。
「なるほど……シュルツさん、何事にも攻略法というのはあるものですね……
風を操れば乗り切れるイベントって、結構難しい謎解きでしたね……」
「力技以外のなにものでもなかったと思うけれど……」
うめくシュルツ。
それでもヒナは光を回避した。
きっと彼女が望んだようなイケメン克服はできなかったし、
光が現れるたびにまた己のアイデンティティが傷つけられるのだろうけど。
これからもきっと、
様々な手段で危機を脱するはずだ。
本来ならば死ぬはずもないイベントで死ぬヒナは、
本来ならば使う必要のない『技』を用いて、機転と力技で乙女ゲーを征するのだ。
ゆけ、我らがヒナ。
負けるな我らがヒナ。
恋する乙女の力は無限大だ。
無限大だからとても強いのだきっと。
多くの困難に挑み、それらを乗り越えて。
ヒナはきっと、このゲームのエンディングを迎えることができるだろう。
ヒナはそう信じている。
シュルツは信じていないが、そうしてもらわないと困る。
ヒナとシュルツ。
ふたりの物語はまだまだ続いてゆく――。
と、お昼休み。
授業が始まりそうになったところで、これまでにないイベントが起こった。
優斗が話しかけてきたのだ。
「なあヒナー」
「な~に~?」
顔を起こさずにふにゃふにゃした口調で受け答えるヒナに。
優斗はにっこりと笑って、尋ねてきた。
「明日からのゴールデンウィーク、
どっか遊びにいかないか?」
その言葉。
「……え?」
遠い世界の違う言語のように――聞こえていた。
シュルツより一言:もうちっとだけ続くんじゃ。




