第二十八幕 「魔王の意思を継ぐ者」
人は一人では歩めない。
留まることは出来るかも知れないが、前には進めない。
是も非も無く、確信も保証もなく、一人でも前に進む事は出来ないのだ。
「だから、私は君が必要なんだ。だからどうか、これを受け取ってほしい。」
私の中に一つの疑問が思い浮かぶ。
リリスの父君、魔王ザルヴァドスが遺した研究成果を記した手帳。
それが、なぜ人族の言葉に置き換えられているのか。
その答えは中身の分を読み解けば解るのだろうか……。
そう思いつつ、とりあえず私は文字表説明の先を促すことにした。
「じゃ、0番の後ろに並んでいる、2,3,4,6番の左上に横線が追記されている物と6番の左上に縦線が追記されている25文字は濁音と半濁音かしら?」
「あっ、やっぱりそういう事なんですね。」
どうやら指折り文字を数えていたリリスも同じ事を考えていたようだ。
「正解、二人共もう解ったみたいだね。流石だ。」
にこやかな笑顔のメイは満足げに拍手をしてくれた。
「促音と拗音は?」
私は続けて小さい文字についても存在を確認してみた。
「基本文字において、一部の文字の線が意図的に短く書かれていると判断できる物を確認している。
『重三角の下が小さいもの、波線の下が短いもの、矢印の方向線が片方短かったり、四角の中の横棒が短い物、枝分かれ記号の片方が短いもの』
これらが促音や拗音を示してるのだと思う、手帳冒頭の文字表には明確に記載はなかった。以降のページにある文章や単語からも、その様に使われていることを確認したので間違いないとおもう。よ。」
そういいながらメイが再び光板の前で手を横にふる。
メイが口頭説明したのと同様の線の一部が明らかに短く表記された基本文字が5つ表示された。
なるほど、こうやって表現したのね。
「すごいよね、リリス。貴女のパパのセンスはなかなか論理的で理にかなっていると私は評価するよ。言語学には造詣は無い私だけど、この文字列が構成が意味するところとリリスのパパの意図は充分に伝わるものだよ。」
そう言いながらメイは感慨深そうに文字表を眺めてる。
「あの……それで、メイ。中身はどんな事が書いてあったんですか?」
託された手帳の中身をついに知ることが出来る時が来た。
そう思ってるであろうリリスは期待に満ちた顔をしている。
「リリスのパパが記した内容については、この間言った通りだ。ね。この手帳を記した意図と彼が研究していた目的、そしてその目指すべき場所。この3つについて記載されていた。」
そう言ってメイが光板に向かってまっすぐ伸ばした両手を向け、それをバッっと横に開く。
その動きに合わせて光の枠がぐわっと広がる。
そして中央から各ページごとに区切られているであろう、文字列が列挙される。数十ページ分は有ることが見て取れるその膨大な文字数。
メイは78ページまでが文章として成立していたと言っていたが……これを全部読むのは骨が折れそうだ。
「うっ……この量をメイは解読済みなんですか…。」
リリスがたじろぐ。
私もこれを読み解くのはちょっと遠慮したい。
「おやおや、魔王の意志を継ぐ者たちの意気込みはその程度かい?」
メイがやや呆れたような態度で私達を見据える。
「そうは言ってもメイ。この代替文字は記号化されすぎてて文字として読むにはちょっと不便よ。貴女みたいな記憶力の才能が有ってこそ読めるものなんだから……多少はお目溢しを期待したいところね。」
というか『魔王の意志を継ぐ者たち』?
