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花繚(かりょう)の動乱  作者: 橋本ちかげ
第2章 浅井市
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第九話 駆け引きの果て

 龍興が持つのは組み立て式の仕掛け槍だ。


 節のついた柄と鞘に仕舞われた槍穂を二つに割り、別々に身体に仕込んでいる。


 通常、一間半(いっけんはん) (約二メートル七十センチ)と言われる武者槍にはさすがに劣るが、大太刀の間合いの外からでも、十分攻撃が可能である。


「…腐っても槍の道三の孫、とでも言いたいのか?」


 相対する長政の声は、澄んだ真水のように冷たい。しかし、警戒している証拠に槍の間合いを容易に踏み越えてはいかない。


「槍は我流だ。…だが、あの山城 (斎藤道三のこと)がごとき芸当は、朝飯前よ」

鐚銭(びたせん)一枚、釣り下げて穴を突き通すと言うやつかい?」

 髭面を歪めて、龍興は笑った。

「生易しいのはな。…真の芸当は、見たが最期、兜の喉輪(のどわ)の裏から頸を刺し通す殺し技よ」

 龍興は細長く鋭い素槍の穂を、妖しく閃かせた。

「それにはこの槍にて十分。槍の芸とはかくして巧妙に鍛えるものさ。…それより備前、お主の得物こそ古めかしいな。かようなものに尊い命、預ける気か?」

「重代の業物だ。…戦場の供は身体に馴染んだものに限る。それは槍仕とても、理屈は同じだろう?」

「どうかな?…おれは、槍は選ばない。その時その時で手段に合えばそれでよいのだ」

「もはや、なりふり構っていられぬ、と言うことかな?…なるほど、それで殺される危険を冒してまで敵地となった美濃に忍んできたわけか?」

「…殺されるとは、限らねえだろう?」

 龍興はふいに圧し殺した声になると、鋭く気配を変えた。

「やはりやる気かい?」

「二人ともな。…きっちり()る気さ」

 と、龍興の影は、音もなく傍の藪に消えた。


「長政どのっ…!」

「動かないで」

 逸り立つお市を長政は、いち早く牽制する。

「龍興めはお尋ね者だでや!早う、兄上に加勢を頼まねば!」

「目を離したら、姿をくらましてしまう。…お市どの、ここは身の安全が分かるまでは動いては危険でござる」

「されど…!」

「あれでもあの龍興は、ただ一人とは限りませぬ」

 長政は切れ長の目を、油断なく巡らせて市を諫めた。

「自らが囮になる、それが手かも知れぬ。となれば、お市どの一人でこの場を離れるはかえって危険と言うもの」

 長政は太刀を構えたまま、龍興のいる藪の中へすさりよった。

「しばし待たれよ。…それでもこの私が帰ってこなければ、そのときは息を潜めて逃げなされ」

 かくて長政の姿も、林の中へ消えた。


 篠藪は、雑木林である。

 野太い古木や邪魔な青木は見当たらないものの、束になって生えている篠竹や、篠の葉に絡みつく蔦や小枝で、身動きが取りにくい。


「よく来たな」

 龍興のからかうような声が長政に降る。

「臆したかと思うたぞ。その時代遅れの武器でおれの槍に太刀打ちはかなうまいからな」

「臆したのはどちらだ。上手く隠れたじゃないか」

 長政は話を途切らせないように接ぐと、龍興の気配を探る。

化生(けしょう)の術でも覚えたか」


 さっきから龍興の声は、はっきりと聴こえるのだ。だが距離も方向も分からないようになっている。長政はそれを言っている。これぞ忍者が使う腹話術の応用である。


「諸国放浪している間に、存外多芸になったと見える」

「相変わらず、口の減らぬ男だ」

 不興げに返されて、長政は口の端で苦笑した。

「貴殿には、言われたくないな」


 龍興は黙った。声がないと気配が消え、長政の脳裏に、龍興はもう逐電(にげ)たのではないかと言う不安が兆す。


「姫君が気になったか」

 突然、龍興の忍び笑いが聞こえた。さっきの場所から移動している。長政は動かず、目線ばかりを巡らせた。

「戻るなら今やも知れんぞ。おれの当初の目的は、織田の姫君よ。これを六角家に売り、信長めの鼻を明かして溜飲を下げるが我が応報の第一歩」


「蝮の孫と豪語する割りに、口車は凡庸(おおよそ)だな。…信長公はすでに、早期の上洛を志しておられる。三好三人衆に与する六角家はどのみち、南近江を逐われる運命(さだめ)


