浄化の光炎と大鬼との対決
「それでは、行ってまいりますので……後のことはよしなに」
軽く目礼しての私の挨拶に固い表情で、ルークがぎこちなく「ええ、気をつけて」と返しました。
う~~ん、状況が状況だけに緊張しまくってますわね。あまり良い兆候とは言えません。ある程度の緊張はモチベーションを保つのに必要ですが、度を越すと視野狭窄や思考停止へ結びつくかも知れません。なので……。
「――あと、私が行った後、誰も見ていないからと言って、エレンに変な事をしちゃ駄目ですよ」
悪戯っぽい含み笑いとともに軽いジョークで緊張を和らげることにしました。ま、半分くらい本気で釘を刺しておくつもりがあったのも事実ですが。
「なっ――!?」
途端、顔を赤くしてあたふたと、笑いを堪える私の顔と、足元で寝ているエレンの無邪気な寝顔とを見比べるルーク。
まあ紳士なルークに限って間違いはないとは思いますけれど、エレンは愛らしいですからね。万が一ということもあります。もしも私が男の子だったらほっとかない……というか、たまにエレンやラナと頬を合わせるスキンシップを取って、キャッキャウフフしているのですが、さすがに男子がそれをやったら犯罪ですので(この世界で女子に生まれてよかった。役得だと心の底から思います)、念の為に自制を促しておきました。
「まあ、どうしてもと言うのでしたら、本人の同意を得て、きちんと将来を約束してからにしてくださいね」
戯曲に出てくるありがちな展開ですが、貴族が身分や立場を盾に侍女をお手つきにするなんて卑劣な真似は、私の目の黒い――翡翠色ですけど――うちは見逃すわけにはまいりません。
「そんなことはしませんよ! だいたい僕が好きなのはジルひとりだけです! 他の子に目移りすることなんて金輪際ありませんっ」
きっぱりと言い切るルーク。自分でも思いがけない告白だったのでしょう。はっと口元を押さえました。
「はい……?」
「あっ――!」
「「………」」
鐘楼の周囲にゆっくりと沈黙が舞い降ります。
不意に、どこん!――という轟音がして、びっくりして見れば、コッペリアのロケットパンチが近くの壁を粉砕していました。
「儂の目の前で乳繰り合うとはいい度胸じゃのォ……!!」
どういう機能なのか――ひょっとすると中身の怨念がもたらした怪奇現象なのかも知れませんが――血の涙を流しています。
「……別に乳繰り合っているわけではありませんわ」
大仰な仕草で地団太を踏むコッペリアを蹴り落としたい衝動に駆られましたけれど、辛うじて抑えて私は衝撃で普段の調子を取り戻しました。
そんな私の苦々しい顔を見て、何を勘違いしたのかルークの顔が見る見る青くなっていきます。
「あ、あの、ジル。……ご迷惑でしたか?」
「いいえ」
ここはきちんと首を横に振って素直な気持ちを伝えておきます。ルークって普段は要領よく何でもこなして、ほぼ完璧超人なのですがこと恋愛ごとになると妙に消極的です。なにが原因かはわかりませんけど――まるで普段から鈍感系・難聴系のヒロイン相手に苦労している主人公みたいですわ――きちんと私の気持ちは言葉にして表明しておくべきでしょう。
「形はどうあれ……どう考えても勢いで口が滑った風にしか思えないとはいえ、好意を寄せられて嬉しくないはずがありません」
『どう考えても勢いで口が滑った』あたりで頭を抱えて身悶えするルーク。自覚はあったようです。
「私もルークのことは少なからず好意を持っています。とは言え、こんな戦場のど真ん中でドサクサ紛れに告白されても気持ちの整理がつきません。落ち着いてからあらためてお話しませんか?」
と言うか、ルークのいまの気持ちって吊り橋効果とか、ストックホルム症候群とかの勘違いではないでしょうか? 状況が状況だけにいまいち信憑性が薄いのですけれど……。
「そ、そうですね。す、すみません、こんな時に」
またほんのり顔を赤くしたルークがペコペコ頭を下げました。
う~~ん、まあ、落ち着いたら気持ちの方向性も見えるでしょう。
で、背後で「くそくそ!」「憎しみで人が殺せるなら!」相変わらずコッペリアが憎悪を撒き散らし、ついでに無秩序にロケットパンチを飛ばしていて、非常にウザいです。
