サラマンダーの顛末と【闇の森】の主
「最初から成功している人間なんかいるかい! あたしにしろジルにしろ、どれだけの辛酸をなめ、どんだけきつい日々を送ってきたと思っているんだい!!」
と、私の人生における苦労の八割方を担っているであろう元凶が、いろいろと棚に上げて啖呵を切っていますけれど余計な嘴をはさむと、確実に矛先が私の方へ向かってくること請け合いですので、ここは適当に話を合わせて無言でウンウン頷いておくことにします。
……大人になるってこういうことなのね。
微妙なやるせなさを感じながら、完全に他人事というスタンスでテーブルの上の食料をせっせと折詰にしまいながら、いつでも逃げられる体勢を取っているシャトンへと視線を巡らせます。
「なんですかにゃ、聖女サマ?」
「いえ、そういえばセラヴィのサラマンダーってどうなっているのかしらと思って。確かシャトンが管理しているのよね?」
「あー、あんな焼肉と石炭しか喰わない餌代のかかる騎獣なんぞ、とっくの昔に物好きな金持ちに売っぱらったに決まっていますにゃ」
悪びれることなくいけしゃあしゃあと言い放つシャトン。
思わずセラヴィ=ストラウスの表情を窺ってみますが、聞こえたはずですけど動じた風もなく、超然とした風情でこの場に集った一同の去就を見守っています。
「維持費って……私の方でセラヴィの代わりに一括で一年分、維持費は立て替えておいたはずですけど?」
言うまでもなく騎士の鎧や装備、馬などは騎士団が用意するものではなく、個人が取り揃えるものです。一般的に八歳ごろから十二歳ごろまで騎士の身の回りの世話をする小姓として仕え、その後推薦を受けて騎士になるわけですが――つまり貴族である以上、騎士であることが前提になります。大名だろうが御家人だろうが、まずもってサムライなのが当然という理屈ですわね――その際に、鎧や馬を用意するのが当然という不文律があります。
ありますが諸般の都合で用意できない者たちもいます。
まあ、安い鎧と剣でもちょっとした家が買えるほどの値段がしますし(ま、これは「先祖代々の由緒ある~~」で代用できますが)、それより大変なのが馬に限らず騎獣(なお、庶民向けの廉価な騎鳥はカウントされません。ロバに乗ったドン・キホーテ扱いされる覚悟があれば別ですけど)を保持することです。
なにしろ軍馬といえば高級車並みの値段と、それ以上の維持費(飼い葉とか水、専用の厩舎と馬丁が必要ですし)がかかる金食い虫ですから。
そのあたりの課題がクリアできなくて、下級貴族の次男、三男は泣く泣く騎士への道のりを諦めて十四~十五歳で『盾持ち』とも呼ばれる従騎士になったりします。冒険者登録が十三歳からなのは、そこらへんの受け皿としての側面もあるから……といった裏事情、以前仄聞したものです(そういう騎士崩れがまた冒険者の中で幅を利かせるのですから、世の中いいようにできていると言うべきか、救いようがないと言うべきか微妙なところですわね)。
ちなみにユニス法国は国内に占める神殿領と貴族領の割合が八:二と圧倒的なため(普通は逆です)、司祭(正式な神官)もしくはその部下である助祭(司祭の補助をする立場の人間で、教団では聖職者とは見なされません。シスターもこれに当たります)が管理者として領地を治めていますが、そうした場合でも馬や従者を連れた聖職者は他国における騎士爵のように扱いが丁重になります。
まあ、中身の伴わない選民思考ではありますが、それで多少なりともハッタリが利かせられるのならばと思って、セラヴィがいない間も――この世界、騎竜の類はいわば軍用車両であり、値段も入手も大変な手間とコネが必要です。そのために――騎竜の中でも特に希少なサラマンダーを手放すことがないよう、戻ってきた時にも安心なように手を打っておいたつもりだったのですが、シャトンの中では重要度は非常に低かったようで、物の見事に――現実にも――流されていたことが判明しました。
「いや~、セラヴィ司祭。どーせもう戻ってこないと思っていたし、戻ってきたのはいいけどもう見た目からして別人なので問題ないにゃ」
「大問題ですわ! 約束とか契約とかを何だと思っているのですの!!」
この世界の契約の概念がどんぶり勘定なのは理解していますが、お金だけ着服しておいて肝心の現物を横流しするとは、商人……というかそれ以前の人間としての倫理にもとる問題でしょう!