文章を読んだ彼女にしかわからないニュアンスの言葉に少々引っかかる。
「うぅ……一度に可能な夢見の時間は有限なんですよぉ。こんなにいっぱいは無理です……。」
そう言いながらも一生懸命読み解こうと真剣な眼差しを向けている。
「ふふ。頑張りやさんのリリスに免じて、ちゃーんと後で翻訳したものを渡してあげるよ。」
四苦八苦するリリスを嬉しそうに眺めていたメイがそう言うと。
「ほんとに!? ありがとうメイ!」
喜色満面のリリスは私を抱っこしたまま、がばっと立ち上がってメイに詰め寄る。
急に動かさないで欲しいんだけどな。
「私に出来るささやかなお礼だよ。リリス。」
そういってメイは照れくささと嬉しさが混じった笑顔を向けてきた。
「ううん!ささやかだなんて……すごく助かるし嬉しい!」
リリスは左腕に私を抱え直すと、右手でメイを抱きしめ顔を擦り寄せた。
いよいよぬいぐるみ扱いだ。
メイも急に抱き寄せられて目を白黒させてる。
ていうか、いくら私が華奢だからって事を差し引いても、こうも軽々しく人体を扱えるのは夢見の主ゆえか。普通に考えたら結構な怪力だよね。
ま、何でもいいけどさ。
「ねぇ、メイ。いくつか疑問が浮かんだから意見を聞きたいのだけど。」
抱きかかえられたままの私は上を見上げつつ、もみくちゃにされているメイを見つめて口を開いた。
「それは魅力的な提案だ!ね! と、とりあえずリリスをなんとかしてほしいかな!」
狂喜乱舞する犬みたいに顔を擦り寄せるリリスを手で抑えながらメイは私の案に賛同した。
「ほら、リリス。貴女が嬉しいのはよく解るし、メイにも充分感謝は伝わってるから、そろそろ落ち着いて話をさせてね。」
私はなんとか届いているつま先で地面を踏みしめ、メイにすり寄るリリスを背中で押しのけた。
「あ、はい。ごめんなさーい。」
そういってリリスは2,3歩引き下がって再び絨毯へと座り込んだ。
私は抱きかかえたままだ。
いい加減離せ。
……言わないけど。
「ふう……さて、セレナ。浮かんだ疑問とは?」
ようやくリリスから開放されたメイは椅子に座り直しながら私に問いかけた。これから来る質問を待ちわびながら、ワクワクした表情をこちらに向けている。
「……そうね。リリスの父君である魔王ザルヴァドスは『魔族の救済』を目的にとある研究を進めていた。それがどの様な物かは知らないのだけれども……私は彼の研究所を討伐作戦の時に一度見ているの、その研究対象が何かというところまでは推測できているのだけども。……彼は何を研究し何をもってして魔族を救おうとしているのかしら?」
私はとりあえず最初期から抱えていた疑問を投げかけてみることにした。
討伐作戦の時にザルヴァドスとリリスが会話していたことの意味。
そしてその方法についてが判れば彼の真意が理解できると思ったからだ。
「ふむ、その事について私は『知見』は持ってるが『答え』は持っていない。そして答える前に一つ確認だ。魔王の娘であるリリスはセレナの質問について答えることは出来ないんだよね?」
何かを知っていることを仄めかしつつ、メイはリリスへと問う。
「……私は父の研究を手伝う為に、人間社会で調査をするばかりだったので……父が何を目的にしてどういった研究をしていたのかは全く知らないんです。それどころか……父は私が研究に直接携わるのを禁じていました。なんというか凄く恐れていたように感じたのを覚えています。」
少し残念な……悲しそうな顔をしながらリリスが答えた。
「ふむ、その事については後ほど翻訳した中身を読めば……リリスなら何か思い当たるかもしれないね。私の解釈が加わることで余計な情報が混ざるかも知れないから、私の口から語ることは避けるけども。」
リリスの反応に対して、さらに釈然としない反応を示すメイ。
きっと彼女なりに思うところがあって、あえて仄めかしているのだろう。深く考えることはしないほうが良さそうだ。
リリスも小さく頷くだけだ。
「そして、セレナの質問についてだ。リリスのパパが何をしていたかについてだが。彼がやろうとしていたことを一言で表すのであれば『魔族を元に戻すための研究』のようだ。」
手帳の中身を想像で描き、記憶した内容を思い出すかのように目をつむるメイ。彼女が脳内で描いているイメージに合わせて光板の文字達が明滅している。
