29.それは林間学校ともいう。
(いつから? 足音なんてしてたっけ……?)
「神聖な場所なんだから、ヨソモノなんかが、気軽に近づいちゃ、いけないんだよっ」
少女は陽にずいずい詰め寄ってきながら、小さな小さな人差し指で、"めっ"をする。
(ぐうー! 可愛い!)
そういえば、神社仏閣に参拝目的ではない観光客が押し寄せるのはいかがなものかと、以前ニュースでも報道されていたような。胸元を押さえ、陽はひとまず考えを改めることにした。
「君、お父さんやお母さんは?」
目線を少女と合わせるため、陽は腰をかがめた。瞳に映っているのは年端も行かぬ子ども。せいぜいまだ小学校3.4年くらいなのではないか。
「ーーここにいない!」
溌剌とした声が響く。近くにはいないということだろうか。
「じゃあ迷子かな」
「おねーちゃんはなんでここに来たの?」
「カルーーっごほん! 会社の人たちとお仕事をしに来たんだ。あ、あれ? 奇遇だね。多分おねーちゃんも迷子になっちゃったかも。なはは……」
(わ、笑えない!)
「おねーちゃん! 子ども! カヨといっしょ!」
カヨと名乗ったその少女は、土の上をぴょんぴょん跳ねている。
「そっかあ。お名前、カヨちゃんって言うんだね。おねーちゃんの名前は日楽 陽! 元気いっぱいの23才! よろしくね」
右手をカヨに差し出した途端、陽は一つ閃いた。
『……まずは報連相を徹底しやがれ!』
「そうだ、報連相だ!」
すっかり忘れてしまっていた。握られた右手が、びくっと震える。
「キャ! はるちゃん、急にどうしたの?」
「はぐれちゃった人たちに、連絡してみようと思って! 私うっかりだから、焦るとどうにも、普段できてることができなくなるっていうか」
喋りながら、陽はトランシーバーのチャンネルを恵業、影助、そしてセイコへと合わせる。
「人手があったほうが、カヨちゃんの親御さんも見つかりやすくなると思うしね」
カヨは状況を理解しきれていないのか、きょとんと首を傾げていた。
「ふっふっふ、カヨちゃんよ、そんなに不安がらなくても大丈夫! なんせみんながーー」
(え、あれ?)
ひたすら、ザーと長くて無機質なノイズの音が聞こえてくる。
(山だから遮蔽物のせい、とか?)
若干移動し、試しに聖田たち待機組にも繋いでみるが、結果は変わらずだった。
肝心なときこそ、文明の利器ほど役に立たないものはない。
陽はだんだん嫌気がさしてきて、自分を慰めようと木々に覆われた空を見上げる。
生い茂った緑の上を、一羽の鳥が悠々と滑空していた。
「見て、カヨちゃん。鳥さんはひとりでもあんなに元ーー気っ⁈」
なんということだ。当の鳥が、陽の顔面に直撃してきたのだ。
「いっ……思ったより痛くない!」
もふもふしたボディが、ほっぺを擦っている。もしや鳩胸か。
鳩は器用に、足に括り付けられた紙をくちばしでつまみ、それを陽に渡す。
「な、まさか、まさか! 君は、伝書鳩さんっ⁈」
まるでこちらの様子をずっと覗っていたかのようなーータイミングが良すぎる助っ人の登場に、陽は胸を躍らせた。さっそくポケットの中からボールペンを取り出し、紙にインクを滑らせる。影助たちとはぐれてしまったこと。そちらからも念のため一報入れてほしいこと。
全て書き終えると陽は、期待半分、不安半分で鳩を見送った。なぜ今この村にやって来たのか、そもそもちゃんと行き先が決まっているのか。
(いや! あれこれ考えるのはよそう)
カルマファミリーの領地に、わざわざ降り立ってくれたのだ。きっとこの鳩はアジトへと帰巣するはずだ。
それに何より、基本的には自力でなんとかしないといけない。
(向こうに届いたらラッキーくらいの気持ちで頑張ろう!)
