第20話「新婚さん気分」
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今、目の前に起きている光景……これは現実なのだろうか?
僕は頬を思いきりつねる。
その痛みが、目の前の光景が現実であることを僕に教えてくれる。うん、痛い。でも現実感が無い。
「陽信の家って、調理器具は揃ってるんだね。まぁ、一人暮らしじゃないから当たり前か。普段はお母さんが料理を作ってるの?」
「あ……うん。母さんか父さんか……先に帰ってきた方が料理を作ってるんだ……」
「お父さんも料理するんだ、凄いね。うちのお父さんは全然料理できないよ。作れるのは炒飯くらいかな?」
「僕は全然料理しないからお父さん十分凄いと思うけど……。僕はハンバーグだってまともに焼けないし、炒飯すら作れるか怪しいよ」
「じゃあ今度、私が料理教えてあげるよ。料理できる男の人ってポイント高いんだから。主に私にだけどね?」
目の前には、うちにあるエプロンを付けた七海さんが台所で料理している光景が広がっている。ただ料理をしているだけなのに、その光景は今日見た映画よりも強い衝撃を僕に与えていた。
最高の映像が、リアルタイムで目の前を流れている。
これは無料で見てもいい光景なのだろうか? 映画だって無料では見られないのだ、何かお金を払った方が……あぁ、もうある意味で払ってはいるのか……。
いや、落ち着け。とにかく落ち着こう。
なんでこうなったのか……時間はほんのちょっとだけ遡る。本当にちょっとだけだ。
七海さんは「今日は私が、陽信の家に行って夕飯を作ってあげる!!」と言い出すと、僕が何かを言い出す前に手を引いてショッピングモールの食品売り場へと移動した。
テンション高く張り切っている彼女を止める術はなく……僕等は食品売り場へと到着した。
「ちなみにさ、今日は何を食べるつもりだったの?」
「いや、まだ全然考えてなかったよ。ちょっと歩いた先に餃子のチェーン店があるから、そこで餃子定食でも食べるかなと……」
「餃子かあ……本当はタネを寝かせたいけど……うん、じゃあ餃子を作ろうか。包むの手伝ってくれる?」
「あ、うん。僕にできることなら……」
圧倒されてた僕は、そこでやったこともない料理の手伝いを承諾した。まぁ、餃子の包みくらいはできるだろうとその時は思っていた。
「それじゃ、お買い物……あ、ちょっと待って」
彼女は歩き出そうとする足を止めてスマホを取り出した。それから、誰かに連絡を取りはじめる。
僕はそのやりとりをただ眺めるだけだったのだが……彼女は「よし」と呟くと少し頬を赤くしてスマホをしまう。
「七海さん、どうしたの?」
「ん? お母さんに今日は初美達と夕飯を食べることにしたからいらないよって連絡だよ。あと、初美達にもちょっと連絡をね……」
悪戯をした子供のように、ぺろりと舌を出す七海さんだ。……ご両親に嘘をつかせてしまったのか……それは申し訳無いことをしたな。
「それじゃ、買い物しようか。餃子の材料……分かる?」
「あぁ、うん。流石にそれくらいは……」
小首を傾げながら小馬鹿にしたように可愛く笑う彼女にちょっと意地になって答えたが……。
ごめんなさい、全然わかんないです。ひき肉とニラくらいかな……あ、あとニンニク?
彼女は淀みない手つきで材料をどんどんとカゴに入れていく。白菜も餃子に入れるのか……。ワカメとかキャベツとかトマトはなんに使うんだろうか。これも餃子の具材?
「あぁ、これ? 餃子だけだと野菜が足りないからサラダとワカメスープも作ろうかなって。ちゃんと手伝ってね?」
「善処します……」
そんな感じで必要な材料を僕等は買った。
もちろん、これも僕が全額出した。彼女は割り勘にすると最後まで抵抗したのだが、お金は多めにもらってたし、料理を作ってもらうのに申し訳ないと説得した。
……父さんと母さん、これを見越して多く渡してたわけじゃ無いよね?
