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婚約破棄された悪役令嬢が、雨の中うずくまっていたので

作者: 山本エヌ
掲載日:2021/03/12

 どうしたんだいお嬢さん。こんな雨の中でうずくまってたら風邪をひいてしまうよ?

 

 え? 婚約破棄された上に実家を追放された? それはまあ……ブザマなことで。

 

 おおッと、殴りかからないでくれよ。僕は自分の心に嘘をつけない性分なんだ。もし気に障ったなら謝るから、そのこぶしを降ろしてくれると助かる……ふぅ、危ない危ない。

 

 ま、元気はあるようでなによりだね。どうかな、立ったついでにうちの店まで歩いていかないかい? うちは仕立て屋をしているから、びしょ濡れになった君のドレスを乾かすくらいならできるさ。どうせ行く宛はないんだろう?

 

 ……分かった。じゃあ行こうか。

 

 

 

 

 

「おう戻ったかジーク……って、誰なんだそのお嬢ちゃんは」

「拾ったんです。道に落ちていたので」


 相変わらず失礼な物言いで、ジークはコワモテの店主に答えた。

 彼が言うにはここは仕立て屋らしいが、どこを見ても服の類は一着も見当たらない。いちおう店主が裁断の作業中だったので、ジークがナンパ目的で仕立て屋を装ったわけではなさそうだが、それにしたってあまりに仕立て屋らしくなかった。


「拾ったっておめえ、犬や猫じゃあるめえしよ。名前はなんていうんだ」

「システィア……ローズです」


 システィアはとても言いづらそうに名乗る。それは名字のせいだった。ローズ家はこの辺りでは知らない者はいない、悪い方向で有名な伯爵貴族である。

 近年の目覚ましい成長の裏には表に出せない黒い真実があると言われているし、そもそもそんな眉唾な噂を抜きにしても夫妻の性格は最悪だった。

 おかげでローズ家そのものを嫌う者も多い。

 システィアは嫌悪の視線を覚悟し、二人と目を合わせ直す。

 

「えっ」


 予想に反して、二人は気にも留めていない様子だった。

 

「どうして? ローズ家のことは知っているはずでしょう!?」

「それがどうした。あそこのご夫婦サマがクソ野郎なのは知ってるが、お嬢ちゃんもその口だっていうのか?」

「いえ、それは……」

「そんな言い方、彼女に失礼ですよ。彼女はそんなんじゃありません。婚約破棄されて実家を追放された上、行く宛もなく石ころのごとく道端でうずくまっていた哀しきヒロイン、というのが正しい彼女です」

「どっちが失礼なのよ!」


 システィアの肘打ちが炸裂した。

 

「ぐぉっ! く、いいもの持ってるじゃないか」

「ハハハ、それくらいにしてやりな。んでジークよぉ、お前はこのお嬢ちゃんを濡れたままにさせとくつもりか? さっさと着替えを用意してやりな」

「……敵わないですねぇ、親方には」


 ジークはため息を一つつくと、システィアを奥の部屋に案内した。

 そこは先の殺風景な部屋とは真逆、輝きに溢れた別世界だった。真新しい出来たてのドレスやスーツが、まるで展示会のように一つ一つ丁寧に飾られている。

 この光景にはさすがのシスティアも圧倒された。

 

「うちはオーダーメイドが中心であまり店売りはしていないんだ。さ、好きなのを選んでくれよ」

「けど、ここにあるのも売り物じゃないの?」

「少し借りるくらいだし気にすることはないさ」


 とジークは言うものの、高い売り物だと知っている物に手を出す勇気はなかった。なのでシスティアは、隅っこの棚の上に折りたたまれていた無地のブラウスとスカートを手に取った。

 

