鮮烈なる光の輝きと人間の営み
「歯ァ食いしばれ、このアホたれのいかれポンチがっ!!」
続けざまにブルーノの右拳、左拳によるワンツーがストラトスの顔面を捉えます。
構えもモーションも素人丸出しのパンチですが、さすがは現役冒険者といったところでしょうか、実戦慣れというか喧嘩慣れした動きです。
それを無防備に受けるストラトス。
「……熱い友情ですわね」
男同士が拳で語り合う。青春ドラマの一場面のような成り行きに、コッペリアが完膚なきまで破壊された衝撃で麻痺していた感情の狭間に、ふと浮かんだ感想を私は無意識にそのまま口に出していました。
「人間族の男同士というのは、殴り合いで友情を育むのか?」
こちらも純粋な疑問という口調でプリュイが口を挟みます。
「一般的かどうかはわかりませんけれど、口で話しても通じないなら肉体言語で……という風潮は男性、特に若い男子に多いかと」
「ふん、まるで酔っ払った(つまり平常運転の)洞矮族のような野蛮さだな」
隣で聞いていたアシミが侮蔑も隠さずに鼻を鳴らして言い放ちました。
「いえ、まあ子供自体が希少な妖精族では珍しいかも知れませんが、黒妖精族の子供同士では、案外似たような喧嘩を行っていますよ。さすがに女子同士では殴り合いの喧嘩とはなりませんが、そのあたりは人間族も同じですよね?」
一言補足を加えてくれたノワさんに同意を求められた私は、
「ええ、もちろんですわ。淑女たるものが一対一とか、素手での殴り合いなんてするわけありませんもの♡」
在りし日の昔(約三十年前)、私に化けたイライザさんと素手でどつきあいをした過去が、脳裏でパノラマ映像のように赤裸々に再生されましたけれど、当然そんなことをおくびにも出さず――この場で余計なことをバラしそうなコッペリアが亡き者になっていることを、「よかったぁ」と密かに安堵した私は聖女としてどうなんだろう? と自省・自戒しましたけれど――殊勝な態度を心がけて頷いたのでした。
もっとも女性はか弱いので淑女たれ――というのは旧弊な価値観であり、こっち側……というか、地球世界でもアングロサクソン系などの女性は、出産したその日に平気で歩いて帰るほど丈夫であり(筋肉と骨格違うのでしょう。日本人の妊婦ならそれこそ命がけで数日は消耗し尽くして動けませんもの)、私の見た限り一般的な人間族は、それ以上に丈夫で体力もあるので、男性相手でも結構殴り合いでいい勝負ができると踏んでいるのですが。
ともあれ、空手に限らず徒手空拳で相手の顔面を狙う場合は(競技空手で顔面狙いは反則ですが)、顔面そのものを狙うと威力が十全に徹らないので、頭のすぐ後ろに風船があると考えて、その風船を割る要領で突きを放つのが肝要です。
でないと十全に力が徹らない……と、ブラントミュラー家の家令にして最強傭兵団。国土を持たない傭兵国家とも畏れられる《偉大なる薔薇の騎士団》の元副団長で〈鬼神〉と呼ばれた生きる伝説。
さらには戦闘技能者の最高峰である〈獣王〉の称号を持つひとり(獣人族以外では唯一)である、ロイドさんも近接戦闘術の初っ端でレクチャーしてくれた基本中の基本ですが、ブルーノの場合はそんなことを考えずに目の前のストラトスの顔しか見えていないようでした。
なおまったくの余談ですが、現在ロイドさんの伝手を頼りに《偉大なる薔薇の騎士団》がそっくり丸ごと、【闇の森】の入植後に創られる予定の国家騎士団になる気はないかと打診中だったりします。
いまのところ幹部は賛否両論で、現団長は既存の騎士団への編入ではなく、まったくのゼロから七面倒臭い上下関係や、既得権益なしの横並びで国家騎士となることにかなり前向きだとか。
私としては吉報を期待したいところですが……。
「……何の真似だ?」
輩相手ならともかく、当然そんなパンチでは〈神子〉に蚊ほどのダメージを与えることもできず、訝し気な表情でブルーノを見下ろすストラトス。
以前のセラヴィであれば身長百七十五セルメルトほどで、ほぼブルーノと同じくらいの背丈でしたけれど、神子と一体化している現在はそれよりも目算で二十セルメルトは身長が伸び、それにともなって体格も向上し、百八十セルメルト後半はあるルークよりもさらに一回り大きいでしょう。
「根性入れ直してやってるんだよ、この馬鹿っ!」
激情とともに放たれたブルーノの追撃を、軽く上げた右手の親指と中指とで受け止め、
「――くっ!」
咄嗟に拳を引き戻そうとしたブルーノの判断を無駄な抵抗とばかり、ストラトスはまるで子供が指先でアリンコを潰すかのように、一瞬で摘まんだ拳を握り潰しました。
「ぐああああああああっ!」
「ブルーノッ!?!」
地面に落ちた熟柿のようにぐちゃぐちゃになった右手を左手で押さえて(出血死しないように、太い血管を押さえているのはさすがプロ冒険者です)、絶叫するブルーノとその凄惨な有様に顔色を変えて駆け寄ろうとするエレンを、
「やめろ」
「迂闊な動きは危険です」
プリュイとノワさんとで必死に押しとどめていますが、もともと小柄で非力な妖精族と黒妖精族のふたり――いえ、エレンも同程度の体躯ではあるの――ですが、火事場の馬鹿力を出したエレンを押さえきれないようです。
