仁者無敵の姫君と校舎裏の邂逅
次の競技に備えて、選ばれた強者……もとい、プリンセス候補たちが思い思いに闘技場の隅で柔軟運動をしたり、気炎を上げたり、大きな石をウエイト代わりに投げたり持ち上げたりと事前準備に余念がありません。
前の競技……というか、現在進行形で行われている人数制限なしの『学園全域スプーン宝探し』に、各組とも出せるだけの人数を裂いているためか、この場に残っているプリンセス候補たちは必要最低限のようですが、
「――気のせいかしら? いまいる他のプリンセス候補の皆さんが、えーと……非常に、その圧倒される体躯をした、強靭――健全な肉体美の皆さんのような気がするのですけれど……?」
私も割りと女子としては長身の部類ですが、その私でさえ見上げなければ目を合わせられない巨漢女子(「漢」は男なので矛盾していますけれど)がゴロゴロいます。
軽く眺めただけでも、ニメルトクラスの骨太で鍛えられた肉体――体操服とブルマという薄着のために、ワイヤーがよじれたような太くて分厚い全身の筋肉や、六パックに分かれた腹筋を剥き出しにした、顎の割れた厳つい風貌の女子(?)たちが、
「こほおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!!」
「ふんっ! ふんっ!!」
「はあああああああああああああーーっ!!!!」
炎のような息を吐き、全身から陽炎のような気迫を纏わせ、ぶんぶんと空気が焦げるような凄まじい迫力で手足を振り回す、そんな光景が目に飛び込んできます。
女子って筋肉がつきにくいのに凄いわね~……と、一瞬だけ現実逃避をしつつ。
我に返ったところで、これって学園最高の淑女であるプリンセスを決める祭典ですわよね!? 場所が闘技場だからといって、いまから殺し合いをするわけではないですよね?! もしかして運営委員会は『女子力』を誤解しているのではありませんの!?!
と、慌てて手元のプログラムを捲って、くびっききで確認をします。
というか、侍女頭のゾエさんがスプーン宝探しで旅に出ているため、ぽつんと立っている鋼鉄の魔導甲冑の人でさえ、周囲に林立している肉の宮に埋没して目立たない状況とか、ちょっと想像の埒外でした。
「――次は二時間後に砲丸投げで、しかも魔術などによる強化は禁止らしいですから、どこも体力に全フリしている選手を投入してきたみたいですね」
私の隣で同じようにプログラムを確認していたエレンが、やれやれと言わんばかりの辟易した口調で補足してくれます。
「……えっ、魔術での強化は駄目なのですか?」
聞いてませんわよ?!
そもそも私って、魔術とか強化なしの素の体力は、いいとこ女子のインターハイレベルですわよ。まして純粋なパワーという点では、或いは普通の女子以下かも知れません。
実際、腕相撲でラナとどっこいくらいですから(ラナは獣人族なので見た目よりは筋力があるとはいえ、エレンより弱い程度です)。
「そう書いてありますね。『僅かでも魔術波動に変動があった時点で失格とする』とのことですね」
「……これ、本当にプリンセスを決める競技なのでしょうか?」
思いっきり疑問の眼差しを流麗な字体で書かれたプログラムに向けます。
そもそもこれまでの競技って、ほとんど鉄人競技か十種競技、いっそ二十種競技と言っても過言ではないほど過酷なイロモノと化しているのですけれど、運営はなにを考えてこんなアストロ競技プログラムを組んだのでしょう?