 龍興は逃げてはいない。

 長政はさっきからそう、踏んでいた。


(謀略家とは常に口に出すことに、己で口裏を合わせぬもの)


 息をつくように嘘をつける人間は特に、意味のない嘘も吐く。


 この場合、長政もお市も、

「二人とも殺して逃げる」

 のが唯一の得策であり、龍興の偽らざる本音なのだ。


 恐らくそれでなくては、この岐阜からの生還は覚束ないのだろう。


(…そして殺すのも、この長政からと決めている)


 無腰で女の市はいつでも仕留められる。

 が、大太刀と言う厄介な得物を持っている長政は、地の利あるここで仕留めなくては、後々が面倒なはずだ。


(だから必ず来る)


 ここまでの長政の読みは、精確を極める。


 瞬転、長政は草を薙ぐように低く、長太刀を払いながら、半身を開いた。


 背後を向き様、空を斬ったのだ。

 何もなければそれは、盛大な空振りに終わっただろう。


 だがそこで、凄まじい金属の衝突音とともに、紅い火花が散った。


 長政の後ろ首を、密かに刺し貫こうとした龍興の槍を、大太刀が撥ね飛ばしたのだ。


「ぐうッ!」


 手元に返ってくる衝撃の激しさに、龍興はくぐもったうめき声を漏らした。いくさ槍ならいざ知らず、細身の仕込み槍である。


 それでも槍を取り落とさないのはさすがだが、けら首を打たれて槍は大きく振れた。今のは長政の不意を打つつもりで、不意打ち返された。


「やはり背後の卑怯槍か」

 やっと龍興の姿を見つけた長政は、皮肉な笑みを漏らす。

「ほざけッ!」

 龍興はついに、どす黒い憎悪を剥き出しにした。

「おのれや信長めのような、虎狼の野心を持つ畜生どものお陰で、おれは国を逐われたのだッ!」

「今さら、甲斐なき繰り言を」

 長政は鼻で笑った。


 言わせておけば、龍興が自ら名乗る斎藤の姓こそが、土岐家が支配してきた美濃の簒奪者の家名、虎狼の野心と言えば、信長より古い元締めのようなものではないか。


「もう良い。…楽に仕留めようと思うたが、次は刺し違えても殺す」


 龍興の目の色が変わった。詐術を弄ぶのを止め、槍穂をぴたりと長政の喉元に据えると、細い息を吐いた。


「初めから、そうすればいいんだ。…本当に欲しいものは、姑息な手だてに依らず、おのが命を懸けて獲れ」


 長政も剣を担ぐと、迎え撃つように腰を低く落とした。


 両者共に、ここで相手の命を獲る覚悟を決めている。合戦さながらに、どれほどの手傷を被ろうとも、互いの息の根を止めぬ限りは、争いを止めぬ局面である。


(ここで殺す)


 必殺の一撃を放とうと、両者が動き出した時だった。


「くせ者おったでやッ」


 甲高い尾張言葉の声が、二人の拍子を外したのは、次の刹那であった。


(おそが)い連中だら!わたしゃ確かに見たでようッ!」

「一人は長太刀を背負っておるでのん」

「今一人は怪しき半俗僧であったわ」

「他にもおったら」

「暴れ馬放ったのも奴だわッ!」

「囲んで、取り籠めえッ」

「逃すな、逃すなやッ!」


 声はただ一人の者ではない。男女複数の声が、藪のそこかしこから、それこそ二人を捕まえようとするかのように、あわただしく、包囲を狭めてくる。


「おのれ」

 泡を食ったか龍興は言うが早いか、槍を仕舞い、藪の中へ躍り込んだ。

「その首洗って待っておれ。次は殺す」


 その声を最後に龍興の気配は、潮のように引いていった。


(今度こそ本当に逃げたか…)


 それを悟ってから、長政は構えを解き、大太刀を仕舞い込んだ。すると、


「長政どのッ!ご無事かやッ!?」


 藪内に飛び込んで、長政に抱きつかんばかりに駆け寄ってきたのは、お市だ。


「憎き龍興めは!?」

「逃げ申した」

 気抜けしたように、長政は言うと、

「それにしても、上首尾にござったな。いつ、どうやってあれだけの人数を集めたのですか?」

「あれだけの人数?」

 市は目を丸くした。長政は、あっけにとられたが、その理由はすぐに分かった。


 あれは忍び者の腹話術であったのだ。

 龍興が習い覚えた幻惑術を、誰かが逆手にとって使って大人数が来たように装い、騙したのだった。


 案の定、続いて藪から顔を出したのは市の他は、たった二人。言うまでもなくそれは、埋火と火偸であった。





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