「さて! 登ろっか、山!」
「えー! なんでえ?」
陽は、見晴らしの良いところからみんなを探す作戦についてカヨに説明した。
「辛かったらおんぶするからね。一緒に頑張ろう!」
不満げだったカヨも、おんぶの言葉に納得したようで、最終的には登山を了承してくれた。
10分ほど山道を歩くと、ついにカヨが息を切らし始めた。
陽はトランペットケースを一旦地面に置く。
「おいで! カヨちゃん!」
するとカヨは嬉しそうに、陽の背中にガバッと飛びついた。びっくりするほど軽い。しかしいくら軽いとはいえ、カヨを支えたままトランペットケースを持つことは不可能に等しかった。陽はカヨに、首に提げるイメージでケースを持っていてもらうよう、頼んだ。
「えへへ。なんか、"妹"ができたみたいで嬉しいや」
カヨもこくこく頷いている。可愛い。
「あとね、もう一つカヨちゃんにお願いがーー私がファイト! って言ったら、カヨちゃんは一発! って言ってくれる?」
カヨの応援があれば最後まで頑張れるような気がした。カヨは不思議そうな顔を浮かべるが、数秒置いて快い返事をしてくれた。
「せーのっ! ファイト!」
「……一発!」
「ファイト!」
「一発!」
(それにしても、私パンプスでよかったなあ)
こういうときのために、というわけではないが、少なくともヒールよりはマシなはずだ。
笑いながら歩くとまるで林間学校のようで。状況は状況だったが、陽はあくまで今を楽しんでいた。
*
ほどなくして、カヨが囁く。
「あのねえ、この村ってね、血が足りなくなって死んじゃう人がほとんどなんだって」
陽はぴたりと足を止める。寒さが背中に齧り付いた心地がした。
「か、カヨちゃん? どうして急にそんな話をーー」
「ん〜、なんとなく!」
胸騒ぎがするのは気のせいだろうか。カヨの話が嘘にしろ。本当にしろ。陽は歩く速度を上げ、上へ上へと登っていった。
*
やっと山頂に辿り着いた。これなら村中を見渡せそうだ。
陽は思いのほか、汗をかいていなかった。
「そうだ。カヨちゃんのパパとママって、どんなひとたちなの?」
カヨを静かに降ろす。特徴を少しずつ聞いていけば、案外早く会わせてあげられるかもしれない。
「ん……大人」
多分もう眠くなってしまっているのだろう。あんなに移動したのだ、無理はない。
「はるちゃんといっしょだった人たちはぁ?」
「えっ、そうだなあ……こういう顔したおにーちゃんとか、見てない?」
陽が真っ先に思い浮かべたのは、影助の眉毛だった。一生懸命、あの凛々しさを表現してみる。
カヨは鈴を転がしたように笑ったが、当然知らないと言う。
張り込み(山張り?)がてら、しばらく二人で睨めっこをして遊んでいた。
「ふー、ふー。はるちゃん、強い!」
睨めっこはヒートアップし、今のところ陽の無双状態が続いている。
そういえば、とカヨはまた意味ありげに微笑みながら、陽を見やる。
「さっきは知らないって言ったけどね? カヨ、ホントはおにーちゃんたちの居場所、しってるんだあ。ミカジメ? がどうの〜って言ってたよね」
陽は予想だにしていなかったカヨの発言に、大口を開ける。
「えええ、どこ⁈ どこにいたのっ⁈」
必死になって、カヨの裾にすがる。我ながら大人気ない行動だとは思ったけれと。
「あはは! おもしろ〜い。それとそれとー、"陽"ちゃんみたいな役立たずはいらないんだって、言ってたよ!」
質問の答えになっていない答え。そればかりか、発覚してしまった新事実。陽は肩を落とした。陽なんてあだ名で呼ぶ人物など、限られているから。
「……そう、だったんだ」
「うんそう! だからさーー」
(たしかに私は、みんなからしたら足手まといなのかもしれない。)
でも、だからこそーー
「私、もっともーっと努力するよ」
両手いっぱいを、空まで届くように広げた。
「だってね。まだやらなくちゃいけないこと、いっぱいあるもの!」
陽はにかりと笑う。カヨは心なしか、呆気に取られているかのように見えた。
「……はるちゃんって、大きいよね。うらやましいなあ」
カヨは指を咥え、陽を舐め回すように見つめた。
「……? 大丈夫。成長期が来れば、カヨちゃんだってぐーんと伸びるよ!」
ふーんとカヨは興味なさげに返事をした。
「カヨちゃん、お願い! おにーちゃんたちがどこにいるのか、私に教えてくれないかな?」
陽は子ども相手だろうと、しっかりと頭を下げる。
「う〜んそうだなあ。はるちゃんおもしろいし、もっとカヨを楽しませてくれるならねえ、おにーちゃんたちのいるとこまで、案内してあげなくもないよおっ!」
そう言って、カヨは口の端を吊り上げる。水を含んだ土の匂いはいっそう深まり、陽の鼻腔を掠めていった。




