ストラウスの暗躍と白刃の舞い
「今の世で『万能霊薬』を複数個所持しているのは、私か超帝国の関係者のみ。貴様、何者だ?」
ひらりと半歩離れた場所にあった多頭蛇の別の頭部に跳び退り、不信感丸出しで問いかけるアチャコに対して、黒騎士は手にした長剣を鞘に収めて敵意がないことを示してから、慇懃に胸元に手を当てて騎士の礼をしました。
「私は‟黒騎士”。ストラウス殿の客将です」
見たままの自己紹介をする黒騎士。なお、『黒騎士』というのは騎士版の‟匿名希望”に相当する傭兵や雇われ騎士の名乗りですので、この場合アチャコに対しても正体をはぐらかしていることになります。
そんな黒騎士の名乗りに不快感をあらわにするアチャコ。
「ストラウスの? 私は知らないぞ、貴様のこともそんな話も」
「親離れしたということでしょう。目を離すと子供というものはあっという間に成長するものです。まったくもって感慨深いことに――」
そうしみじみと語りながら、なぜか私の方を向く黒騎士。
対して不快気に舌打ちをしたアチャコですが、それ以上踏み込んで聞くこともなく続いて猜疑に満ちた視線を私に向けて寄こしました。
「それと、二代目聖女がシルティアーナであるといういまの話も本当か?」
「ええ。大方あの白猫の獣人族が言ったことで相違ございません。実際に指示したシモネッタの自白と、実行した影法師の言質も得ております。――まったく、私にまで事実を隠匿していたとは、どこまでも食えん奴よ……」
そう首肯しつつ、なにやら仮面の下でブツブツと呟く黒騎士。
「――チッ。とんだ茶番だな。本物のシルティアーナの前で、偽物をこれ見よがしに誇示して正統性を主張するなど。まるで道化ではないか!」
ひとしきり憤慨してから、なぜかその怒りの矛先が私へと向けられます。
「まあいい。逆にこの状況は僥倖とも言える。本物のシルティアーナである聖女とこの場にいる全員を消してしまえば、真実は闇の中に葬れ、かつ目の上の瘤も取れるというものだ」
「なに勝手言ってるのよ! アンタみたいな年増の蛇オバサンにジル様が負けるわけないじゃない!!」
アチャコの身勝手な目論見に対して、離れた場所に退避しつつもエレンが大声で煽り立てました。
他の仲間もうんうんと頷いて――特に『オバサン』の部分で――同意していますが、他の皆さんはともかく人造人間であるコッペリアと、妖精族であるプリュイと黒妖精族であるノワさんは、見た目はともかく自分たちの実年齢は棚に上げているような気もしますが……。
無力な小娘の戯言などいちいち目くじらを立てていられないとばかり――とはいえ額に青筋を二、三本立てながら――無視して、アチャコはいま自分が立っている蛇の頭をやや斜め上に移動させ、最初に自分が立っていた大蛇の頭の上に立ったままの黒騎士を見下ろし、
「それで……いささか不明な点はあるものの、つまり貴様は私の味方ということだな?」
そう聞かれた黒騎士は、はぐらかすように顎の下に手をやって首を傾げました。
「さて? ストラウス殿とは同盟関係にありますが、あくまで対等なもの。単純に敵とか味方とか言えるものではありませんし、そもそも口で言っても信じないでしょう?」
「その通りだ。そして私の味方でないなら敵ということ――死ねっ!」
言い切ると同時に、アチャコは左の中指に嵌めていた『収納の指輪』から、なんというか……『中世ふぁんたじー風マスケット銃』とでも呼びたくなるようなデザインの長銃を取り出して、銃口を黒騎士に向けるや否や、躊躇いなく引き金を引くのでした。
パーン! という破裂したかのような轟音。
ですが――。
「「なっ……見えない!?」」
発砲の際の音と反動、硝煙は確かに確認できたのですが、肝心の弾丸が私とコッペリアの目をもってしても見えません。
ぶっちゃけこの世界で銃があまり発達していない原因は、魔物に対して大したダメージを与えられないことと、ある程度の戦巧者になるとある程度の距離があれば、平気で弾丸程度視認してから反応できるので、結果的に銃というものは『ちょっと威力のある投石器』(しかも高価で壊れやすい)程度の認識だからなのが大きいからです。
