下戸なおじさんと居酒屋
「乾杯」
料理の揃った居酒屋のテーブルで、私の出したグラスに彼が自分のグラスをコツンって。
目尻と口許に笑い皺を作っての低い声。不思議と落ち着くこの声が好き。
そんな年上の彼の声と一緒に口をつけたグラスを傾けたら、桃の香りを含んだ冷たさが喉を抜けてく。
「美味しそうでいいね」
私の口許がほころんでるのを見つけて彼が微笑む。それがなんだか気恥ずかしくて、飲んでみる、ってグラスを向ける。
「いや、ごめん。僕でも飲みやすそうだけれどね。逆に危なそうだから」
彼は予想通りに苦笑しながら遠慮して、自分のジンジャーエールをグイって。
彼はお酒にすごく弱い。まったく飲めないってくらいに。
それでも私が誘ったらこうやってソフトドリンクやノンアルコールで付き合ってくれる。
他の誰の誘いでも飲めないからって断ってるのに。それが自分が彼の特別である証のようで気持ちがいい。
「飲めないがやはりつまみは好きだな枝豆に、冷奴がネギ盛りなのは嬉しいね……焼鳥もいいじゃないか。キミはこの串が好きだったろ?」
優越感にのって進んじゃったみたいで、彼につまみを勧められる。ペースが上がりすぎてたらこうやってつまみや水やソフトドリンクをクッションに入れてくれる。
ホントに私の事をよく見てくれてる。彼に受け止めてもらえてる。この実感が嬉しいからついつい彼に甘えていってしまう。
「楽しんでくれてるのはいいが、飲めないおじさんの前で、若い娘がちょっと無防備過ぎやしないかい?」
でもこんなことを言われてしまう。
なんで? 私はそれでもいい。それがいいのに。
そんな私に彼は酒も入ってないのに頬を染めて目を逸らした。
「冗談は程々にね。本気にしてしまうじゃないか……いや、誘われるままに来ている僕が言うのも今さらだが……」
わざとらしく咳払いして髪に差した白髪に触れる。これが彼の照れ隠しで、年の差を気にしてるだけなんだと分かってる。でも自分の本気を冗談呼ばわりされたのは気に入らない。
「ああ、いやすまない。キミがそんな冗談を言う娘ではないのは分かっている。いるんだが……いかんね……」
気まずそうに水を口にする彼の横顔。眉の下がったその顔に私の胸もチクリと痛む。だけれどアッサリ許してしまったらチョロすぎる気もしてつい意地を張ってしまう。
でもそんな私の意地なんて軽いものだった。
「何だかんだで僕も、キミに他の男とサシ飲みなんてしてほしくないクセにね」
この彼の呟きを聞いた瞬間に、むくれてたのが全部バカらしくなってしまったんだから。
それで前のめりになった私に、彼ったら顔を真っ赤にして待ったと手を前に。
「いや、今のは口が滑ったと言うか……僕も雰囲気に酔ったと言うか……」
そこまで言いかけて、彼は待ったって出してた手を下ろす。
「いいや! 誤魔化しはダメだね。僕は、キミの向かいか隣にいるのが僕でなくちゃ嫌なんだ。これからもね」
そしてその手は、私の前に差し出された。彼が正直な気持ちを込めて出した手に、私の答えはもちろん――。