「ほう、お目が高いねぇ。それはどちらとも最高級の素材を使った逸品だ。そこらに飾られてるドレスなんかよりもずっといいお値段がするよ」

「うそでしょ!? これが!?」

「手触りが別格だろう?」

「確かに……」


 赤ん坊の柔肌のような感触だ。このなめらかさは時間を忘れてずっと触っていたくなる。


「早く着替えてきなよ。きっと君に似合うはずだ」

「でも、これって物凄く高いんでしょ?」

「いーからいーから。なんなら僕が手伝ってあげようか?」

「け、結構よ! あと覗いたら承知しないからね!」


 最高級品だと知ってなおさら気が引けたシスティアだったが、ジークの言葉や雰囲気に押されて仕切りの向こうへ姿を消した。

 

「勘違いしないでくれ。僕には女性の裸を覗く趣味も甲斐性もないよ」

「世界一嘘くさく聞こえるわ」

「心外だなぁ。君に言ったじゃないか、僕は自分の心に嘘をつけない性分だって」

「……さて、どうだか」


 仕切りを挟んで二人の声が飛び交う。

 しばらくすると、ジークがこんな話を切り出してきた。

 

「君と話を交えて状況がだいたい分かったよ。君は何も悪いことをしてないにも関わらず、家のせいで『悪役』に仕立て上げられたんだろう?」


 システィアからの返事はない。ジークはさらに続ける。

 

「そのせいで有りもしない噂を立てられて、婚約まで破棄されてしまった。君は誰かに嵌められたんだ。例えば婚約破棄した男の、次の相手とかにね」

「……私のことはもういいでしょ。それよりあなたのことを聞かせて」

「僕はジーク。仕立て屋見習いさ。それ以上でもそれ以下でもない、つまらない男だろう?」

「変人で失礼であと他人の余計な詮索が趣味、も追加ね」

「ははは、手厳しいことで」

「というかあんたって、見習いだったのね。なんか意外だわ。この店に来てどれくらいになるわけ?」

「もう少しで一年、ってところかな」


 思ったよりペーペーなのね、とシスティアは思う。

 そして無駄話をしている間に着替えは終わっていた。手触りだけでも分かったが、実際に肌につけてみるとさらに分かった。この服が間違いなく最高級品であると。

 そんな品を扱う店の見習いなら、同じ見習いでも格は違ってくるはず。

 実はジークって、すごいのでは?

 そう考えを改めながら、システィアは仕切りを出た。

 

「おお、やはり僕の思った通りだ。とても似合ってる。シンプルな普段着まで着こなせるとは、君は真に美しい人のようだね。うーん、とても僕好みだ!」


 饒舌に褒めだしたのを見て、また考えを改めた。

 ジークが実はすごくても、ああいった言動が足を引っ張って総合的にはマイナスだ。

 システィアは急に恥ずかしくなり、さっと仕切りの向こうへ逃げ隠れる。

 

「ああっ、行かないでくれよ。せっかくの美しさが拝めなくなるじゃないか」

「そういうのやめてよ。なんか、馬鹿にされてるみたいで腹立つ」

「やれやれ。本当のことを言ってるまでなんだけどね。どうやら君は褒められるのに慣れていないようだ」


 ……確かに。

 システィアは仕切りの奥で考える。学園生活は自分が思ったより明るいものではなかった。家のイメージのせいで周りからは恐れられたり、あるいは嫌悪されたり。

 少なくとも褒められた経験よりも、孤独を感じた経験の方が多かった。

 

 そして少なくとも、ジークは本心で褒めてくれているとは感じる。

 失礼な人だけど、決して悪い人ではない。

 

 …………。

 

 またしばらく考えたのち、システィアは仕切りから出た。

 

「また何か気に障ることをしてしまったかい」

「いえ、私の勘違いだったわ。それよりあの……店主のオヤカタさんって方と話をさせてくれない?」






「……ここで働かせてほしい、だと?」


 親方は意外そうに聞き返した。


「はい。私には行く宛がありません。それに私が着たこの服を商品として売るわけにはいかないでしょう。責任を持って買い取るので、その分のお金を労働で補わせてほしいんです」

「しかしなあ、うちは専門的な技術が必要だ。お前に何ができるんだ」

「なんでもやります! 専門的なことはできませんけど!」

「ふっ、気合のある奴は嫌いじゃねえ。だがお前は一つだけ嘘をついている。そこだけは気に食わねえなあ」


 嘘?

