第5章ー4
第3艦隊は、欧州へ向かう輸送船団の、直接護衛、間接護衛を両面から担っていた。
第3艦隊は、空母6隻、戦艦2隻を基幹とする前衛艦隊と、輸送船団を直接護衛する後衛艦隊(もっとも、後衛艦隊は輸送船団の規模から、2つに実質的には分かれていた。)で、欧州へと航行していた。
前衛艦隊が、航路上の危険(潜水艦等)を予めできる限り排除した上で、後衛艦隊が危険度が減少した海域を進むという段取りである。
何しろ輸送船の中でも、橿原丸等は、スエズ運河を通航できないサイズだった。
小沢治三郎中将の本音としては、シンガポールを通り過ぎた後のインド洋や地中海では、ソ連潜水艦部隊の脅威が絶無と言っても過言ではない以上、危険回避のために、輸送船団は、シンガポール通過後は、スエズ運河を経由し、南仏のマルセイユ港等への入港を目指すべきでは、そのために橿原丸等、スエズ運河通航不可能な輸送船は、輸送船団のメンバーから外し、中国本土への人員、物資輸送に活用すべきでは、とまで考え、具体的に海軍省や連合艦隊司令部への意見具申まで行ったのだが。
欧州への海兵隊派遣の為に、一隻でも多くの輸送船を活用する必要がある、と判断した海軍省(更に言うなら、陸軍省や米内光政首相以下の内閣も、海軍省と同意見だった。)は、小沢中将の意見具申を却下して、橿原丸等を、欧州への海兵隊輸送に活用したという次第だった。
とはいえ、スエズ運河通航可能な輸送船の大部分については、一部の駆逐艦を念のために付けて、シンガポールで別れ、スエズ運河を通航して、南フランスのマルセイユ港等へ向かうことが決まっている。
少しでも速く欧州へと海兵隊を届け、英仏等を力づける必要があると考えられたからだった。
そのために海兵隊6個師団の内4個師団が先行し、2個師団が遅れて仏に到着することになっていた。
そして、第3艦隊には、もう二つの任務が与えられていた。
一つが、海兵隊支援のための航空隊を欧州へ届けること、一つが、独の水上艦による通商破壊を阻止することである。
欧州で戦う海兵隊に、航空支援が必要なのは、半ば自明の事柄だった。
そのために、空母6隻に満載された航空機は、欧州に到着次第、欧州の航空基地に展開することになっていた。
勿論、そのために必要な資材や弾薬等も、輸送船団には満載されており、英仏等の企業に対し、協力まで事前に求め、了解を得ていた。
この任務については、海軍航空隊の本音としては、理性的に必要なのは重々分かるが、感情的には拒絶したい任務だった。
そのために与えられたともいえる任務が、独水上艦による通商破壊阻止任務だった。
第二次世界大戦勃発に伴い、独は装甲艦3隻を、大西洋に放って、通商破壊任務に当たらせていた。
商船に偽装した補給艦まで使い、航続距離を延ばした装甲艦は、インド洋にまで足を延ばしていた。
とはいえ、独ソの潜水艦部隊との死闘に明け暮れる英海軍に、独装甲艦掃討に充てられる兵力の余裕は無いといっても過言ではなかった。
このために、行き掛けの駄賃ではないが、第三艦隊は、独装甲艦掃討を、欧州に向かう途中で行うことになったのである。
小沢治三郎中将は、この任務を聞いた時の角田覚治、山口多聞両少将の反応を思い起こし、笑みを浮かべざるを得なかった。
二人が、声を揃えて、
「ウラジオストック軍港への空襲は、停泊中の艦船攻撃で面白くありませんでした。水上航行中の戦艦を沈められるかもしれない、とは望外の喜びです」
と言ったのだ。
確かに、独装甲艦は、ポケット戦艦という綽名があるが、戦艦とは言いづらい大きさなのだが。
さて、どこに独装甲艦はいるのだろうか。
小沢中将は、想いを巡らせた。
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