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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第六章 神子姫 那輝[15歳]
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キャンバスの皇女と幻影の塔

 それっきり私と私の話に興味をなくしたかのように、無言で踵を返して描きかけのキャンバスへ戻ろうとされるヴァルファングⅦ世陛下。

 なんというか、さきほどの少女とは別な意味で精彩というか、現実感のない御方です。

 根本的に地に足が付いていないというか、とことん成り行き任せというか……。


「――とてもエイルマー様やルークと血が繋がっているとは思えないわね。やっぱり、レジーナの血筋と性格が影響したのかしら?」


 思わずそうこぼした独り言。

 それのどこに反応したのか、微妙に琴線に触れた表情で、足を止めたヴァルファングⅦ世陛下が振り返られました。


「レジーナ……? いや、エイルマーとルークというのは、我が血族かね?」

「は、はい。エイルマー様は現皇帝マーベル陛下の御嫡男で、ルーク――ルーカス・レオンハルト・アベルはさらにエイルマー様の嫡男にあたります。またマーベル陛下は畏れ多くも第四十五代皇帝オリアーナ女帝陛下の曾孫に当たる正当なるグラウィオール帝国の後継でございます」

「ほう。我が小さなオリアーナは立派に帝国を支えた……いや、我が傾けた屋台骨を立て直して、発展させたと見える。何も残せなかった我だが、あの子のみは我の誇りであるよ」


 そう言って微笑まれたヴァルファングⅦ世陛下の笑顔は、どこまでも透き通っていて泣きたくなるほど優しい父親の顔でした。


 ――ああ、やっぱりこの方はルークと血の繋がった身内なのね。


 この笑みを一生忘れない。もしもこの場にオリアーナ女帝陛下がいらしたら、この笑みを向けられる自分を誇りに思い、どんな苦しいことがあっても心の支えにできるでしょう。

 だからこそ彼女は様々な逆境にも耐えられ苦難を乗り越えられたのだと、いまならわかる。だって私が、かつて出会ったばかりの頃ルークに向けられた笑みと同じですもの。

 そうして抱いた思い……それを目の当たりにして、私の胸は言葉にならない感動で一杯になりました。


「オリアーナ……我が愛し子は幸せな生涯を送ったのかね?」


 ふと、尋ねられた問い掛けに私は直接答えられる言葉を持たずに、思わず口ごもってしまいました。

「えーと……申し訳ございません。私はエイルマー様やルーカス様とは縁あって親しくさせていただきましたが、太祖女帝――オリアーナ女帝陛下とは、直接、お目通りがかなったことがございませんので……」

「ふむ。さもありなん。来孫(らいそん)昆孫こんそん世代であれば、とうに泉下であろう」


 一転して、寂しげに俯くヴァルファングⅦ世陛下ですけど、あら? 先ほども「幸せな生涯を送ったのかね?」と過去形でしたけど、もしかして太祖女帝陛下がもう崩御されたものと勘違いしてらっしゃるのではないかしら?


「あの……オリアーナ女帝陛下はまだご存命でいらっしゃいますけれど?」

「なっ!?! それは誠か!?」


 驚愕と歓喜渦巻く表情で、疾く顔を上げられるヴァルファングⅦ世陛下。


「はい。つい先だってまで一時的に公務にも復帰されていたようで、ルークに聞いた話では百五十歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)とさ……れて……いらっしゃ……る? と伺っております」


 話しているうちに、ふと何かいままで失念していた……パズルのピースは揃っているのに、まさか嵌るわけがないと、先入観から意識の外に置いていたミッシングリンクに、何かがふと触れたような気がしました。


 太祖女帝。

 ヴァルファングⅦ世陛下の面差し。

 白銀色の髪。

 現在、百五十歳を過ぎて矍鑠としている。


 えーと……。


 一方、ヴァルファングⅦ世陛下は憂いの晴れた表情で、

「……そうか。そうであったか。息災であったか。この場に存在する我は、かつての皇帝ヴァルファングⅦ世の残滓。記憶と記録にしか過ぎないが、それでも嬉しく思う。〝満ち足りた”とはこのような気持ちであろうか」

 そう呟くのでした。


「――記録?」

 到底、記録や幻影とは思えない皇帝陛下のお姿を前に、思わず私は瞬きを繰り返して、不敬にもまじまじと注視してしまいました。


「ああその通り。この世界に存在する者と物は、かつて蒼神によって無窮の断片に細分化された記録にしか過ぎぬ。たまたま我は生前の記憶を留めた比較的大きな断片として存在しているに過ぎぬ。ゆえにいま話している我はヴァルファングⅦ世その者ではなく、彼が生きていて存在していた場合、こう話していただろうという可能性のひとつにしか過ぎぬ」


 哀しむでもなく嘆くでもなく、恬淡虚無(てんたんきょむ)とした口調で、そう自らを称されるかつての皇帝陛下。


「――ふむ。だがことによれば必然であったのかも知れぬな。我が我という自覚を持ったのは、どうも君の存在に触発されてのことのような気もする。この世界は乱雑とした記録と記憶の海ではあるが、時たま関連する記憶や記録同士がひとつの形となることもある。この場合は君が親しくしている者たちに我が血族が多く係わってきたことに起因しているといったところであろうな」