ついにふたりを振りほどいたエレンが無我夢中でブルーノの元へ駆け付けようとした寸前、
「あた――っ!?」
いつの間にか足元にいた大根に足を引っかけられて、もんどりうって前のめりに倒れた背中に、すかさずシャトンが跳び乗って逆エビ固めを極めました。
「放して! ブルーノの馬鹿が――!!」
「とりあえず落ち着くまでこのまま安全圏にいるにゃ」
地面を叩いて拘束から逃れようとするエレンですが、シャトンは慣れた様子で完全に相手の動きを封じています。
さて、そんな外野の騒ぎなどどこ吹く風で、
「下郎が、神に拳を振うなど天に唾するが如き不敬だと知るがいい」
地面に蹲るブルーノ首を一撃で刎ねるべく、まったく感情を動かさずにストラトスが手刀を放ちました。
手刀なのはわざわざ《真神威剣》を使うまでもない小物という認識なのでしょう。
いずれにしてもあの膂力を伴った身体能力で振るわれた手刀を受けては、人間の首など葦の穂を刈るよりも容易く両断されるのは必至です。
「「「「危ない(いかん)っ!!!」」」」
そうはさせじと両者の間に割って入ったのは、私、ルーク、バルトロメイ、アシミの四人でした。
「「「ぬっ……くうううう……」」」
ルークの聖剣メルギトゥルとバルトロメイの巨斧、アシミの真銀製の細剣が三重に交差してどうにか手刀の一撃を防御できましたが、三対一の鍔迫り合いの体勢ですらストラトスにはまだ余裕があるように見て取れます。
私はと言えばその間に『光翼の神杖』を手にして、ブルーノの治癒に専念していました。
「これは――親指以外の指が吹っ飛んでいるので治癒では間に合わないわね。『再生』をかけないと、生涯不具が残ってしまいますわ」
思ったよりも重傷なのを確認して、即座に『治癒』ではなく治癒術と精霊術の混成術『再生』を選択します。
「“慈しみの光よ。うたかたの時の流れを照らし、在りし日の姿へと戻したまえ”――“再生”」
ほどなく逆転映像を眺めるかのように、ブルーノの右手に骨が付き、腱が伴い、血管、筋肉、皮といった順番で再生していき、傷ひとつない右手が戻りました。
「痛ててて……って、痛みもない。スゲーな、魔法みたいだ」
目を丸くして元通りになった右手をグーパー開いて具合を確かめるブルーノ。
その他意のない感想に、意外なことにストラトスが興味をひかれたようで、小気味良い調子で軽く唇の端を持ち上げました。
「……魔法か。魔術とはあくまでこの世界の法則に従った『術』でしかないのに対して、魔法とは『法』すなわち法則の変更、書き換えであり、それはすなわち『世界』の領域の話である。〈聖女〉クララ――いや、シルティアーナと呼ぶべきか? お前のそれは確かに“魔術”を逸脱して“魔法”の域に入っている。すなわち私と同じ“変革者”である」
「ふざけんじゃないわよ!」
「いつも真っ直ぐなジルとグレたお前とが同じわけねーだろうっ!」
間髪入れずに、逆エビ固めをかけられたままのエレンと、傷が癒えたばかりのブルーノの反発の声が上がります。
しかしストラトスは涼しい顔で――その間もルークたちとの膠着状態を維持したまま――淡々と持論を開陳するのでした。
「正義と悪。光と闇。しかしながらこれらは方向性が違うだけで、本質的には同じものである。貴様たち俗物には私はさぞかし相容れない敵対者に映ることだろう。或いは本来の道を外れた変節漢、裏切者か? しかしながら思い出すがいい、自分にとって受け入れ難い非道も、他人は選択することもある……そんな事例にはごまんと出会ったこともあるであろう。つまるところ個々人の価値観が違うだけで、そこに絶対的な正邪の区別があるわけではない。正義の反対は悪ではなく、また別の正義なのである」
その言葉と同時にストラトスの全身から放たれた強力極まりない魔力波動によって、至近距離にいたルークが数メルト撥ね飛ばされ、どうにかたたらを踏んで地面に着地しました。どうやら聖剣によってある程度衝撃波を切り裂いたようで、その余波の影響でしょう。
対照的に地力で劣るアシミはものの見事に十数メルト吹き飛ばされ、ついでに愛用の細剣もバラバラにされて、【闇の森】の頑丈極まりない巨木に叩きつけられて力なく落下し(見たところ骨折までは行っていないようですが)、完全に意識を失っているようです。
どうにかその場に踏ん張って耐えられたのはバルトロメイだけですが、明らかにストラトスを警戒して、自ら距離を置いて対峙しています。
私はと言えばこの勢いに乗じて、魔術障壁を張ってブルーノに肩を貸して後方へ避難しました。
「くそっ……あん畜生、調子に乗りやがって!」
圧倒的な実力差を目の当たりにして、悔し気に治ったばかりの右手を握りしめて震えるブルーノ。
えーと、男の子がこういう風に屈辱に打ち震える時って、どうやって励ませばいいのかしら? 確かコッペリアの話だと――。
「大丈夫? 平気? オッパイもむ?」
そう言った途端、この場にいたほぼ全員が一斉に私を注目するのでした。
あら? 何か選択肢を間違えたかしら?