ここで重要なのは『ある程度の距離があれば』と但し書きが必要なところで。さすがに今回のように三~四メルトしか間合いがない場合は、見てから避けることは不可能――ましてやアチャコの発射した弾丸は、私はともかく感覚器に優れたコッペリアをもってしても確認できないものです。
「あ~っ! あれがあたしを撃った銃ですにゃ!!」
一拍遅れてシャトンの戦慄と恐怖の入り混じった叫び声が上がりました。
と、同時に黒騎士の後方で床が二カ所、同時に弾かれたように小穴が開きます。
「……馬鹿な。『不可視の弾丸』を切った、だと……?」
銃を構えたまま愕然と目を見開くアチャコに対して、いつ抜いたのか白刃をさらした長剣を手に、へらへらとした口調で黒騎士が大仰に肩をすくめて、
「不可視と言っても、来る方向とタイミングが分かれば対応するのに苦はありませんな」
と、事もなげに答えるのでした。
「そ、そんなことができるわけがない! 那由多の刹那とはいえ『不可視の弾丸』は『撃って心臓を貫く』という未来を先取りした‟結果”を引き起こす神器だぞ!? それを撃ってから過去に遡って斬るなどできるわけはない!!」
「……まあ確かに。いまの説明が確かなら、その性質上トリガーが引かれた瞬間、寸瞬とはいえ過去に遡って『銃を撃って心臓を貫いた』という結果が現在に付随して現象化されるわけですから、過去を改竄しない限り不可逆な現象なはず。ましてや斬るなんて不可能ですね」
逆切れするアチャコの尻馬に乗ったわけでもないでしょうが、困惑する私たちにコッペリアが噛んで含めるように補足を加えてくれました。
「要するにいきなりぶん殴ってから、『いまから殴るぞ』と言うようなインチキ兵器というわけですわね。ならば先に避けるとか、結構抜け道もありそうな気がしますわね」
「……??? いやまあ、平たく言うとそうですけど、普通は無理ですよ。人間は未来は変えられても過去は変えられませんから。クララ様を唯一の例外として」
ま、確かに私なら時の精霊の欠片を使って寸瞬程度なら過去に干渉することもできるかも知れませんし、そもそも心臓を撃ち抜かれた程度なら自力で――意識がなくなるまでの数分の間に取り急ぎ『EX治癒』で急場をしのいで、次に『大快癒』で完璧に――治せるので、多分あの『不可視の弾丸』とやらは私には通用しないと思います。
「そうかしら? 未来が変えられるのなら、『過去は変わらない』という常識や結果を変えることも可能ではありませんこと?」
「え? いや……あれ? なんですかその矛盾のパラドックスは?!」
私の屁理屈にコッペリアが目を白黒させます。
一方、そんな矛盾を事もなげに成し遂げた黒騎士は飄々とした態度を崩すことなくアチャコに言い含めるのでした。
「ともかく計画が破綻した以上、この場からさっさと退去するようストラウス殿から言付けを預かっております。『私の後ろ盾が万全でない以上、貴女は組織にとってまだ必要な人間なので、短慮を起こさずに速やかに撤収するように』とのことですな」
母親に対する思いやりの欠片もない業務連絡を受けて、アチャコの苛立ちが増したように思われます。
「巫山戯るな! ここまでコケにされて何もせずにいられるか!! ――ムシュマフっ!」
怒りの魔力波動に応えて、七つの首を持つ多頭蛇――ムシュマフだったようです――がにわかに活性化して、全身をくねらせて、相変わらず齧りついていたフィーアを弾き飛ばし、頭の上に鎮座していた黒騎士を跳ねのけ、空中に逃れた彼目掛けて、一斉に七本の首から粘度がありそうな液体を噴霧し始めました。
「――あれって絶対に毒液ですわよね」
ムシュマフといえば血液まで毒として有名ですもの。
「“大いなる息吹よ、此の病魔を打ち払え”――“回復”」
こちらにも余波で降り注ぐ毒液の雨から身を守るため、念のために仲間全員に魔力障壁を施し、万一にも霧状になった毒液を吸っている可能性もあるので、ついでに解毒もしておきました。
事のついでにラナを抱えているルナにもかけておきます。
さて、そんな毒液の息吹(×七)をもろに受けることになった黒騎士ですが、
「ふむ、雨だれと違って粘度が高いので斬りやすいですな」