「もとに……戻す研究?」
メイにしては随分と漠然とした答えだ。私は思わず聞き返す。
「具体的な手法については記載は無かった、だが彼は自身の体験から、研究を続ける事によって魔族の救済が成ると確信を得ていた様だよ? もしかしたら二人はその確信の理由が解るんじゃないかな?」
そう言いながらメイは私を抱きかかえてるリリスの手元へと視線を落とした。
なるほど、手帳には指環についていても言及しているんだ。
「……この指環ですか?」
メイの視線の先が自身の手で有ることを察したリリスは、そのままメイの発言の意図する所を理解し、自身の左手をかざした。
「そう、正解だ。手帳の中には指環に関する記述も有った。色々な性能についても触れていたけども、彼が最も関心を示していた事は『装着者の精神安定や衝動抑制』についてだ。」
そう言ってメイは今度は私の左手に視線を注いだ。
「私でも手帳内の情報だけではいまいち指環の性能についてはわからないのだけど。彼は自分が初めて指環を装着した時に自身に起きた事について、かなり熱心に思いを綴っていたようだ。」
私とリリスの左薬指を交互に見つめながらメイが語る。
「自身に起きたこと……?ですか。」
父の身の上話であろう内容に固唾を飲んで見守るリリス。
「その指環、ごく一般的な魔族がつけると何が起きると把握してるかな?」
リリスの目へと視線を移したメイは、じぃっと彼女を見つめながら問う。
「え、っと……。私は物心付く前から付けていて鎮静作用の差異による実感は無いですし、他に着用したのをみた魔族は父しか知りません。そのうえで父から聞いた話を元に考えると……自身を支配していた負のマナによる強い感情……怒りや憎しみ、恨みや妬みに類する感情がサッと引いていくのを強く感じたと言ってました。」
リリスは何かを思い出すかのように目をつぶって喋る。
「そう、それがリリスのパパが魔族の救済に繋がると確信した理由の一つだ。そして彼はその後、指環を発見した場所を調べるうちにもう一つの事に気づいたんだね。」
メイも何かを思い浮かべるかのように目を瞑って語る。
若干口元がドヤ顔。
「場所…ですか?」
「私達が討伐作戦中にみつけた別文明の建造物、つまり古代遺跡。で、合ってるかしら?」
リリスの疑問にすぐ答える形で私は予想を述べた、というよりもそこ以外には無いだろう。
父の研究現場から断絶され、それに従っていたリリスは『古代遺跡』についてよく知らない。彼女の中には遺跡がどの様な場所か知る機会がなかった可能性があるのだけども。
「合ってるよ、セレナ。彼によると、彼は遺跡の内部に入ることは出来たが最深部に至ることは出来なかった様だ。その最深部の前室に有った碑文のようなものを解析した事により、彼は魔族救済へと至る道筋を見出したそうだよ。」
「碑文…それはいったいどんな?」
まるで寝物語に心躍る冒険譚を聞かされてしまってワクワクが止まらない子供のように、リリスの眼差しは期待に満ち輝いている。
「もしくは警告文に類する物、彼はそう判断している。」
「メイ、内容について記載は有った?」
彼が碑文の内容に希望を見出したのであれば、それは書いて然るべき。
そして我々もまたそれを知っておく必要性が有る。
「もちろん。
『この指環たちを携え永遠の都を宰る者たちよ。
臣民を導き思いを統べよ。願いと想いを以て世界を統べよ。』
だそうだ。」
リリスの父君が魔族救済の希望を見出したという、さも重要そうな碑文の中身は実にシンプルなものだった。
指環たち…永遠の都、宰り…導き、思いを統べ、願いと想いにより世界を統べる…。
「……指環が複数であることと、複数の為政者によって民の意志を統一させる。そんな感じかしら?」
碑文の中身を端的に述べてみる。対の指環である実情を踏まえればそんなところだろう。
「そう、少なくとも二名、あるいはそれ以上の指環装着者によって古代文明は統治されていた可能性が高い。そして、その指環には非装着者に対して精神的な強制鎮静作用が有る。まちがいないか。ね?」
そういってメイは私に対して問いかけるような姿勢を見せた。
メイが話す内容には違和感がある。
