幕間 上を下への大騒ぎと帰ってきたあの問題児(前編)
ジルとストラウスの激闘の余波は、本人たちの与り知らぬところでこの世界全体に及び。
下手をすれば惑星が消滅する危機を前にして、成層圏に位置する巨大な浮遊大陸(浮遊島と呼ぶべきか微妙な大きさ)を本拠地とする真紅帝国は、株価が暴落した直後の証券取引所並みの大混乱に陥っていた。
真紅帝国がこれほどのパニック状態になるのは、150年前の旧神〈蒼神〉と緋雪の最終決戦以来である。
「過去しか見ない者は過去の栄光や安寧の記憶にしがみ付いて、その場に膝を抱えて蹲ることしかできない。現在しか見えない者は、目先の欲望や衝動に従って刹那的に生きる者が大半で、未来を見据える者は往々にして足元が見えず、また過ぎ去った過去を旧弊として無価値と見なして振り返ろうとしない」
真紅帝国の大幹部にして、現在は“爵位授与者”と呼ばれる者たち――最高幹部《四凶天王》、各軍団長である《十三魔将軍》、切り札である遊撃部隊《七禍星獣》――の大部分を、世界各地へ派遣して暴走しそうな大気変動や、マントル対流、津波、地震、地割れ、果ては地軸や空間の歪みやほころびを随時調節するという離れ業を指示しつつ、空中に幾重にも表示してあるモニターに映っている、最大の関心事で元凶であるジルの戦いぶりを見据えながら、緋雪は聞こえないとわかりながらもそう声援を送るのだった。
「大事なのは過去・現在・未来を均等に俯瞰して、自分が最善だと思った道を進むことだ。そして、それでもまだ迷うなら自分自身の“魂”に聞くといい。”心”は時として嘘をつく。けれど人の本質である魂は嘘をつかないからね」
「……含蓄があることをおっしゃっているようですが、もともと姫様が『思いっきりガーンとやってこい!』と、無責任にジル様を焚きつけたのが、この世の終わりのようなこの騒動の発端であることをお忘れなく」
緋雪の斜め後ろに侍っていたメイド服の佳人、《四凶天王》No2〈熾天使〉命都が、微妙に辟易した口調で口を挟む。
「――うっ……」
と、一瞬押し黙った緋雪であったが、
「だって本気のあの娘が、あそこまでド外れてるとは思わないじゃないか! 下手したら《七禍星獣》どころか、星すら砕く《十三魔将軍》並みだよ!!」
半ば逆切れ気味に言い訳を捲し立てるのであった。
ちなみにさらに格上の《四凶天王》は、その気になればその《十三魔将軍》全員を相手取って勝つか、最低限引き分けに持ち込める『奥の手』の二つ三つ、隠し持っているのがたしなみであったりする。
「……確かに、単純な殲滅力であるならば、神人の方々どころか《十三魔将軍》並みではありますけれど、それも姫様の薫陶の賜物ではありませんか? すべては姫様の御心のままに」
絶対の忠誠と盲信と呼べるほどの崇拝の念を捧げる緋雪の狼狽えようを、小首を傾げて小鳥のようにキョトンとした表情で問い返す命都。
アチャコの暗躍や蒼神の残滓、そしてストラウスの反逆など歯牙にもかけない――なんなら暇つぶしの出し物程度に思っている、真紅帝国の面々であるので、その統領たる緋雪の慌てっぷりが、心底不可解にしか思えないのであった。
そうしている間にも、各地に散った魔将たちからの”念話”が飛び込んでくる。
『こちら衛星軌道上の斑鳩。空間振動波によって星そのものか衛星が破壊される危険がありますので、すべて指向性の次元断層斬で対消滅を実行中です』
『我だ。十三魔将軍の牙門だ。大気の乱れが半端ではない。ドラゴン級ならともかく、このままだと矮小な生物はひとたまりもない状態である。全体はとりあえずなんとか宥めるが、細かなとこまでは調節できぬだろう。台風やら竜巻やらが発生するのは致し方なし』
『あ~~っ、たく。しょうがねえな。そっちの方はこの《ハヌマーン》 白夜様がなんとかしてやるぜ。疾風よりも速く駆け巡る、久々に俺様の電光石火の全速力だ!』
『よろしいでしょうか、姫? 《七禍星獣》筆頭の〈観察者〉周参でございます』
