後夜祭の夜と突然の告白
今宵は、月がきれいだった。
銀板のような満月が雲ひとつない満天の夜空に浮かび上がり、冴え冴えとした光を放っている。俺は中庭の中央にある噴水の縁へ背中を預け、制服の肘を乗せて、ゆらゆらと揺れる水面に映る銀影を眺めながら、慌しかった今日一日の騒ぎと祭りの余韻とに感慨深く浸っていた。
『それでは栄えあるミス皇華祭である“プリンセス”に入場していただきましょう。オーケーオーケー! 騒がない騒がない。もうわかっているね!? おう、その通り!! 下馬評通りほとんどの分野で圧倒的なプリンセス・パワーを発揮して、蓋を開けてみれば一度も他の追随を許さなかった、プリンセス・オブ・プリンセス! 我らが誇る愛しの巫女姫様、ミス・ジュリア・フォルトゥーナ・クレールヒェン・グラウィス嬢だーーーーっ!!!』
後夜祭とあって残っているのは学園生と一部の関係者だけだが、それでも怒涛のような歓声が沸き起こる中、清楚な純白のイブニングドレスをまとったジルが、恥じらいながらも満面の笑みで中庭に設えられた野外会場へと姿を現した。
その超絶な美貌の前では、学生が用意した安物のティアラも国宝のように輝いている。
『続いてミスター皇華祭“プリンス”だが、こちらはなんと同率一位で真っ二つに票が分かれる結果となってしまいました。皇華祭始まって以来の椿事だ!』
途端、不穏な囁きが随所で始まり、カーペットの上を歩いていたジルも困惑した表情で歩みを止めた。
『――で、双方の話し合いの結果、一方の当事者であるヴィオラ様が棄権される意思を表明され、もう一方が“プリンス”と認められました! ――そこっ。先に名前を口に出さない! けどまあ、もう予想はついていいるね。その通~りっ。この方なら“プリンセス”のエスコート役として文句なし! 押しも押されもしない王子様! この組み合わせは皇華祭の伝統に残る――否、後にも先にもないであろう空前絶後、唯一にして不滅。不滅の光芒を放つ金字塔! このカップルのために皇華祭が存在したといっても過言ではない。そうです、ルーカス・レオンハルト・アベル殿下ですっっっ!!!』
その瞬間、先ほどよりも一際大きな拍手と歓声、野卑な口笛の音が一斉に夜の帳を打ち砕く。
ジルからみて反対側の出入り口から、こちらも純白のタキシードを着たルークが、こちらは晴れがましい表情を浮かべ、うっとりするほど優しい眼差しを反対側で待つジルへと注いだ。
やがて歩みを進めたふたりは、それが当然であるかのように合流して、ルークのエスコートのもと手と手を取って舞台の中央へと進み出てきた。
それと同時に待機していた学園のOB・OGによって構成されている楽団が、ダンスのための曲を演奏し始める。
『では、皇華祭の最後を締めくくるダンスパーティーの開始だ! まずはプリンセス、プリンスの踊りにご注目ください!!』
言われるまでもなく、ふたりとも水を得た魚のように、優雅に……ため息が出るほど甘く美しいダンスを披露するのだった。
後夜祭の華であるダンスパーティが始まってどのくらい経っただろうか。
相変わらず噴水に寄りかかって、たまにメイド役の女子生徒(多分、平民なのだろう)が通りかかるのを捕まえて、ワイングラスに入ったワインをちびちびやりながら、漂ってくるパーティー会場のざわめきと楽団の演奏、色とりどりのドレスやレースによって大輪の花が咲いたようなダンス会場。傍らで披露される隠し芸による喝采の声を肴にして、何杯目かのグラスを空けていた俺は、いい加減手持ち無沙汰になったのを自覚して、さてどうするかなと考えた。
(せっかくのタダ酒、タダ飯なのでここで夕飯の分を食って行っちまうか。けど、酒はともかく飯の方は反対側だしなぁ……)
立食形式で、各自が好きなように摘まめるようにと、サンドイッチからウミガメ丸ごと一匹を使ったご馳走、若鳩のパイ、野鳥の肉団子、各種プディング、デザートにアイスクリームまで揃っているが、ありつこうと思うと華やかな会場の貴族たちが群れている領域を通らなければならない。
それも面倒なので、このまま酒だけ飲んで、すきっ腹を抱えて帰って寝ちまおうか……そう、半ば覚悟を決めたところへ、大きな銀のトレーを抱えたメイドが通りかかった。
「――ん? ずいぶんと隅っこで黄昏てるわね、愚民」
「……お前か、コッペリア」
メイドとは思えない傲岸不遜な態度で接してくる、見た目十六~十七歳の人造人間の憎まれ口にげんなりと返す俺だけど、心地よい余韻と静寂が破られたのが不快なのと同じくらい、思いがけずに安堵している自分を自覚して驚いた。
どうやら会場の空気に当てられて、俺としたことが人恋しい気持ちになっていたらしい。
(……やっぱ似合わないな。さっさと退散するに限るか)