◆
「真っ当にやったらジルちゃんの圧勝が決まっているから、ここらへんでテコ入れをして一度首位から陥落させる。そして奇跡の逆転劇を見せてこそドラマってものよ!」
他から見えない場所にある貴賓席に座って、部下に露店で買ってこさせた食品の山からヤキソバを取り出して頬張りながら、メイ理事長が楽しげに語っていた。
「……そーかな、周りはジルの圧勝を期待してるんじゃないの? ここで黒星が付いたら、観衆やファンはガッカリすると思うよ。そう、双葉山の連勝が安藝の海に阻止された時のガッカリ感。あれくらいのガッカリだろうねぇ」
こちらは隣の席でタコヤキを頬張って、口の周りを青ノリとソースだらけにした――それでもなお圧倒的な美貌を誇る――黒髪の美少女が唇を尖らせる。
「古っ! 例えが古いわよ」
「――じゃあ思い起こせば、千代の富士の連勝を大乃国が破ったあの時の悲嘆!」
「まだ古い……って、前から思っていたんだけどさ、あんた実は年を誤魔化してない? 背中のチャック開けたら、中におっさんが詰まっていてもあたしは信じられそうよね。それで『姫』とか『聖女』とか詐欺だわ」
「ソ、ソンナコトナイヨ。ワタシ十三サイダカラワカラナーイ」
わざとらしく視線を逸らせて肩をすくめながら、残ったタコヤキをパクパクと摘まむ美少女。
「わざとらしいわね。あ、そうだ」
「もぐもぐ――なに?」
「あんたがいま食べているのって、見た目はタコヤキだけど小麦粉の中身はタコじゃなくて『謎の触手生物』を茹でたものらしいわよ」
「――ぶはっ!!」
◆
純粋な腕力勝負。これはもう、次の競技は捨ててかかるしかないですわね。いまのところ僅差で一位ですが、おそらくは次でどこかに逆転されるでしょう。
そう私は覚悟を決めました。
「まあ、これで逆転されても誰も文句は言わんじゃろう」
「かえって運営が非難されそうですね」
「「わはははははははははははっ!」」
お隣で優雅にアフタヌーンティーを楽しみながら、人の悪い笑顔で笑みを浮かべるリーゼロッテ様とヴィオラのふたり。
ルークも同じように苦笑しています。
と、そこへ――。
「ただいま戻りました、クララ様! いや~っ、ワタシが贋作……もといリスペクトして書いた『クララ様サイン入り』『ヤキソバ』『タコヤキ』はバカ売れでしたね。通常の三倍の値付けでもバカな大衆どもは先を争って買っていくんですから、白猫と豚メイドともども笑いが止まりませんでしたよ。あとついでにサイン色紙に口紅のワンポイントを入れた景品でカモ……もとい、クララ様に忠誠を誓うという信奉者を募集したところ、こちらもどっと増えました! ちなみに口紅はアルバイトのクラウス・ランゲ(アル中無職・五十六歳)が捺したものですから嘘はついていませんよ。ワタシは一言もクララ様当人のものとは言ってませんから。いや~、ホント馬鹿ばっかですね。この学園の男は。ま、せいぜいガチの肉壁……もとい、いざという時の決死隊として使ってやりますよ」
そこへオレンジ色の髪に左右非対称という妙な髪型をした、いつものエプロンドレスにミニスカメイド服を着た鉄人侍女が、山ほどの荷物を両手で抱えたまま軽い足取りで戻ってきました。
ぺらぺら喋っている内容が微妙にアウトのような気がしますけれど、きっと冗談に違いありません。ええ、冗談ですわ。冗談でしょう。冗談ね。冗談に違いない。冗談よ。と五段活用で自分を納得させて、労働から戻ってきたコッペリアの労をねぎらいます。
「ご苦労様です。本当なら私がお手伝いに行きたかったのですけれど、ごめんなさい」
「いえいえ。あのような下賎な者達相手にクララ様のお手を煩わせるなど言語道断です。なーに、この程度の炭水化物を調理するなど、“調理の鉄人”と呼ばれたワタシにとってはお茶の子さいさい夕飯前です」
そう言って胸を張るコッペリア。そうして身動ぎするたびに漂ってくる香ばしいソースの香りは、シャトンの出店でヤキソバを焼いてきた名残と、なぜか両手で抱えているボーリングの玉(?)の上に、各々二十個ばかり積み重ねられた折り詰めが発生源なのでしょう。
「あ、そうそう。帰ってくる途中で運営委員から参考までにということで渡されました。これが次の競技に使う砲丸だそうです。あとこっちは白猫が皆で食べるようにと手土産に寄越した特製ヤキソバです」
その言葉に気を利かせたモニカとエレンが、手分けをしてコッペリアが抱える容器の山を分配して、その場にいた関係者に「よろしければどうぞ」と渡すのでした。
第五競技が始まってすぐに、出店を出しているシャトンから「人手が足りないので、猫の手でもなんでも借りたいにゃ」という懇願があり、急遽コッペリアに助っ人に行ってもらったのですが――うちの面子でお客様に出せるレベルの料理を作れるのは私とモニカ、そしてコッペリアだけで、手が空いていたのはコッペリアだけでした――が、どうやら無事に(?)お務めを果たしたようで一安心です。
「あ、ルーカス殿下と王女様方もおひとつどーぞ。使い捨てのフォークは付属していますので」
さすがにルークやヴィオラ、リーゼロッテ様には遠慮して、モニカとエレンのふたりはヤキソバを渡さなかったのですが、コッペリアはまったく頓着することなく三人にもお裾分けをします。
「――はあ、どうも……? って、なんですかこれ。蠕虫の幼虫の煮付でしょうか?」
「いやいや、それはないです。”ヤキソバ”という炭水化物の塊りです、殿下」
さらっと昆虫食が出てくるあたり、私の知らないここ一年間のルークの食生活が垣間見えるようで、なにげに怖いですわね。
さすがのコッペリアも引き気味で、ナイナイと必死に否定しています。
「ああ、ありがとうマドモアゼル。それにしても、市井にはこんな食べ物もあるとは、あなかなか新鮮だね」
「初めて見るのぉ。これはパスタであるか? おかしな色じゃが、なかなか食欲をそそる匂いじゃの」
普段であれば買い食いなど絶対にできない立場にあるヴィオラとリーゼロッテ様も、ルークが躊躇いなく蓋を開けて中身に手を出したのを見て、好奇心旺盛な表情で、周囲が止めるのも聞かずに早速とばかり蓋を開けて、付いていた木製のフォークで器用にヤキソバを丸めては口に運びます。
毒見もせずにいきなり怪しげな食物を口にする、ある意味破天荒なお姫様方の行動に、お付きの侍従や護衛が青い顔をするので、
「大丈夫ですわ。いざとなれば私がこの場で治癒いたしますので」
そう請け負って、どうにか納得していただきました。
「おおっ、なかなか美味じゃのぉ!」
「う~~ん、ボクはちょっと苦手かな。味が濃すぎる。けど、このソースは他に使えそうだね」
「味が濃いのは労働者向けだからですね。僕もこの一年ジルを探して各地を巡って、各地の名物や庶民の味を堪能して感じたのですが、総じて一食で満腹になるよう味が濃くなる傾向にあるようですね」
ルークも交えてワイワイとジャンクフードを賞味する天上人たち。
ああ、やっぱりルークの味覚がおかしくなったのは私のせいだったのね。今後はしっかりと食生活を管理して、真っ当な舌に戻さなければ!
