第三十三話 悲業の往く道
「ついに馬脚を現したな」
長政は、声音を凍りつかせた。もはや、脅しや押し問答をする気はない。いきなり、柄に手をかけ、白刃を引き抜いた。
「遠藤、抜け。もはや逃しはしない。お前を斬って、浅井家の毒を除く」
「抜け、とは青臭い。…情けない。まさか浅井家の当主たるが、この期に及んで足軽侍がごとき喧嘩を仕掛けようとは思いも寄りませぬことでしたわ」
「…まだ、言葉の上でのことと思っているようだな」
長政は、容赦なく刃を浴びせた。目にも止まらぬ片手撃ちである。室町以来の長太刀を軽々と振り回す長政の剣腕だ。普通の打刀などは、脇差しも同然である。
「くっ!」
遠藤は半身をひいてそれを外したが襲い来る刃風におののき、少し間合いをとるつもりが、倒れそうになるほどに傾き、ようやく踏みとどまった。その喉元目掛けて長政が、返す一撃を放とうとした時だ。
「諦めよッ新九郎!!」
割れるようなその大喝が、長政の動きを停めたのだった。長政の剣線は、ぴたりと遠藤の喉笛につけられている。
「足掻くも見苦しき振る舞いぞ」
その声の主が、長政には振り向かずとも分かった。生まれたときから知っている。それは紛れもなく血を分けた実父、久政のものだった。
「身内で血を流しあうな」
「父上、遠藤めは内通しておりまする」
と、言ってから長政は自らの愚を悟った。なんと久政が手勢を連れているのである。
普段は退隠の身と称して、小者も滅多に引き連れぬ父が。陣笠に槍を携えた雑兵どもの頭数を揃えてきたのは。
この状況になった場合に、長政と遠藤、一体どちらに加勢しようと言う魂胆なのかを。
答えはすぐにはっきりとした。命拾いした遠藤は、狡猾な笑みを見せると、久政が連れてきた手勢の中へ、隠れたのだ。
(つまり、そう言うことか…)
長政はそこで、真の怒りに目覚めた。なるほど、内通者と糺されて遠藤がたじろがぬわけだ。
六角承禎に飼われているのではない。本人は父の、浅井家のためを想って働いている、と言う気でいたからだ。
目的は、当主の返り咲き。今の親織田路線に含むところはあろうとは言え、実の父である久政が、ここまで影働きに積極的であったとは、読みきれなかった。
「『賊』を庇われるならば、それでも良かろう、父上」
長政は武人である。並み居る雑兵槍の穂先の煌めきを見て、瞬時に死を覚悟した狂い働きを想い決めた。ここで遠藤に勝ったなどと思わせるつもりはない。
「浅井家当主として、長政はこれを断じねばなりませぬ」
左手で脇差しをも、長政は抜き放った。戦場渡りの二刀流である。馬ごと鎧武者を斬る大太刀がなくても、長政の技量ならば、槍足軽ごとき沢蟹でも叩き潰すように、死体にしてしまえるだろう。
「『賊』として立ちはだかられるならば、共々に御覚悟を」
「待て」
と、久政は言ったが、長政にはもはや、否やはなかった。
目の前に立ちはだかるのが、追い求めていた浅井家に巣食う黒幕、絡み付くようなこの陰謀の元凶だと言うならば、たとえこの身を粉にしても、斬り捨てるのが、当主たる自分に出来る最期の仕事であると。
鉄炮がそこで、火を噴いたとて長政の奮迅を留めることは出来なかっただろう。
(まずは遠藤)
長政はこれ以上の言葉を発しない。ただ黙して一気呵成に、因縁の遠藤喜右衛門を斬殺するつもりだった。
しかし、決死の進撃はたったの一言で、止められたのだった。
長政を封じるに足る術に、相手は確信を持ったからこそ、姿を現したのだった。久政が欲しかったのは、時間的にも物理的にも十分な長政との間合いだった。
実の息子とは言え自分と違って、十五の少年の頃から戦場の武勇に優れた長政の前に立つことは、久政にとってはある意味賭けであったはずなのだ。
「織田の嫁御がどうなってもよいのか?」
「おのれえッ!」
長政が吼えた。
つられて、足軽二人が、交互に槍を突き出してきた。長政が常人なら、両脇から串刺しにされて死んでいたところだったろう。だが怒りに我を忘れた長政の武は、それしきで止むことはない。
二本の槍の柄は、あっけなく長政の両剣に同時に叩き折られた。ばさり、と槍の穂が落ちた刹那、長政の長身は空を駆っている。
「あっ」
と、次に久政が息をつく間に長政は、二人の足軽の作る壁を、翔びすり抜けていた。いずれも甲羅を潰された蟹のように、陣笠ごと、長政の剣によって頭蓋を叩き斬られ、血を巻いて絶命している。
憤怒の長政は、血飛沫の中にいた。その鬼気迫る迫力に、取り囲むはずの足軽どもも、遠巻きに円陣を組むほどであった。
「…長政よ」
久政は、錆び付いたような声を出した。
「頭を冷すがいい。ここで遠藤とこの父を斬っても、お市の方は救えぬ。朝倉不可侵の約定を守らぬ信長を攻めるは、浅井家中の総意なのだ」
「父上…当主は、私です」
「ならば正しい判断をしろ。…信長の命運はこれまでだ。お市には不憫じゃが、仕方があるまい。浅井家の嫁の立場は保証するのだ。子を二人までなした継室を無下にするつもりではない」
長政は、大きく息をついた。それから、唇を噛み、意を決したように二刀を振るうと荒々しく血震いをして鞘に収めた。
「この上は、お好きになさればいい。お市たちの身の上は、守ってくださるのですな」
「この父は、織田に私怨があるわけではない」
「いいでしょう」
長政は二刀を引き抜いて、差し出した。後ろから遠藤が手勢を指揮して、長政から武器を奪おうとしたが、久政はこれを厳しく制した。
「控えい!浅井家当主に無礼は許さぬ」
「父上…?」
久政は長政に寄りそうと、その血飛沫のなずんだ手をとった。
「新九郎よ。この隠居はお前の地位を奪うために立ったのではないぞ」
長政は父の真意が分からなかった。ずっと黙していた父がついに立ったのは、浅井家を親六角路線に戻すために当主に返り咲こうと言う理由ではなかったのか。
しかし久政が告げたのは、それよりも残酷な運命だった。
「当主たるお前が采配にて、自ら信長を討つのだ」




