表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸狂曲第5番〈Girasole〉  作者: 目玉木 明助
第5楽章 向日葵聖戦編
87/94

78.業の深いラベンダー



銃の手入れは、もう済ませてあるな。


せっかくの長旅、二人してだんまりっつうのももったいねえ…………よし、ここはひとつ、暇つぶしに昔話でもしようか。


え? ははん……不安だって顔してるな。図星だろ。なに、そう気負いなさんな。老いぼれの戯言なんぞ、聞き流してくれるくらいがーーちょうどいいんだからよ。





「北陸だけはやめてくれよ」


 看守に向かって、ぶっきらぼうに吐き捨てる。どうせ豚小屋みたいな部屋で暮らすなら、雪国は雪国でも、暖房がついている網走のほうがよっぽどマシだと思った。



 恵業けいごう 笛吉郎ふえきちろう。もともとは、お国のために命を懸けて戦ういち兵士だった。


 それもーー43年前、日本がイタリアに、あっさりと負けるまでは。


 国が、無条件降伏を認めてからというものの。恵業けいごうを取り巻く環境は、一変してしまったのだった。


 軍が解体されると、同期の者たちは、揃いも揃って無職になった。けれどもお偉がたは皆一様に、恵業たち"お気の毒な存在"を見て見ぬふりした。結局、使い捨ての道具としか思われていなかったのだ。彼らは下っ端を気にかけるより先に、目前の横領合戦に夢中になっていたようだった。


 


 それを皮切りに、恵業は仲間を寄せ集め、ずっと憧れていたマフィアになることを決意する。さてこれから、どんなやつと戦えるんだろうかと、それはそれは楽しみにしていた。口々に夢を語らいながら、マフィアらしく酒を呑む。どうしようもないほど、青かった。



 でも。そんなものは所詮、スクリーンを通して見える幻想にすぎなかったのだと理解するまで、そう時間はかからなかった。


 日本ジパング在留マフィアどもになすりつけられたのは、たしか、公務執行妨害と傷害致死、それから、違法ドラッグの横流し。


 恵業は一夜にして、札付きのワルになった。


 生き残ったのは恵業だけ。仲間は皆、刑務所の劣悪な環境に耐えられず自殺してしまったのだ。


 当時の日本は、敗戦直後というのもあってか、信じられないくらいに混沌としていた。逮捕者が増えすぎたせいで、刑務所の男女混合すら当たり前。いうまでもなく、無法地帯だった。



 坊主頭をじょりじょりと撫でながら、隣の牢屋の女がにんまり笑う。


「ふふ、あなたの瞳、左右で色が違うのね。猫みたい」


 恵業は会話するのも億劫で、ふいとそっぽを向いた。


「あら。気を悪くしないでほしいのだけど、素敵って言いたかったのよ」


 深層の令嬢、箱入り娘なんだろうと思った。別に、やんごとなき身分のお方が戦災孤児になるというのも、特段珍しい話ではなかった。


 気づかれないよう、静かに女を見やる。女は、薬物乱用だかオーバードーズだかで捕まったらしい。


「あなた、よく見たら美形よ。ねえ……」


 獄中で出逢った女は、形のいい唇でこう告げたーー私と一緒に駆け落ちしましょう、と。


 死刑廃止が囁かれるようになったのは、それからずっと、先のことだった。




 薬の禁断症状からなのか、たまに強迫観念に襲われることはあれど、女はだんだん、憑き物が落ちたような態度を取るようになった。お互い、弱さを見せても気にならない。むしろそれが、心地よい。


 女との暮らしは、年月を重ねるごとに色濃いものとなっていった。カレンダーに○がついているーーふたりの脱走記念日だ。籍こそ入れなかったが、いわゆる、内縁の妻というやつだった。



 恵業は少し考えて、ただいまを言うのをやめた。本当は帰ってやりたいが、いかんせん、まだまだ仕事が残っている。



 恵業は半年ほど前、新しい会社を立ち上げた。貿易を生業としている社長。ただし表向きは、だけれど。


 小さな会社は、夜が来れば「マフィアを狩るマフィア組織」に変身する。


 恵業は拳を握りしめた。


ーーイタリアマフィアは今日も、悪行の限りを尽くしている。そう思うと、何もせずにはいられなかったのだ。


 しかし、現実はビスコッティのように甘くはなかった。よく分からない素人による起業。たしかに、無謀といえば無謀だった。何より大事なのは実績。一刻も早く、実績を積まねば。恵業は、いつしかやけ酒を繰り返すようになった。肌だって荒れている。