伝法で用件だけ伝えてくる《十三魔将軍》と違って、比較的真面目に挨拶から入るのが《七禍星獣》であった。
「どうかしたかい?」
『――はっ。案の定、人族の中でも感受性の強い者たちや野の魔獣、もともと野生の勘や調和に優れた〈獣人族〉や〈妖精族〉を中心とした亜人族が、天地の異変に気付いて、かなりの動揺や……場所によってはパニックになっているようです』
「あ~~、まあ状況がわからないとそうなるか」
悪い予想はしていたけれど、それが当たって状況が悪化していると聞いて、結果的に後手に回った緋雪は思いっきり顔をしかめる。
なお、こうしている間にも真紅帝国内はもとより、大陸――否、世界中から絶え間なく『念話』はこの玉座の間に集約され、緋雪と側近たちの間を行き交っているが、大半は割とどうでもいい内容なので、ほとんどが聞き流されていた。
『大将っ、超スペシャルグレートカイザー肉マシマシ豚骨ラーメン。プラス炒飯オリュンポス盛り、スペシャル座布団餃子、いずれも2000人前! 追加の注文来ました!!』
『うおおおおおおおおお~~っ!!! てめーら、ここが正念場だぞ! 本家「豚骨ラーメン」の名にかけて、30分以内に出前できねえと、スープの出汁にしてやるぞっ!!』
『『『『『おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』』』』』
『炒飯火力足りないよ、何やってるの!』
『玉座の間から至急”飲み物”を500人前持ってくるようにと指示がありましたわ! 姫様専属侍女部隊の名にかけて、準備は良くて!?』
『バターチキン仕込み完了!』
『キーマも本格的に羊肉を使って出来上がってます!』
『パラクパニールOK!』『サンバルいつでも行けます!』『ココナッツミルクたっぷりのグリーンも完璧です』『姫様のお好きなマッサマンも山盛りです』『レッドもイエローも仕込みは終わっています!』
『念のために鳥肉のムルギと白身魚のマチリも準備しておきました』『パリップとワアンバトゥモージュもです!』『ダル』『アル・べンタ・タルカリ』『ソトアヤム』『ナシカリ』『ラクサ』『フィッシュヘッド』『ケタムマサラマ』『イカンマサラマ』『クメール』『ウエッターヒン』『本場イギリスのチキンティッカマサラ!』『ドイツのソーセージ入りカリーヴルスト』
『『『『『すべて完了です!!!』』』』』
『姫様が仰せになりました、「カレーは飲み物だよ」と。――では皆さん、玉座の間に運び込みますわよ! 姫様が首を長くされてお待ちになっていることでしょう』
『『『『『おおおおおおおおおおおおおっっ!!!!!』』』』』
「……あっちもこっちも戦場だねぇ」
相手の気合が入りまくっているせいか、一部混線して入ってきた『念話』を受信して、思わず慨嘆する緋雪に向かって、
『とりあえず比較的会話が通じる〈獣人族〉や〈妖精族〉には、《七禍星獣》の〈麒麟〉五運と五雲、それと〈鬼眼僧正〉九重を派遣し、自然の維持・回復には双樹殿に、魔獣相手には壱岐殿と〈翼虎〉蔵肆が出張っております』
淡々と現在の状況を知らせてくる周参。
「番外の壱岐と双樹まで第一線に復帰か。マジで臨戦態勢というか、総力戦だねぇ。突然のことで皆には悪いけど、何とか持ちこたえてくれると助かるって、皆には伝えておくれ。周参」
『御意。それと僭越ながら、感知能力の低い人族に現状を伝達するべく、《七禍星獣》の〈天女〉七夕が、「幻力幻像」にて、現在の状況を大都市圏の上空に中継しております』
それに応じるかのように、グラウィオール帝国帝都コンワルリス、クレス自由連邦首都ウィリデ、リビティウム皇国央都シレントなど、主要な国々の人口密集地上空をスクリーンにして、視界すべてを覆わんばかりに巨大な映像がいままさに映し出されていた。
映っているのはジルとストラウスの戦いの趨勢である。
『時差の関係で夜間、寝入っている者たちには〈白澤〉の陸奥が夢という形で見せ、その他、中小の町村にはこの映像を〈雲外鏡〉八朔が、『鏡面結界』で中継しております』
