公子の奮闘と御曹司の目的
豪奢なボヘミアクリスタル調のシャンデリア……に偽装された魔道具が放つ、蝋燭とは比べ物にならない皓々たる明かりで照らされた壮麗なホールの一角で、ともに最上級の夜会服を着た少年とその倍ほどの年齢の恰幅のよい紳士が白ワインの入ったグラスを片手に談笑していた。
「シーラ魚の踊り食い、触ると跳ねるウージーチーズ、モエー豚の脳味噌、いやはや……いろいろ私も珍しいものを食べてきましたが、珍味の筆頭と言えばはやはり別名『ユニス大蛞蝓』とも呼ばれる、ユニスのグロースナックトシュネッケでしょうな」
大食漢にして食道楽としても名高いグラウィオール帝国中央貴族バルトルッチ伯爵が、たるんだ頬肉と下腹を震わせて愉快そうに笑っている。
「珍味……というと、まさか蛞蝓を食べるんですか?」
おっかなびっくりというか、ほとんど腰が引けた状態で辛うじて愛想半分、好奇心半分で合いの手を入れるルーク。それに対して、バルトルッチ伯爵は手慣れた悪戯の成果に満足する悪童のような顔で、得々と答えた。
「左様。こいつは小さなものでも一メルト、大きなものでは三メルトを越える化物のような蛞蝓でして、信じられないことにユニスの山間部には、それこそ山のように棲んでいます、ウヨウヨと」
喋りながらも片手を動かして、給仕が差し出す皿に乗せられたチーズやハムなどの料理を口に運ぶ。それでいながら相手に不快を感じさせず、口調にも変化がないのだからある意味名人芸である。
「しかも、普通の蛞蝓でしたら野菜を齧る程度ですが、こいつは獰猛な雑食でして、俗に蛇に睨まれた蛙、蛙に睨まれた蛞蝓、蛞蝓に睨まれた蛇の三竦などと言いますが、冗談ではなく蛇だの蛙だの、場合によっては人間や大型の魔物でも喰ってしまうことがあるそうでして……いや、こいつがユニス限定なのが不幸中の幸いですな。そんな化物蛞蝓が大陸中で幅を利かせていたらたまったものではありません」
快活に笑うバルトルッチ伯爵に併せて、乾いた笑いを放つルーク。
この機会を利用して、なんとか少年に話しかけようと、それとなくその周囲をうろついていた妙齢の御令嬢方がいたが、漏れ聞く話の内容を耳にし、軒並み気分を害したようで、いつの間にかふたりの周辺にちょっとしたエアポケットができていた。
まあ、当然よね。と思うのは仮初めの形でルーク預かりの侍女役となったエレンである。
蝙蝠の目玉の味だの、人を喰った大蟹の茹でた歯ごたえだとかきて、究極の珍味が人間より巨大な蛞蝓と……想像しただけで怖気を震う話題を聞いていれば、温室育ちの貴族の御令嬢方は耐えられないだろう。
同情半分安心半分というところで、エレンはため息をついた。
調査学習の惨劇から十ヵ月あまり。必死の捜査にも関わらずジルとセラヴィ(+おまけ)は発見できず。それどころかユニス法国上層部からやんわりと退去を求められ、ほとんど手詰まりの状態でそれでも必死に手がかりを探そうとしているルークたち。
リーゼロッテやヴィオラたちも国許の力を借りてどうにか情報を集めようとしているようだが、王女という政治的に不安定な立場と、ユニス法国の機密体制を前に苦戦していた。
そのため、ルークがこうしたパーティに出席するのも、顔つなぎをして少しでもユニス方面の情報を集めようという苦肉の策のひとつである。
確かにいまのところ捗々しい成果は上がっていないものの、それでも誰もジルの生存を絶望視していなかった。きっと何事もない顔で帰ってきてくれる絶対に。そう信じている。
「なにしろ彼の巫女姫クララ様も好物でぺロリと一頭分平らげたと言いますからな、はははははっ」
上機嫌にグラスを揺らすバルトルッチ伯爵の言葉に、内心げんなりとしながらもルークは愛想笑いで応じた。
(大蛞蝓が好物だったなんて、案外クララ様もゲテモノ好きだったのねぇ……)
そんなことを考えながら、エレンは視線だけ天井を見上げた。
◆ ◇ ◆ ◇
「天誅――ッ!!」
いきなり椅子を蹴り倒して立ち上がったコッペリア。
やってきた男の子の頭越しに呆然とする青年をロックオン。白煙とともにロケットパンチを放とうとしたところで、咄嗟に私が鳩尾に回し蹴りを極め、セラヴィがテーブルと一緒にコッペリアの腕を蹴り上げました。
衝撃で目標を失ったロケットパンチが天井に風穴を開け、フードが落ちてまとめていた私の髪が解けて、三つ編の影響で微妙にウエーブが掛かった髪が顕わになります。
