位相変移
『位相』とか『変移』とか、それっぽい単語を持って来ているだけですので、意味が違ってたらごめんなさい。
警察庁の特殊チームは、男性隊員6名、女性隊員2名という構成だった。全員がTシャツとスパッツに、頑丈そうなシューズを身に付けている。
隊長は、九頭森さん。40代半ばで、鍛えられた身体に学者然とした風貌の寡黙な男だ。他の隊員たちも皆、戦闘力が高いのはもちろんだが、どこか研究者っぽい雰囲気を漂わせている。
戦う研究者というのが、特殊チームの実態なのかも知れない。
そこにくっついて来たのが、リョウちゃんだ。向こうに戻ってからほぼ30時間で、こちらにトンボ返りして来た事になる。おじさん、感動してしまうじゃないか。
そしてもう1人、付いて来た女の子がいた。
琴浜佐和子。リョウちゃんの動画配信の協力者だ。頭が良さそうで、可愛い顔立ちだが、ちょっとオタク臭の漂うボサボサロングヘアー。オレが生きていたのを喜ぶリョウちゃんが思わず抱き着いて来たのを、1歩引いてニヤニヤ見ていた表情が印象に残っている。
伊勢崎さんが九頭森さんに報告を行っている間に、オレは簡単な健康診断を受けさせられ、それから強制的に睡眠を取らされた。一瞬リョウちゃんが一緒に寝てくれるのかと期待したが、当然の様に一人寝である。 リョウちゃんと佐和子さんは、女性隊員のサポートの下、狩りを行うそうだ。
本来、特殊チームは素人探索者の成長サポートなんて行わないのだが、オレという研究対象の生存率を上げる為に、リョウちゃんたちを積極的に鍛えようという腹積もりらしい。
なお、オレが健康診断を受けている間に、伊勢崎さんと田丸さんは時間切れで帰還してしまっていた。
翌朝オレが目覚めると、九頭森さんともう1人の隊員が待ち構えていた。
残りの4人の男性隊員は周辺の調査を行っており、リョウちゃんたちは女性隊員によるスパルタな特訓が続いているらしい。
「お話を聞く限りでは、北野道さんの帰還を阻害しているのは、やはりゴブリンの魔法としか思えませんね。その魔法を使ったゴブリンが死んでしまっているとは、大変残念です」
寡黙な九頭森さんに代わってペラペラと喋り出したのは、村木という若めの隊員である。チームの中でも研究者らしい雰囲気が一番濃い男だ。
「もしかして、術者にしか解けない類の魔法だったとか?」
「それは分かりませんが、出来るなら私も同じ魔法をかけてもらいたかった・・・」
「は? えーと、魔法にかかったら、日本に戻れなくなるんですよ?」
「そんな事は、瑣末な話です。こちらの世界はこんなにも研究対象に満ち溢れているのに、30時間の縛りのせいで、一々研究に水が差されてしまうのですよ! ああ、なんと嘆かわしい事か!」
オレの気持ちなど、まるで斟酌する様子のない村木。九頭森さんも、それを制しようとする気配を見せない。
なるほど。この人たちは、感情の一部が抜け落ちちゃってるのだ。その言動に悪気はないが、他人の気持ち――――弱かったり理屈に反する気持ちを慮る事が出来ないのだ。理屈だけで物を考え、その結果に疑いを持たないのである。
でも、そういう人間は嫌いじゃない。理屈を抜きにして、感情だけで行動するタイプに比べれば、100倍も付き合いやすい。
「残念ながら、オレは向こうに帰りたいんですよ。帰還を阻む魔法は他の土地のゴブリンも持ってると思うんで、オレが日本に帰れる方法を見つけてもらえたら嬉しいんですけどね」
「他の土地のゴブリンも、ですか? どういう根拠で、そう思ったのです?」
いきなり瞳を輝かせる村木。
帰還の方法を見つけろって話は、あっさりスルーか?
