それぞれの戦いとジルの戦い
多節鞭を右手に、数メルトはある一本鞭を左手に構えて、縦横無尽に揮うアチャコを前にして、短剣片手にチクチクとやり合っていた、シャトンの親方である黒髪細目の商人が、軽く舌打ちをしてボヤいた。
「普通、エルフって言えば精霊魔法とレイピアか弓と、相場が決まってるんじゃないんですか? いやまあ、キャラ的に鞭が似合ってるっちゃ似合ってますけど――怖いくらいに――しかし、せっかく対抗手段を揃えてきたのに無用の長物になってしもうたわ」
ピシッ! と空気が圧縮され破裂する手拍子のような音が、ひょいと柱の影から覗かせた顔の脇をギリギリ掠めていく。
「ちっ。もう少しで、貴様のいけ好かない、その胡散臭い顔を柘榴のように粉砕して、ハイヒールの底でぐちゃぐちゃに踏み潰せると思ったものをっ!」
心底悔し気な口調で歯噛みするアチャコ。
「……いやまったくだわ。この糸目が油虫みたいに、ブチィと潰れたら、それはそれでスッキリするでしょうねー」
ほぼ広間の反対側で、魔術の多重詠唱を行いながら紫色の髪に魔女のようなとんがり帽子をかぶった、一見すると十代に見える魔女――リビティウム皇立学園理事長である〈超越者〉皐月・五郎八が、しみじみとアチャコの悪態に同意する。
「はっはっはっ。ちょっと激し過ぎる愛の告白ですなぁ。おまけにふたり揃ってとは、モテる男はつらいですわ」
能天気に笑う商人の左手から、視認できないほど超極細の”糸”(それでいながら鉄塊を持ち上げ、縛り付けて亜竜の動きを止め、さらには軽く人の胴体を骨ごと切断する鋭さを持った武器の一種である)が飛ぶが、アチャコへ到達する前に一本鞭によって迎撃される。
「さすがにお互いに『鑑定』持ち。おまけに基本的な戦闘スタイルが同じなので、なかなか決め手に欠けますなぁ。つーか自分は補助役が似合ってるので、バリバリの武闘派な緋雪さんか、らぽっくの旦那が矢面に立ってくれれば楽だったんですけど、こりゃ削り合いを覚悟せなあきまへんか、あんじょう疲れますなぁ~」
げんなりしながら愚痴をこぼす商人。
「さすがに〈神帝〉陛下と〈大教皇〉聖下を、うかつに動乱の最中のリビティウムへ連れてきて野放しにするわけにはいかないでしょう。特に緋雪さんとか、花火倉庫で爆竹鳴らすも同然で、何が引き起こされるか想像もつかないし! 第一、あたしとアンタとも、お互いの生徒と弟子を害されたオトシマエ付けに志願したのを忘れたわけ!!」
それを聞いて『いまさらグダグダ言ってるじゃない!』とばかりに発破をかけるメイ理事長。
しかしながら周囲への影響を考えて、敵を相手に手加減しなければならない状況に、思わず大きなため息を漏らすメイ理事長に対して、
「はははははは! しがらみが多いと大変そうだな、五郎八も影郎も、そして緋雪にしても!」
アチャコが嘲笑う。
それに対しても物憂げに、いや、痛まし気にアチャコを見据えるメイ理事長。
「そうだね。ままならないからこそ人間で、ままならないからこそ協力して前に進む。常に悩んで、苦しんで、哀しんで、喜んで……幾多の感情を抱えて『生きる』ことを諦めないのが人間」
そんな彼女の周囲にプラズマを伴った超高密度の焔の魔炎が、鬼火のように浮かび上がり、これらがランダムにアチャコに向かって発射された。
「ちっ――相変わらず、ナントカの一つ覚えの火炎魔術か」
多節鞭と一本鞭を併用しながらこれを迎撃しつつ、同じ〈神人〉同士、しかも二対一でお互いに手の内は知り尽くしている。不利と判断して、爆発に紛れて身を翻し、逃走を図ろうとしたアチャコ。だが、その瞬間すでに退路がことごとく断たれていることを悟った。