そう使命感に燃える私の前に、
「ささ、クララ様もどうぞ。ワタシの愛と野心とカロリーがたっぷり詰まった『肉なしヤキソバ』と、『タコ(っぽい触手を持った生き物)ヤキ』です。あと、ついでに今回の生贄……もとい、特別会員名簿になるのでご照覧ください。こいつらならいつでも鉄砲玉に使えるので。いやー、それにしても今回はなかなかの盛況でしたね。やはりブルマーという飛び道具の成果でしょうかね」
そう言いながらコッペリアはずずずーいと、どちらもありがた迷惑の代物――黒い表紙のゲスノートと、ヤキソバ及びタコヤキの折り詰めをひとつずつに差し出してきました。
それから最後に、ボーリングの玉のような砲丸が一個、「どすこい!」と、すぐ隣の芝生の上へ置かれます。
「乾燥重量はざっと二十五キルグーラってところですね。学園内の公式記録だと、女子の場合はこれを約五十メルト飛ばしたのが最長不倒記録だそうです」
「そんなことができる人間とか、それもう攻城兵器も同然ですわよね!?」
記録を出した女子は巨人族かなにかでしょうかでしょうか?
ため息をつきながら、私はとりあえず青色の触手が蓋の隙間から見えるタコヤキを避けて、ヤキソバの折詰を持って立ち上がりました。
「どちらかへお出かけですか、ジル様?」
「捨てるのでしたら、あたしがやっておきますけど?」
小首を傾げるモニカとエレン。それは確かにいらない炭水化物の塊りですが、さりとて食べ物を粗末にするなどバチがあたります。
「いえ、時間も頃合いですので、ちょっと席をはずします。あと、これはお土産にさせていただきますわね」
◆ ◇ ◆ ◇
兵は神速を尊ぶ。謀は密なるを以って良しとす。
人肥えたるが故に貴からず。富貴天に在り。
常々に周囲に言い聞かせ、また自戒の意味を込めて座右の銘としているそれら呟きながら、エミール・ボーンはひとり皇華祭の会場を外れて、人気のない図書棟の間をゆったりと歩いていた。
さて、この謀は吉と出るか凶と出るか。
「……ふむ。さすがに今日はこちらに足を運ぶ人間は少ないが、皆無というわけではないか。まあ、予想通りではあるな」
遠くからさざ波のように聞こえてくる皇華祭の歓声と、今日だけ特別に許された屋台と物売りの声、ついでに聞こえる様々な楽器による演奏、そしてなにやら実況しているアナウンスの叫びを聞き流しながら、エミールはそうひとりごちる。
いまのところ競技の方は当初の予想通りジルが首位を走っているが、二位との差は予想外に僅差であり、おそらくは次に競技で逆転されるだろう。
「世の中は“仁者無敵”とはいかないものだな」
苦笑しながら歩くエミール。ちらほらいる学生や教員たちが、どこか場違いな支度をした彼の姿に、怪訝な瞳を向けながら通り過ぎていく。
お祭り騒ぎの真っ最中とはいえ、そこは痩せても枯れても大陸最高峰の学びの場であるリビティウム皇立学園である。
閑散としてはいるものの、こんな時であって――いや、こんな時だからこそ、のびのびと貴重な蔵書を独占できるとばかり、一部の酔狂な学究の徒たちは、こぞってこちらに足を運んでいるのだった。
「――ふむ」
おそらくは奇異の視線を集める最大の理由であろう、右手を目の高さに持ち上げ、二の腕に巻かれた真っ新な包帯に視線を落とすエミール。
糊の効いた折り目正しいタキシードに真っ白のコットンシャツ、蝶ネクタイという、どこに出しても恥ずかしくない執事姿に似合わない痛々しい包帯。そこに汚れや解れがないことを再三目視で確認をしたオーランシュ家筆頭執事のエミールは小さくため息をついた。
エミール・レグルス・ボーン。推定四十三歳(生まれた年がわからないため)。種族、魔人族。
もっとも表向きは人間族ということになっており、先代のエミール・ファルス・ボーン子爵の養子となってその名を継いだため、正式にはエミール・レグルス・ボーン子爵というのが国の貴族名鑑に記載されている肩書であった。
