第4章ー2
岸忠子の姿が目に入ったことから、忠子を避けるために、村山幸恵は、神社で弟達の無事を祈願した後、少し境内を一周した後で帰宅することにした。
境内には、幸恵が思ったより、人が多かった。
自分と同じように、出征した家族の無事を願う人が多いのだろうか。
そんなことを幸恵は想った。
自分は一人で来たのだが、知人同士で来た人もいるようだ。
いや、たまたま、ここで会ったらしく、会話が弾んでいる。
「どうも、近々、東北の方に行くことになりそうです。勤務先が移転するのですよ」
「ほう、勤務先に合わせて、転勤ですか」
「ええ、働かないと食べていけませんから」
「となると、お別れすることになりそうですな。海軍の人達も、多くが出征していますし、横須賀市も寂れそうですな」
自分より年上、40代と見える男性2人が話していた。
その会話が聞こえた幸恵は、想いを巡らせた。
第二次世界大戦突入早々に行われた、ソ連空軍の空襲は、米内光政首相率いる日本政府に、過剰なまでの反応を引き起こしていた。
軍需工場等を、京浜や阪神等に集中している工業地帯から、日本各地に分散(疎開)させ、空襲による被害を防ごうという行動を執らせたのである。
野党の立憲民政党議員らは、立憲政友会の利益誘導に、工場疎開が使われるのでは、と疑ったが、実際にソ連空軍の空襲が、何度か行われ、埼玉県内を中心に、空襲の被害が実際に出ているという現状があり、本当に軍需工場に対する空襲が、本格的に行われるようになり、軍需工場が被災するようになっては、戦争遂行に影響が出る、という主張が、政府からなされては、反論もしづらい。
まず、隗より始めよ、ではないが、横須賀海軍工廠の一部が、近々、東北のどこそこに移転することが正式に決まった、との話が、幸恵にまで聞こえている。
他の海軍工廠も、一部を地方に移転させるらしい。
こういった政府の動きに、財界も協力し、地方に工場を作ろうという動きにつながっている。
実際問題として、阪神地区はともかく、京浜地区では、空襲警報が発令されるたびに、灯火管制が行われたり、工員の避難を行わねばならなかったり等々の問題から、工場の生産に影響が出ているらしい。
それくらいなら、最初から地方に工場を造って、そこで生産を行った方が良い、と財界の首脳が考えるようになるのも仕方のない話だった。
それに、関東大震災の悪夢が、経営者の多くから拭い去られていないのもあった。
また、日本は、地震、台風等、自然災害に事欠かない国でもある。
万が一の事態に備え、できる限り、地方に生産設備を分散させておくのが、妥当と言えば妥当、という政府の指導は、戦争が終わった後も、リスク分散につながる、それに今なら、工場の地方疎開を進めるための補助金も受け取れるという利点もあり、財界の首脳に受け入れられつつあったのだ。
そういった情報も、新聞記事や料亭の客の話から、幸恵の耳には入っている。
2人の男性の会話は、幸恵にその情報を、あらためて思い起こさせた。
戦争が終わるのには、何年も掛かるだろう。
何しろ、米英仏日対独ソ中、という世界の大国同士の戦争なのだ。
(他にも、満州国や韓国、外蒙古等、中小国が幾つか噛んではいるが)
その間に、地方の移転先に工場も、移動した工員やその家族も馴染んでしまうだろう。
戦争が終わったからと言って、すぐに工場を京浜地区等に戻す、ということにはならないのではないか。
となると、京浜地区等の空洞化が、戦後に引き起こされてしまう可能性すらある。
先のことを考えすぎかもしれないが、ありうる話ではないか。
幸恵は、そこまで、考えを進めてしまい、つい、神社の境内で、時を過ごしてしまった。
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