姫君たちの策謀と元凶たちの蠢動
「やはりジル殿の与り知らぬ話か……」
そんな私の慌てぶりを前にして、安堵と憂鬱が半々といった調子でリーゼロッテ王女が独り言ちます。
「初耳ですわっ。そもそも【闇の森】を、たとえ帝国の軍隊であっても他国の武装勢力が足を踏み入れることなど、私が許しても超帝国の番人が許可するわけがありません!」
「そっすね。クララ様ならまだるっこしい有象無象の集団を使うよりも、直接出向いて攻撃魔術を叩き込んだほうが手っ取り早いですし、仮にどーしても肉壁を使うのでしたら、補助魔術をしこたまかけて肉体の限界以上に強化しまくった上で、その場で死んでも生き返らせるゾンビアタックを敢行するでしょうからね」
私の主張にコッペリアがしたり顔で口を挟みました。
擁護しているつもりかも知れませんが、額面通りに受け止めると、私がとんでもない脳筋の鬼畜と言われているも同然な気がするのですが……?
「うむ、そうであろう」
私が反論する前に、同感とばかりリーゼロッテ王女が即座に頷いて納得されました。信頼の証なのかも知れませんが、これはこれで釈然としませんわね。
「ジル殿の性格と能力を身近に知っている者であれば、そこは疑いのない事実であるのだが」
少しは疑ってください。
「忌憚のない話をさせてもらえば、各国の首脳陣ですら、『単独で〈不死者の王〉を斃した』『〈真龍〉を軽くひねる』『伝説の魔獣を滅ぼした』『黒妖精族と洞矮族の戦争では天候すら変えた』『邪神の妄執を晴らして【闇の森】を開放した』といった実力と業績を、話半分……どころか、聖女の箔をつけるため話を盛ってる嘘くさい宣伝として、まともにとらえておらぬからのぉ」
すべて事実というか、まだまだ過小評価なのだが、と嘆息されるリーゼロッテ王女。
「ほほぅ、そんな状況なのですか。クララ様、なら百聞は一見に如かずで、ゲスの勘繰り連中の国を攻め落としてみせましょう! でもって瓦礫の中でとどめを刺す前に、『どんな気分? ねえねえどんな気分?』と、やったら痛快でしょうね。なぁに、人類なんざ大陸中に二十億人はいるんですから、数パーセント削っても大した問題ではありませんよ。所詮は誤差のうちです」
「大問題ですわ‼ 第一それもう聖女の所業じゃありませんわよね⁉」
「じゃあいっそ【闇の森】のクララ様王国民以外は全部ぶっ殺して、後腐れないように大陸を統治しませんか? 超帝国のチビ聖女は『君臨すれども統治せず』を明言しているわけですから、娘も同然のクララ様が分業で統治のほうを担っても文句言いませんよ、アレは」
「よりハイレベルの暴論を平然と教唆しないでください!」
思わずソファの肘掛けを握った拳で叩いてしまいました。
気のせいか、メキッと何かが砕けそうな音がしたような気もしますが、多分気のせいでしょう。
そんな私たちのやり取りを眺めながら、
「気持ちはわかるが、できれば堅忍してもらえるとありがたい」
やんわりと自制を促すリーゼロッテ王女。なお、ルークは控えていた侍従を呼んで、情報の確認を急がせています。
「そこで話は戻るのであるが、現在苦境に立たされているパッツィー妃が、シレント……というよりもリビティウム皇国全体にジェラルド殿を謀反人として取り扱い、速やかな鎮圧とビートン伯爵領への救援。それと、グラウィオール帝国の侵略行為を糾弾するよう要請をしてきた。で、これにエロイーズ殿も迎合している。――ま、次は我が身だけに、尻に火が付いて慌てておるのだろうが」
このまま座視すればなし崩しにジェラルド殿の王位継承を認めたことになると焦っておるのだろうが、帝国が噛んだ時点で事態はそれどころではないのだがなぁ……と、零されるリーゼロッテ王女でした。
「つまり、グラウィオール帝国が今回のオーランシュの騒乱に乗じて、火事場泥棒的にリビティウム皇国へ侵略を行った事実の確認と、それを私が黙認……どころか、ルークとなあなあの関係で手助けしたのではないかと疑われて、その確認のために気心の知れたリーゼロッテ様がお見えになられたというわけですか?」
