第6章ー2
勿論、独海軍のみが、独のノルウェー侵攻作戦に積極的だったわけではなかった。
例えば、ノルウェーの極右政治家、クヴィスリングは、一時はノルウェー国防相まで務めた人物だったが、色々な事情が絡み合った結果、1940年のこの当時は、零落した存在だった。
クヴィスリングは、ノルウェーの権力を握るために、独政府と協力しようと考えた。
そして、クヴィスリングは、独海軍の協力を得て、ヒトラーと面会した。
「ノルウェー政府は、英仏米日等の誘いに乗り、ベルギーと同様に、防衛同盟を締結しようとしております。しかし、この考えは、ノルウェー国民の多くの支持を受けていません。同じゲルマン民族同士の連帯を、ノルウェー国民の多くが熱望しております。もし、独がノルウェーへ平和裏に軍を進駐させ、それによって、我がノルウェーの独立を保持しようとするなら、ノルウェー国民の大部分が、これに深謝するでしょう」
クヴィスリングは、このようにヒトラーに熱弁を振るい、独のノルウェーへの軍の進駐を促した。
更に、日本海兵隊の来援が、ヒトラーの不安を呼び起こした。
日本海兵隊は、欧州へ向かう際の船団の中に、「あきつ丸」等の上陸作戦用の船舶を含んでいた。
これは、あくまでも欧州へ向かう船団を、少しでも充実させるのが第一目的であった。
だが、独は、別の目でこれらの船舶を見た。
まさか、ノルウェーへの軍の進駐を円滑に行うために、「あきつ丸」等が送られたのではないか。
それに、日本海兵隊は、ガリポリ上陸作戦等、大規模上陸作戦を何度も経験している。
これらを組み合わせて考えるならば。
更に、もう一つの懸念があった。
1939年12月に行われた日本海軍の空母部隊によるウラジオストック軍港への大空襲である。
この大空襲により、ソ連太平洋艦隊の水上艦部隊は、全滅に等しい大打撃を受けた。
日米英三国の空母部隊が総動員されれば、1000機以上の艦上機による軍港への大空襲、つまり、ウラジオストック軍港を襲った空母部隊の3倍以上の機数による大空襲が可能になる。
そして、空母部隊の機動性等を考えるならば、この日米英三国が協力した場合、軍港への空襲を独空軍が完全に阻止することは極めて困難だった。
こういった事情から、ヴィルヘルムスハーフェン等、ユトランド半島より西にある軍港から、独海軍の水上艦は、日本海軍の第三艦隊、空母部隊がフランスに到着する前に、全て姿を消していた。
独海軍の水上艦は、キール等、ユトランド半島より東の軍港に全て避難していたのである。
とはいえ、安心できるものではなかった。
少なくともキール軍港への空襲を、日米英三国の空母部隊が試みた場合、更にデンマークの中立を、日米英が尊重しなかった場合、デンマーク上空を侵犯して襲来する日米英三国の大空襲部隊を阻止することは不可能、と独空軍首脳のほとんどが判断していた。
それを阻止しようとするなら、デンマーク、ノルウェーへの独軍の進駐を行い、そこへ独空軍の大部隊を展開する必要があると考えられていた。
勿論、キールより更に東、ダンツィヒ等に、独海軍の水上艦を避難させるという方策もある。
だが。
英仏等は、独は、日本人を劣等民族と罵倒しながら、その海軍の一部が来援しただけで、臆病にも尻に帆を掛けてバルト海へと逃げだした、と悪意に満ちた宣伝を行っており、更に、その現実を見て、独潜水艦部隊の一部からも、独水上艦部隊は、戦わずして逃げるだけなのか、と不満が出つつあったのだ。
こういった状況から、独海軍水上艦部隊は避難できる状況ではなかった。
更に既述の通り、ノルウェーの経済的重要性もある。
独のノルウェー侵攻作戦の機は高まっていた。
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