あ、教会の壁の穴から顔を出した生徒会執行部長とかが、出会いがしらにロケットパンチで沈みました。
とりあえず白目を剥いて気絶している生徒会執行部長ですが、周囲の生徒は面倒臭そうに一瞥をくれただけで完全スルーです。
気のせいか、もとからなかった人望が底を打った……どころか人権すら否定されているような気がするのは私の気のせいでしょうか? 学園に戻ったらリコールどころか下克上されそうですわね。
ともあれ、私はその場を後にして混乱の坩堝と化した教会の前庭へと、フィーアの歩みを進めるのでした。
◆ ◇ ◆ ◇
なにか変ではないでしょうか……? というのがその場に降り立った私の感想でした。
下手に敵味方が入り組んだ状態で回復させたせいで――ここは要反省ですが、早めに回復させないと無抵抗のまま犠牲になる人たちが出ると判断したので止むを得ない処置だったと思っています。最善ではありませんが次善程度の判断ではないでしょうか?――周囲は混乱状態で、敵味方連携が取れない状態で、各個で手近な相手と斬り結ぶ形となっています。
要するに意識不明で倒れていた冒険者や兵士の皆さんが、パッと目が覚めたら目の前でアンデッドとご対面。
アンデッドも足元に転がっていた半死人がいきなり起き上がって、奇声をあげながら駄々っ子みたいに武器を振り回すので敵認定。
と言うことで、ものの見事に泥仕合となってしまいました。
まあ、もともと冒険者と軍人さんの数が圧倒的に多いので、最初の混乱が落ち着けば問題なくアンデッドの方は殲滅できるとは思いますけど……。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!」
「うぇえぇぇえぇッあぁああぁぁぁ!」
「●※□#▲〒*~~~!!」
ちょっと混乱が大きいようです。
「“天鈴よ、永久のしらべ持て不浄なる魂を冥土へと送還せよ”――“浄化の光炎”」
とりあえずフィーアが地面に着地すると同時に、飛び降りざま目に付いたアンデッド――武器を持った元冒険者ふたりに、大きいのはたぶん昼間見た『偽黒羊』の屍骸でしょう――に浄化を掛けてみました。
黄金色の炎が足元からアンデッドの全身を覆い尽くすと、虚ろだった死者の顔にどこか安息のような表情が浮かび、炎が天に昇って消えるのと相前後して、彼らはただの死体に変わってその場に崩れ落ちました。
心なしか偽黒羊も穏やかな表情で逝っています。
それを確認して私は、ほっと安堵の息を吐きました。実際、これはレジーナとの修行時代に遥か彼方、獣人族の聖地に住まう“大巫女様”と呼ばれる長老格の女性にやり方だけは教わったものの、実際に使う機会がなかったので(そうそうゾンビとかいないですし、その辺の幽霊あたりなら治癒術の光で浄化できますから)、ぶっつけ本番だったのですが思いの外上手く行きました。
まあ、半分はこの『星華の宝冠』の効果があってのものだとは思いますけど。
「うむ。さすがは儂の作った対イゴーロナク装備じゃわい。この調子で雑魚をとっとと始末するんじゃぞ、クララ!」
そんな私の背後で、事の元凶たるコッペリアがふんぞり返って、うろつき回るアンデッドたちを指差し、偉そうに指示を出します。
これ……そろそろ後ろから撃ってもいい頃合なのではないでしょうか?
「雑魚とかいわないでください。彼らも不憫な被害者なのですから!」
そして元を辿ればあなたが原因です!
私の八つ当たり気味の怒号に、目の前で仲間であったアンデッドを浄化させられた冒険者たち三人が、はっと胸を突かれたような表情で我に返り、なぜかその場に恭しく膝を突いて頭を下げました。
「……ありがとうございます」
「奴らは幸福です」
「こうして貴女様に浄化していただけたのですから」
「……?」
冒険者ってこんなに殊勝で謹厳なのでしょうか? もっと粗野で野卑なイメージだったのですけど、まるで目の前で神の奇跡に魅せられた敬虔な信者のような慎み深さです。
それはまあ……私だって浄化や治癒術は使い手が少ないから稀少だとは聞いていますけれど、市井の一般人をしてこれほど大仰な態度を取らざるを得ないほど権威あるものなのでしょうか?