そして僕の家に向かう帰り道……彼女が放った一言が未だに頭に響いている。
「夕飯の材料を買って一緒に帰る……。なんかさー、これって……新婚さんみたいだよね?」
七海さんは僕を悶えさせて殺す気なのだろうかと思うくらい破壊力のある一言で、僕は気の利いた返事を何もできなくなる。
言葉が出ないとはまさにこのこと。
僕の家に着くまでの間、彼女は上機嫌で、僕は心中穏やかじゃなかったけど……嬉しかったし、楽しかった。
そして今に至ると言うわけだ……。
僕は今、七海さんに渡された餃子のタネを皮に包んでいる最中だ。最初の数個は七海さんが教えてくれて、それからは僕が一人で包んでる。
……手本を見せてくれたのに、彼女のように上手く包めないのは仕方ないだろう。
七海さんは今、スープやサラダや副菜を作っている。
母親の料理風景をじっくり見たわけではないから分からないが、かなり手際が良いのではないかと思う。
それこそ、新妻のように。
……ダメだ、さっきの七海さんの言葉が強烈で思考がそっちに行ってしまう。
今の僕は餃子包み機だ、無心で餃子を包め。
それから、七海さんは台所での調理は終わったのか、僕の目の前に座ると一緒に餃子の包みを始める。
その手際の良さは僕の二倍……いや、三倍は早いかもしれない。
しかも、形も綺麗だ。僕の包んだ餃子とは雲泥の差である。おかしい、今の僕は餃子包み機であるはずなのに……。
「七海さんは綺麗だね」
「へ……? 何?! 突然!?」
……僕の言葉が足りなくて、七海さんを無駄に赤面させてしまったようだ。皮が破れて一個餃子が犠牲になる。まぁ、焼けば大丈夫だろう。
「ほら、僕の包んだ餃子とは雲泥の差だからさ。やっぱり七海さんは料理上手いなぁって」
「あ……あぁ、そう言う意味ね……でも陽信だって、初めてでそれは上手い方だよ。お父さんなんて具材をパンパンに入れてはみ出させたり、力入れすぎて破けたりするから」
そんな風に話しながら餃子を包んでいくと、あれよあれよと言う間に餃子の山が積み上がっていく。
……これは……もしかしなくても……。
「作りすぎちゃったね」
「やっぱり、そうだよね」
二人分以上の餃子の山を前に、僕等はお互いに顔を見合わせて笑い合う。この量は五人分…いや、それ以上はありそうだ。
「二人分買うのって難しいんだね……。それに……陽信のためだって思ったら張り切っちゃったし……」
両手を合わせながら少しだけ頬を染めていた。僕のための餃子……全部食べたいけど、さすがにこれは多すぎるなぁ……。
「七海さん、余った分はお土産に持って帰ってよ。明日は学校だし、お弁当のおかずはこれが良いかな」
それに……明日両親が帰ってきてからの言い訳が思いつかない。
普段絶対に料理しない僕が、わざわざ何で餃子を作ったのか……交際を秘密にしているだけに上手く説明ができる気がしない。
「……お母さん達には、初美の家で餃子パーティしてたって言えば良いかな?」
七海さんも家族には交際を秘密にしているようだが、僕とは異なりこういう時に頼れる友達がいると言う強みがある分だけ有利のようだ。
……いや、僕も友達がゼロというわけではないのだが、非常に少ない上にこう言うときには頼りにならない。七海さんと付き合ってからは、何故か距離も置かれてるし……。
相談できるとしたら標津先輩くらいだが…。
そう言えば、先輩にも服のお礼に七海さんの料理をお願いする約束してたっけ……でもこれ、僕も手伝ったしなあ……。約束を果たすのは、また今度にしようか。
それから、七海さんは作り終えた餃子を次々に焼いてくれた。
その間の僕は手持ち無沙汰なので、皿を用意したりテーブルを拭いたり……普段はやらない家事の手伝いをしたりする。
……ほんとに夫婦感があるなこれ。
僕が用意している間に完成したのは、パリパリの羽が付いた焼き餃子だ。見事な焼き色で、良い香りが漂ってくる。
それにワカメと春雨のスープに、野菜サラダ、それにこれは……たっぷりの大根おろし?