「そうなのですか? 私とこの子(フィーア)とは、森の中で長い白銀色の髪に白いドレスをまとわれた、十三歳ほどの姫君に誘われて、この地へ足を踏み入れたのですが……」


 それから順を追って、緋雪(スノウ)様の依頼から、白い少女に導かれてここまで来た経緯を口にすると、

「ほう? だが、我は我以外にそのような存在を認識しておらぬな。そうなると、我ではなく汝に起因するのやも知れぬ」

 そうおっしゃられましたけれど、少なくとも私の記憶にはあのような少女との接点はございません。

 思わず首を傾げる私のもどかし気な表情を前にして、何を思われたのか。

「少々、心当たりがある。待っておれ」


 そう言い残して、ヴァルファングⅦ世陛下は別荘(コテージ)の中へと消えて行きました。

 待つ程なく、額に収まった二枚の油絵を持って戻ってこられた陛下。


「君が森の中で見た少女というのは、この娘ではないかね?」

 そのうちの一枚の肖像画を差し出され、目にしたそこには――

「!! 間違いありません、この方ですわっ!」

 ほのかにほほ笑む白銀の髪にサファイアブルーの瞳。聡明そうでありながら、どこか凛とした佇まいのノーブルな容姿をした少女が、生き生きと描かれていました。


 細部はいまこの瞬間まではっきりと見ていませんでしたけれど、この独特の雰囲気は先ほど森の中で目にした少女とまったくの同一のものです。

 美しくも儚げな姫君ですが、同じ年頃に見える緋雪(スノウ)様が、見る者を釘付けにする真紅の薔薇とするならば、この方は積極的に他者に訴えかける美貌ではなく、ほのかでありながら凛とした気品を持った百合――そういえばと歴史書で習ったオリアーナ女帝陛下の別称を思い出しました――いえ、鈴蘭(すずらん)そのものと言えるでしょう。


「この方は……?」

 ほとんど答えを確信しながら、私はヴァルファングⅦ世陛下へ視線を戻しました。


「我が愛娘オリアーナの肖像画だよ」

「やはり……」


 私は改めてまるで写真のように精緻に描かれた若き日のオリアーナ女帝陛下のお姿を目に焼き付けます。

 親子ということもあって、眼前のヴァルファングⅦ世陛下と面差しが似ていますが、エイルマー様やルークとは目の色と形以外はあまり共通点はありません。ですが、どこか……誰かに非常に似ているような……?

 喉元まで答えが出ているのに、わずかに届かない……小骨が突き刺さった思いで、悩む私の前に重ねて別の風景画が差し出されました。


「これは?」

 高原と鈴蘭の花を描いた優しいタッチの心が清涼になるような風景画――よく見ると遠くに並んで立つ白銀の髪をした父娘の姿が窺えます――を前に、その意図するところを読めずに困惑する私。


「これは我が娘が一番好んで私室に飾っていた絵であるよ。帝都アルゼンタムが壊滅した折、散逸したものを修復して、少々手を加えておいたものだ。これを君に贈ろう」

「なっ――!?」

 思いがけないお言葉に思わず絶句してしまいました。

「そんな恐れ多い! 今日会ったばかりの私などにヴァルファングⅦ世陛下直筆の作品を下賜されるなど……!」


 そんな私の訴えにも関わらず、陛下はさばさばとした表情で、

「ここにあっても無駄になるだけであるからな。それに先ほど我が仍孫(じょうそん)を『ルーク』と愛称で呼んだということは、君は我が直系と親しい間柄であろう?」

「う――!」

 同時にその風景画を手渡されて、思わず反射的に絵を受け取ってしまいました。


「まあ、それほど難しく考えることはない。それに、君が元の世界に戻った際に、機会があれば我が愛し子にその絵を渡してくれないか? 父は永久(とこしえ)に君を愛している。なるべくゆっくりと天上へ来るように……とね」


 冗談めかせてそう言われては、必要以上に固辞するのもかえって不敬というものでしょう。


「わかりました。では、いつかオリアーナ陛下にお目通りがかないました際には、この絵とヴァルファングⅦ世陛下の御言葉をお伝えいたします」

 一礼をして、私はその絵を腰の後ろにあるポーチ型の亜空間収納バックへしまい込みました。

 この空間で機能するのか、そもそもここにある品物をもちだせるのか、はなはだ疑問でしたけれど、見た感じは普通に機能しているようです。


「――ふむ。では我は絵の続きに取り掛かろう。息災でな」

 もう用は済んだとばかり、淡々と踵を返されたヴァルファングⅦ世陛下ですが、完全に背を向ける寸前、

「そういえば君は蒼神の足跡を追ってきたのだったな? それならば、あの塔へ向かうと良い」

 そう言って指さす先には、いつの間にやら天を突くような巨大な塔が、森の中に聳え立っていました。


「そんな!? さっきまではあんなものは影も形もなかったのに――!?!」

 思わず絶句する私に向かって、ヴァルファングⅦ世陛下は超然とした口調で、

「言ったであろう。ここでは記憶と記録が結び付くと。アレはかつて存在した蒼神の塔――その残滓だ。いま我と君が接触したことに端を発して、あれもまた姿を現したのだろう」

「では、あれこそが目的地というわけですのね?」

「そうであろうな。行くがよい」


 促されて、私はヴァルファングⅦ世陛下へ退居の挨拶をして、眼前に聳える塔に向かって、大きくなったフィーアに乗って向かいます。


「さらばだ。我が愛し子の――」

 ふと森へ入る一瞬、ヴァルファングⅦ世陛下の送別の御言葉に振り返ると、手にされたオリアーナ陛下の肖像画に向かって、何か語りかけているお姿が木々の合間に見えた気がしました。

書籍版『リビティウム皇国のブタクサ姫』第六巻。9月12日発売予定です。

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