私の問いかけに若干躊躇しながら、リーゼロッテ王女が首を横に振られます。
「いや、シレント央国の基本的な方針としては、聖女教団――正確には〈聖王女〉様にお出まし願って、オーランシュとの和平交渉にあたっていただきたい……というものであるが、先刻の懸念からジル殿への疑念を抱く不心得者が門閥貴族の一部にいて、これを説得できる材料を求めに来たというのが、妾の率直な目的なのだが」
ああなるほど、数は少なくても得てして反対派って声だけは大きいものですものね。
「とはいえ、いますぐにどうこうはできませんわよ……?」
なにしろたった今、事実関係を知ったばかりなのですから。
「承知しておる。一応、十日間ほど聖都に滞在する予定でいるので、その間に何らかの進展があることを願う」
「たったの十日ですか⁉」
話を聞いていたルークが声を張り上げますが、リーゼロッテ王女はすべて織り込み済みという顔で頷かれるばかりです。
「それだけ逼迫している情勢ということで、皆様にはご容赦願いたい。これでもギリギリ捻出できた日数でありまして」
「……その期間に反論できる材料が見つけられなかった場合は?」
「大手を振って手ぶらで帰らせていただこう」
当然の懸念を示すルークに、いっそ朗らかに言い放つリーゼロッテ王女。
「やってもいないことの証拠を示せと、畏れ多くも〈聖王女〉様に悪魔の証明を強要する馬鹿どもには、『何もなかった。なおも疑うのであれば破門覚悟で直談判するように』と言い含めるのみ。……ふん。外野でギャーギャー喚くことはできても、本気で国教である聖女教団と、いまや大陸四大国に匹敵する領土を保有し、同時に絶大な名声を博すジル殿と事を構えられる度胸――いや、蛮勇か――のある者などおらぬよ」
そもそもジル殿を敵に回すということは、大病や瀕死の重傷、そして何よりも聖女の聖女たる『蘇生術』を受けられないのと同義であるということで、小物ほど自分の命を大事にするものであるからできるわけがない、と続けられました。
ちなみに私の『蘇生術』――正式には『完全蘇生』というらしいですが――は、二十四時間以内であれば、寿命以外の要因で死亡されたかたはほぼ百%。それ以後は本人の生命力と時間の経過に従って等加速度的に蘇生率が下がって、半月ほどでほぼゼロ%に至ります。
この結果を伝えた時には、先代聖女である緋雪様が、
「私でさえ三十分以内という制限があるのに、なんて無茶苦茶な能力なんだ!!?」
と、愕然とされていらっしゃいました。どうもセオリーから外れた効果が発揮できてしまったようですが、その代わり反動も凄くて、ひとり蘇生させると半日は起き上がることができないほど消耗するので、そう簡単に連発できないのがつらいところです(まあ、それでも亡くなられると世界的に問題がある要人や王族など、何人かには乞われて施術しましたが、生き返った本人も周りもまるで神の奇蹟に立ち会ったかのように狂喜乱舞をしていたので、悪い気はしません)。
「なるほど。そしてオーランシュの兄弟喧嘩の顛末を聞いて、心優しい〈聖王女〉が義憤に駆られ――いえ、胸を痛められて、率先して調停に乗り出すという筋書きですか」
感心したようなコッペリアの合の手に、リーゼロッテ王女は無言のままニヤリと微妙にあくどい笑みを浮かべます。
「策士ですわね。ですが、はい。色々とケリをつけて出発するとなると、十日ほどが最適でしょうね」
私もリーゼロッテ王女の悪だくみを承知した上で、それに乗ることを即決しました。
「ジルっ、今回は帝国も絡んで状況が入り組んだままです。不確定要素が多すぎて危険です。軽々に動くべきではないのではないですか?」
相変わらず心配性なルークですが、私の考えはちょっと違いますわね。