 そんなものは……いや。

 確かにシスティアは、気づかぬうちに嘘をついていた。

 こんなことを馬鹿正直に話すのは恥ずかしいから、つい建前を用意してしまっていた。

 

「……私は、この服を気に入りました。すごく、欲しいと思いました。似合っていると褒めてくれたのが嬉しくて……だから働かせてほしいんです。こんな服が作れるように!」


 システィアがそう言うと、親方は黙って立ち上がり背を向ける。

 

(やっぱり、私なんかじゃ……)


「おい、なにショボクレてやがる。明日からビシバシいくから覚悟しておけ」

「……! は、はい!」


 システィアは心の奥底が熱くなった。まぶたをぎゅっと閉じ、喜びを噛み締めている。

 再び目を開けると、目の前にジークが来ていて、しかも満面の笑みを浮かべていた。

 

「よかったねぇ! 僕も嬉しいよ。だって明日も君に会えるんだからさ!」

「私も! あなたに毎日……って、そこは別にどうだっていいわよ!」


 ぷいっ、とシスティアはそっぽを向いた。

 

 

 

 そして翌日から、システィアも仕立て屋見習いとしての一日が始まった。

 内容は午前が店内の掃除、午後が服の洗濯だった。

 分かっていたことだが、服を仕立てる仕事には触れさせてもらえない。

 とはいえ掃除も洗濯も、ジークと一緒だったので頑張れた。寂しさもなかった。……などと思えばまたジークにからかわれそうなので、システィアは無心で服を洗っていた。

 

「……仕立て屋が服を仕立てることはあまりないんだ。こういう風に洗濯をしたり、縫い直しだったりがほとんどさ。驚くくらい地味だろう?」


 言葉にはしないが概ね同意だ。

 昨日目にした真新しいドレスやスーツ。あれらがこの店を利用する客層のごく一部でしかないのは、少し考えれば分かることだった。

 しかし、イメージとは違っていたからといってガッカリはしていない。

 むしろシスティアは集中が長続きするタイプだったので、こういう単純地味作業は大好物だった。


「今日の夕飯は何がいいかな」

「……」

「き、聞いてるかい?」

「…………」

「す、凄まじい没頭っぷりだ……」


 そう、ジークが若干引いてしまうくらいには。

 

 

 

 

 一週間が経った。

 相変わらず掃除と洗濯ばかりの日々が続くが、今日は少し違った。

 

「おい、ちょっと来てくれ」


 親方から声がかかった。顔を出すと、親方の他にもうひとり。オーダーメイドの注文に来た客だった。

 

「このお客さんの採寸をしてくれ。やり方は昨日教えたからできるだろ」

「は、はい! では失礼しますね……」


 今日になって初めて、仕立てに関わる仕事をさせてもらえた。といってもサイズを測るだけなので正確には違うかも知れないが、大きな進歩なのは間違いなかった。


(うわぁ、すごい手汗!)


 そして採寸が終わると、手の平がぐっしょり濡れていた。自分でも分からないくらい緊張していたようだ。

 

「お疲れ様。初仕事の感想は?」

「ど、どうってことなかったわ」

「さすがは君だ。僕が採寸をさせてもらえたのは、見習いを始めて一ヶ月経ったあたりだったからね。しかもやった後は手汗でぐっしょりだったよ」

「ふ、ふぅん……まだまだね」


 なぜか腕を組んで偉そうにするシスティア。

 ジークは「ふふっ」と笑った。その笑みの意味は彼のみぞ知る。

 

「そうだ。風のたよりで聞いたんだけど、明日君が通っていた学園の卒業パーティーがあるんだって? 行かなくてもいいのかい?」

「行くわけないわよ。どうせ惨めな目に遭うだけだし」

「そんなの行ってみないと分からないだろ?」

「私には分かるわよ」

「やれやれ、残念だなぁ。君にぜひ着て欲しいドレスがあったんだけどね」


 さりげなくジークはそのドレスを見せた。

 白と金を基調としながらも決して派手ではない、気品ある美しさのドレスだった。

 

