32.オママゴト③
このカラクリこそが、「行きはよいよい 帰りはこわい」の正体だ。おおかた、人差し指に付けた鏡を通して、トランプのスート、ひいては数字を盗み見でもしていたのだろう。
「他のゲームにも何かしらの仕掛けがあんだろ? まあテメェがズルしようが何しようが、オレは運なんかに頼ったりしねェよ。実力あってなんぼだろ」
動揺するカヨをよそに、スペードのAを引き抜く。上がり。影助の勝ちだ。恵業がカヨと向き直る。
「……カヨちゃん、事情を詳しく聴かせてくれねえか」
セイコは肩をすくめつつ、手荒なことはしないからとカヨに詰め寄っている。
手元に虚しく残ったジョーカーを見つめるカヨ。よく見れば頬はこけ、がりがりに痩せているみたいだった。
その落ち窪んだ眼窩に、みるみる涙がたまってゆく。
「ッう、いーーイジワルおにーちゃんたちなんて、もう知らない!」
カヨは何を血迷ったか、ボタンを壊す勢いで火災報知器を鳴らした。
「な」
「いいもん! "先生"に言いつけてやるんだからっ!」
まるで地響きのような 轟音。
(なんだ? 槍でも降ってーー)
上から何かが降りてくるのが見える。
「伏せて! /ボスっ‼︎」
天井に大きな穴が空き、ガシャンと落ちてきたのは巨大な鉄籠。いや、檻とも言うべきか。影助とセイコは、恵業に覆い被さる形で冷たい監獄の中に捕らえられてしまった。
「やば。下手に動きでもしたら、もれなく全員あの世行きじゃーん。」
脱出しようにも、それが著しく困難な状況。
あと数ミリずれるだけで、出血大サービスショーを開幕することができそうだった。内部には、棘がびっしりと付いていたからだ。
殺る気満々じゃねえかと影助は思う。
しかし今はそんなことよりも、僅差でセイコに負けたこと。ーーボスを誰よりも素早く守れなかったその事実が、影助をひどく苦しめていた。はらわたが煮えくりかえる思いとはまさにこのことだ。
大のおとな二人分の体重に、苦悶の表情を浮かべざるを得ない恵業。可能な限り楽な姿勢にしてやりたいものだが、針のむしろのようなこの空間においては、それはできそうにもなかった。
「ふー、いいかっ……二人とも、よく聞けよ。いったん隔離するってこたあ、どこかに仕掛け人がいるはずなんだ。そいつがお出ましになったら……」
「ええもちろん分かってますよ、ボス。隙を見てそいつをヤりゃあいいって話でしょ?」
村人の消息を吐かせることなど、別にその後でも良い。間髪入れず答えたら、二人がしーっと、影助に静かにするよう合図をしてくる。
「影ちゃん! そーゆーことって、あんまり大きな声で話すもんじゃないから!」
「っるせーなァ。テメェこそ、もっと腹ァへこませられねーのか」
影助とて、ずっと同じ体勢を維持し続けるのは至難の業だ。今にでも首のあたりに棘が刺さってしまいそうだった。
「は⁈ マジありえない! 影ちゃんっていっっっつもデリカシーないよね。ちょっとはレディに対する気遣いっていうやつを覚えたら? 大体さ、この前だって陽ちゃんにおかしなアプローチしてやんわりかわされてたの、アタシ知ってるんだからね⁈」
セイコのヒステリックスイッチを押してしまったことに対する、絶望。だが影助からしたら、あの陽にアプローチした覚えなど一切ない。
「けっ、クソが! 今すぐ黙りやがれこのお局ババア! 誰が⁈ あんなちんちくりんとーー」
「みんな仲良く、穴まみれで死にてえか?」
鷹の目つき。その場の空気を震わす、恵業の重く、それでいて凛とした声。影助がこの"ボス"としての声を聴いたのは、いつぶりだったろうか。さっきまで罵り合いをしていたのが嘘みたいに、影助とセイコは押し黙った。
「……しょーがない。今回だけは、ボスに免じて見逃してあげる!」
「Mi dispiace.どうか粗相をお許しください、ボス」
「俺が過去の失敗をいつまでも引き摺る人間じゃねえってこと、お前が一番よく知ってるだろ。なあ影助。」
「はい、勿体ないお言葉です。必ずやシゴトで返してみせます」
恵業が満足げに頷こうとしているのが見える。無論、実践は不可能そうだが。
「ま、"不意打ち"ならアタシに任せてよ」
(コイツにだけは、絶対負けるわけにいかん……!)
もはや意地、ではなく執念の域だった。
*
つい先ほどまで大げさに泣いていた(あれはきっと嘘泣きだった)カヨは、こちらになんか目もくれず、軽やかにステップを踏んで玄関口に駆け寄っていった。
「林の熊鈴が鳴った!お客様かも!」
ヒントなど全くないのに、なんとなく察しがつく。三人で、あ、と声を揃わせた。
「チッ……バカ陽の役立たず!」
戦力外。使い捨てのコマにもならない。
「はー、この期に及んで小学生みたいなこと言わないの。でもそうだね……やっぱ、うん。陽ちゃんには悪いけどそう伝えといてくれる?」
カヨは、にぱっと笑顔を振りまいた。
「はーい! だれが"じゅんけつ"? なのかカヨにはよく分かんないからさあ、先生が来るまで、みんなでなかよく、おとなしくしててねーっ!」
「ほら、言われてンぞ」
「誰かさんのことじゃない?」
冷戦状態の影助とセイコの間には、今にも火花が散りそうだった。
「はー。全く、うちの狛犬たちときたら……」
やれやれと苦笑いする恵業を横目に、いつだったか、半強制的に取り交わされた約束を思い出す。
別れるのがーー
(……アイツに銃を教える前で良かった)
日楽 陽。これでもう二度と、あの間抜けヅラと顔を合わせる必要はなくなっただろう。