「げほっ――何をするんですか、クララ様?」
「それはこっちの台詞よ! 何をしようとしたの、いま!?」
「――? それは勿論、クララ様の邪魔になるアレを誅殺するのに決まっています!」
天井から戻ってきた腕を装着しながらコッペリアが指差す――その射線上にいた他のお客が、うわっと言って仰け反る――その先では、いまだ状況が理解できずに唖然としている青年紳士がいました。
「初対面でしょう!? どうしてコンマ一秒で殺害の覚悟完了するわけですの!?」
「クララ様の意向に沿って、将来の遺恨を断つためですッ!」
「誰が殺人教唆をしたっていうのよ! きちんと殺害に至る経緯を説明しなさいっ」
「切迫していますし、説明すると長くなるので割愛します。だいたい“言葉はいらない。女なら拳で騙れ”と言ったのはクララ様じゃないですか?」
「言ってないですわ! あと“語れ”の発音が微妙に違う気がいたします!」
私とコッペリアが不毛な会話をしている間に、ざわめく店内で黙々とテーブルを戻して、床に落ちた料理や木皿の後片付けをしていたセラヴィは、懐から何枚か硬貨を取り出して男の子に握らせました。
「すまん。迷惑料と天井の修理費だ」
「はあ……はい」
要領を得ない顔でお金を受け取って機械的に頷く男の子。
「あれクララ様だよな?」
「なんでメイドの腕が飛ぶんだ?」
「……もしかして、何かのパフォーマンスじゃね?」
「あー、そうかも。結構、あそこの教会も遣り繰り大変そうだし」
「そーか、寸劇か」
「なるほど、さすがはクララ様だ!」
「あの蹴りは見事だった」
やんややんやの喝采とともにオヒネリが飛んで来たので、ここで私も周囲の生温かい視線に気がついて、「……こほん」軽く咳払いをして居住まいを正しました。
と、屈み込んでオヒネリを拾っている男の子の背後から、コッペリアの変なスイッチが入った原因らしい青年紳士が一歩前に進み出て、
「それで、結局のところ私は相席してもよろしいのでしょうか?」
物怖じせず訊ねるその態度に、さすがにセラヴィも軽く目を瞠って相手の顔を見直します。
「――これでもまだ、このイロモノふたりと同席するつもりか?」
「誰がイロモノですの!?」
「愚民、正当な自己評価は認めるけど、クララ様まで同列で形容しないように」
自分だけは安全地帯のつもりでしょうか、この駄メイドは。
混沌渦巻く私たちのテーブルを面白そうに眺めながら、青年は慣れた仕草で紳士らしく一礼しました。
「はじめまして、私はコッラード・シモンという田舎者ですが、どうぞよろしく」
◆ ◇ ◆ ◇
よほど大人物なのか、物見高いのか、或いは上流階級の人間に特有の鈍感さのせいなのかはわかりませんけれど、あんな騒ぎの後でもシモン氏はニコニコと朗らかな笑みを浮かべ、屈託なく私たちと同じテーブルにつきました。
なんとなく成り行きでその場に留まっている男の子に向かって、
「君、すまないがグロースナックトシュネッケを頼むよ。できれば人数分と、飲み物は紅茶に――」
と、注文をとめて促すように私たちの顔を見回しました。
どうやら奢ってくださるようです。
一瞬、顔を見合わせた私たちですが、この際ですので好意に甘えることにしました。
「エール」とセラヴィ。
「野菜ジュースをお願いします」これは私。
「カレーと唐揚げ、あと天然オイル」
と、飲み物と言うには無茶振りをするコッペリア。
「すみません。オイル以外は聞いたこともないので、メニューにはないです……」
案の定、眉毛をハの字にする男の子。
「オイルだけで十分です。なんでしたら機械油か工業用アルコールでも問題ありませんわ」
そう取り成すと、あからさまにホッとした様子で厨房へと戻って行きました。
「お優しいのですね」
何が愉しいのか、そんな一連の遣り取りを笑って見ていたシモン氏が、何気ない口調で私に話しかけてきました。
「そうでしょうか? 割と普通の対応だと思いますけれど」
そう答えながら、テーブルを挟んで彼の顔を改めて観察します。
顔立ちは可もなく不可もなく……角度によってはハンサムかなぁ、というところですが、身に着けているものや物腰が洗練されていますので、その分で数割方イケメンに見えます。所謂ゲレンデマジック効果というやつでしょう。
「それにしても皆さん個性的ですが、どのようなご関係なのでしょう?」