目に見えないほど細く強靭な鋼糸が、まるで立体的な蜘蛛の巣のように張り巡らされ、そこに囚われた蝶のように、いつの間にやら全身に絡みついていたのである。
痛みと同時に全身を虫が這い回るような嫌悪感。
「こんな束縛、即座に断ち――がはあはあああああ~~っ!!??」
途端、行商人が軽く手元の鋼糸を弾くと、数百倍に増幅された振動がアチャコの全身はおろか、体の内部――鍛えようがない内臓や脳、さらには文字通り骨の髄まで震わせるのだった。
「『葬送曲・震壊の調べ』。蒼神のところにいた時から、仲間内でもいざという時に備えて温存しておいた対幹部用奥義ですわ。ま、悪の組織のお約束ってやつですなぁ」
飄々と言い放つ行商人に向け、唯一動く眼球を巡らせるアチャコに向かって、メイ理事長は愛用の長杖の先端を向け、大技を放つための詠唱を唱える。
「ごめんね、亜茶子。本当はもっと早く決着をつけるべきだったんだろうけど、蒼神に裏切られて、子供まで喪くしたアンタには、同じ立場の女として、できれば幸せになって欲しかった。緋雪さんも『ゲーム時代は何度も世話になったし、根は悪い人じゃないよ』っていったから、できればやり直して欲しかった。だけど、あたしのエゴがあんたを余計に苦しめ、世界に哀しみを増やしてしまった。――だから、もう、こうするしかないの」
哀惜を込めた述懐……懺悔に、
「ふざけるな! 蒼神に相手にもされなかった負け犬と女モドキが、勝手に私を憐れむな! 貴様や緋雪に同情されるのだけは……憐憫など絶対に我慢ならん!! このまま死んでたまるかっ!! 死ぬなら貴様らも道連れだ!!!!」
刹那、アチャコの体内から莫大な精霊力が放出され、デタラメに上位精霊が召喚されかけた。属性の異なる上位精霊同士が、これだけ密閉された箇所に同時に召喚された場合、どれほどの大惨事が引き起こされるか想像もつかない。
まさに自爆。まさしく捨て身の自滅技であった。
「ヤバい!」
行商人が糸を絞ってアチャコをバラバラにしようとするのとほぼ同時に、メイ理事長の最大火力。太陽のプロミネンスに匹敵する莫大な熱量を伴った『大焦熱地獄』が、まるで白熱のビームのように一直線に放たれ、進行上のすべて――アチャコもまた、瞬間的に超高温で焼き払われ、悲鳴を上げることもなく、塵まで残さずにこの世から消え去ったのだった。
数百年にも渡って世界を混乱に陥れていた、一人の女があっけない最期を迎えた。
そして、かつての仲間を滅ぼすしかなかった、その結果を前にして、
「「…………」」
遣る瀬無い表情で、無言で自分の帽子のつばを深く下げる、メイ理事長と行商人。
◇◆◇
迫りくる闇妖鉄製の短剣を前にブルーノは最後の抵抗を試みた。
欠けた愛剣《月影》で一本を叩き落とし、返す刀でもう一本を弾き逸らせる。さらに砕けた左腕の掌底を相手の腹に直接叩き付けて内臓にダメージを加える。
技も何もない力任せの一撃であり、これで四本の短剣は無力化したが、残った一人の攻撃はどうあっても躱せないし、文字通り死力を出し尽くした現在のコンディションではなおさら絶望的だろう。
なぶり殺しは嫌だなあ……と、思ったところで、「あれ? なんでまだ考える余裕があるんだ? なんでまだ殺られてないんだ?」と、改めて疑問に思ったその瞬間、三位一体のフォーメーションを組んでいた『黒鳥』の残り一人が、
「てやっ!」
という掛け声とともに背後から吹っ飛ばされて、そのまま回廊の壁に頭からぶつかって昏倒した。
『…………』
ブルーノも敵の残党も咄嗟に何が起きたかわからずに、その場に張り詰めた沈黙が落ちる。
続いて響いた声は、この場に似合わない少女の名乗り。
