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花繚(かりょう)の動乱  作者: 橋本ちかげ
第3章 花は嵐のさなか
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第三十五話 窮余の奇策

「…と、言うわけだで、若狭の兄上へ何か手土産を持参しなくてはならぬのだわ…」

 市は自分の奥へ、その相談を持ち帰った。よくは判らないが、長政の様子がいつもとは違い何か妙だ、と言うことは察しがついたものの、それがどう言うことかまでは、その場で判断できなかったのだ。

「うーん、何がいいのであろうかや」

「手土産…と申しますと、お酒や食べ物…とかになりましょうか…」

 不承不承ながら、埋火が思いつくあたりを話すと、

「馬鹿を言うな、埋火。…そのようなもの、今から突然用意などできるものか」

 疑問を呈したのは、火偸だ。

「確かに急な後詰めは、ありうること。朝倉家の若狭救援は想定内でありますればいつでも応援は致し方ありますまい。…すでに城下に馬も首を並べておりまするし、今、長政どのは出兵に一刻を争う時でござろう」


 だが、そうであるからこそ、織田の本陣に引き出物を持って馳せ参じようと言う長政の考えは、いかにもちぐはぐである。金ヶ崎城を取り巻く信長の背後に、すでに朝倉家が迫っているのだから、一刻も早く応援に駆けつけるのこそ、何よりの土産のはずなのだ。それが手土産などと、なぜそんな悠長な話になるのだろう。


「…ところで、織田家から我らの元へは、後詰め要請の報せは来ておるのであろうな?」


 市は、さっき長政と話していて疑問に思ったことを問い質した。当然、織田家との連絡を保っている火偸たちなら、聞いていると思ったのだ。


「いえ、それは…少なくともこの火偸は聞いてはおりませぬ」

 市はぴくりと、眉をひそめた。

「埋火は?」

「わたしもです。…出陣のお話も、今、長政さまが直接見えられてお話しされたときが、初めてかと」

「…で、あるか」

 と、市は信長の口調を擬した。


 今のは、何も真似をしたのではなく、自然とそのような言葉が口をついて出たのだった。


 この言葉を信長が口にするのは、見過ごすことの出来ない事態が、そこで起こりつつあると言う兆しがあるときであった。幼い頃から、そんな兄を見ていたお市にも、同じ危険を察知する力が、備わっているとみえる。


「…何か妙だわ」

「妙とは?」

 すかさず、火偸が反問したが、今のお市にはそれが上手く答えられない。

「よっ、良く判らぬ。だが妙なのだわ!」


 感覚として何か妙だなとは気づいたものの、まさか、味方のはずの小谷浅井家の軍勢が、応援に発つふりをして、信長の背後を衝こうとしていると言うところまでは、さすがに想像力が及ばない。


「ただ妙だと仰せられましてもな」

 と、火偸が顔を曇らせたときだ。

「確かに妙ね」

 と、言う声が立った。

「帰蝶さま…」

 埋火の背後から、女房に変装した帰蝶が姿を現したのだ。

「この一昼夜で城の内外の警備が、不必要に厳重になっているわ。…この小谷に通じるいくつかの道にも、不審な関所が出来て、間者の出入りを警戒するようになっているそうよ」

 帰蝶の登場は、いつも唐突だ。しかしこうして密かに現れたのは、現れるべき理由があったからである。

「どうやら、獅子身中の虫とやらが動き出したかもしれないわね」

「しししん…えっ、今なんと言っておりゃあしたので?」

 市には、聞きなれぬ諺はどうもピンと来ないよう立った。

「浅井家にも、敵がいると言うことよ。…長政どのから、何か聞いていないの?」

「長政さまから…?」

 と、言ってから市は、思わず息を飲んだ。さっきまで全く気づかずにいたのだが、長政は以前に市に、こう言ったのだ。

「あ、そう言えばかようなことを言うておりゃあした。…内紛があるやも知れぬ…と」

「まっ、まさかこんなときに、内紛などと!この期に及んで浅井家が織田家を裏切ろうはずがありませぬ!」

 火偸は血相を変えたが、内心、思い当たる節があることまでは、否定できない。

「浅井家の旧主流派は、親六角派、すなわち、反織田家よ。…そして、長政どのの代になっても、その連中は消えたわけではない」

「…つまり、この出兵は、その連中の差し金と?」

 市もさすがに顔色を変えた。

「あり得るわね。そして、その場合、長政どのはおやかたさまの後援に駆けつけるわけでは決してないでしょう」

「兄上は、朝倉と浅井の兵に挟み撃ちにされると言うことか…!」

 帰蝶はうなずいた。最悪の事態が、進行しつつある。市たちはようやくここで、精確に情勢を判断できたのだ。

「しかし、浅井家全軍を長政さまの意に反して動かせるものが、誰ぞいるのでしょうか?」

 埋火が当然の疑問を口にする。確かに、異常な事態が起きている。総大将の意に反して、軍勢が真逆の行動をすると言うことは、果たして有り得るのだろうか。

「あの遠藤と言う家老、そこまで力を持っていたのか…」

 火偸が言うと、読みが甘いと言うように、帰蝶は小さくかぶりを振った。

「恐らくは首謀者は、今にここへ顔を出すでしょう」


「嫁御、手土産はいかに。心は決まったかね?」

 帰蝶の言うとおりだった。首謀者はすぐに、顔を出してきたのだ。舅の久政である。

(そう言うことか…)

 前当主。

 それなら、浅井家全軍が従う納得できる。現当主の長政は、実質的な権限を、久政に奪還されたのだ。だからこそ、この短期間に浅井家全軍は手のひらを返したのだ。

(なれば兄上に一刻も早く急を伝えねば…)

 恐らく、この土産が命運を握る。長政は、苦しい立場にいながら、市の機転にかけたのだ。妻としてここは、託された役目を果たさなくてはならない。

「この急な出兵じゃ。何もなければ、この久政が知恵を貸そう。城中のものは、何でも持っていって良いぞ」

 久政は温顔を装って言った。つまりこの舅は黒幕として、長政に策謀がないか監視しに来たと言うわけだ。

(…どうする)

 お市は答えに迷った。うかつなことを言えば、この久政に魂胆を看破されてしまう。

「…お市さま」

 と、そのとき帰蝶が、女中の口調で割り込み、耳元で何か囁いた。帰蝶には、機転があるらしい。恐らくは、そのために忍んできたのだろう。

「まずは、言うとおりに」

 市はうなずいた。この久政の思惑をここで潰さなくてはならない。ここで夫を助けずして、なんの妻か。

(おなごには、おなごの戦い方があることを思い知らせてやるでや…!)

 市は、心を決めた。

「義父上、城中のものならなんでもよいと言うお申し出ありがたく存じます」

 市は、にこやかに言った。

「ついては小豆を所望したく存じまする」









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