第四十三話 待ち望んだ再会
(なんやと…!?)
さしもの承禎も驚愕した。金ヶ崎はここから、目と鼻の先などと言う距離ではない。それを、浅井勢が奇襲の支度も整えぬうち、馬を進めてくるなど、常識ではあり得ない速さだ。
(そうかっ、小勢か…!)
承禎は舌を巻いた。敵地も同然の土地柄で無謀にも程がある。
帰蝶より浅井家離反を受けた信長は、自らと軍勢を引き離し、下手をすると単騎、ここまで駆けてきたのではないだろうか。
まかり間違えば、敵と遭遇して討ち取られてしまう危険性もあろうに、大胆過ぎる。しかしその直感力の鋭さこそが、信長と言う英雄に度々、奇跡を運んできたのである。
げんに、あれほど策を巡らせた承禎ですら、ここで信長を目の当たりなしなかったら、信長がすでに戦場を離脱していることなど、信じたりはしなかっただろう。
(だが、ここで出逢ったが、運の尽きよ)
と、承禎は思い直した。
信長の不幸は、奇跡的な脱出を果たしながらここで、自分の首を狙うものに、発見されてしまったことである。
(殺れる)
今こそが、千載一遇の機会だ。信長を守る尾張勢はここにいないのだ。と、なればその首、忍びの術を極めた承禎一人でも獲るのは十分だ。まして傍らに人質のお市を連れている。
勝算が立った承禎は、馬前に飛び出した。そしてあらんかぎりの声を上げる。
「待てええっ!!お市殺られたくなかったら止まらんかいッ!!」
その刹那であった。
信長の背後から、橙色の火閃がぱっ、と、弾けたかと思うと、必殺の六匁玉が承禎の頬を掠めた。
「なんやっ、外した!?」
「殺す気かいっ!?」
思わず、承禎は飛び退いた。
馬上筒を構えたのは、白髭の老将である。その老将は信長の後方から、承禎に向かって問答無用で大筒をぶちこんできたのだ。
(一人と違うのかい)
承禎は歯噛みした。なるほど、馬廻りの小姓くらいは連れているとは思ったが、これほどの物腰の古豪を引き連れているとは意外である。
「控えよ弾正」
と、信長がその老将を制したので、承禎はやっと気づいた。この悪どい風貌に見覚えがある。
「まっ、松永弾正やないかいっ!?」
「むっ、おのれは六角の!?」
二人は京都の戦場で、何度となく見かけている腐れ縁である。
(どう言うことや…これほどの悪党が…)
この老人こそ、信長を背後から刺しそうな鬼畜なのである。
「…なんや悪党、信長めを地獄へ案内か?」
「ふん、甲賀の盗っ人頭のおのれに言われたくないわい」
すかさず言い返すと松永弾正は尖った鷲鼻を鳴らした。当時の忍びの生業の第一は、盗賊だったのである。
「これは見物だでや、さすがは松永爺い、この山師めと知り合いか」
戦乱の京都裏社会を代表する顔合わせに、信長はむしろ上機嫌だ。
「ふんっ、この男はのう、親代わりと仕えてきた三好の御曹司に毒を飼うた男や。おのれめもせいぜい、気を付けることやなあ」
承禎が言ったのは、この松永弾正について最大の悪評の一つである。京都の前支配者とも言える阿波三好家の当主、長慶は若くして病に倒れ衰弱死したのだが、それはこの松永に毒殺されたためであると言うのだ。
長慶は松永が若い頃から、執事として仕えてきた御曹司であったのだ。
「だからどうしたと言うか。かようなる話はとっくに承知だでや。謀略家のおのれから、わざわざ言われることでもにゃあわ」
「失せえッ古狸」
松永は馬上筒をぶっぱなした。さしもの承禎も動転して、市から離れてしまった。
「ひっ、人質どうなってもええんか!?」
「おのれの命が心配をせえっ!」
信長の一喝である。承禎は、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「くそだァけめが…」
後にお市が残されている。当て身が強烈だったのか、まだ目覚めることがない。信長はその身体を馬上へ、抱えあげた。
「…銃声がしたな」
と、言い出したのは龍興の方だった。
「かも知れないわね」
帰蝶は、瞬きもせずに龍興を見つめ続けている。
「それで何か今、不都合があるかしら」
龍興は、槍から手を離した。帰蝶の方は返しのついた穂先を龍興の喉元に突きつけたままなのにである。真意を図りかねて帰蝶は首を傾げた。
「素直に負けを認めよう伯母上」
と、龍興は、おもねる口調で言った。
「いい度胸ね。…観念したのなら膝をつきなさい。首を突いてあげる」
「そう、その姿勢だよあんたの」
と、言うと龍興は、後退し始めた。
「あんたは俺を仕留めにかかってくる。おれはあんたに殺されないようにする。…この差は思ったより、大きい。これでは勝てない。だから失敬する。この場はあんたの勝ちと言うことにしてやる」
「随分と虫のいい負け惜しみね」
帰蝶は言うが早いか、一歩踏み出して突き刺した。龍興の喉仏を刺し貫いたはずである。
しかし、龍興はその穂先を難なく、かわした。けら首を掴んで、帰蝶を引き寄せる。
「なめるな」
固めた拳を、帰蝶の顔に叩きつけた。帰蝶は槍を離したて回避したが、拳は避けきれていない。
「次はおれが殺す側に回る。…今のお前のようにな。それが蝮らしいやり方だ」
「おのれッ」
帰蝶は小柄を投げつけた。顔面に向かってきたそれを龍興は辛くも腕で受け、歯を食い縛って引き抜いて棄てた。
「どこまでも、毒気の抜けぬ女よっ」
苦々しく吐いたその言葉が、龍興が呪詛を込めて吐いた負け惜しみになった。
「ええ加減しゃんとせぬかっお市よっ!」
「かはっ!」
ぐっ、と背中に気合いを入れられて、市が目覚めたのは、夜が更けた頃だった。こっちを見下ろすようにしていきなり信長が、睨み付けているので、市は心臓が停まるかと思った。
「あっ、兄上!?いつの間に!」
承禎の当て身で気絶した市を目覚めさせたのはなんと信長本人のようだった。
「おのれは浅井に嫁いだのではにゃあのか!かようなところまで単騎駆けてくるとは、なんたる無謀な真似をいたすぎゃん!」
雷鳴のような怒声である。だが、お市にとっては、聞き馴染んだ久々の信長の肉声であった。
「兄上っ!兄上っ!」
市はその筋骨逞しい身体に取りつこうとした。しかし、それ以上の力で信長の方から強く抱き締められた。
「よう報せに来おったでや!このうつけめがッ!」
大笑いする信長の顔が、お市は涙で見えなかった。




