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幸狂曲第5番〈Girasole〉  作者: 目玉木 明助
第4楽章 ザンザアラ・マスカレヱド編
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60.豹はローラースライダーと遊ぶ



 時計はすでに、夜の11時をまわっていた。


「こりゃもう先に休んでてもいいぞって、ヨウたちに一報入れてやったほうが良さそうだな」


 そんな恵業けいごうの計らいに影助は、オレがかけますよとトランシーバーを取り出した。








「……出ねェな」


 恵業はひとつ、考えるそぶりを見せる。


「いいさ。聖田あいつもついてることだし、心配いらないだろ」


 影助はちらりと、時計を見やった。


「まあボスがそういうなら……」


「影ちゃんいいのォ〜? いまごろランデブーかもよ」


「ハッ、ほざけ。」


 そうして、トランシーバーを放るようにポケットへと投げ入れた。







 いまだに、女の手がかりは一切掴めていなかった。いくら逃げ足が速いにしても、ここまで来るともはや看護師というより仙人の域なのではないか。



 影助は窓を一瞥した。紫の雲は、かぎ裂きのようにたなびいている。もう日も昇ろうかというとき、トランシーバーに連絡が入った。セイコからだ。なんでも、最初に訪れたギャラリーに、ある異変が起こっていたのだと言う。





 先に着いたであろう恵業とセイコは、二人して狐につままれたような表情をしていた。



 影助も目線を合わせてみると、地獄篇が逆さまになって、それに注目するように煉獄篇と天国篇が90°に回転していた。


「見てよコレ! どこからどう見ても罠だよねっ?」


「みてェだな……クソっ! おちょくりやがって!」


 一番近くにあった天国篇の絵を力まかせに叩いたら

ーーがこん、と何かがずれる音がした。途端、肩幅大の穴が影助たちの前に姿を現した。


「……この穴、もとからあったやつだよな? 影助がぶっ壊したわけじゃねえ」


 恵業はそう言うと、衝撃で散らばった額縁の破片を集め出す。


(いや、まさかな。だがーー)


 影助は、逆さまになった地獄篇の、金の額縁に手をかけた。引き留めようとする二人のことはあえて無視して、予想通り露わになった空洞に片足を突っ込む。


「一人、思い当たるやつがいる」


 悪だくみの笑みを、心配する二人に向けた。


こんな殊勝なマネをしてくれるヤツなんてきっと、()()()くらいだ。







 地獄の釜の蓋が開いた瞬間、影助は足場を失った。



 唐突な浮遊感に、うおッと短い叫び声をあげてしまう。


「チッ、痛ってーな。」


 とっさの受け身は取れていたと思うが、尾てい骨あたりに一瞬、鋭い痛みが走る。てんで格好がつかない。


(これじゃ、アイツと変わんねーじゃねェか)


 影助の脳裏で、のほほんとした間抜けヅラが、シャボン玉のように浮かんでは消えてゆく。


 もしも今、はるがすぐ隣にいたならば、絆創膏くらいは貼ってくれたのだろうか。上目遣いで、心配そうにして。


 いやしかし、あの性格だ。陽なら、絆創膏の貼る位置を間違えては貼り直す……なんていった行為を繰り返しかねない。悪気がなさそうなのが、かえって残酷さに拍車をかける。何はともあれ、あまり期待はしないほうが賢明だろう。やっぱり一人でよかったと、影助は心の底から思う。


 


 気が遠くなるほど高い天井を見上げてみる。どうやら勾配のきつい下り坂の先に、影助は放り出されたようだった。


(つーかどこだよ、ココ)


 地下にあるのは間違いないが、本当に部屋の中ーーというか絵の中なのだろうか。夜はとっくに明けたはずなのに、まるで暗い森の中にいるみたいだ。



 さくさくと、地面を踏みしめる。影助が歩みを進めるごとに、湿っぽい鉄の匂いは濃さを増してゆく。


 手持ち無沙汰の道すがら、かつんと、白っぽくて細長いものが影助の革靴に当たった。


 一見白樺の枝のようだが、白い棒の先端をよく見てみたところ、それは生殖器のように真っ二つにわかれていた。これは多分ーー


「じんこ、つ」


 侍ならば居合。ふいに、背後に気配を感じたため、影助は素早く銃を取り出した。


 低く唸る獣の鳴き声は地響きのようにゆっくりと、でも着実に近づいてくる。


「ぐるる………………」


 豹だろうがなんだろうが、影助はまっすぐ睨んだ。そいつは、お前を喰い殺してやる、みたいな生意気な目つきをしていた。気を確かに持てと己に言い聞かせる。


 影助が目を見開いたとき、戦いの火蓋は切られた。豹は、キマった薬中のごとく影助に飛び掛かってくる。影助も負けじと、即座に前足を蹴る。弾は極力減らしたくないし、取っ組み合いの大喧嘩は慣れっこだった。ただ、相手が豹ってだけで。


「ち、しつけーな。仕方ねェ……特大サービスだコンチクショウ!」


 影助は、首を噛みちぎろうとする豹を止めるべく、回し蹴りをお見舞いしてやった。


 けっこういいのが入ったと思ったのに、豹はくずおれなかった。それどころか、影助の見事な一撃が、豹の逆鱗に触れてしまったようだった。マジかよと思ったのと同時に、影助は豹に押し倒された。吐く息は獣臭いし、どかそうにも、潰されそうなくらい重たかった。


「テメェ……オレを手籠めにしようだなんて、ずいぶん見る目あンじゃねーか」


 まさしくケダモノ。その意欲だけは、どうにか買ってやりたい。が。


「オレを押し倒していいのは、まだまだおぼこいシニョリーナだけだ!」


 性癖開示とともに豹の隙をつけた影助は、ポケットからタバコのライターを取り出して、しゅぼっと火を点ける。自慢の髭を少し炙ってやると、豹はだんだん後退りし始めた。そのまま、できる限り追い詰めていく。すると豹は、ぱっと踵を返し、一目散に高いところ目掛けて駆け出して行った。あの速さを維持し続けられれば、そのうち火も消え失せることだろう。


「はん、動物ごときに狩られンのはごめんだね」


 影助はひらひらと片手を振った。



 またしばらく歩いていくと、影助を通せんぼするかのように、道の真ん中にバリケードが立ちはだかっていた。ーーどれもこれも、白骨化した死体。しゃれこうべが、渦高く積み上げられていた。


 影助はそれらを、迷いなく撃っていった。一つ一つ丁寧に弔ってやる時間はないし、ましてや弔うだけの義理もないだろう。


 しだいに、寒くもないのにくしゃみが止まらなくなってくる。鉄の匂いと、硫化水素の匂いが混じり合って、そこらじゅうに充満している。


 気は進まないが、影助は匂いの根源に近づいていった。





 檻を、見た。中には血まみれの美女たちが、所狭しと敷き詰められ吊るされている。


 絹のような金髪を梳かした男が、ゆったりと浴槽に浸かっている。吸血鬼みたいな白い肌に、獣のように異様な輝きを放つ瞳。目は逸らせなかった。


 檻がちょっとでも揺れると、美女の体に棘が突き刺さる。ぼたりぼたりと血が落ちるたびに、男は感嘆の声をあげていた。


 男が浸っているのは湯なんかではなく、愉悦でできた澱だ。


 男の傍らではヴェネチアンマスクが、見るも無惨に散らばっていた。



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