第6章ー12
英米日海軍が、手ぐすね引いて待っているとは、露知らず、独軍はノルウェー、デンマークへの侵攻作戦を粛々と進めていた。
1940年4月9日朝、独軍は、ノルウェー、デンマークへの侵攻作戦を、実際に発動したが、数時間も経たないうちに、独軍は、英米日海軍の航空攻撃の嵐に翻弄される羽目になり、驚愕する羽目になった。
ノルウェー侵攻の際、最北の上陸地点となるナルヴィクへ実際に上陸作戦を展開した独軍は、駆逐艦10隻により輸送されており、第3山岳師団から選抜された2000名の兵士が、その任務に当たっていた。
ナルヴィク港等へ上陸しようとした独軍は、ノルウェー海軍の沿岸警備艇2隻による妨害を受けたが、独海軍の駆逐艦10隻は、それを容易に撃退して撃沈し、ナルヴィクへ兵や物資を揚陸させようと試みた。
だが、揚陸任務を行おうとすることは、駆逐艦を事実上停泊させるという事である。
英海軍航空隊が、襲い掛かってきたのは、独軍が兵の上陸をほぼ済ませ、物資の揚陸に取り掛かろうとしたその時だった。
「揚陸作戦中止。直ちに回避行動を執れ」
旗艦からの指示が急きょ下り、独駆逐艦10隻は、慌てて機関の出力を上げ、英海軍航空隊100機余りの空襲を回避しようと試みた。
だが、独駆逐艦10隻は、事実上停泊し、機関の出力を落としていたのだ。
船の性質上、そんなにすぐに独駆逐艦が動ける訳がない。
更に沿岸部にいた以上、独駆逐艦の空襲からの回避行動は、攻撃隊に容易に読まれる状況にあった。
「これ(独駆逐艦)に、魚雷を当てられないようでは、かつての師匠の面目丸潰れも良い所だった。何しろ殆ど的は止まっていたのであり、弟子の日米海軍から航空攻撃の戦訓について、教えてもらっていたのだ」
この空襲に参加した英海軍航空隊の操縦士の一人は、そのように回想録に書いている。
独駆逐艦10隻の内4隻は、ここで沈没し、残りの6隻は大破と評価される損傷を被った。
生き残った駆逐艦6隻は、這うような速度で、祖国、独への帰途につくことになった。
この結果、ナルヴィク占領任務に当たる予定の独軍2000人は、何とかほぼ全員が、無事に上陸自体には成功した。
だが、彼らは、本来手にする筈の物資のほとんどを失い、小銃と手榴弾のみで戦う羽目になったと言っても過言ではなかった。
そして、ここまで自分達を運んできた独駆逐艦全てが沈むか、大破してしまい、孤立した彼らに、独からの追加の物資が届く見込みは、ほぼ無くなった以上、飢餓を避けて戦い抜くために、ノルウェー市民からの略奪を、ナルヴィクに上陸した独軍は行うことを検討せざるを得なかった。
そして、辛うじて生き残った独駆逐艦にも、過酷な運命が待っていた。
英空母部隊から発進した第二次攻撃隊の空襲が続けて行われた。
更に、米空母部隊からも、兵力の一部が割かれ、攻撃隊が向かった。
最終的に独駆逐艦10隻は、1隻も祖国を見ることなく、北海の海に沈んだ。
この結果、ナルヴィクから独へ帰ろうとした駆逐艦6隻の乗組員は、全員戦死の悲劇を迎えた。
生きて祖国の土を踏めた独駆逐艦の乗組員は、皮肉なことに、ナルヴィクの沿岸で、最初に沈んだ4隻の乗組員だけで、それも全員集めても100人に満たなかった。
彼らは生きるために、4月の冷たい北の海で泳ぐ羽目になり、更に泳ぎ着いた先で、ノルウェー救援のために駆けつけた英陸軍等と慣れない地上戦を、海軍の将兵でありながら、陸軍の将兵と共に銃を持って戦わざるを得なかったのだ。
最終的にOKWの許可を受けて、ナルヴィク上陸部隊と共に、中立国スウェーデンへの過酷な脱出を試みて、何とか成功した乗組員だけが、祖国へと帰国できたのだ。
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