「わぁっ……」

「おおッと、いま心が揺らいだね?」

「け、けど! 私にはパーティーで踊る相手がいないのよ!?」

「問題ない。相手ならここ(・・)にいるじゃないか」


 ジークは自分の胸を叩く。

 相手? 相手って、まさか……。

 

「そう、僕だ」

「はァ!? あなたは学園の人間じゃないでしょ!?」

「心配しなくていいよ。どうせバレやしないさ」

「そういう問題じゃ……」


 しかしパーティーに出席しなかったら、皆から婚約破棄されて逃げ出したと思われてしまう。そんなの悔しすぎる。

 そして何よりも、目の前にあるドレスを着る機会がなくなるのが一番悔やまれた。

 

「……いえ、気が変わったわ。私はパーティーに行く。そのドレスのためにもね」

「そうかい、このドレスが気に入ったようで僕はこの上なく嬉しいよ。このドレスは僕が一からデザインして作った、世界に二つとない代物だからね」

「えっ」


 システィアは思わず言葉を失った。

 そういえば最近、ジークは毎晩のように徹夜をしていた。それがドレスを完成させるためだというなら納得できる。不自然に採寸されたのも、好きな色を聞かれたのも、あれもこれも、すべて、納得が……。

 

 システィアの頭は真っ白になる。そして真っ白なまま試着へ。鏡に対面。そこに映った自分を見て、無意識にこう呟いた。

 

「素敵……」


 そこでシスティアは我に返る。

 急に恥ずかしくなってしまい、この日はジークと目を合わせることができなかった。

 





 翌日。パーティー会場外の庭園にて、システィアは一人待ちぼうけていた。

 

「……遅いわね。もう、あっちから誘ってきたくせに!」


 そこにジークの姿はない。

 時間だけが過ぎていき、焦りばかりが募っていく。


「あ~ら意外ですわ。あなたがここに現れるだなんて。てっきり逃げ出すかと思っていましたわ」


 意地の悪そうな声がした。

 振り向くと、メアリーとその取り巻きが下卑た笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 ちなみにメアリーは、システィアの元婚約者が次に選んだ相手である。それがどんな意味を持つかは言うまでもないだろう。

 

「私は逃げないわ」

「あらあら、強がっちゃって。婚約破棄されたあなたにダンスの相手がいらっしゃるわけ?」

「い、いるわよ!」

「わたくしの目には、相手のお姿などどこを見ても映りませんわ。妄想も大概にしておくことですわね」


 メアリーはシスティアを一瞥。取り巻きはくすくす笑っていた。

 だが、この程度の嫌がらせはとうに覚悟していたことだ。

 

(言い返したいけど、そんなことをしたらあいつと同じ。ここは我慢よ……!)

 

 システィアはぐっとこらえる。

 

(……気に入らないですわね)


 その姿勢がメアリーの心を苛つかせた。

 

「ところであなたのドレス、とても綺麗ですわね。わたくし達がもっと綺麗にして差し上げますわ!」

「――っ!」


 取り巻きが泥を投げつけてきた。

 システィアの白いドレスは、たちまち茶色くなってしまう。

 

「やめてっ! このドレスは、このドレスは……!」

「ふん、いい気味ね。負け犬のあなたにはそれくらいブザマな方がお似合いよ」


 満足したメアリーは、高笑いを上げて去っていった。

 システィアは我慢の限界を超え、ついには泣き崩れてしまう。

 

「うぅっ、ぐすっ……」


 もう居られない。

 逃げてしまいたい。

 

 そんな時だった。

 

「どうしたんだいお嬢さん。こんなめでたい日に涙は似合わないよ?」


 妙に癪に障る声だった。

 けど、今はその声が一番聞きたかった。

 

「え? 嫌がらせでドレスに泥をぶつけられた? それはまあ……可哀想なことで。けど君が謝る必要はない。さあ、会場に行こうか。僕の方こそ遅れて済まなかったね」

「……無理よ。私はもう心が折れてしまったの」

「やれやれ。君は心の浮き沈みが激しいね。泥なんてどこにも付いていないのに、どうしてうずくまっているんだい」

「えっ?」


 顔を上げ、ドレスを見た。

 言ったとおり、ドレスは真っ白になっていた。

 