「グラウィオール帝国ブラントミュラー女子爵家所属」
同時にジルたちがさきほど去っていった方向から、メイド服を着た十五歳ほどの小柄な少女が、場違いもいいところでモップを片手に仁王立ちをして威風堂々と言い放つのだった。
「ジル様専属メイド、エレン・バレージ!」
そして、咆哮の代わりにブルーノの有様を剣呑な目つきで見据えて、
「心配だからジル様に無理言って戻ってみれば、案の定ボコボコにやられてるんじゃないわよ!」
そう啖呵を切って、音もなく襲い掛かってきた『黒鳥』の双剣を余裕でいなして、持っていた長柄を翻したかと思うと、無防備な脳天に痛烈な一撃を加えて、あっけなく意識を刈り取る。
手にした得物――見た目は一・五メルトほどの普通のモップだが、柄の先端に三日月状の刃が取り付けられた、なんとも珍妙な代物であった。
「なんだそのトンチキなモップ……? 武器は!?」
「コッペリアから借りた“月牙槍モップ”よ。『これ一本で斬る突く引っ掛けるなどの様々な攻撃ができる上に、掃除もできてお得』だそうよ」
「なんだそりゃ……てか、危ないから」
注意しようとした矢先に、生き残りの『黒鳥』(他の奴らも辛うじて息はしてるけど)が、エレンを脅威だと認識したのか、一斉に武器を構えて殺到する。
「くっ!?」
「なにィ!!」
「ぐはっ!」
振り下ろされた短剣は避け、双剣の刺突は月牙槍で叩き落とし、足元を刈りに来た連撃を逆に押さえつけて防ぐと同時に、足を引っかけたり関節を取ったりして手際よく制圧するエレン。
熟練者たちの必殺の一撃を余裕で躱したり、モップで搦め取ったりしながら、的確にカウンターで敵を無力化していくその手腕に、ズタボロで立っているのがやっとであるブルーノが絶句した。
「なっ……!?」
「ふん。あんたみたいな半端な修行じゃなくて、あたしはロイスさんからきちんと、ジル様の専用侍女として、いざという場合には体を張ってでも守れるように、護身術を習ってるんだからね! あと、当然コッペリアの薬も飲んで強化してるしね」
「はっ――ははははははっ……」
そんなエレンのいつもと変わらない言い様と、さりげない口にした頑張り具合に、ブルーノはなぜか笑いがこみあげてくる。
なんだ、別に自分一人で頑張らなくても良かったんだ。変に気負い過ぎていた。そうだ、自分以外にも頑張ってる仲間がいる。頼れる友人がいる。
だったら問題はない。
ブルーノは再び剣を構えて、エレンの背後――死角になる場所を守るべく、彼女と背中合わせになった。
左手は完全に砕けているし、〈超強化薬〉の効果はとっくに切れて、その反動なのか体全体が泥濘のように重くて鈍い。全身という全身に傷を負ってじくじくとした痛みが襲って来る。手にした鋼鉄製の愛剣は、ノコギリのようにボロボロになっている。
だが、なんでか知らないけど元気が出てきた。もう限界だと諦めかけていたが、どうやらその限界まだまだ上げ底だったらしい。
負ける気は、もう全くなくなった。
◇ ◆ ◇ ◆
石畳の廊下を抜けると、厚い樫の扉が行く手を塞いでいました。
場所的にも雰囲気的にも、この先にあるのは旧クルトゥーラ城の主塔上階――謁見の間でしょう。
「「…………」」
私とルークとはお互いに顔を見合わせて頷きながら、同時に扉に手を掛けました。
間違いなくこの先に待っているのは国王――その成れの果てである黒騎士でしょう。決着をつけるのは私か、ルークか。いずれにしても覚悟と決断を込めて、私たちは同時に扉に力を込めます。
開け放たれた謁見の間は意外なほど質素というのが第一印象でした(生まれ育った城でも、子供だった私にとってはここに縁遠い場所で、足を踏み入れたのは何気に初めてです)。