信じられないことに長剣一本で向かい来る息吹を切り裂いています。
剣閃が速すぎてまったく追いつけませんが、黒騎士の手前に半球型の障壁があるかの如く、毒液が蹴散らされて、時たま白刃が翻るのが微かに窺えます。
魔力の類は一切感じませんので、おそらくは剣技のみで対応しているのだとは思いますが、正直言って神技どころか、(剣技のみにおいては)神人ですら到達できない領域でしょう。
ぶっちゃけ私には無理です。
「滝を切れ」とか言われて、緋雪お姉様に流れる滝を切る修行をさせられたので、水自体は切ることはできますが、これはもはやレベルが違います。
おまけに時たまアチャコが毒液に紛れて『不可視の弾丸』で狙撃しているのを、片手間で対応するという塩梅で、アチャコに明らかに焦りの色が濃くなってきています。
「おお~、世の中は広いですね。シモン卿みたいな人間が他にもいるとは」
黒騎士の凄まじい剣技に誰もが絶句している中、コッペリアが妙に懐かし気な感想を口に出しました。
「シモン卿? オーランシュ辺境伯のことですか?! どういうことですの?」
「言葉通りの意味ですが? シモン卿の剣技は正直言って常軌を逸していましたからね。何なら降り注ぐ雨粒を鼻歌交じりに全部切ってみせたくらいで、当時のクララ様をして本気での対決となったら、負けると言わしめた腕前ですよ」
なんだかんだいって私よりもお父様との付き合いの長いコッペリアの言葉ですが、私の記憶にある――また世間の評価も――パッとしない印象からして、にわかには信じられない話です。
「……そんな話聞いたこともないのですが?」
「そうですか? 領内はもとよりリビティウム皇国内でも勝てるどころか、一本当てることすらできる剣士は存在しないと、割と有名な話ですよ」
「それって単に接待試合じゃない?」
普通に考えれば大身の国主相手に本気を出す騎士や剣士はいないでしょう。
「いえいえ、評判を聞いて挑戦してきた腕自慢の、一門を率いる剣匠や剣豪、果ては名にし負う剣神、剣聖などと呼ばれる連中も揃ってコテンパンにされまして……ああ、それで格好悪くて黙殺されたのかも知れませんね。それにシモン卿自身は剣の腕前が立つことに、さほど……どころかハナクソほども意義を見出していなかったようですから、自分から積極的に吹聴することもなかったでしょうし」
う~~ん、確かに為政者としてはあまり必要のない技能かも知れませんけれど。
「じゃあどうしてそんなに強かったのですか? 相当な鍛錬や修行を行っ――」
「してません。ほとんど手慰み……帝王教育の片手間程度の訓練しかしなかったそうです。ああ、思い出しました。クララ様曰く『剣と言うよりも‟斬る”という行為に特化した才能の塊、センスの化け物』だそうです。それで血のにじむ修行を積んだ剣士を圧倒して、『剣の修行に明け暮れるなど時間の無駄だ』と切って捨てましたからねえ。まあ、真面目に修行した連中からしてみれば面白くはないでしょうね」
なるほど、剣一本に何年、何十年と明け暮れた人間が、才能だけの素人にコテンパンに負けて、なおかつ歴史も才能も修行も――もっと言えば剣を握ること、そのものすら無価値と断じられたら、それは確かに二度と関わり合いになりたくはないし、人に話すどころか思い出すのも嫌でしょうね。
それにしてもあのシモン卿が、眼前の黒騎士に勝るとも劣らない剣の達人だったとは、人は見かけによらないどころではありませんわね。
そんな話をしていた私とコッペリアの数メルト先へ、重力に従ってマントを翻しながら黒騎士が降り立ちました。
それからちらりと肩と仮面越しに私たちの方へ視線を向け、
「ふふふ、懐かしい思い出を語るじゃないか、コッペリア。そしてMy beloved daughter」
そう肩を揺すりながら、愉し気に私たちに向かって言い放ちました。
「「――はあ……???」」
そう呼びかけられた私とコッペリアの口から、同時に「バカも休み休み言え」という不審と、「おまえは何を言っているんだ」という疑問を多分に含んだニュアンスの、思いっきり尻上がりの言葉が発せられたのは言うまでもありません。




