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幸狂曲第5番〈Girasole〉  作者: 目玉木 明助
第5楽章 向日葵聖戦編
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76.開け活路


 影助の部屋は、すでにもぬけの殻だった。


「……ボスとして、あいつに合わせる顔がねえ」


 歪ませた顔を、恵業けいごうはすまなそうに、強く覆っていた。


 そんな恵業に、心配と言えば心配だけどさ、とセイコが近づいていく。


「影ちゃんがひとりで決めちゃったんだもん。なにも、恵ちゃんが謝ることないよ」


「いやーーボス失格だよ、俺は。あいつに、影助に、辛い決断をさせることになっちまったんだからな」


「辛いったってそんな……恵ちゃん。それ、影ちゃんの普段の様子分かって言ってるの? だってあの影ちゃんだよ⁈ 絶対すぐに戻ってくるって……」


「"あの影助"が、俺らになんの相談もしないでいくことなんて、今まであったか?」


 セイコの、伸ばしかけた手がぴたりと止まる。みんなが、押し黙った。


「あいつは謀反を許さねえ。とっくに予想はついてるだろうが、聖田きよだを仕留めに行っちまったんだろうーーきっと自分も、死ぬ覚悟でな」


 恵業の一言に、ずっと俯いていた陽が顔を上げる。


「影助さんが、死ぬ……?」


 言葉の意味を瞬時に理解できなくて、けたたましい心臓の音だけが頭に鳴り響く。


 陽は、昨晩の記憶を必死に辿っていった。


 ーーネクタイ。影助は陽に、ネクタイを結んでほしいと言った。


 昨日はただ、パジャマに着替えてもおかしくない頃なのに、どうしてだろうとちょっと不思議に思うだけだった。


 だけど、今になって思う。あれは多分、ちょうど出立の準備を進めていたところだったのだ。


 もしそうなんだとしたら。恵業たちの反応を見る限り、屋敷でいちばん最後に影助に会ったのは、陽ということになる。


 陽はハッとして、ポケットの中に手を突っ込んだ。左のポケットには銀の銃。右のポケットにはーー手のひらに、鉄の弾が虚しく転がる。


 セイコが、息を呑んでいた。


「ーーいかにも、あいつがやりそうなことだ。忘れ形見として、お前に持っててほしいんだろうよ」


「そ、んな…………」


 どうして、引き留められなかったんだろう。


 昨晩の段階で影助の異変に気づいてあげられれば、多少無茶をしてでも同行していたのに。おやすみなさいを言った陽だけに、チャンスはあったのに。


 きゅっと、弾を胸の前で握った。



 沈黙を破るように、部屋のドアは叩かれた。失礼します、と、毅然とした表情の駿河が入ってくる。


「今信濃さんたちが、必死で調べてくれてるんですけど……東京湾から未明、大型船が出航していったそうです。」


 恵業と、目が合った。

 

 だけど、と駿河が続ける。


「行き先だって分かりませんし、もちろん、アンダーボスがそれに乗ったとも限りません。それでも、打つ手がまるっきりないよりかは断然マシだと思って、報告させてもらいました」