壁は古い灰色の石積みで、装飾らしい装飾はほとんどなく。高い天井から吊るされた鉄のシャンデリアは、蝋燭が半分溶けかけたまま放置され、揺れるたびに影が床に不規則な模様を描いています。窓は狭く、外から差し込む冬の陽光は薄く冷たく、埃の舞う空気をぼんやりと照らすだけ。
唯一、扉から玉座まで続く一本の道――そこにだけ、深い紅色の絨毯が敷かれているのが異彩を放っています。かつては色鮮やかだったのでしょうけれど、今は長い年月を経て色褪せ、縁の金糸はほつれ、踏みしめるたびに古い糸の匂いが立ち上る。それでも、この部屋で唯一の贅沢として、なお威厳を保っていました。
そしてその先――玉座の上で、彼は当然のように待っていたのです。
元国王――かつてこの国を治め、今は闇に染まった男。王冠を戴く代わりに黒の仮面をかぶり、煌びやかなマントを羽織る代わりに武骨な漆黒の鎧をまとい、いま現在は黒騎士と名乗る彼は、ルークを無視して真っ直ぐに私を凝視するばかりでした。
「来たか、シルティアーナ」
かつての父の面影は、もうどこにもない。ただ、深い闇の底から響くような、低い笑い声だけが、謁見の間に木霊し、併せて古い絨毯が、私とルークの足音でわずかに波打ちます。
「……どうやら、ご指名の相手は私のようですわね。ルーク、先に行ってください。主塔最上階に礼拝堂がありますので、そこでストラウスが待っているはずです。こちらが終わりましたら、私も後から追いかけますので」
何かを堪えるような悲痛な表情を浮かべたルークでしたけれど、一瞬の後にその感情をひと払いして、ぎこちない笑みを浮かべて背を向けます。
「……わかりました。けど、ジルや皆が来る前にセラヴィ君を叩きのめして終わらせるつもりなので、後の事は気にしないで思いっきり好きにやってください」
そう言って礼拝堂に一人で向かうルークの後姿を、黙って見逃した黒騎士は、
「いい青年だな、シルティアーナ。あんな息子を持ってみたかったよ」
しみじみと独白するのでした。
「ええ、私の一番好きな人ですから。というか、貴方がトチ狂わなければ、ルークを義理の息子と呼ぶ未来もあったかも知れないのですよ?」
「フフフ……そうか。そうだな。だがすでに道は違えた。ならば儂も最後までそれをまっとうするのみだ」
完全に何かを断ち切った口調で言い放ち、無言で剣を片手に黒騎士は玉座から立ち上がって、古びた絨毯を足で踏みしめます。
「……だから貴方はダメなのです」
その言いざまに反射的に私の口から抑えきれない激情がほとばしりました。
「うん――?」
「貴族だろうが皇帝だろうが、世の中、自分の思う通りに事が運ぶなんてごくわずかです。誰もが挫折するし、失敗もします。ですが……それは罪ではありません。そして、それを認め合うのが家族であり、信頼できる仲間でしょう!? どうしてもっと仲良くしよう。話し合おうとしなかったのです! 何でもかんでも自分で抱え込むから必要なんてなかったのに。どうしてそれがわからないのですか!!?」
私の激情を前にして、困惑したように立ち止まった黒騎士は、ややあって愉し気に肩を震わせます。
「ははは、まるでクララに叱られたようだな。うむ、そうだな。儂は間違っていた」
「だったら――」
「だがすべてはもう遅い。修羅の道を選んだ以上、言葉ではなく剣を重ねて決着をつけようではないか!」
もはや言葉は不要とばかり、剣を抜いた黒騎士がせまり、私もこれに呼応する形で『収納』してある愛剣『ティソーナ』を抜身のまま装備しました。
父との最期の戦いの火ぶたが切って落とされたのです。