まさに全世界が注目しているということであった。
「勝手に見世物になってるってわかったら、ジルに後でこっぴどく怒られそうだな……」
給仕されたバターチキンカレーを頬張りながら、ぼやいた緋雪に向かって、
「姫様っ! 上空で全体の管理をなさっている天涯様、並びに重力異常の修正中の〈アザゼル〉出雲様、並びに海流の調整中であった〈リバイアサン〉久遠様から非常事態発生と、同時に緊急連絡が入っております!」
情報の統制・解析を行っていた《十三魔将軍》情報参謀、〈蜘蛛女神〉始織の緊迫した叫びが響く。
◆ ◆ ◆ ◆
大海原を悠々と泳ぐ巨影――という言葉すら生ぬるい、小島どころかちょっとした小国にも匹敵する鯨とも龍ともつかぬ魔物――真紅王国においても最大級である《十三魔将軍》〈リバイアサン〉久遠が、荒れ狂う海流を悠々と操作していた。
いかな巨体とは言え茫漠たる大海原すべてを掌握しきるなど埒外の事柄であるが、それを成し得るのが《十三魔将軍》なのである。
お陰で本来なら沿岸部どころか大陸の半分が津波に呑み込まれるところを、ほぼ普段と変わりないレベルまで凪いだ状態に安定していた。
「ふむ……まあこんなもんかのぉ……久々に窮屈な思いをしないで済むのは重畳じゃが、やはり人界の海は儂には少々魔素が薄すぎて物足りんのお……うん?」
そこでふと、特定地域の海底に異常があることに気付いて、のほほーんと寛いでいた久遠の眼差しが鋭くなる。
「これは……まさか――天涯! 斑鳩! 出雲! かつて沈めた暗黒大陸のある海底に異常な圧力がかかっておる。このままではマズいぞっ!」
久遠の警告に、呼ばれた三者――真紅王国の誇る『円卓の魔将』の中でも、五本の指に入るとされるトップ中のトップたちが、すでに事態を掌握していたのか、慌てた風もなく『念話』を返してきた。
『こちらは出雲、該当箇所の重力場の異常を感知――すでに該当ポイント周囲に”重力場結界”を多重に張り巡らせてあるので、たとえ惑星破壊クラスの攻撃を喰らっても問題ない』
『こちらは斑鳩。観測に依ればマントルの流れもくだんの地点に集中しております。しかしながら、これは異常……というよりも無理に押さえた箇所に、今回の歪みが収束され、自然回復することで本来災害となるエネルギーがほぼ清算されることになりますので、特に問題はないどころか勿怪の幸いでしょう」
結末が見えたせいかサバサバと安堵した口調で応える出雲と斑鳩の両者。
だが、それを聞いた天涯は、不機嫌さを隠そうともせずにひとしきり唸った。
『しかし、それはつまり、140年前に沈めた負の遺産が蘇ることを意味しているのだぞ!』
『はあ……? 原住民が”暗黒大陸”とか呼ぶ、出来損ないの魔物が遺棄された土地のことですか? 《妖獣》だとか《妖獣王》とか名乗っていましたが、あのような出来損ないたち、我らにとってものの数ではないでしょう?』
不機嫌さの理由に見当がつかないらしい出雲が怪訝な思念を放つ。
『違う!!」
即座に言い返す天涯。
『あの大陸が復活するということは、あの慮外者も舞い戻って来るということだ!!』
何のことだとなおさら混乱する出雲とは対照的に、凄まじい情報処理能力を持つ〈ヨグ=ソトース〉斑鳩は速やかに結論に達した。
『ああ、姫様の情人――失礼。お気に入りであった冒険者の「ジョーイ・アランド」とやらを、ドサクサ紛れに暗黒大陸と一緒に封印を施して沈めたのは天涯殿でしたな。いや、ジョーイ・アランドを始末するのが目的で、暗黒大陸の方はとばっちりで沈められたのかも知れませんな』
わずかに茶化すような嘲笑混じりの『念話』で囁かれて、ギリッと天涯は奥歯を嚙み締めるのだった。
思いのほか長くなったので、前後偏に分けて後編はあの彼が再登場。
緋雪との関係までわりと踏み込んで痴話喧嘩します。
なお140年間、重力波でほぼ時間が制止状態のまま、大陸ごと封印されていたので、17~18歳の頃で年齢は止まっています。