この場から立ち去ろうと腰を浮かせかけた俺だけど、その機先を制する形で眉をしかめたコッペリアが、傍らに転がっている空のシャンパングラスやワイングラスを手早く回収し始めて、代わりに美味そうな匂いを放つ料理を並べ始めた。
サーモンのマリネにハムと卵のサンドイッチ、鳥腿肉のローストにウズラのパイ、焼きブレッド・プディングにチーズに焼き菓子、ついでに飲み物に酒ではなくてミルクのコップが添えられる。
「ふっ、神童などと呼ばれても所詮は無知な愚民ね。ろくすっぽ食事も食べずにアルコールばかり摂取するのは健康と成長を阻害することも知らないとは。とはいえ他に何の能もない愚民が体を悪くしたら本気で使い道がないんで、格別の慈悲をもってこれでも食べて健康の維持増進を図るように情けをかけてやるわ」
文句を言おうにも鼻腔をくすぐる匂いに抗し切れず、俺は無言のままコッペリアの好意(?)に甘えることにした。
一口食べたら後は歯止めがかからず、無我夢中で手掴みのままご馳走を掻き込む。
そんな俺の様子を鼻白んだような表情で見ていたコッペリアだが、
「……品のない。まあだけど愚民にしては今回は頑張った方。ラナぽんも喜んでいたし、クララ様も安堵されておられた。今後もコンスタントにこの程度はできるようになればいいんだけど、まあ一層の精進を期待するわ」
最後のチーズを食べてミルクを飲み干したところで、そんなことを付け加えた。
料理を持ってきたことといい、食べ終わるまで待っていたことといい、もしかして……まさかとは思うけど、手放しで俺の事を褒めているんじゃないかな、こいつ!?
思わず、まじまじとコッペリアの文字通り人形のように整った顔を凝視したところ、「――へっ」と、こちらの心中を察したかのように鼻で笑われた。……うん。気のせいだった。
「おーい、セラヴィくーん!」
と、そこへ子犬のように駆け寄ってきたのは、同じ寮で同室のエリアスである。
「こんなところにいたのかい? 君のことだからもう寮に帰っちゃったかと思ったよ」
実はいま帰ろうと思っていたんだ、と口には出さずに無言で軽く肩をすくめてどうとでも取れるような曖昧な反応で応えて見せた。
「そういうお前は誰か探していたみたいだけど……ああ、例の幼馴染を誘ってダンスでもするつもりでいたのか?」
ふと思いついてそう冷やかすと、エリアスは笑顔のままその場に凝固して、そのままハラハラと落涙するのだった。
周囲の喧騒を他所に静寂が落ちたこの場所の中、エリアスの存在などミジンコほども眼中に入れていないコッペリアが、カチャカチャと傍らの食器を片付けている音だけが響く。
「あー……悪かった。いろいろと俺が無神経だった。すまん」
思いがけずに祭り気分で浮ついていたのか、それとも意外とさっきの酒が効いているのか、らしくもない失言だったのに気付いて、俺は素直に詫びた。
「あー、いや、いいんだよ。そういう運命なんだ……初恋は実らないって言うし……ね」
肩を落としながらも健気に笑うエリアスの何気ない一言が、なぜか胸に突き刺さった。
『初恋は実らないって言うしね』――子供の頃の思い出の少女ではない。なぜかいまのジルの顔が浮かぶ。
そんな内心など知る由もないエリアスは空元気を出して、あはははっ……と笑いながら、
「……まあでも、どうせ失恋するなら、格好悪くても告白してから玉砕したかったなぁ」
「ん……ああ、そうだな。いっそ今からでも気持ちを伝えてくれば良いんじゃないか?」
なぜか自然とそんな言葉がこぼれていた。
「そ、そんなことはできないよ! アナベルの気持ちはもうわかったんだし、その上で僕の気持ちを押し付けるなんて、ただ自己満足なだけじゃないか。アナベルが困るだけだよ!」
とんでもないとばかりに両手を振るエリアス。
こいつ、へたれかと思いきや意外と男気があるんだな、とその言い訳を聞いて感心してしまった。
「そ、それよりも――」
いつまでもここにいると、その話題を蒸し返されると危惧したのか(その気はもうないんだけど)、エリアスは周囲を見回して早口で尋ねる。
「寮長を探しているんだけど見当たらないんだ。どこにいったのか誰も知らないみたいだし、セラヴィ君は見てないかな?」
「――っ!?!」
途端、脳裏に甦ったのはアレク――アレックス・フォーサイトの人畜無害そうな笑顔と、学園の厩舎の一室で〈神聖妖精族〉を名乗った女に絶対の忠誠を誓って、怒りに任せてラナを殺そうとした醜い素顔だった。
そのラナは今回の殊勲賞ということで、かわるがわるやってきる見知らぬ相手に褒められ、撫でられ、食べきれない料理を与えられて困惑しているのが、人の輪の向こう側に透かし見える。