「まず、そのゴブリンが使った1発目の魔法が、この『帰還阻止』の魔法だった事。つまりゴブリンは、オレたちが時間が経てば消える存在だと知ってた事になる。
そして、燃やすとか凍らせるとか単純な魔法でなく、世界の壁を越える動きを邪魔するなんて複雑な理屈の魔法を、あのゴブリンがいきなり考え出したとも思えない。
よってあの魔法は、オレたちが消える存在だという知識と同じく、ゴブリンたちに伝えられて来たものなんじゃないかと考えた・・・んだけど、無理がありますかね?」
「いえ。反論しようと思えばいくらでも反論出来ますが、その仮説、一考の価値はあります。確かに、他の土地でも未帰還の者は多数いますが、その何割かはこの魔法が原因なのかも知れませんね。ただ、この魔法を受けながら生存が確認されているのが、北野道さんのみというだけで・・・」
「そう。もしかしたら、帰れなくなった上でゴブリンに捕らえられている人が少なからずいるのかも」
「その可能性は、大いにありますね。これは、また調べるべき事が増えてしまいましたね」
そう言って、村木が楽しそうに笑う。うん、ちょっと危ない領域に踏み込み過ぎてる気がするね。でも、研究者って、多かれ少なかれこんなものだろう。
「出来れば北野道さんにはこのまま異世界に滞在していただいて、どんな影響が肉体や精神に出るかを観察させていただきたかったんですが――――」
そしてまた、さらっと怖い事を言う村木。
「帰還する手段を見つけるのが先だと厳命を受けていますので、そちらのテストをさせてもらいますね」
おお、どうやら、まともな判断をしてくれた偉い人がいるらしい。誰だか知らないけど、ホントにありがとうと言いたい。
「これは、我々が緊急避難用に使っている魔法です」村木がオレの手を取った。その手から、魔力が送り込まれて来る。
「位相変移」
村木の声とともに、オレの身体に透明な膜がかけられた様な感覚が襲う。次いで、全く音が聞こえなくなった。村木とつないだ手も、いつの間にか外れている。そして、まるで宙に浮いているのに似た心許なさが、オレを狼狽えさせる。
村木を見ると、口をパクパクさせながら首をかしげていた。
九頭森さんは、あいかわらず押し黙っている。
何が起こっている?
訳が分からずオレが固まっていると、村木が無造作に手を伸ばして来た。その手がオレに触れようとして、スカッと空を切る。
「え?」
今、オレの身体をすり抜けなかったか?
と、ふいにまた音が戻って来た。膜がかかった様な感覚も消えている。
魔法の効果が消えたらしい。
「うぉっ!? 今、何が!?」
「まあまあ、落ち着いて下さい。テストは失敗しました」
「失敗? え、どういう意味!?」
「分かりやすく言うとですね・・・」
村木の話は、全然分かりやすくなかった。
自慢じゃないが、オレは数学が大の苦手だったし、物理は習ってさえいない。
それでもSF的に解釈してみると、村木の言いたかった事はこうだ。
村木がオレに使った魔法は、『位相変移』。一時的にオレの身体を、この世界からズラすものだったらしい。
音が聞こえなくなったり、村木の手がオレをすり抜けたのは、その為だ。光だけが影響を及ぼせる程度のズラし方だったという訳である。
通常は、位相をズラした途端にこの世界との繋がりが切れ、元の世界に戻ってしまうらしい。驚いた事に、30時間を待たずして地球に帰る裏ワザがあったのだ。
が、その技を持ってしても、オレは地球に帰れなかった。絶望である。
憮然とした村木の表情を見ても、他に有効な手段がある様子はなかった。
「つまり、お手上げ?」
「いや。まだだ」
村木に代わって近づいて来たのは、九頭森さんだ。
そそくさと九頭森さんに場所を譲る村木。
「今から北野道さんに『位相変移』を付与します。これから獲得する魔力は、出来るだけ『位相変移』に注ぎ込んで下さい。より大きくこの世界からズレる事が出来れば、日本に戻れるかも知れません」
九頭森さんから熱い力が流れ込んで来て、オレはこの身を戦慄かせた。
この魔法が、異世界でのオレに大きな影響をもたらす事になる。