浄化や治癒術を使える者は、厳しい修行と精神の研鑽の果てに辿り着ける境地であり、ゆえに彼ら彼女らは人格者であり聖人君子である――と、世間では思われますけど、術なんてものはつまるところ相性の問題であり、人間性とかとは無関係な気がするのですけどね。
だから浄化できるからといっても、私を清い精神を持った有徳の人物として色眼鏡で見るのは間違いだと思うのですが……と言うか、私としては自分の事を少々毛色の変わった術も使える魔女(魔法使い)程度の認識なのですけど(と、前にメイ理事長にお話したところ、「あんたの常識は世間の非常識」とばっさり斬られました)。
と、そんなことを思いながら、特に混乱しているところとかアンデッドの数の多いところに、次々と『浄化の光炎』を掛けて回りました。
「お、おい、あれって……」
「……だよなあ、どう見ても」
「浄化してるしなぁ」
「つーか、見間違えるわけないだろう」
「奇跡だ……」
浄化の力は非常に有効で、火にかざした雪のようにどんどんとアンデッドたちは数を減らしていきます。
窮地を救われた冒険者や兵士たちは最初狐につままれたような顔で茫然として、次に私の仕業とわかると愕然とした顔で、その場に片膝を突くか、中には思いがけず高貴な相手と遭遇したような表情で、震えてその場に平伏す人までいました。
――いや、そういうのいいので、働いてくださいな。
そう思いながら、とにかく目に付く限り浄化や、たまに怪我人相手に治癒をして回っていたわけですが、さすがに何か周りの雰囲気が変……というか、異様なことに気が付いて私は、後ろをついて歩いているコッペリアにこっそり訊ねました。
「ねえ、なにか変ではないですか? 妙に他の人たちの態度が静かというか、恭しいのですけど」
「ん? こんなもんではないのか? 一山幾らの愚民どもが己の立場をわきまえて、せいぜいしおらしい態度を取る。お前にとってはいつものことじゃろう」
「どんな悪女ですの!? ――それと確かイゴーロナクに掴まれたせいで、ペンダントの認識阻害が中途半端に機能するようになったというお話ですが……」
聞く気がなくても細波のように、
「あれってクラ――」
「…ララ様だ!」
「おおっ、巫女姫がこの窮地にご降臨くださった!」
不穏な単語がちらちらと聞こえてくるのですけど。
「当初の私の見かけと似ても似つかない姿に見える筈じゃないんですか、第三者には?!」
「その筈じゃがなあ……」
怪訝そうに首を捻るコッペリア。
「計算では前髪の長さが通常より一セルメルト長くなり、目尻の角度が二度高くなり、胸のサイズがワンサイズ小さくなり、瞳の色が本来の青から緑に変わる筈――逆だったら、緑から青になるが――で、あとサービスでスカートの丈が二セルメルト短く――」
ぐしゃ!
最後まで聞くことなく、殺意の衝動のまま相手の頭を抱え込んでの膝蹴りを敢行する私がいました。
「「「「「うおおおおおっ。あの容赦のない膝蹴りは……! 紛れもないクララ様っ!!」」」」」
それを見ていた聖職者の一団――ある程度の年配の男女が一斉に顔を輝かせてどよめきました。
いや、待ってください。それは何かの間違いです。二重の意味で。
ふと見れば、手の空いた兵士に護衛されながらヴィオラとリーゼロッテのふたりが、私の顔を呆けたような……何か性質の悪いペテンにかけられているような、どうにも複雑な表情で見ながら壊れかけの教会の方へと退避するところでした。
ついでに言えば、防衛側に回っているセラヴィは、何度も首を捻って私の顔を見返しています。
とりあえず後々面倒なことになりそうなので、ここは否定しておいて、単なる通りすがりの美少女退魔師とでも言っておきましょう。全部終わればフィーアに乗って遁走すればいいことです。
「違いますわ! 私はクララ――」
「危ないッ、クララ様!!」
必死の叫びに、はっとして勘を頼りに上体を沈めた瞬間、胸があったあたりを薙ぎ払う勢いで、巨大な鎌――武器用の『サイズ』ではなくて、農耕用の『シックル』を超巨大化したそれの――刃が通り過ぎて行きました。