両手一杯に抱えた食料にふらついて、倒れそうになった……ところを、間一髪で支えたのは見るものを圧迫させる、巨大な魔導甲冑――ブタクサ姫だった。って、あの甲冑が自発的な行動を起こしたところなんて始めて見たぞ。
ラナのほうは恐れ気もなくぺこぺこ頭を下げて、魔導甲冑のほうは何かもの言いたげに突っ立ている。……もしかして、知り合いなのか? と思ったところへ、お互いの関係者であるメイド服を着たこちらはエレンと、あっちはゾエとかいうオーランシェ家のメイド長がやってきて、簡単に一言二言挨拶をして引っ張っていった。
「……さて。アレクはどこに行ったのやら。俺にはわからないな」
そんな光景を眺めながら、俺は端的にそう答えるしかなかった。
「そっかー。ごめんよ邪魔して。じゃ」
気にした素振りもなく踵を返すエリアス。
『多分、もうアレクは戻ってこないと思うぞ――』
その背中にそう言いかけて……せん無いことと思い直して止めた。アレクにしろあの〈神聖妖精族〉の女にしろ、とっくに俺たちの手の届かない遠くに逃げていることだろう。
そう物思いに耽りかけたところで、ふと視線を感じて見れば、コッペリアが空いた皿やグラスを乗せたトレーを片手で抱えた姿勢のまま、黙然と俺の横顔を眺めている。
「……なんだよ?」
「“アレク”とかの話題が出た瞬間に脈拍と発汗量が一気に増大して、呼吸にも乱れが生じたのを確認したので、脳卒中か何かでポックリ逝くのかとスタンバイしていただけなので、気にしないように」
「――ふん。余計なお世話だ。いまは平常値に戻っているだろう?」
「まあね。ま、愚民がストレス溜めようが隠し事をしようが自由だけど、クララ様の不利益になる嘘だけは看過できないので、そのつもりで肝に銘じるように。つーか、いつか殺すので」
当然のように殺害予告をするコッペリア。隠し事をしているのに気付いているのか? こいつ惚けているのか鋭いのか、いまいち掴みどころがないよなぁ……。
と、思って密かに舌を巻いていたところへ、ちょうど話題の人物――この後夜祭の主役が、屈託のない笑顔でやってきた。
「あら、セラヴィ。こんなところにいたの? せっかくなので、貴方も踊れはいいのに」
シンプルなドレスが何よりも似合う。宵闇の中にあってすら、鮮烈に光り輝くような絶世の美貌のお姫様ジルが、周囲の目を気にすることなく真っ直ぐに俺のようへと向かってくる。
「……生憎とダンスに誘うパートナーもいないし、それにこの格好じゃなあ」
いつもの一張羅である古着の制服の袖を引っ張ってみせる。
制服も正装の一種ではあるので、ギリギリこの場でも浮いていないが、積極的にダンスを楽しもうと思う連中は、この日のために気張った衣装を用意しておくのが普通だ。
俺みたいな貧乏神官は、こうして会場の片隅でご馳走や酒のご相伴に預かるのがデフォルトってものさ。
そう答えると、ジルはいつもののほほーんとした笑顔のまま小首を傾げて、
「学生のお祭りを楽しむのですから、別に問題ないと思いますけれど? それに最初の頃はともかく、途中からは一般の学生も羽目を外して、ダンスに参加していますわ。かく言う私も制服の男子生徒何人かに誘われて一曲付き合いましたし」
でも、さすがに踊りっ放しで疲れたので、ちょっとおサボりしにきちゃいました。と、悪戯っぽく笑いながら、躊躇なく俺の隣へ来て噴水の壁に腰を下ろすジル。
冴さ冴えとした月の光に照らされて、輝く水面を背景にしたその姿は、まるでお伽噺の一節を切り取って絵にしたような、この世のものとも思えないほど幻想的な光景だった。
「クララ様、何かお召し上がりになりますか? それともお飲み物を用意いたしますか?」
通りかかった学園の女子生徒が扮するメイドに、邪魔な食器やグラスが満載されたトレーを、ほとんど無理やり押し付けて手すきになった本職のメイドが、ジルの隣に侍って尋ねる。
「……う~ん? では何か飲み物を――お茶があればお願いできるかしら?」
「お任せください。ちょうど煎れ立ての青茶――金萱茶が手元にございます」
「金萱? ああ、烏龍茶の種類ね。丁度いいわ」
もはや突っ込みを入れる気にもならない手際で、コッペリアはナプキンを広げてどこからともなく取り出した茶器一式と茶葉、沸騰したケトルでお茶を煎れ始めた。
「……ふう。美味しいわ」
満足そうに小さなカップでお茶を飲んでいるジル。
「――どうかされましたの、セラヴィ? さきほどからずっと私の顔をご覧になっているようですが?」
そう怪訝な表情をされたところで、やっと俺は自分がそんな一連の様子をずっと見惚れていたことに気付いて狼狽した。
「な、なんでもない。ただ、その……今日は月が綺麗だと思っただけさ」
思わずそんな馬鹿なことを口走っていた。
何が「月がきれい」だ、そんなの「今日はいい天気ですね」と変わらないじゃないか!