「どうして!? あんなに泥まみれだったのに!」

「僕が誰だか忘れたのかい? 僕はジーク、仕立て屋さ。ささいな泥汚れなんて、布と少しの水があれば落としてしまうよ」

「あははっ」


 おかしくって笑ってしまった。

 なんとこのジークという男は、話をしているうちに泥を落としてくれたらしい。

 まるで魔法みたい、とシスティアは思った。

 そして涙を拭いて立ち上がった。

 

「見習い、を忘れてるわよ」

「……手厳しいことで」




 パーティー会場内に入ると、二人は端の方に陣取っていた。システィアの心境としては目立ちたくないし、部外者のジークを目立たせるわけにもいかないからだ。

 

 にも関わらずジークは、呑気に料理に手を出して舌鼓を打っている。その呑気さがちょっと羨ましいと思うシスティア。幸いみんな談笑に夢中だったりで、誰もジークには気づいていない。

 

 やがて会場内に音楽が流れ出すと、周りは急にそわそわし始めた。ダンスなど慣れきっているはずの貴族出身の学生達といえど、やはり卒業パーティーでのダンスには特別な意味合いがあるということだろう。運命の相手がすでに決まっている者はすでに踊り始めているし、そうでない者は今日一番に賭けて気になる相手を誘ったりしている。

 

 一方、システィアとジークの二人は、特に示し合わせたりもせず手を取り合っていた。自然な流れで、情熱的な旋律に身を任せステップを刻む。その華麗な姿は徐々に視線を集め始めるが、二人はまったく気づいていなかった。

 

 そして音楽が止まると、盛大な拍手が二人に送られた。

 

「……僕達、すごく目立っていたみたいだね」

「……しかも端で踊ってたはずなのに、いつの間にか真ん中に来てたみたい」


 全くの想定外。

 だけど、すごく楽しい時間だった。

 

 しばらくして拍手が鳴り止むと、システィアめがけて走ってくる男が一人。

 

「俺が間違ってた! 君のダンスを見て確信したよ、君がメアリーの教科書を破ったり階段から突き落としたりするような悪人じゃないって!」


 それは元婚約者であるヘンリーだった。


「頼む! 俺ともう一度、結婚を前提に付き合ってくれ!」

「はァ!? なに言ってるの!?」


 遠くでメアリーが叫んでいる。

 ヘンリーは気にもせず続ける。


「だいたいあんな出どころの分からない噂を信じた俺が馬鹿だったよ。深く反省しているから、なっ、いいだろう? 君も復縁を望んでいたんだろう?」

「そうね。私も望んでいたわ」

「そうか! だったら!」


 ヘンリーは大喜びでシスティアの手を握った。

 しかし彼は気づいていない。システィアは、最大限の蔑みと哀れみの目を向けていることに。


「少し前の私だったらね」

「えっ?」

「もうあなたに興味はないわ。もし仮に興味が残ってたとしても、根拠のない噂に流されているようではこの先不安で結婚なんて到底無理よ。あと気安く私の手を触らないで頂戴」

「そんな……」


 茫然となるヘンリー。

 引っ剥がすように手を離したシスティアは、代わりにジークの手を握った。

 

「それに私にはね! ジークという心に決めた人がいるの! ………………あ、つい勢いで言っちゃった」

「システィア……君は……」


 さすがのジークも戸惑っているようだ。

 

「くっ、ダンスの相手か……ん、待てよ? お前誰だ? 俺でも知らない顔だな」


 まずい。ヘンリーが気づき始めた。

 システィアがうろたえていると、ジークは「ふふっ」と笑ってこう言い出す。

 

「バレたなら仕方ないね。そうさ、僕はこの学園の人間ではない」

「じゃあ誰なんだ!」

「僕はジーク。仕立て屋……の、見習いさ」

「仕立て屋? 見習い? ……プッ! プハハハハハっ!」


 さっきと一転、ヘンリーは勝ち誇ったように笑い出す。

 

