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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第四章 巫女姫アーデルハイド[14歳]
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朧月の襲撃と金色の懐中時計

 最後に残った一抱えほどもある《単眼蝙蝠(モノアイ・ゲナウ)》を両断したところで、高位聖職者用の法衣(ローブ)をまとった針金のように細身の中年男が、両手に嵌めた三叉の剣――『ジャマダハル』と呼ばれる特殊な形状の武器である――の握りを緩めた。

 途端、T字型に開いていた刀身が、パチンと勢いよく噛み合って一本になる。


「ふむ――?」


 そのままいつでも掴める距離で地面に切っ先を突き刺した男は、自由になった両手を軽く振りながら、累々と足元に散らばる野犬や野良猫、野鼠などの屍骸を見渡した後、おもむろにポケットから取り出した葉巻に生活魔法で火を点けながら、軽く口許を歪ませた。


「……逃げられたか。初手で仕留め切れなかったのが痛いな」


 予想通り現れたアレ(、、)のやたら無防備な背中を前にして、どうにも押さえが利かなくなり殺気が漏れてしまったようだ。

 セオリー通り夜陰と霧に紛れて、背後から心臓目掛けての刺突と逆袈裟のコンボでバッサリと始末するつもりだったのだが、そのせいでギリギリで急所を躱された上に余計な邪魔が入ったせいで、この場で決着をつけることができなかった。


「おまけに次々に小動物が襲ってきて足止めときたもんだ」


 ふっと吹き出した紫煙が周囲の遺骸にまとわりつくと、それらは一瞬にして青い炎に包まれて灰と化した。


「おそらくは限定的な『獣使い(テイマー)』系スキルだろうが――妙だな」


 戦闘の痕跡が消えた街路をぐるりと見渡し、最後にアレが逃げて行った方角へとアタリをつけながら、男は首を捻った。


「直接アレが使ってきたのは邪眼系の異能だったし、同時にふたつの異能を行使できるわけはない」

 実際、法衣の裏に縫い込まれている各種護符のうち、反応したのは魔眼・邪眼に対応したものだった。おそらくは報告にあった『眠りの魔眼(ヒュプノス)』の限定スキルだろう。

「なら、途中で割って入ってきた小僧の能力(タレント)か? そもそもなんで異能持ちが喰われないで(、、、、、、)一緒にいたんだ?」


 ふうー……と紫煙をくねらせながら、男は腑に落ちないという顔でひとりごつ。


 どちらにしても失態である。素人に邪魔されて本懐を遂げられなかったとは。


 そもそも一緒に行動をともにしていたとはいえ、身のこなしや気配がまるっきり素人それだったため、おそらくは事情を知らない一般人――社会に溶け込むためのカモフラージュの一環――だろう、障害にもならないと判断して事に及んだのだが、まさか我が身も省みずにアレを庇うとは思わなかった。


 とりあえずはギリギリのところで手加減はしたものの、それでも即死しなかっただけで、出血量から考えておそらく今頃は生きてはいないだろう。


 土壇場のあの様子から見ても、やはりアレとグルだったとは思えない。つまりは善意の一般人だろう。だとしたら結果的に、様々な意味で後味の悪いことになってしまった。


「文字通り“急いては事を仕損じる”の典型だな。……嫌だねぇ、デスクワークで勘が鈍ったか」


 自責とともに足元へと吐き捨てた葉巻をゴツイ軍用靴の裏で踏み潰す。


「肝心のアレにも確かに手応えはあった……が、致命傷とはいい難い。となると厄介だな。確か実験体八号には限定的な変貌能力も付加されていた筈だ。いまごろは顔を変えて、トンズラこいてる真っ最中ってところか」

 ガシガシと蓬髪を掻く。

「さすがにもう襲撃はないだろうが、一応は冒険者ギルド本部に行って、保護されている巫女たちの様子を確認せにゃならんだろうなぁ……」


 できれば黒子に徹していたかったんだけどなぁ……と、そう呟きながら地面に突き刺したジャマダハルを掴み、無造作に腰の後ろにある革製の鞘に突っ込んで、歩みを進める男。


「この時間にノコノコ顔を出したらローレンスの坊やが五月蠅せえだろうなぁ。まあ、さすがに俺相手に『審判(ジャッジメント)』の能力を使うほど大胆でもないだろけど、痛くもない腹を探られるのも面倒だ」


 ああやだやだ、とボヤキながら男――カリスト枢機卿の姿が霧の中へと消えていく。


 ふと、その一瞬だけ霧が晴れて、丁度近くにあった赤い屋根の民家の軒先に朧月が差し掛かっているのが見えた。

 それに併せて就寝を促す教会の鐘の音が街中に鳴り響き、同時にその月を背後に従えて猫が一匹、屋根の上で身を起こして、『――ニャー』と鳴きながら背中の羽(、、、、)を広げたのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 左脇から右肩にかけて綺麗に断ち斬られた少年の容態を一目診た途端、ジルの眼差しが普段の穏やかなモノから、切迫した真剣なものへと変わった。