と、憤ったものの「倫理? え、それ儲かるんでっか?」と、私の脳裏でシャトンの上司である行商人さんが、なんら精神的痛痒を覚えずに真顔で問い返す姿が浮かんで、いろいろと虚しくなりました。
「……そうよね。あの商人さんの薫陶を受けているのですものね……」
女の友情って軽くて壊れやすいって本当なのね。
「気のせいか、あたしもの凄く心外な評価をされたような確信を得たにゃ」
嘆息する私の言葉に、心外そうな顔で色違いの目を細めるシャトンでした。
「――ふむ、サラマンダーか。いまさら必要ないし、必要と判断したなら金でも力づくでも手に入れるので気にする必要はない。そもそも買えるものなら買えばいいだけのことだろう。気にする意味がわからないな」
私たちのやり取りを聞いていたセラヴィ=ストラウスが本気で不思議そうに首を傾げます。
「大事にしていたサラマンダーですわよ? 代わりが手に入るにしても、思い入れとかありませんの?」
あまりにも情を逸した言い様に、思わず非難じみた口調でそう詰問します。
次の飼い主が大事にしてくれるのならまだ救われますが、典型的な貴族や上流階級の人間は、主食は基本的に肉! であり、それも味とか眼中になく“珍しい肉”であればあるだけステータスがあるという、信仰にも似た思い込みがありますから、下手をすればどこぞの晩餐会の目玉になっている可能性もあるというのに……。
「いまの私にとってモノにしろ金にしろ権力にしろ、必要であればいつでも手に入れられる程度のものになり下がった。ただそれだけのことだ」
虚勢でも嫌味でもなく、単なる事実の羅列としてそう口にするセラヴィ=ストラウス。
「ゆえに気にする必要などない、ジル。むしろ一方的に施されることのみじめさと重圧から解放されて、いまの私はかつてない清々しい気分なのだ」
「……別に一方的に施していたつもりはありませんけれど。強いて言うなら友情とか、助け合いとか、特に意識しない気持ちで――」
なにか曲解されているようなので、いちおう抗弁しておきます。
「……それが恵まれた者の無意識の傲慢不遜というものだな」
どうでもいいとばかり涼しい顔で肩をすくめるセラヴィ=ストラウス。
「よーするに負け犬の妬みですよ。まともに聞く必要ありません、クララ様」
こちらはこちらで相手の主張を一言で集約して歯牙にもかけないコッペリアが、私の耳元でささやきかけます。
「…………」
とことん相互理解は難しそうですわね。
そう思いながら私は密かに仲間たちの現状を軽く一瞥します。
ルークは健常な状態に戻ったようですけれど、聖剣で神剣の相手をするのはいささか力不足なのは否めません。
ヘル公女は相変わらず深手のようでこちらはイレアナさんともども無理はさせられませんし、バルトロメイも後方に下がって牽制していますが、いまだに傷は癒えないようです。
いちおう治癒術は施してありますが、緋雪お姉様曰く、
『真紅帝国の国民はHPが馬鹿みたいに高いからねえ。回復させるには治癒術を相当連打しないと追いつかないよ』
とのことで、現状どの程度私としても治癒術を連発すればいいのか不明ですし、そもそもあの《真神威剣》の一撃で元の木阿弥にある公算が高いため、とりあえず“ 自動治癒”を施術して、経過を眺めている段階です。
他に竜人族のグロスとシアのふたりは、相変わらずセラヴィ=ストラウスに完全に委縮して使いものになりませんし、妖精族のプリュイとアシミ、黒妖精族のノアさんも、精霊たちの異変に狼狽えた様子で落ち着きがないので、こちらも戦力外といったところでしょう。
「――言うまでもなく、神の子にして《神聖精霊族》を母に持つこの身があるところ、精霊は伏して我が意のままになる」
わずかな視線の動きで私の内心を読んだのでしょう。セラヴィ=ストラウスがもののついでとばかりに付け加えます。
「神に匹敵する力。精霊を意のままに支配し、さらには地上にあって最強の存在であった五大龍王を斃してそのすべてをこの身に受け入れた私は至高の存在へとあいなった。もはや縛るものも恐れるものも何もない」
五大龍王壊滅の話。ここにきて真相が明らかになりましたけど、確かに龍王クラスを斃せるとなれば他に該当者はいないでしょう。
「スペック自慢は負けフラグなんですけどねえ」
絶対の自信をのぞかせるセラヴィ=ストラウスに対して、コッペリアが肩をすくめて嘲るように言い返しました。
と、それに合わせるかのように、突如として晴天の空に稲光が奔ったかと思うと、耳をつんざくような咆哮とともに、
「――おおおおおおっ、天涯様っ!」
バルトロメイの驚嘆の叫びとともに、巨大な黄金色の龍が稲妻をまとって天空から舞い降りてきたのでした。
【闇の森】の主にして緋雪お姉様の最強の守護者である《黄金龍王》の顕現です。
「……来たか。天の龍王よ」
セラヴィ=ストラウスが担いでいた《真神威剣》を構えるのと同時に、天地がひっくり返ったかのような轟雷が彼目掛けてピンポイントで降り注ぎ、
「――っっっ!?!」
咄嗟に魔術障壁を張った私ですら半ば吹っ飛ばされる形で、気が付けば天空を仰ぎ見る形で地面に背中から倒れていました。
そうして見上げた空の上では、雷を絶え間なく放つ《黄金龍王》に対抗して、自在に天空を高速移動するセラヴィ=ストラウスの斬撃が、確実にダメージを与え続け……どれほど時間が経ったことでしょうか。
ほんの数分にも思えましたが、ひょっとすると数時間経過したのかも知れません。
全身の傷に加えて、《真神威剣》による致命傷を負った《黄金龍王》が、絶叫しながら大地に叩きつけられる……途中で光の粒子になって消えていく――伝説に謳われる【闇の森】の主が、明確に敗北を喫するという信じがたい光景を目の当たりにしたのでした。
四凶天王クラスは、宇宙か戦闘用の亜空間でないと本気を出せないので(地上だと惑星を壊すか生物を皆殺しにしてしまうため)、無茶苦茶制限付きの戦闘になりますので。