「なんだ、ただの庶民じゃないか! それに対して俺は公爵貴族だ。なあシスティア、どっちを選んだ方がいいか、言わなくても分かるだろ?」

「それがどうしたの。とりあえずあなただけは無いわ」

「……チッ。ところでお前、爵位は伯爵だったよな。言いたいことが分かるか? お前に拒否権はないんだよ!」


 ヘンリーが最後の手段を使ってきた。

 しかし貴族社会、ひいては世界においてもその手段は凄まじく強力である。

 ぐいぐい迫ってくるヘンリーに、システィアは何もできない。

 

「……権力を振りかざして服従させる。僕の最も嫌いなやり方だ」

「なんだ庶民。お前はこの場にいる資格すらないはずだぞ」

「やれやれ。目には目を、歯には歯を……君を黙らせるには、この手段しかなさそうだ」


 ジークはエンブレムのような物をスーツから取り出した。

 それに刻まれている紋章。おそらくこの場にいる全員なら、一瞬見ただけでも分かるだろう。

 

「お、王家の……紋章……! 偽物か?」

「偽物? そんな馬鹿な。王紋の偽造は重罪だ。そんなリスクを背負ってまで日夜これを持ち歩くメリットがあるなら教えて欲しいね」

「うぐぅっ……!」

「分かったならシスティアにはもう近づくな。これは第二王子ジークムント・アレイスターからの最後通告だ」


 そう言うとジークは、エンブレムをスーツに入れ戻した。

 ヘンリーは腰を抜かしてしまい、情けない悲鳴を上げながら逃げ出す。

 

「じ、ジーク? あなた王子だったの? なんで仕立て屋に……」

「すまないシスティア。僕は一つだけ大きな嘘をついていた。だけど話は後だ。とりあえずここから逃げるよ!」

「ええ!? ちょ、ちょっと!」


 ジークはシスティアの手を引き、会場を後にする。

 程なくして、会場は大騒ぎとなった。あっけにとられていた学生達も、ようやく理解が追いついたらしい。おもわぬ王子の出現に、あわよくば取り入らせてもらおうとしているのだろう。貴族領主に生まれた者達の悲しき(さが)だ。

 だが時すでに遅し。二人は会場から遠く離れた路地裏で息を整えていた。

 

「はぁ、はぁ……。いったいどういうこと?」

「実は父さんの方針で、成人前の一年は城下町で過ごすことになってたんだ。目的は民の心を深く理解させるためらしい。もちろん素性は絶対に秘密でね」

「そうだったんだ……けど素性を明かしたってことは、もうその一年は終わったってことよね?」

「いいや。今日が最後の一日さ」

「そう、それならよか――ええっ!?」


 思わず目を見開くシスティア。

 対するジークはまったく気にしていない様子で微笑んでいた。

 

「大丈夫なの!?」

「大丈夫じゃないだろうね。厳しい父さんのことだから、たった一日でも許してくれなさそうだ」

「そんな、じゃあ私のせいで」

「君が気にすることじゃない。僕がやると決めてやったことだ」

「ジーク……でも私、納得できない。こんな大きな借りを作ったのに返さないなんて、私の性分に合わないわ」


 システィアは、ジークの目をじっと見つめる。


「……なら君にこれを渡しておく。きっと役に立つ時が来るはずだ。僕にとっても、君にとってもね」


 ジークは何かを親指で弾いて渡してくる。それは一枚のコインだった。お金でも記念品でもない、何の変哲もない普通のコインだ。

 

「じゃあ、僕はそろそろ行かないと」

「待って! まだ話したいことが!」


 背を向けたジークは振り向きもせず風のように去っていく。いくら手を伸ばそうとも背中は遠くなるばかりで、やがて姿は完全に見えなくなってしまった。

 

「もう……一言でもお礼がしたかったのに」


 そして、この日を境に二人の運命は大きく動き出すのだった。

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[気になる点] 続きを・・・。 [一言] 面白かったです。
[一言] 続きはどこですか?
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