「とはいえ現場に出向けば予想外の事態に遭遇するのが常ですし、下手に対応策を練っても、意表を突かれる可能性が往々にしてあり得る――というか、そればっかりでしたもの。ならば変に策を練らないで、いつも通り臨機応変に対応するほうが得策ではないでしょうか?」
「そっすね。真面目な奴がマジになればなるほど、『こんなはずじゃなかった』『こんなのは想定していない』って、ドツボにはまるのが目に見えるようですからね」
「いや……まあ、そうかも知れませんけれど……」
私とコッペリアの経験をもとにした反論に、ルークが渋々同意をします。まさに『真面目な人間が振り回されている状況』に、リーゼロッテ王女が含み笑いを浮かべるのでした。
「結論が出たようで何より。とはいえ手土産の一つもないとなると、シレントの沽券にかかわるのでな――このようなものを持参した」
リーゼロッテ王女が合図を送ると、控えていた武官らしい壮年の男性が細長い箱に入った何かを恭しく差し出しました。
受け取ったリーゼロッテ王女が無造作に箱を開けて中身を取り出し、ソファテーブルの上に置きます。
「矢……ですか?」
見たところ漆が塗られた黒塗りの矢のようですが――。
「先日のジェラルド殿とビートン伯爵軍との戦いの最中、【闇の森】から現れた伏兵が放った矢の現物をお持ちした」
「‼ よくこの短時間で確保できたものですね……」
感心と呆れが混じったルークの言葉に、
「そこは〝蛇の道は蛇〟というやつである。――ま、多少高い買い物になったが」
しれっと答えられるリーゼロッテ王女。最後に付け加えられた台詞を聞いた私の脳裏で、黒髪の行商人さんが揉み手している情景が脈絡もなく浮かびました。
「ともあれこれをどう見る?」
促されて矢を手に取るルーク。
「帝国の正規軍で使っている矢ではありませんね。形状からしてクロスボウではなく短弓のようですが、全体的にやや短いですね」
「ところがこれが報告によれば二百メルトの距離から、正確に射抜かれたらしい」
「二百っ⁉ 普通なら百でも届くかどうかなのに!?!」
唖然とするルークの手から私も問題の矢を受け取って、子細に確認をします。
「……妖精族が使う矢に酷似していますわね。微かに風の精霊力の痕跡を感じます。おそらく風の精霊の力を借りて、飛距離と命中率を向上させたのでしょうね」
「妖精族の精霊魔術か! 確かにあの近辺には妖精族の集落があるが、しかし……」
亜人に多くの知己を持つ私に配慮してか、言葉を濁すリーゼロッテ王女に代わって、私自身が言葉のあとを引き継ぎます。
「妖精族が敵対する理由がありません。まあ、私がお願いして助力を乞えば妖精王様も邪険にはされないと思いますし、妖精族が【闇の森】を通過して世界樹詣でをすること自体公認していますので、彼らであれば不意を突くことも可能ですが」
「しかし、ジル殿は関知していないのであろう?」
「もちろんです。あくまで可能性の話ですわ。幸い城下町にその妖精族の集落出身の友人が二名いますので、ふたりに確認すれば真偽のほどがわかると思います。それまでこの矢はお借りしても?」
そう問いかけると間髪容れずにリーゼロッテ王女は首肯されました。
「当然である。それはお譲りするので、じっくりと検証に回すことを希望いたす」
そんなことで、多少なりとも情報が集まり次第、リーゼロッテ王女に報告――可能であれば協議に参加する――ことを約束して、この場での会合はお開きとすることにしました。
別れ際、ふとリーゼロッテ王女が私の胸元を見て、小首を傾げます。
「ところで、首元のネックレスが常に装着していた品と違うようであるが、何か理由でもあるのでありますか? それもなるほど悪くはない品であるが、以前のものに比べるとジル殿にはいささか地味で物足りぬような気がするのであるが?」