初対面でただ相席になっただけの見ず知らずの他人同士。
普通なら聞き辛いことですが、あっさりと訊いてくるシモン氏。育ちの良さからくる鷹揚さなのか、それとも案外したたかなのか、ちょっと肚の底が見えませんわね。
「単なる友人同士ですわ」
なので適当に誤魔化すことにいたしました。
「まあ、腐れ縁とも言うかな」
「腐っているのは愚民だけで、ワタシとクララ様とは信頼と言う絆で堅結びされているのです」
自嘲を込めたセラヴィの相槌に、コッペリアが心外そうに付け加えます。
「……解けないなら鋏で切れないものかしら?」
切実にそう思いますわ。
「なるほど、いいものですね気負いのない友人同士というものは」
羨望が込められたシモン氏の言葉には、単なる口先だけではないしみじみとした実感がありました。
「私には利害関係や上下関係以外の対等な……腹蔵ない言葉を交わせる相手というのがいませんので、本当に羨ましいですよ」
「ふーん。ま、貴族とかそういう話を良く聞くけど、友人とか信頼とかはそういうのとは関係ない、当人の問題じゃないのか? こっちが身構えてりゃ、相手だって警戒するし。まずは自分から歩み寄る努力をすべきだと思うけどな」
面倒臭そうにそう言うセラヴィの言葉に、シモン氏が苦笑します。
「いや、耳が痛いですね」
「つーか、偉そうに言っている愚民に、ワタシたち以外の友人がいましたっけ?」
「シーッ! 良いこと言ってるんですから、余計なツッコミは入れないの」
私とコッペリアの会話が聞こえていたのか、セラヴィの頬が一瞬引き攣りました。
「お、お待たせしました。グロースナックトシュネッケを焼いてヨーグルトソースを掛けたものと、飲み物です」
そこへ、男の子が大きな皿と木製のカップを四つ運んできましたので、私とコッペリアとで手分けして料理をテーブルに置いたり、カップを各自に渡したりします。
セラヴィが気が利かないのはわかるとして、シモン氏もその場に座ったまま給仕を受けるのが当たり前という顔をしているのは、「貴方、どこの王様ですの?」と思わず問い質したいところですが――ルークなら率先して手伝ってくれました――これが世間一般の『紳士』なのですから、仕方ありません。
香ばしい匂いを放つグロースナックトシュネッケ(大蛞蝓)を前にして、シモン氏が目を輝かせて生唾を飲み込みました。
「これが有名なグロースナックトシュネッケですか!? わざわざ来た甲斐がありました。これでこの国に来た目的の半分が果たされますよ」
「残り半分はお仕事ですか?」
何の気なしに訊ねた問い掛けに、シモン氏は微妙な表情をします。
物言いたげな視線に思わず小首を傾げると、
「実はお恥ずかしながら、もう半分はある女性に会うためです」
そう秘密めかして答えを教えてくださいました。
「そうなんですの。恋人でいらっしゃいますか?」
「いや、実はその……、先日とある伝手で、ある女性の肖像画を手に入れまして、そのモデルに一目惚れをした次第で、ぜひ会ってみたいと駄々をこねた結果なのです」
照れた様子で俯く彼の様子は、アイドルに恋する少年のようで意外な初々しさを感じました。
「肖像画か。その手の作品って画家の虚飾や修正が入ってそうだし、実物を見たら幻滅とかあるんじゃないのか?」
セラヴィの身も蓋もない合いの手に、シモン氏は「さて、どうでしょう」と、意味ありげな笑みを浮かべて私へ微笑みかけます。
「――? まあ実際にお会いすれば印象が変わるかも知れませんが、それはそれとしまして、ただ会ってみたいからという動機だけで、わざわざ遠い国まで足を運ばれるなんて、並大抵の思い入れではないと感服いたしますわ。私なんて逆に、遠くから来る相手とどうやって会わないで済むかと頭を悩ませているのですから」
思わずそうボヤくと、シモン氏は「人それぞれですね」と訳知り顔で頷きました。
コッペリアが小声で「この場で始末しましょう。もう手遅れです」と、また訳のわからないことを囁いていましたけれど、当然のごとく無視します。
そこでシモン氏はおもむろに自分のカップを手に、上機嫌に音頭を取りました。
「それでは、この運命の出会いを祝しまして――」
「「「乾杯っ」」」「絶対殺します」
お互いのカップを合わせて乾杯をしました(コッペリアは殺害予告でしたけど)。
コッラードは偽名ではなくコルラードの発音違いです。