「“大いなる癒しの手により命の炎を燃やし給え”」

 周囲が反応するよりも早く、少年の元へと進み出たジルの両手の間に眩い光の玉が浮かんだ。

「“大快癒(リジェネレート)”」


 治癒術を使える巫女の中でも、使える者はごく僅かだという超高等術が有無を言わせず放たれ、少年の全身を覆った。

 その威力の凄まじさは法術・魔術に疎い剣士であっても感じ取れる程で、冒険者であるカイサとダニエラはもとより、身近で巫女や神官たちが振るう奇跡の行使には慣れている筈の神官戦士のふたりでさえ、畏怖と感動に打ち震えていた。


「これは凄い。仮に当家で教団に依頼してこの治癒を受けた場合、どれだけの代価が必要になることか……」


 妙に現実的な感想を口にしたのはシモン卿の従僕であるエミール氏である。


「ま、最低でも大金貨五枚か、もしくは法貨からスタートってところか」

 と軽く肩を竦めるセラヴィ。


 ちなみにユニス法国では、グラウィオール帝国と違って鉄貨や半銀貨、半金貨が存在せず、銅貨、大銅貨、銀貨、金貨、大金貨、そして教会が発行している紙幣である法貨によって経済が成り立っていた。


 だいたい銅貨一枚が帝国鉄貨五枚に相当(五十円くらい)し、銅貨百枚で大銅貨(五千円)、大銅貨十枚で銀貨(五万円)、銀貨十枚で金貨(五十万円)、金貨十枚で大金貨(五百万円)、そして大金貨五枚以上から法貨となる。


 要するに、この治癒だけで市民の年収の五年から十年分くらいが吹き飛ぶ計算で、見方によってはボッタクリもいいところだが、金で命が贖えるなら安いものだと考える御大尽も多いのだった。


「大丈夫かねこの子? 命は助かったがいいけど、あとで代金を請求されたら首吊るんじゃないかい」


 身震いするカイサに向かって、神官戦士のふたりが爽やかな笑顔を向ける。


「ご安心ください。当教団は慈悲深くも分割にての喜捨も受け付けておりますので」

「無論、正式な『制約(ギアス)』を施した上で、一旦その身柄や身分は教団の帰属となりますが」

「ちなみに金利はたったの五%。――月ごとにね」


 つまり仮に大金貨五枚だった場合、一月ごとに金貨二枚と銀貨五枚が利息となり、十三月で年間大金貨三枚と金貨二枚、銀貨五枚が加算される計算になる。


「暴利だ――っ! 鉱山の強制労働でも払えるわけないだろう!? 高利貸し並じゃないかーっ!」


 思わず激高するダニエラに向かって、

「それが法に則った規則ですので」と涼しい顔で答える神官戦士。


「そんなどこぞの無免許医のような法外な料金を請求するつもりはありませんわ!」


 と、治療がひと区切りついたらしいジルが、ハンカチでコリンの額の汗や汚れを拭いながら言い返す。


「命の価値をお金に換算するような心積もりはありません! コリン君がきちんと養生をして、平和な日常を送っていただくだけで私は十分です!」


 その言葉に居並ぶ面々は、ほっと安堵の吐息を漏らした。


 比類なき美貌に群を抜いた癒しの能力、なにより誰よりも公正で、賢く、慎ましい……男性が女性に求めるすべての資質を備えた、まるで地上に降りた星か女神のようなジルのその毅然とした態度に、神官戦士たちも威儀を正して反論せずに頭を垂れた。


 心なしかいまだ意識のないコリンも、苦痛に歪んでいた表情から穏やかなものへと変わったようだった。


「――と言うことらしい。よかったね、お嬢さん」

「ええ、ありがとうございます……」


 カイサが快活な口調で、傍らで治療を受けるもうひとりの被害者――マリアルウにそう話しかけたところ、頷いた彼女の表情に陰りとは違う何か……黒いものが掠めたような気がして、ふと眉を顰める。


(……気のせいかね。短時間にいろいろあって気持ちが混乱しているだけだとは思うけど)


 それが癖なのか、時たま懐から取り出した金色の懐中時計の文字盤をチラチラ確認する彼女の落ち着きのない挙動を眺めながら、カイサはその心中を推し量るのだった。


「さて、とりあえず怪我の方はすべて治しましたけれど、失った血と体力は地道に休養と食事とで回復させるしかありませんので気をつけてください。――それでは、貴女の方の治療もしてしまいましょう」


 ジルが向き直ると、マリアルウは居住まいを正して頭を下げた。


「申し訳ありません、クララ様。ですが私の傷はさほど大きなものではないので、さきほど塗っていただいた薬だけで十分です」


「そういうわけには参りませんわ。傷口と出血は確かに小さいですけど、刺し傷ですから深いでしょうし、万が一、毒やばい菌が入っていたら大変です。第一、女の子の肌に傷跡を残したままなんて、私が耐え切れませんわ」