この指環を『対の指環』と呼び始めたのは恐らくリリスの父君だ。リリスはそれに倣ってこの指環を『対の指環』と呼び、運用している。
メイの言い分だと、2つだけではなく3つ以上の指環が存在する可能性に触れており。『対の指環』という呼び名に違和感がある。
まぁ強制鎮静作用については私が聞くところと大差はない、実体験は無いのだけれども。
「少し違和感が有るわね。私はリリスからこの指環が『対の指環』と呼ばれていると聞いているし、リリスもまた父君からそう聞いてるはずよ。
貴女の発言によると『三人以上の装着者』が居る可能性が有るわ。」
私は疑問を口にする。
「うん、それについては手帳の中身を読んでくれれば納得できると思う。彼自身はその二つの指環を『対の指環』と呼ぶことにしたと記述しているが、その前に指環を入手した経緯について触れているんだ。そこを読めば私がそう表現した理由が解る。よ。」
質問は予想していたと言わんばかりに即答するメイ。
相変わらずドヤ顔気味。
「そうなのね、なら現段階では問題ないわ。装着者の周囲を強制鎮静させる効果については私は実体験が無いけれども、リリスからは聞いてるわ。……リリス個人として実体験はどうだったかしら?」
私はぐいっと身体を預けながら上を向く。
自分に話を振られたことに気づいたリリスが、下を向き私を見つめる。
「私も実体験として自分の周りの誰かを大人しくさせたような経験は無いです……というよりかは……今まで生きてきた中で私は、魔族にしろ人族にしろ、極力接触を避けて誰とも交流せずに過ごす日々だったので……。」
残念ながら、といった弱々しい口調のリリス。
彼女は俯いたまま喋り続け、その後黙り込んでしまった。目線は私の方を向いているが、過去に想いを馳せるかのように虚空を見ている。
その目はとても悲しそうで、寂しそうな光を宿していた。
私を抱く腕に力がこもる。
「……だそうよ。」
黙ってしまったリリスの代わりに私が先を促した。
「…ふむ、二人共実体験はお持ちでは無いんだね。まぁ、いいさ。
いずれにせよ彼は『対の指環による自他に対する鎮静効果』『碑文の内容』これらの知見と経験をもってして『魔族をもとに戻せる可能性』を見出した様だ。
具体的な方法や目標の様な物は記載されていなかったので、そこら辺に関しては私も把握できていない。だが彼は確信を得て行動し、その後研究に没頭したようだ。よ。」
メイはそう言い終えると、満足げな顔をして椅子の背もたれへと身体を預けた。色々と話したいことを終えたということらしい。
だと言うのにリリスは俯いたままだ。
どうやら過去の辛い思い出を深く思い出して塞ぎ込んでしまった様だ。
「……大丈夫よ、リリス。もう貴女は一人じゃない。私が居るし、また一人友達が増えたじゃない。」
私は上を向き、再びリリスの目をじっと見つめ、そう言った。
虚空を見ていたリリスの目が私を捉えハッとしたかのように見開かれる。
そして恐る恐る顔を上げるとメイを見つめた。
「そうさ、リリスと私はもう友達だ。それどころか命の恩人であり、魔族でありながら人族の私を信じてくれたキミは……既にもう大親友と思ってくれていい。よ。」
珍しい照れ笑い顔。
それでもメイはリリスに見つめられ、迷いなく、ハッキリと、気持ちを込めてそういい切った。
いいね。流石メイ。
彼女の歯に衣着せぬ物言い。
こういう時にはまっすぐ伝わるわ。
そんな風に感心してメイを見ていたら、顔に水気がぽたぽたと当たる。
ありゃま。
そう思いつつ上を再び見上げた。
ぼろぼろと涙をこぼして泣いているリリス。
干場の時よりも凄い勢いだ。
「二人共……ありがとう。」
それでも彼女は鼻をぐずつかせる事無くしっかりと言い切った。
いいね。流石リリス。
泣き虫だけど頑張りやさん。
しっかりと成長してるじゃない。
私は安心して再び彼女に体重を預け、頭を傾けた。
強化しっぱなしがくせになってる私の聴覚には、不安を訴え続けていたリリスの鼓動が、すっかりと落ち着きを取り戻し安堵した様子が感じられた。
ほんと、素直な子だ。
お察しの通り、エリシア語のモデルは
まんま「ひらがな」「カタカナ」ですね。
ちゃんと理由もありますよー。
意味も、ね。
オリジナル言語を考える労力、翻訳の問題をクリアする為。
何より楽だ。




