第6章ー3
独のノルウェー侵攻作戦が、単なる机上演習ではなく、実際に動き出したといえるのは、1940年2月21日のことだった。
装甲艦「シュペー」を、日本第三艦隊が、航空攻撃により撃沈されたことが、日英仏米によって大々的に報道され、それを独側も間違いないと自ら確認を取った。
そして、3月初めには、日本第三艦隊は、後続の日本海兵隊2個師団と共に欧州へ到着する、と独側は精確に予測しており、実際に日本第三艦隊は、その通りに到着した。
(実際に、そうだったのだが)更に、日本海軍の空母6隻の第1任務が、海兵隊支援のための航空機の輸送というのは欺瞞であり、本当の第1の任務は、独の軍港ヴィルヘルムスハーフェン等の空襲にあるのでは、と独軍情報部は予測していた。
日本海軍は、ウラジオストック軍港への空襲と同様のことを計画しているのではないか。
更にその推測を後押しする事実が、米海軍の通信傍受等から発覚した。
米海軍も、空母複数を擁する艦隊を編成しつつある、というのだ。
日米が、そのような艦隊を編成しているという事は、英国も同様の艦隊を編成するつもりなのではないか。
そして、そのような艦隊が必要な任務となると。
独軍情報部は、英米日の空母部隊を総動員した空襲の危険が高まっていると警告を発した。
こうなっては、これを独が防ぐ方法としては、事実上、一つしかなかった。
即ち、ノルウェー、デンマークが独の味方に進んでなるか、それとも独が、ノルウェー、デンマークに侵攻して征服するかである。
そして、ノルウェー、デンマークは中立維持をあくまでも主張し、独への味方を拒絶している。
となると、独はノルウェー、デンマークに侵攻して征服するしかなかった。
勿論、独が、あくまでもノルウェー、デンマークの中立を尊重するという選択肢がない訳ではない。
しかし、それによって、もたらされるのは、ノルウェー、デンマークの中立区域を聖域とした、英仏米日の妨害による北欧からの鉄鉱石の輸入途絶、バルト海沿岸の軍港にまで行われる英米日の空母艦隊による大空襲による被害等だった。
更に、ノルウェーがベルギーと同様に、英仏米日と防衛同盟を結ぶという噂まで流れだした。
そうなっては、第二次世界大戦において、独の勝利の可能性は絶無になる。
それを、ヒトラー率いる独が、甘受できる訳がなかった。
ここにデンマーク、ノルウェーへの独の侵攻作戦が、実動に至ることになったのである。
1940年2月21日正午、独陸軍第21軍団長、ファルケンホルスト大将は、ヒトラー総統とベルリンで面談を始めていた。
「本日午後5時までに、君は、ノルウェー侵攻作戦の概要を作成してくれたまえ」
面談を始めて、早々にヒトラー総統に、そう命ぜられたファルケンホルスト大将は、驚愕する羽目になった。
勿論、軍人である以上、急な命令を受けることはある、と覚悟しておくのは当然ではある。
だが、僅か5時間でノルウェー侵攻作戦の概要を作れ、とは。
(実際に、ヒトラー総統とファルケンホルスト大将の面談が終了したのは、午後1時頃であり、実質的には4時間未満で、ファルケンホルスト大将は、ノルウェー侵攻作戦の概要を作る羽目になった。)
ファルケンホルスト大将は、少なからず途方に暮れる羽目になった。
ところで何故、独陸軍第21軍団司令官のファルケンホルスト大将が、ノルウェー侵攻作戦の概要を作る羽目になったのか?
一般的には、第一次世界大戦において、ファルケンホルスト大将が、フィンランド方面の軍で作戦参謀としての経験があり、北欧事情については独陸軍内で詳しい立場にある、とヒトラー総統らが、判断していたからだ、というのが通説のようである。
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