さすがに目敏いですわね。女子は男子と違って同性に対するチェックポイントが違うと聞いたことがありますけれど、装備品の価値や瑕疵へのチェックに余念がありませんわ。
ルークなど言われてみれば……という顔で、いまさら気が付いたようですし。
「以前のアレですけれど……」
『喪神の負の遺産』内部で気絶している間に取り上げられて、返してもらえないまま空間ごとフィーアが丸ごと呑み込んで、結果的に永久に消えたわけですが、説明すると長くなりそうなので要点だけ端的に説明しました。
「私の不注意で失くしてそのままですわ」
なにもないと寂しいので、適当なネックレスを見繕って付けていますが。
「「――なっ……!?!」」
途端、血相を変えるリーゼロッテ王女とルークのふたり。
「あれほどの逸品を!? いつどこで……!!?」
「大切にしていたものではないのですか! 僕の指輪どころの騒ぎではないでしょう‼ なぜ言って下さらなかったのです⁉」
そう言われても結局は私の不注意ですからねえ。
「仕方ありませんわ」
肩をすくめる私を、ふたりが釈然としない表情で見据えていました。
◇ ◆ ◇
青い光が極光のように降り注ぐ茫漠たる空間の中で、重厚な椅子に座っていた蒼い青年の元へ、シルティアーナの侍女頭であるゾエ――に化けた『聖母』こと《神聖妖精族》のアチャコが、音もなく現われた。
「――状況はいかがですか?」
青年の問いかけに、アチャコは口元に笑いの形を浮かべる。
「ふふ。予定通り、どいつもこいつもシナリオ通りに踊ってくれるわ。中原の動乱の際に行き場を失くした黒妖精族の反逆者どもは、〈妖精王〉や〈妖精女王〉すら凌駕する《神聖妖精族》が力を示し、実際に【闇の森】に『妖精の道』を開いてみせたことで、日陰者から一転して妖精族・黒妖精族を統治できる立場に立てるとの戯言を信じて、完全に心酔し恭順をしている」
まあ、しょせんは負け犬。あくまで道具として使い潰すだけだけど、と何の感慨もなく言い放つアチャコ。
「グラウィオール帝国の首尾は?」
「そっちも問題はないわ。例のメンシツ聖王国のファウスト王子……だったかしら? 養母であるミルドレッド女王が病気療養中なのをいいことに、実権を掌握して嬉々としてオーランシュへ派兵してくれたものね。それも『ここでオーランシュを足掛かりに、リビティウム皇国に勝ったという実績を前にすれば、〈聖王女〉とルーカス殿下の婚約を破棄して、帝位継承権第六位の貴方が〈聖王女〉を娶って、次の皇帝になることも俄然現実味を帯びます』という甘言ひとつで踊ってくれたのだから楽なものだわ」
嘲笑を放つアチャコの説明を聞きながら、無言で手を握っていた青年は、「なるほど……」と小さく頷いてから小考をして次なる指示を出した。
「そろそろ次の手を打つべきでしょう。例のアレを投入しましょう。調子のほどは?」
「好調ね。好調過ぎて、いままでと勝手が違って戸惑っているようだけれど、アレの貴方に対する感謝と畏敬の念からくる忠誠は本物だから安心して」
「……そうですか。それではよろしくお願いいたします。シルティアーナを」
頷いたアチャコが踵を返しかけたところで、ふと思い立ったように問いかけた。
「ねえ、いまの貴方は神子ストラウスなの? それともセラヴィ司祭なのかしら?」
「…………」
無言のまま答えない彼を前にして、アチャコはどちらでもいいという顔で軽く肩をすくめてその場をあとにする。
誰もいなくなった青い空間にひとり残った彼が握っていた手を開くと、ふたつの見覚えのある装飾品が現われた。
いずれもジルが片時も離さず身に着けていたネックレスと、ルークから子供の頃贈られたという『水妖精の涙』という石が嵌められた指輪である。
つうーっ、とネックレスを指先でなぞってそこに残った温もりを思い出すかのように目を細める彼。続いて指輪を抓んだ――かと思うと、一瞬瞳の奥に熱情が灯り、その勢いに任せたかのように、指先で軽々と指輪を粉砕するのだった。