「そこにいるの……けい、ちゃん?」


 恵業はハッとなって振り返った。しまった、と急いでドアに手をかける。


「待って! ……行かないで。大事な話が、あるの」


 ついに、別れを切り出されるのだろうか。恵業は目を伏せた。無理もない、と思う。あれだけ長い間、放っておけばーー


 無言で、手を引かれる。寝室で、他の男が待ち構えているかもしれない。


 覚悟を決め、うっすらと、目を開けた。




 恵業は言葉を……失った。


 テーブルの上に山のように積まれた、白いもの。紙おむつが一枚、足もとに落ちてきた。


「恵ちゃん、私ねーー妊娠したのよ!」


 目の焦点が合っていないと分かった途端、悟る。薬の飲み過ぎでーー想像妊娠してしまったのだと。腹が、限界までへこんでいる。


 恵業は、自分で自分を呪いたくなった。


「男の子かなあ、女の子かなあ。恵ちゃんと似て、オッドアイになるかもしれないなあ」


 そんなふうに、ずうっと口走っている。


「やめてくれ。いい加減、目え覚ませよ」


それ以上、言うな。閉じろ、口。




「お前、"それ"……誰の子だよ」


 


 一刹那。女は顔を、大きく歪ませた。


 女は半狂乱になってアパートを飛び出したが、恵業はそれを追いかけようとはしなかった。


 もう、疲れていたんだと思う。



 後日、思い出したように女を探しに行ったことを、恵業はひどく後悔した。



ーーもともと恵業に恨みを抱いていた連中による、盛大なリンチ。死体は、家から遠く離れた河川敷で見つかった。




(あんな顔されちゃあ、たまらねえよ)


 たすけてと泣く陽は、あの時の女と、同じだった。



 恵業は眼帯を外す。左右で色の違う目が、窓に映っていた。


 片方は、緋の瞳。陽が、息を呑んだのが分かる。やっぱり両目揃った方が、視界は良くなるのだなと思う。






 突然、機体がぐらりと揺れた。二人して、身体の重心が傾く。


 大きな鳥か何かがぶつかったのかと思って、下を見るとーー


聖田きよだ……いや、ディアボロだ。」


 大砲にもたれる聖田がいると教えたら、陽は動揺したように瞳を潤ませた。今なら、たとえ千里先でも、見通せる気がした。


「パラシュートが一つだけ積み込んである。ヨウは逃げな」


 じっと黙って恵業の話を聞いていた陽がついに、口を開ける。肩が震えていた。


「ボスは……どう、なるんですか?」


「どうもしない。強いて言うなら、流れに身を任せるだけだ」


 陽は、それなら嫌ですとかぶりを振る。


 本能に任せて陽を拾ったが、はたして本当に、その判断は正しかったのだろうか。


 陽は、いつまで経っても取捨選択ができないやつだ。リスクとか、考えないやつだ。


 ある意味強情な姿勢に、拍手さえ送りたくなるが、恵業は心を鬼にしてパラシュートを装着させる。


「行け! 日楽あきら はる!」


(女ひとり守れねえで、何がマフィアだ)


 最期に仏頂面もあれかと思って、にかりと笑ってみせる。陽を夜空に、突き飛ばした。



 さっき浮かんだ問いだが、答えはおそらくNOだ。


 だけど、とも思う。陽は気絶せず、夜空を舞っていた。


 ああいう、なんだかんだ言って臨機応変に動けるやつが、実は一番強かったりする。


 さあて、とコックピットに、向き直る。


「ここから先は、男のロマンを存分に味わってやるとするさ」


 聖田は容赦なく大砲を撃ってくれるが、憧れの地で果てることができるのなら、むしろ本望だ。


ーーいっそ、こんな俺を笑ってくれ。なあ……照子しょうこ


 オルタ湖が、こっちにおいでと誘っている。恵業はそのまま、ラベンダーの香りに包まれた。



あとがき


恵業はセイコに、照子を重ねている節があります。しょうことセイコ、なんとなく響きが似てるから。


それと、若かりし頃の恵業の夢は、"照子と一緒に世界一周すること"でした。62話で出てきたラベンダーのコロンに関しては、恵業が自分の香りを照子にプレゼントした感じでしょうね……おそらく。照子はどちらかと言えば薔薇を好んでたっぽいです。お墓参りが最たる例。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cid=288059" target="_blank">ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