 気楽な調子で畳み掛けるジルに対して、困惑した面持ちでなぜか躊躇するマリアルウ。

 その理由を考えて、はっと思い至ったジルは周囲の男性陣を見渡した。


「女の子の治療ですので、申し訳ありませんが殿方は席を外してください」


「いや、ですがクララ様をおひとりにするわけには……」

「その為のアタシらですので。任せといてください」


 難色を示す神官戦士たちに向かって、カイサが言い添える。

 そう言われても護衛がたったふたりだけという状況に懸念を抱く彼らであったが、

「そうしてくださると助かります」

 と、打って変わって安堵の表情を浮かべるマリアルウの言葉と、

「兎に角、傷の治癒は時間との勝負ですから、早くしてください」

 そうジル本人に急かされては押し問答をする訳にもいかず、やむなくいつでも部屋に飛び込められるよう、ドアは開いたままにしておいて廊下に待機しておくことを条件に、一時的にこの場を後にすることにした。


 刹那――。


「……いいや。その必要はない」


 気だるげな声とともに口に葉巻を咥え、両手に抜き身のジャマダハルを握った細身の男が、入り口からふらりと現れた。


 明らかな不審人物の登場に、臨戦態勢で身構える一同だったが、

「動くなっ!」

 抜き手も見せずに投擲されたジャマダハルの一本が、唖然としているジルの背後からいましも組み付こうとしていたマリアルウの左肩に突き刺さった。


「「「「「なっ――!?!」」」」」


 勢い余って床に叩きつけられながらも、意外に俊敏な動作で立ち上がってジャマダハルを無理やり引き抜いたマリアルウは、

「異端審問官……」

 憎々しげに男を睨み付けて呻く。


 その言葉にハタと気がついた顔で、神官戦士たちが男の着ている高位聖職者用の法衣(ローブ)を確認して目を剥いた。


「まさか異端審問委員会、委員長のカリスト枢機卿様!?」


「そういうこった。怪盗“赤い羊(レッドラム)”――いや、出来損ないの聖女計画プロトタイプ八号。年貢の納め時だ。無駄な抵抗はやめるんだな」


 カリスト枢機卿の言葉に、マリアルウは嘲るような笑みを浮かべて、ゆらりとその場に立ち上がった。凍りついたような表情は、違和感よりも先に生理的な嫌悪と恐怖を覚えずにはいられなかった。


「『失敗作』……そうね。《聖天使城(サンタンジェロ)》の認識はそんなところよね。そして、この子ともうひとりが完成品、成功例ってところかしら?」

「………」


 なにがなんだか状況がわからないが、とりあえずこの場での“敵”がこの娘であり、突然現れたカリスト枢機卿が味方であるのは確かなようである。

 その場にいた全員が武器を構えて、マリアルウを包囲する形で陣を組んだ。


 敵地(アウェー)でなおかつこれだけの手練に囲まれては、どんな豪傑でも逃れるすべなどない……筈であるのだが、経験豊富な戦士である彼らは、一様になぜか妙な胸騒ぎを覚えていた。

 まるで手掴みしたウナギがスルリと手の中から逃れるような……。


「だけどお生憎様。失敗作と断じた私の能力が開花していたことに気付かなかった、そっちの負けよ!」


「いかん、抑えろ!!」


 カリスト枢機卿の切羽詰った叫びが引き金となり、全員が手加減抜きで彼女へと殺到した。

 その瞬間、彼女の手の中にあった懐中時計の針が、勢いよく逆周りを始め、そして――。


     ◆ ◇ ◆ ◇


「どうしたんだい、マリアルウ?」


 歩き始めたコリンだが、ふと後についてきていた筈のマリアルウが立ち止まって、手にした懐中時計の文字盤を眺めて難しい顔をしていることに気がついた。


「……約二時間ってところか。魔力もごっそり減ってるし」

「帰らないの?」


 重ねて訊ねると、顔を上げたマリアルウは濃霧に包まれた道の先を見透かすようにして厳しい目を向け、それから不意に踵を返した。


「気が変わったわ。こんな天気でこんな時間に歩くのも危ないもの。しばらく冒険者ギルド本部に避難させてもらった方がいいと思うの」

「――へっ?」


 一方的にそう言って、スタスタと歩みを進めるマリアルウを追い駆けて、常夜灯(ナイトライト)片手にコリンが困惑した面持ちで追従する。


 ふと、見上げると近くにあった赤い屋根の民家の軒先に朧月が差し掛かっているのが見えた。

 それに併せて就寝を促す教会の鐘の音が街中に鳴り響き、同時にその月を背後に従えて猫が一匹、屋根の上で身を起こして、『――ニャー』と鳴きながら背中の羽(、、、、)を広げた気がしたのだった。

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