鎌の先端に引っ掛けられたコッペリアが、「ひょええええええ」と絶叫を放ちながら吹き飛んでいきましたけれど、ある意味自業自得でしょう。
一方、地面に身体を投げ出すように前回り受身をとりながら距離を置いて立ち上がった私の目前に、武器を構えた身長二メルトを越える筋肉の塊のような大鬼が立ち塞がっていました。変なマスクを被って。
「気をつけろっ。そいつには攻撃が通じな」
セラヴィの注意を促す声が聞こえたような気もしますが、私は慌てず騒がず、再び草刈鎌を横薙ぎに振った(まあ、構造上この攻撃パターンにならざるを得ませんね)斬撃を躱して、懐に入ったところで急所に蹴りを入れて、
「グファ――ッ!」
蹲りながらも裏拳を入れてきたので、いなしながら魔法杖を足元に落として、空いた両手で上腕を取って立ったまま捻りを加えて一気に関節ごと破壊。
たまらず膝を突いたところで、腕を放して勢いよく半回転しながら肘打ちを大鬼の仮面へと突き入れました。
陶器が割れるような手応えがあり、粉々に仮面が粉砕され仰け反った大鬼から素早く距離を取り、魔法杖を拾って構えます。
「“氷獄よその腕を広げ等しく凍土と化せ”――“氷結”」
私の呪文と同時に大鬼の全身が霜に覆われたかのように真っ白に凍りつくと、ほどなく粉々に砕け散りました。
「やった……?」
どこか呆然とした声が、様子見をしていた冒険者の間からこぼれ……即座に、大地を震わすような絶叫に取って代わられました。
「うおおおおおおおおおっ!!」
「さすがはクララ様だーっ!」
「あのバケモノを一撃……いや、瞬殺するとは!」
「「「クララ様! クララ様!!」」」
物凄いシュプレヒコールが巻き起こります。
「ち、違いますわ! 私はクララではなく……」
「あー、酷い目にあったわい。ま、とりあえず雑魚は倒し終えたようじゃの。さすがは巫女姫クララといったところじゃのォ」
そこへ、フラフラしながらコッペリアが戻ってきました。ちょっと汚れているくらいで何ともないのは、無駄な頑丈さだとは思いますけど……。
『クララ、クララ』と連呼するコッペリアの言葉に、周囲の大部分が、「なんだ、やっぱりクララ様か」という雰囲気で納得してしまっています。
「クララ様、ご無沙汰しております。聖女教団司教のドン・シメオンでございます。覚えておいででしょうか?」
と、聖職者の中でも高価そうなスータンを着た初老の男性が進み出て来ました。
いえ、今日が初対面です。
「お亡くなりになられたと聞いておりましたが、我らはずっとそれを信じておりませんでした。しかし、まさか、この縁の地で再会できるとは」
男泣きに泣く高位聖職者らしい男性と、その背後に続く男女を前に、声高に「人違いですわ! 単なる他人の空似です!」と主張できるほど心臓は強くありません。
どうやって誤魔化したものかなぁ……。
と――。
『ふざけおって――――ッッッ!!!』
鬼気迫る怒りの咆哮とともに、バルトロメイの巨体が軽々と放り投げられ、地面にバウンドしながら林の暗闇の中へと消えていきました。
しばらく木立が折れる音が聞こえてきましたけれど、それが収まるよりも前に、地面に開いた大穴から“黒い影”としか思えないソレが身を起こしました。
『貴様ら全員、我の餌の分際であることをわきまえよ! そして聖女よ! 特に貴様は赦しておけん。その身にある生気と魔力の一滴まで、我が物としてくれる!』
激情とともに立ち上がったイゴーロナクを前に、とりあえず現状、誤魔化せそうでラッキー♪とか思った私はいろいろと間違っているかも知れません。
獣人族の大巫女とレジーナは古くからの友人です。
ちなみに獅子の獣人ですが、9男12女の母親でもありました(何人かはすでに故人)。
ご主人は『獣王』という獣人族の最強の称号を持つ男でしたが、けっこう若くして亡くなり未亡人となりました(獣人族の巫女は未婚・既婚に関係しない)。
なお、その後『獣王』の称号はしばらく空位になり、弟子が継ぐか血族が継ぐかで逆刃……もとい、獣王の篭手を巡りごたごたあったのですが、現在は玄孫に当たる人物が継いでいます。