付け加えるのなら、魔人国ドルミートにも国籍があり、こちらでは『魔王』という物騒な肩書を持っていたりする。
ともかくも、諸侯王筆頭にしてリビティウム皇国の三大貴族のひとりオーランシュ辺境伯家に仕えること三十年あまり。
表向きこそ陪臣の地方貴族でしかないが、それであっても大陸四大強国のひとつリビティウム皇国屈指の名門にして、オーランシュ国という大陸中で十本の指……とまではいかないまでも、確実に上位に位置する伝統と国力を持った国の国王筆頭執事である。
その発言力と肩書は絶大であり、ちょっとした中級貴族程度はエミールに直接目通りも叶わないほどのものであった。
『もとは出自も定かでない平民風情が』
『いや、それどころか奴隷上がりだという噂もあるぞ』
『さもありなん』
柔らかな物腰と甘い顔立ちから組し易しと侮った貴族や商人たちは、そうした陰口を叩きながら甘い汁を吸おうと羽虫のように群がってくる。
そうした有象無象を、笑って握手をしながら文字通り羽虫のように完膚なきまでに叩き潰す、地味ながらいぶし銀のやり手執事。
目立たないよう。さりとて舐められないよう、そつなくこなしてきた三十年であったが、それもただ一点の瑕疵によって覆された。
視線は右手の包帯にやりながらも、意識はほんのひと月前の追憶に浸るエミール。
この包帯の下にあるのは、一月前、主人たちを守るために凶漢どもの襲撃を撃退した際に負った名誉の――いや、不名誉の負傷である。
その負い目を自戒するために、あえて治癒術に頼らずに自然治癒に任せたため、一生消えない火傷の痕がこの右手に刻まれた。
早めに治療を受ければ今頃は傷一つない状態に戻っていただろう。
だが、それではエミールの気が済まなかった。
『樽一杯のワインに糞が一滴垂れたら、それはもう樽一杯の糞に過ぎない』
エミールにとっては、成功と失敗はゼロかすべてかでしかない。
そして一度失敗した以上、エミールの三十年は単なる徒労と化したのだった。
と、その時、遠くから鐘の音が聞こえてきた。
いくつもの屋根の棟越しに見える学園の象徴――聖都の大聖堂にも匹敵するという、大時計台を見上げてエミールは小さく呟き、目当ての第二図書棟の背後へと回った。
「……さすがにここは静かだな」
比較的外れにある第二図書棟。
三階建ての分厚い石壁に遮られた建物の陰までは周囲の喧騒も届かず、静寂と虫の声だけが周辺を満たしていた。
「あとはマイ・プリンセスを待つのみ――」
と、その一言に応えるように、砂利を踏む音が背後から近づいてくる。
足音はひとり分。そのことを確認したエミールがほっと安堵の吐息を漏らしたところへ、風に乗ってソースの香りが漂ってきた。
「――?」
怪訝に思いながら視線を転じて見れば、忘れもしない可憐かつ至高の美貌をした少女が、こればかりはどーにかならないのかと思う体操服とブルマに鉢巻という格好で、あとついでに手にタコヤキを持ってひとりその場に佇んでいた。
「お待たせしました~っ。久しぶりね、レグルス!」
ついこの間別れたくらいの気楽な口調でそう挨拶をするジル相手に、どんな表情を浮かべたらいいのか、あるいは格好や手にしているものにツッコミを入れた方がいいのか、様々な意味で困惑するエミール(=レグルス)であった。
※コッペリアの描写が微妙に細かくなったのは、書籍版の設定を反映したためです。ちなみに編集さんともども「「おおおおっ!?!」」(ФДФ;ノ)ノ(゜Д゜屮)屮と、キャラを見て驚きました。
また、作品レビュー、まことにありがとうございました。
7/26 誤字訂正しました。
×シンメトリー→○アシンメトリー
……絵師様への指定間違えてたのによく左右非対称になってたなぁ、コッペリアの髪型(≡ε≡;A)…




