第四十一話 足留めの報酬
槍術は間合いの武術である。すべての武術の極意は、間合いにあるとは言うものの、間合いの取り合いそのものが戦法になるのは槍術の特質と言える。
槍はしごく、と言うが、一寸、五寸、三寸…と、槍の穂で翻弄しながら、相手の間合いを突き崩し、止めに串刺しにすると言うのが、侍槍の操術である。
しかし実際の戦場においては。
狙いを澄まして、突くのを繰り返していては、攻撃が間に合わない。馬手刺し(短刀)一本で、強引に首を掻こうと言う命知らずも現れる。四方八方、乱戦が常なのである。
そのために、槍仕が最も初手に教えられるのは。
「槍とは叩くもの」
大きく槍を振り上げては落とし、鎧兜構わず、ぶっ叩くのである。
そのため足軽槍はまず、隊列を揃えての槍の叩きあいから始める。頭上から振る槍の柄に叩きしろまされて、怯んだ者から討ち取られるので、槍先を揃えて一心不乱に叩く練習をするのだ。
もちろん、これは武者同士の一騎討ちにも通用する理屈である。
「叩きのめしてやる」
斎藤龍興もまた、同じ戦法を採る。女性の帰蝶に比べ体格も筋力も勝る龍興は、無論、物量で押しきっていくのが、何より単純で有効だった。ごりごりと力押しにこの蝮女を叩き殺すのが、性にも合っている。
「精ェイッ!」
肝が冷えているとは言え、女は女だ。龍興の攻勢に、なす術もないと見えた。
「くッ!」
最初の一撃で打ったのか、その美しい額から鼻筋にかけて、生温かい鮮血が垂れている。二撃目も間合いを詰めて受けるので精一杯のようだった。
(所詮はおなごか)
と、龍興はほくそ笑んだ。手練手管には、精通しているものの、最後の腕ずくの局面になれば、こうも他愛のないものか。
「雑魚がッ!」
渾身の力を込めて、龍興は押し返した。帰蝶は吹っ飛ばされて、無様に態勢を崩している。
「おのれッ右京…!」
(このまま叩き殺してやるぜ)
龍興は、撲殺を決めた。そこで一際大きく槍を振り上げると、つんのめりそうになっている帰蝶に、迫った。女だてらに槍など振るうから、そのざまになるのだ。戦場は男のものだ。槍働きは何より、腕っぷしが物を言うのだ。
(悔いても、もう遅いことを教えてやるわ)
龍興は大きく槍を振り上げた。叩き伏せて、滅多打ちにしてやるつもりだった。渾身の力を込めて、振り上げた槍を帰蝶の柔い身体に向かって無慈悲に振り下ろした。
刹那、空しく槍が空を切った。
と、同時に左手の死角からうなりを上げて槍のけら首が伸び上がってきた。
龍興が一瞬早く我に返っていなかったら、喉首を貫かれていただろう。帰蝶は、手弱女を装っていた。我を忘れて、龍興が振り下ろす刹那を狙っていたのだ。
(毒気の強い女だ)
龍興は歯噛みをした。生死は、紙一重であった。毒蛇が噛みつくように、絞り上げながら繰り出された槍の穂の軌道に合わせて、龍興は首をひねったのだ。
下手に上体を動かさず、狙われた箇所だけを外したのが正解だった。無駄な動きをすれば、どこか肉を抉られていただろう。頬の皮一枚、薄く切る程度で済んだのは奇跡的だった。
「小癪」
九死に一生を得た龍興の心に、燃え上がるように殺意が蘇る。殺される、と思ったときが一番、戦場では底力が出るものだ。
放胆にも龍興はそのまま踏み込んで、帰蝶を掴もうとした。この期に及んで、龍興は力ずくで、蝮の姫をねじ伏せようと言うのだ。だが、その目論みは崩れた。あの刹那に気づくべきだったのだ。
素槍と見えた帰蝶の槍の穂が、通常使われるような両刃のものとは、装いが違っていたのを。首をひねって刺突をかわしたとき、龍興は死角から飛び込んできたけら首の先端の形状を思い出した。
釣り針のように、あれには『返し』がついていたのだ。
刃物に『返し』がついているとき。
それは、刺した獲物から刃が抜けぬようにするためと、もう一つ。
重装備の鎧武者を引き倒す時に使うのだ。
(袖がらみッ!)
気づいたときには、すでに遅かった。
槍をかわしたと見えた瞬間、右の二の腕を強く引かれた。返しのついた刃が、袖を捕らえている。反射的に龍興は、腕を身体に引き寄せた。
まずそれが人間の自然の反応と言えた。しかし、龍興が誤算だったのは、自身も槍を持っており、動きが制限されていることだ。
(しまった)
ガクン、と、袖が下へ引かれて、体幹が崩された刹那、見事に投げ飛ばされていた。力ずくで投げなくても、体の軸を崩す動きに乗じれば、性別差による体格差は、ものともしない技が極る。
「ぐっ…!」
舐めていた。
槍の達人、斎藤道三の遺鉢を継ぐ帰蝶の槍術を。武芸の妙は、物量に打ち勝つことである。
技に優れていれば自分より力あるものを投げ飛ばし、自分より強靭な身体を持つものを殺すことが出来る。力あるものが勝つなどと言う素人考えなど、容易く覆せるものなのか。
(認めねえぞ)
小手先の名人芸でしのいだ道三の技など。あくまで自分は父、義龍の道統だ。道三がまやかしでなした国盗りをはね返した義龍の御代の方が正しかった。
紛れもなくこの女は、悪霊なのだ。
斎藤家の正しき道筋を取り戻し、中興の祖として国を追われた自分を挽回したいと言う龍興にかけられた呪いのような。
「死ねや」
無茶苦茶に突き込んでくる槍を、龍興は転がってかわした。槍の返しが、袖を裂き、胴丸を傷つける。
龍興は、太刀を抜いた。狂ったようにがむしゃらに、槍の穂を払う。大振りに振った剣のどこかが槍に当たったらしく、ガチン!と、火花が舞ったと思った刹那、槍をはねのけた。顔に鉄粉が舞う。また新しい血の味がした。
「馬鹿ども…!」
龍興は、歯が鳴るほどに噛み殺した。
「こんなことして、なんになる!?お前がいくら骨を折ろうが、浅井市は金ヶ崎には着かん!無駄なあがきはやめろッ!とっくに貴様の負けなのだッ!」
そう、すでに勝負は着いている。
そもそも、東近江の小谷から早馬を走らせると言うこと自体が無茶なのだ。信長のところになどたどり着けるわけがない。正式な伝令ならいざ知らず、市は多少馬に乗れることは差っ引いても、所詮は、侍ではない。
しかし、帰蝶は、嗤っている。
なぜか、不敵にほくそ笑んでいた。
「何が可笑しい…!」
「さっき、話したはずよ。しゃべりすぎると、ボロが出るわ。…所詮は蝮のおまけね。あなたは最後まで、妾の考えに気づかなかった」
「考えだと…?」
龍興が眉をひそめたときだ。
彼方から夜空に尾を引いて、白煙が大きく上がったのだ。
「あれは…」
「狼煙よ。…金ヶ崎まで届いたわね」
なんと帰蝶は、これを待っていたのだ。




