第6章ー30
ノルウェーの独軍を率いるファルケンホルスト将軍らの本音としては、白昼に独空軍の総力を投入した航空優勢確保の下で、ノルウェーの独軍を撤退させたかった。
実際問題として、それは不可能な話ではなかった。
この当時の独空軍の実力をもってすれば、充分にできる話ではあった。
だが、実際問題としては。
「本日をもって、ノルウェーの独軍に対する支援は全面的に打ち切る。皆、ご苦労だった」
独空軍のガイスラー中将は、4月28日の夕方、指揮下にある航空隊の司令官を集めて訓示していた。
ノルウェー侵攻作戦に当初から投入された空軍機約1000機の内800機近くが、僅か1月で失われた。
特に輸送機の損耗は深刻で、作戦当初に投入された約500機の内9割以上が失われていた。
これ以上の損耗は、対仏戦における航空優勢確保に支障が生じる。
ゲーリング元帥の直々の判断により、独空軍は4月28日、独本土防空に舵を取り、ノルウェーの友軍を全面的に見捨てる判断を下したのである。
これに対して、独陸軍は猛抗議を行った。
せめて、独軍の将兵がノルウェーから全面撤退を完了するまで、航空支援を行うべきだ、と主張した。
だが。
「我が空軍の搭乗員は、今日もまた、半分以上が戦死した。いつものように、飛行場は夕方には静まり返っていた。出撃した搭乗員の多くが、ヴァルハラに召されていき、生き残った搭乗員も、明日は我が身と沈んでいたからだ。ノルウェー侵攻作戦中における独空軍の消耗は恐るべきものがあり、その一方で、日米英海軍航空隊に与えた損害は、僅か50機にも満たなかった。味方の戦闘機の支援が無いまま、敵の戦闘機の集団の中に輸送機や爆撃機を数的劣勢の中で突撃させる。こんな無茶な作戦は無かった。何故、独空軍は、日本空軍機並みの航続距離を実現できなかったのか、ゲーリングは超無能、と我々は陰口を叩く有様だった」
第二次世界大戦後に発表された独空軍のある搭乗員の回想録において、そう記されるような消耗戦を、これ以上は独空軍が繰り広げられる訳がなかった。
実際問題として、後知恵からすれば、この2日後に、ヒトラーは折れて、ノルウェーからの独軍の撤退を認めたのだから、もう少し頑張るべきだった、という見方もできる。
だが、この時点では、ヒトラーはノルウェーへの支援を厳命していたのであり、ゲーリング以下の独空軍首脳部が独断で航空支援を取り止める有様だったのだ。
だから、独空軍首脳部のやむを得ない判断と見るべきではないだろうか。
ともかく、こういった戦況から、ノルウェーからの独軍の撤退は、夜の闇に紛れて行うしかなかった。
日本海兵隊にとって、西南戦争以来、夜戦はお家芸といえるものであり、日英海軍航空隊は夜間空襲の訓練を十分に積んでいる。
味方にとって有利でも、敵にもっと有利なことはするべきではない、ということを噛みしめながら、独軍の撤退作戦は強行される羽目になった。
「終わったな。ノルウェーは、我々が確保できた」
5月2日朝、石原莞爾中将は、そう幕僚達に言っていた。
2日間の独軍の撤退作戦は、多大な損害を出す羽目になった。
ノルウェー南部の独軍の軍人で、この時に生きて独本土の土を踏みしめられたのは、2000人にも満たなかった。
また、ノルウェー北部の独軍の軍人も、生きてスウェーデンへ脱出できたのは1000人に満たないという惨状だった。
それ以外の独軍の軍人は、全員が戦死又は捕虜となったのだ。
土方勇少尉は、同じ頃、ノルウェー南部の海岸に立って、この初陣の勝利の味を噛みしめていた。
この後、更につらい戦闘が待っているかもしれない。
だが、初陣がこのような勝利で、自分は終われてよかった。
これで本編、第6章は終わりです。
この後は、エピローグになります。
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