犯人は誰だ!?
会場は、一変して騒然となる。
床に伏したアイの衣装は一部分から赤く染まっていく。踞り痛みに堪えるも、アイの瞳からは自然と涙が溢れていた。
まだ状況の分からないリーンが何事だと人の囲みを掻き分け、現場に到着すると、目を大きく見開き固まる。
「お嬢様!!」
「アイ様あああ、いやああああっ!!」
リーンより僅かに遅れてアイの姿を見たゼファーとラムレッダは、誰よりも先に動く。
「医者を! 誰か!!」
「しっかり! しっかりしてください!! アイ様ぁ!!」
既にアイの血で両手を染めるゼファーとラムレッダを見てリーンは動けなかった自分に悔しいのか、それとも躊躇うことなくアイを看る二人に嫉妬してしてか、苦虫を噛み潰したように顔を歪めながら、医者を呼ぶように叫んだ。
「アイっ! アイっ! 今抜くからな!!」と、動揺して脇腹に刺さった短剣を抜こうとするリーンの両頬を、アイの血で染まった両手でラムレッダは挟み込む。
「リーン様!! 今抜けば血が溢れますよ! まずそれより先にすることがあるでしょう!!」
ラムレッダに叱咤されリーンは、正気を取り戻したのか男の使用人を複数呼び寄せ、ラムレッダやゼファーも含めてアイを手当てするために、なるべく安静にしつつベッドのある部屋へと運ばせた。
医者も駆けつけ、この日の為に用意されたドレスは傷口を診るために破られる。邪魔にならないようにリーンは壁の端でアイの傷口を見ると、目を細め眉尻を吊り上げて悲痛な表情へ変わる。
すぐに手術が必要だと医者から言われ、リーンは強く頷く。
「お湯、貰ってきます!」
普段は大人しく落ち着きを払っているラムレッダが部屋を走って出ていく。
その間にもベッドの純白のシーツは、赤く染み込んでいった。
「少しですが、俺もラムレッダも医学の知識があります!」
「うむ。それでは手伝ってくれ。まずは、止血の約束と麻酔の薬草を!」
丸眼鏡をかけた小太りの医者は、鞄から前掛けと手袋を取り出して手伝ってくれるゼファーへ手渡した。
「お湯です! 新しいのもすぐに来ます!!」
「うむ、助かるぞい。なるべく傷口が見えるように次々と血を拭き取ってくれ」
ラムレッダはまだまだ足りないと、メイドに清潔な布を持ってきて貰えるように頼む。医者が慎重に、しかし、素早く短剣を抜くと周囲に血飛沫が舞い、部屋中に噎せ返るような血の臭いが充満する。
ゼファーもラムレッダも臆する様子は一切なく、ただアイを救いたい一心で医者の指示に従う。
「僕は自分の出来る事をしてこよう」
こんなところで見ていてもアイが良くなるわけではないと、リーンは部屋を出ていった。
アイのために役に立っている二人に軽い嫉妬を抱きつつ、リーンは刺された現場を訪れる。
未だに血生臭い匂いがするものの、招待客の中にはぶどう酒を飲みながら談笑している者も。
「いい気なもんだ」
リーンは小声で吐き捨てると、使用人を呼び寄せ手分けして何か目撃していないか聞き込みに回らせ、リーン自身は、心配している自分の両親、そしてアイの両親の元へと向かった。
「そうですか……手術を」
フラりと眩暈がして倒れそうになるアイの母親レイチェル。父親であるバーナッドも気丈にレイチェルを支えるも顔色が悪くなっていた。
「それで、リーンよ。もし万が一の事があればどうするつもりだ?」
「父上!? 縁起でもないこと言わないでください。僕の気持ちは変わりませんよ」
「しかしだな、婚約の儀はこの晩餐会が終わりをもって成立する。今のままでは──」
「それでもっ!!」
「落ち着きなさい、リーン。晩餐会は終盤です。このまま帰宅させるべきだと、お父様は仰っているだけです」
「それでは、犯人が!! このまま犯人を見逃せと!?」
リーンの母親は黙ったまま頷くことで答える。
リーンは知恵を振り絞る。そもそもアイを狙った理由が分からない。
アイが邪魔だった? それとも自分への警告だろうか。せめて動機さえ分かれば……そう考えたが、その動機が不明のままでは、犯人探しどころではない。
自分に出来ること……それを考えたときリーンは、行動を起こした。
「皆様、本日は誠にありがとうございます。一時騒然斗しましたが、婚約の儀はこれにて終了とさせて頂きます。出口で手土産が御座いますので、どうぞお持ち帰りください」
リーンは、二階の回廊から宣言すると、本来二人でやる予定であった見送りを一人でこなしていく。
「リーン様。アイお姉様は……」
「心配いらないよ、ロージー」
一度、不安げなロージーの手を握る。ラヴイッツ公爵からも励ましの声をかけられ、二人は邸宅を去って行った。
早くアイの元へ行きたい衝動を抑え、全員を見送るまで残ったリーンは、最後の一人が見えなくなると、急いでアイの居る部屋へと走っていく。
「おい!! アイは!? アイは無事なのか!?」
ちょうど部屋から出てきた医者を捕まえ、リーンは息巻く。
医者が丸眼鏡の奥の皺のある目を細めると、リーンは医者を押し退け扉を開き部屋へと駆け込んだ。
「しー!」
側に付いていたラムレッダが薄桃色のぷっくりとした唇に人差し指を当ててリーンを窘める。リーンは、ベッドで魘されながら眠るアイを見てホッと胸を撫で下ろした。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
アイは夢を見ていた。
真っ暗な空間にポツンと残された自分。一つ灯りが灯ると、そこには下着一枚で吊らされているリーンの姿。灯りが消え、また別の場所に灯りが灯ると今度はポーズだけが変わったリーンの姿と繰り返す。
それが自分に向かってゆっくりとだが近づいてくる。
アイの魘されている原因は、この夢のせいであった。




