謎のダンジョンと助っ人の召喚
パラパラと漆喰の欠片や木片、砂埃などが舞い降りてきます。
「あいたたた……。もうちょっと高さがあったら、大怪我をしていたかも」
私は散乱した床だったらしい壊れた木材を払い除けて、ゆっくり身体を起こしました。
「わふん!(マスター大丈夫?)」
妙に身体の下が柔らかなクッションになっていると思いましたら、いつの間にか牡牛ほどの大きさになっていた天狼のフィーアが下になって、落ちた時の衝撃を緩和してくれていたみたいです。
「ありがとう、フィーア。エレンは無事かしら?」
「わんっ!」
私の問い掛けに、得意そうに一声鳴いたフィーアが身体を起こすと、上から覆い被さる形でガードされていたエレンが、「ううう……ここは……?」小さく呻きながら目を開けました。
「大丈夫、エレン? どこか怪我とか、痛むところはない?」
いつでも治癒術を使えるように準備しながらそう訊ねると、軽く身を起こして服に付いた汚れを払ったエレンは、ペタペタと身体を触って一通り確認した後、「大丈夫です」と普段通りの様子で頷いて、その場に元気に立ち上がりました。
見た感じ身体の動きも普通でしたし、無意識にどこか庇うような様子もなかったので、おそらくは問題ないでしょう。
「まあ、それでも念のために……“我は癒す、汝が傷痕を”」
淡い金色の光が、構えていた魔法杖の先からエレンの全身を隈なく彩ります。
「“治癒”」
見た目は何ともなくても、内臓とかに傷を負っている可能性もあるので、一応治癒しておきました。
それから周囲の惨状を改めて確認します。
周囲に転がっている四角い板と、壊れた机か椅子らしい部品の数から察するに、せいぜい二メルト四方の床材が崩落したという感じで、その下にあった土台の石や土砂の類はさほどないようです。
正直、いきなりのことで理解の方が追いついていないのですけれど、前後の記憶から推測するに、エレンとフィーアのふたり(ひとりと一匹?)とで『聖キャンベル教会』の玄関をくぐり抜けた瞬間、いきなり床板が抜けて、ふわりと浮遊感を感じたと思ったら、いきなりこの場所に落っこちてた……という状況に思えます。
――目方、目方が問題だったんですか!? 私の重さで教会の床が抜けたの!?!
日に何人もの人々が出入りしている正面玄関を入ってすぐの床を踏み抜くとか、どんだけ重いの私って? 知らない間にリバウンドしていたのでしょうか、もしかして!?
咄嗟にそう考えて、だらだらと嫌な汗が額から流れ落ちます。
深く静かに壊れかけていた私ですが、そこへ、
「――ここって教会の床下じゃないですよね。どこなんでしょう……?」
途方に暮れたエレンの問い掛けを受けて、少しだけ冷静さを取り戻しました。
「……あそこ踏み抜いたというか、最初から床が抜けるように作られていたような」
ついでに言えば、頭上を見上げても堅い岩盤を掘りぬいたらしい天井があるだけで、落とし穴の出入り口や仕掛けのようなモノは目に付きません。
まあ、仮になんらかの仕掛けがあったとしても、魔法的なトラップでもなければお手上げだと思いますけど。
「ジル様。なんなんでしょう、ここって?」
気を取り直したらしいエレンが、薄気味悪そうに周囲を見回しながら傍に寄ってきました。さほど混乱した様子も、まして取り乱すようなこともないのは、もともとの前向きな性格もあるでしょうが、お互いにひとりではないという安心感があるからだと思います。
「単純に落とし穴に落ちたとかいうお話ではなさそうね。多分、強制的な転移魔術が働いてここへ移動させられたんだと思うけれど」
周りを見た感じは、高さ三メルト、奥行き五メルトほどの完全に密閉された空間です。ただし、ところどころ壁のところに光る岩――地下型迷宮などでよく見られるという、大気中の魔素に反応して発光する『燐光岩』――が、等間隔に埋め込まれているようで、それのお陰で一応の視界は確保されています。
とは言え闇に慣れた獣人でもなければ、隅々まで見通すことはできないでしょう。正直、見知らぬ場所で影に囲まれた状況と言うのは生理的な不安が先立ちます。
「“光よ我が腕を照らせ”」
そんなわけで私は、再び魔法杖を構えて、明かりを作り出すことにしました。
「“光芒”」
いきなり強い明かりを作っては目に優しくないので、徐々に光度を上げていき、この部屋の隅々まで照らせる明るさになったところで一旦止めて、その“光芒”の明かりを魔法杖から切り離して、自分の頭の上に浮かせました。
これで歩きながらでも視界が確保できるはずです。
「……天然の洞窟じゃないわね。誰かが掘った穴だと思うけど」
明るい光の下、鍾乳洞や溶岩洞のような不規則な断面のない、綺麗にくり抜かれた洞窟の岩肌を確認してそうひとりごちます。
足元も平らに均されていて歩きにくさはなさそうです。それと、もしかしたらと期待していた移動用の魔法陣の類は見たところありませんでした。完全に一方通行の転移罠だったようです。