「うちは餃子食べる時って、タレに大根おろしを入れるんだ。さっぱりして食べやすくなるよ」
「へぇ、それはやったことなかったな」
ご飯もよそって、僕等は向かい合わせに座る。なんだろうか……向かい合わせに座ると本当に新婚になったみたいで照れる。
「い……いただきます」
「はい、召し上がれ」
まさかお昼以外でもこのやりとりをすることになるとは……あの時は思ってもいなかった。
七海さんもそう思っているのか、ほんのり頬が染まっている。
七海さんが作ってくれた料理はとても美味で……僕等は笑い合いながら食事を取った。
両親がいないのに幸せな気分に浸れる夕飯と言うのは僕にとって初体験で、なんだか涙が出そうになったが、それはなんとか堪えることができた。
でも、ご飯をお代わりする時に僕が自分でやろうとしたら、わざわざ彼女が席を立ってよそってくれた時はヤバかった。
泣くのもそうだけど、無性に彼女を抱きしめたくなった。なんとか自制したけど。
本当に、その背中が魅力的に見えた。
そして食事を終えて……皿洗いも碌にしてこなかった僕は七海さんに教えてもらいながら、一緒に後片付けをする。片付けというのはこんなに楽しいものだったのか……。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。もう夜も遅くなり、七海さんが帰る時間となってしまった。
名残惜しいが、仕方がない。
「七海さん、送っていくよ」
「え……それは悪いよ。流石に」
「昨日の件もあるし、心配なんだ。それに流石に、夜に一人で女の子を帰らせるわけにはいかないよ」
まぁ、僕の家から送ることになるとは思っていなかったけど……。でも、夜道に七海さんが一人で帰るとか、僕は心配で気が気でなくなってしまう。だったら一緒に行った方が良い。
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
流石に彼女も昨日のことを思い出したのか、少し不安そうに僕の提案を受け入れてくれた。お土産用の餃子も包んで持ったし、忘れ物はない。彼女の痕跡も……家には残ってないだろう。
これで明日、両親が帰ってきてもバレることはないはずだ。まぁ、バレても不都合はなく……ただ僕がなんとなく気恥ずかしいというだけなのだが……。
「それじゃあ、お願いします」
差し出された彼女の手を取り、僕は七海さんを、家まで送り届ける。当然、お土産の餃子は僕が持っている。日々成長している僕は、それくらいの気遣いはできるようになっているのだ。
道中は今日の楽しかったことの話から、次はどこに行こうかと言う話、僕も七海さんに料理を教えてもらおうかという話……とにかく話題には事欠かなかった。
だから、あっという間に七海さんの家までたどり着いてしまう。
少し名残惜しいが、目的が達成されたのだから良しとしよう。
七海さんの家の近く、朝に待ち合わせをした場所はすっかり暗くなっていたが、彼女の家は目と鼻の先だ。ここならもう安全だろう。
「七海さん、じゃあまた明日」
「うん、陽信……今日はありがとうね。凄く楽しかった」
「うん……僕も……」
お互いに笑顔を交わし、僕も楽しかったと言おうとした直後に……七海さんの後ろにとても大柄な男性が唐突に現れた。
背丈は標津先輩と同じかそれ以上……筋肉の盛り上がりが服の上からも分かるその人の出現に、僕は咄嗟に七海さんの前に出て彼女を背にする。
その顔は怒りに染まっているのか、かなり怖い。
こんな人に万に一つ…いや、億に一つも勝ち目はないが、せめて七海さんが家に入るまでの時間は稼ぐと覚悟を決めると……。
その大男が口を開いた。
「七海……そっちの男の子は誰だい?」
「お……お父さん……なんで?」
おとうさん
おとうさん?
お父さん?!
僕は七海さんを振り返り、それからお父さんと言われた人物を見る。……悪いけど、全然似てない。
それからその人は……僕に対して威嚇するような笑顔を見せてきた。
……どうやら、僕の今日はまだ終わらないようです。
幕間:食事中の七海さん
陽信、ちゃんと手伝ってくれて嬉しかったなぁ。今も私の料理を夢中になって食べてくれてるし。可愛いなぁ。
あ、ご飯があっという間に空に……あれ? 自分でやっちゃうの? 私やってあげるよ?
「ご飯の量、どれくらいがいい?」
「あ、えっと……気持ち多めでお願い」
新婚さんってこんな感じかと思ったけど……今のお父さんとお母さんのやり取りと同じだったな。
……私達もうそういうレベルまで行っちゃった?! ヤバイ……顔がにやけてきちゃう……。