「ーーとりあえずみんな、アタシの車に乗って。」


 他の便でいいから、車ごと乗せてもらおう、とセイコは言った。


「とんだ賭けみてえに聞こえるが、陽はどう思う」


 恵業は、重い口ぶりのまま尋ねてきた。


 私は、と一瞬、その先の言葉が詰まってしまう。


 影助の移動手段は、新幹線かもしれないし、飛行機かもしれない。そもそも、国内なのか外国なのかも分からない。


 だけど。影助を助ける可能性が、ちょっとでも残っているなら。


「一緒に、行きたいです。」


 恵業は、陽が拒否するなどみじんも考えていなかったような微笑みを浮かべて言う。


「分かった。それなら俺は、自家用ジェットで先導させてもらうとするかな」


 大船に乗ったつもりで、とはいかないかもしれないけれど。


 影助の人生はまだ、終わってーーいや、結ばれてほしくないから。





「……ちくしょう、やられた! よもや、聖田たちのさしがねか」


 屋敷を出るなり、大勢の人間に、陽たちは包囲されていた。それも、ただの見物客というわけではなく、皆一様に、機材を持ったり、武装なんかしていたりする。


「貴様ら、よく聞け! いいか、今から国家転覆罪の嫌疑により、幹部及び準構成員を処刑する!」


 え、と小さく声が漏れる。


「ああ、勘違いするな。死刑じゃないぞ、あくまで私刑なんでね!」


 そうして、あちらこちらから発砲音が鳴ったのを合図に、逃亡劇は始まった。


 目と、鼻の先。陽は頭を後ろに寝かせ、弾丸を避けるのに集中する。


(国家転覆罪、って、どうしてこんなときに……⁈)


 左のポケットをまさぐるけれど、セーフティはつけたままだ。


「急いで撒いて! 早く行かなきゃ船に間に合わない!」


 茫然としていたのも束の間、セイコはすでに、車庫に向かってヒールを走らせていた。恵業も、二丁拳銃を握りながら、それに続く。




 屋敷はもう、穴だらけになっていた。


 無条件に生活と暮らしが奪われていく様子を見て、陽は絶句する。


 ーー偉いからって、力があるからって、それをわざわざ、こんなことするために使っていい理由なんて、はたして存在するんだろうか。



 ずっと、屋敷が崩れゆく光景を目に焼きつけていると、後ろから肩を叩かれた。


 頭を抱えようとするが、もう遅かった。陽が振り返るのと同時に、頭に、鈍い痛みが広がった。屈強そうな男が、馬乗りになる。


「若狭警視総監の恨み……! その身をもって知るがいい!」


 陽は舌を噛む。冷たい銃口が、頬にぴたりと密着していた。


 機材を持ったマスコミ関係者たちは、陽が処刑されるのを、好奇の目で我先にと並び、押し合いへし合いしている。その中には、御代の姿も見えたような気がしたけれど、やっぱり幻覚かもしれないなあと、口いっぱいに侵食してゆく鉄の味を噛み締めながら思う。


 秒単位でフラッシュがたかれるせいで、目すらまともに開けられない。


 影助を助けたいのに、このまま、なんにもできないまま、陽は死んでゆくんだろうか。


 嫌だ。痛い。苦しい。辛い……誰か、


「たす、けてっ」


 陽の首すじに、銃がいっそう強く押し付けられたとき。


「……乗れ! ヨウ!」


 突風とともに、搭乗口から手が伸びた。ものすごい力で、陽は自家用ジェットに引き上げられる。


「けほっ。ぼ、す、ありがっーー」


「話はあとだ。耳、ちゃんと塞いどけよ」


 その直後。夕空にはとてつもなく大きな、轟音が鳴り響いた。


__________________________________________


 馬鹿げてる、と御代は声が出せるかぎり叫んだ。


 と、自家用ジェットが空に上がったのを見た御代は、そこらじゅうの何十万とする立派な機材たちを順にーーぶっ壊していく。


「ええいもう! 小生だってボイコットしてやる! 人の気持ちもわかんねーようなやつが、えっと、その……あれです。と、トップに立とうとするんじゃないよ!」


 ちょっと怯んだのは、周りの視線が痛かったから。それでも、陽には必ず借りを返さなければならないと、半分使命のようなものを抱いて、御代は地に足をつける。




 セイコは味方を乗せると、警察、マスコミ……みんなフェラーリで蹴散らした。中央で、殴られても構わず、狂ったように機材をぶっ壊し続ける御代だけは、今回は見逃してあげることにする。せっかくのドライブ、行き先なんて決めてない。縦横無尽に舵を切る。


 本当はセイコも、大好きな恵業について行きたかったけれど。


「buon viaggio! 良い旅をーっ!」


(この場はアタシたちに任せて。)


 ーーその代わり絶対に、影ちゃんを連れ戻してみせて


 崩れきったカルマの屋敷をじっと眺めて、願う。


 ふたりの行く先にどうか、幸あらんことを、と。


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