気の利いた台詞のひとつも言えない自分に自己嫌悪……しかけた俺だったけれど、ふと、ジルの様子がおかしな事に気付いた。
なぜか頬を真っ赤に染めて、無言で恥らっている。
「――あー、その、俺、なんか変なことを喋ったか?」
ついそう尋ねると、
「いえ、そういうわけでは。私が勝手に意識しただけで……本当に気にしないでください!」
なぜか泡を食って必死にもたついている。
「? そう言われると尚更気になるんだけど……」
思いっきり怪訝な視線を向けると、ジルは「う~~……」と呻いていたが、観念した表情で視線を外して、小さく囁くように答えてくれた。
「……えーと、その、遠い異国で翻訳された小説の中で、男性が女性に『貴女を愛しています』という文言を翻訳者が『月が綺麗ですね』と表現を変えたのです。それ以来、その国では『月が綺麗ですね』という言葉は、『貴女を愛しています』という意味の暗喩になったわけですの」
ああ、なるほど恥らうわけだ。
「済みません。ちょっとお祭り気分でおかしな事を考えてしまっただけ……ですので。セラヴィにそんな意図がないことは重々承知していますから」
「いやそんなことはない」
必死に否定して誤魔化そうとするジルの姿を見ていたら、俺の心の中のタガが一本どころか二十~三十本まとめて吹き飛んだ。
酒のせいかも知れない。色々あって興奮しているのかもしれない。直前にあったエリアスとの会話がきっかけになったのかも知れない。それとも、満月の魔力によるものかも知れない。
とにかくも、俺は気付いた時には口に出していた。
「俺はジル、お前が好きだ! 友達としてとかじゃなくて、男としてお前を愛している。誰にも渡したくない。たとえ相手が帝国の皇子様であっても、この気持ちは揺るがない!」
そう思いの丈を告白した。
「――それは僕も同じだよ」
と、茫然としているジルの背後から、決然とした表情の色男――帝国の直系帝孫にして、ジルの婚約者を自認するルーカス……ルークが静かに歩み寄ってきた。
おそらくはジルの姿が見えないのを心配して探しに来たのだろう。
ジルは気付かなかったみたいだけれど、コッペリアは気付いていて、俺が告白しようとした……その空気を察して、口を開きかけたその動きを制していたのはわかっている。
そのルークも、真っ直ぐにジルを見据えてはっきりと口に出した。
「この僕、ルーカス・レオンハルト・アベルはジル、貴女を愛しています。ずっと貴女だけを見て、貴女だけを愛していました。この気持ちは誰にも負けませんっ!!」
互いの視線が空中で激突する。
で、肝心のジルはといえば、混乱の極みの中、
「……これは考えるのをやめた顔ですねー」
思いっきり目と口を丸く見開いた埴輪と化しているようで、様子を確認したコッペリアが一言コメントした。
ジルは状態異常にかかった!
>毒
>麻痺
>沈黙
>暗闇
>混乱
>石化
>はわわっ
次回より新章開始です。
いよいよ、あの方との直接対面となります!
「ふっふっふっ、ついに私のこの仮面を脱ぐときがきたようだ……」
「まあ、誰かしら? わくわくっ!」
乞うご期待!
◎新紀元社モーニングスターブックスより書籍化予定の
『王子の取巻きAは悪役令嬢の味方です』もよろしくお願いいたします。