「つまり、どういうことでしょうか?」
首を傾げるエレン。
「つまり私たちは誰かが設置した転移罠に引っ掛かって、何らかの不明な目的のために、この見知らぬ場所に強制的に移動させられたということね。相手と目的と現在位置が不明な点を除けば、状況は比較的わかりやすいわ」
ええ、忌々しいほどに単純明快な話です。
「これからどうします?」
続いてのエレンの問い掛けに私は呼吸を五回分くらい考え込みました。
この場に待機して救助が来るのを待つべきなのでしょうが、あれから結構経つのに誰も来ないところを見ると、一度発動しただけで終わりの消耗型罠だったのか。或いは向こう側もこちらに人を割くような余裕がないのか――ルークだったら、後先考えずに私たちの後を追って穴に飛び込みそうですけれど――安全を確認できるまで待機しているのか。最悪見捨てられたのか。
幸い『収納』の魔術で食料その他は、節約すれば一冬越える位しまってあるので、持久戦でもへっちゃらですけど、食料はともかく飲料水が少しだけ心許ないので(まあ、樽で三個くらいありますが)、いつまでも篭城とはいかないでしょう。
私は最初に明かりを燈した際に目に入った、この小部屋から一箇所だけ外へと抜ける、高さ二メルトをちょっと越える横穴へと視線を巡らせました。
安全策を取るならばこの場にいるべきでしょう。ですが、『いつまで居れば』『この場所に居れば』安全と言う確約はありません。
ならば多少のリスクは冒しても、現状の把握に努めるべきではないでしょうか。
……まあ、なんだかんだと理屈をつけても、要するに守りの姿勢よりも攻撃するほうが性にあっているだけなので、行動したいだけなような気もしますけど。
私の武術の師匠も言っていました。
『受けのやり方? いらん。防御する前に攻撃しろ。――護身術? ンなもん方便だ。どこの世界にお淑やかになりたくて武術を習う阿呆がいるかよ』――と。
そんなわけで生まれ変わっても基本的に脳筋の行動理念からは逃れられない宿命なのでしょう。
「――この先に何があるか、確認して対策を決めましょう。フィーア、あなたはその大きさのままでいて。エレンも念のためになにか武器を持っていた方がいいわよね?」
「あ、それなら槍がいいです! メイドの嗜みとして、ブラントミュラー女子爵様のお屋敷にいたときから、家政婦長のベアトリスさんにモップを使った室内格闘術をご教授いただいていましたので」
「……そんなものがあったのですか」
メイドさんって私の想像を超えたスキルを持っていたのですわね。と、若干慄きながら、私は『収納』してある物資を手当たり次第に確認して(実際に出して確認するのではなく、魔力の腕で触って見る感覚です)、目当ての槍と他になにか防御に役立ちそうなものを探しました。
――ん~~っ、槍の他にナイフも渡しておいた方がいいわわよね。あとは適当に軽革鎧でいいかしら。でも慣れないと動きを阻害しそうだし、かといって鎖帷子とかは重いし。
と、悩んでいたところで、ふと隅の方に転がっていたとあるものが意識の指先に触れました。
――ああ、そういえば、こんなものもあったわね。すっかり忘れていたけれど……。
正直、あまり気が進みませんが、この際贅沢は言えません。手持ちの戦力を出し惜しみして、それで死んだら目も当てられませんし、なによりエレンを守るのには必要でしょう。
「……いま使うしかないか」
私は躊躇いを振り切り、『収納』してあった若干小ぶりの槍とそれを取り出しました。
まずは槍と狩猟用ナイフを取り出してエレンに渡します。
受け取った槍を手に取り、取り回しを確認したエレン――意外と堂に入った動きです――が、不思議そうにいま床の上に置いた変な箱を覗き込みました。
「ジル様、それは?」
「困った場合に使うように、バルトロメイから渡された魔道具なんだけれど」
一抱えほどもある髑髏の騎士をかたどった箱の蓋に手を掛けながら、なるべくウンザリした口調を表に出さないように心がけつつ私は答えました。
使ったときの効果が、だいたい想像ができるので少々頭が痛いです。
「へーっ、そうなんですか」
素直に感心するエレンに比べて、自分は少々世間の荒波に飲まれ過ぎて汚れてしまったような気が致します。
若干、自己嫌悪から思わず愚痴ってました。
「はぁ……エレンみたいな子が、本当の姉妹だったら良かったのに」
「はあ?」
ほとんどうろ覚えですけど、実の兄達は血を分けた兄弟姉妹とはいえ、お互いに家督を継ぐのに邪魔な敵認定でしたし、姉達も基本『姉より優秀な妹なんていやしねえ』のノリで無視するか忌み嫌っていた気がいたしますから……まあ、最近再会した実妹は可愛いですけど。
そんな詮無いことを思い出しながら、私は箱の蓋を開けました。
途端――。
「ふははははははははははははーっ!!! 遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは天上天下に威光あまねく広大無邊を照らす真紅帝国の栄えある宮殿騎士にして、武名轟きしバルトロメイであるっ!! ややっ、そこに見えるはジル殿とエレン殿、それとフィーアであるか! 一別以来であるな。某が渡せし魔道具を使ったということは、苦境に立たされているということであろう。しかしながら某がここに推参した以上、すべて任されよ! 大船に乗ったつもりで安心なされよ!」
光の魔法陣が箱から走り、一瞬目も開けられないほど輝いたかと思った次の瞬間、目の前に二メルトを越える、巨大かつまるで鉄板の塊のような黒の超重量級甲冑をまとった死霊騎士が聳え立っていました。
そのまま勢いよく振り回した巨大な戦斧が天井の岩を軽々と打ち抜き、
「お――」
「「お??」」
「……これは、崩れますな」
そこを中心に放射状のヒビ割れが走ったかと思うと、パラパラと岩粒が落ちてきて、
「――逃げッ!!」
大慌てで私とエレンを咥えて走るフィーアが出口に辿り着くのとほぼ同時に、間一髪で崩落してきた天井の岩が、仁王立ちするバルトロメイを巻き込んで小部屋一杯を埋め尽くすのが見えました。
◆◇◆
謎のアンデッドの襲撃を受けた冒険者グループ『鋼鉄の荷車』の面々であったが、ここにきて戦況が膠着状態へと突入していた。
元仲間だったアンデッドは、どうにか身動きを止めたところで味方の魔術師がいろいろと試した結果、やはり“火”系統の魔術が一番有効だということが判明した。
それからは早かった。
魔術師を中心に、さらには火矢や油壺を用意して、周囲の木立に延焼しないように――多少の小火は発生したが、幸い湖も近く水源も豊富だったお陰で手早く消火できた――注意しながら、一体一体処理していって、どうにか人間の方のアンデッドは始末したのだが、問題は牡牛ほどもある偽黒羊の方である。
一気にこれを焼くほどの火力に特化した魔術師がいないため、動きを止めて延々と斬り付けてパーツごとに分解しないことには斃すことができなかった。
手間取っている間に、変なマスクをかぶった謎の〈大鬼〉『ガス』が暴れまわり、さらには倒れた『鋼鉄の荷車』メンバーの死体を見つけては、屈み込んでアーモンドのような形をした何かを、その中に埋め込み始めたのだ。
「なんだあれは……? 種、か?」
夜目の利く猫の獣人が見咎めて呟く。
それを聞いて、指揮を執っていたオルランドがはっとして、倒れている仲間の死体を凝視すると、何かが体内で動き回っているような、微かな震えが走ったかと思うと、次の瞬間、ゆっくりと……まるで操り人形が糸で吊り上げられるような動きで、起き上がったのだった。
「――ちぃっ! あれが手品の種か!」
歯噛みするオルランド。
「怪我人の他にも遺体も早めに運べ! これ以上、鼠算式に増やされちゃたまらない。それと重点目標はやはりガスの方だな。同じ手品ならこっちも焼けばなんとかなるかと思うが……」
だが、アンデッドと違って、こちらの動きは早い上に妙な回復力がある。
「――動きを止めるまでが勝負か」
場合によっては刺し違えても止める。
そう覚悟して、じりじりと包囲の輪を縮めようとしたその矢先。
不意に顔を上げた〈大鬼〉ガスが、誰にともなく呼びかけた。
「……。……ヤー、アルジサマ。オノゾミノママニ」
それから、冒険者たちの頭越しに、とある一点を見詰めたかと思うと、凄まじい跳躍力で包囲網を突破し、一目散にその場を後に走り去って行った。
「あの方向は――いかん! 生徒たちが避難した教会の方だ!」
慌てて追いすがろうとするオルランドたちだが、その前に数を減らしたがまだ七~八匹いる偽黒羊のアンデッドと、新たに敵の駒と化した仲間の遺体が立ち塞がる。
「くそっ! こいつらを斃しても、生徒に、ましてお偉いさんに被害が出たら護衛任務は失敗になる。こっちは最小限の人数で構わん、他の連中はすぐに追いかけろ。急げっ!!」
切羽詰ったオルランドの叫びが、夜の森にこだまするのだった。
バルトロメイの安否については、たぶん誰も心配してないでしょうね。
西洋の木樽が何リットル入るのか、調べたのですがわからなかったのですが
仮に現代のドラム缶(200リットル)と同じだとすれば、600リットル。
人間一人が一日に必要な水が2リットルなので、×3として6リットルあれば100日は持つので、けっこう余裕のような気もしますけど。
↓
10/24 多くの方からご意見・ご指摘をいただきました。
だいたい1ガロン160リットルくらいで、ほぼ現代のドラム缶と変わらないとの事。
皆様ありがとうございました。
10/27 誤字脱字訂正しました。
×こちらに人を裂くような余裕がないのか→○こちらに人を割くような余裕がないのか
×そんわけで生まれ変わっても→○そんなわけで生まれ変わっても
×血を別けた兄弟姉妹→○血を分けた兄弟姉妹




