第二十七幕 「解説」
一文字を読み解くのに何ヶ月かけたのだろう
かと思えば数分で解けることも有る
しかしソレの正誤を検証するのにまた数日を要する
この永遠とも思える作業
「だが、数千年の時を思えば……この時間など刹那の事だ。」
「さて、では解説を始めるにあたって……あ~…。」
いつもなら嬉々として語り始めるメイが珍しく言い淀む。
「メイ?どうかしました?」
リリスも不思議に思って口を開く。
「いやね、暗号の解読を説明するのに必要なものがココに無い事に気づいてね?どうしたものかと思ったのだけども。ねぇリリス、ここに紙とペンって有ったりするのかね?」
そう言いながら手を泳がせるメイ。
左手の平に筆を持ったふうの右手を添えてグリグリと動かす。
何か書くものは無いかと身振り手振りを合わせながら夢見の主導者に品を要求するメイを見て、私も気づいてしまったことがある。
「ねぇリリス、紙とペンの前に。あなた、父君の手帳って夢見で再現できるの?」
「……。」
ハッとした表情のあと、呆然とした顔になるリリス。
「……まぁ無理よね……私だってあの手帳の中身を記憶するなんて流石に嫌だわ。」
理力で記憶力を強化するなんてやったことないのだけれど、少なくともやりたくない。なにせ私はあの手帳の暗号文字の一文字も解読できてないのだから、あの謎の暗号文字列を覚えるのは意味不明で複雑怪奇な記号群を覚えることに等しい。
メイの精神治療の夢見の際、リリスが理解できなかった複雑な数式を再現できないと言った事と同様に。暗号文の文字列を理解できてないリリスがあの手帳の中身を夢見で再現する事は不可能なのだ。
「うぐぅ……。」
既に涙目になって泣きだしそうなリリス。
可哀そう…だけど私には彼女を助ける手段が無い。
苦し紛れにディダの方を見るが……
彼女はにっこりと笑顔を作り。
「ボクは手帳の中身を知らないよ?」
一言そういった。
「とりあえず…夢見から覚めて手帳を―」
すごく残念そうに、意気消沈したリリスは中断を提案をしようと立ち上がろうとした、その時。
「いや、私が覚えてるから。だからリリスに紙とペンを出せるか聞いたのだが。ね?」
発言の腰を折られてやや不満げなメイが事も無げに言う。
……は?覚えてる?
眉間に力が入るのを感じた。
私は今絶対凄いしかめっ面してる。
ちなみにリリスは中腰で固まってる。
目が点になってる。
気持ちは解る。
「……あの手帳、厚手だったし少なくとも300ページは有ったと思ったんだけど? それに……『この厚さだから全ては読めてないけれども。』って言ってたじゃない貴女。」
「全部で337ページあったね。途中で幾つか破られてたけど、多分書き損じで破っただけだと思う。破り方がすごく丁寧だった。それに文章は成立してたから。ね。
で、文章としての体をなしていたのはおおよそ80ページくらいだね。最初の数ページが文字表で構成されてて、以降は筆者の自己紹介文と手帳の説明文。あと自分が調べたことの内容文で目的地について触れていたのはそこだね。そこまでで、およそ78ページ。
それ以降は殆ど意味不明の文字列…というよりは、リリスのパパが調べれた遺跡の内容の書き写しを暗号化しただけの『調査もとの暗号文』だね。解読前の文字列を並べただけの暗号文は流石に解読元を見ないとわからない、だから全部読めてないって言ったんだよ?」
あー、饒舌になっちゃった。
そしてメイはさも当然かのように、とんでもない事を言いだした。
手帳のページ数を把握していて、全ページの状況を確認済みで、抜けたページに気づいてて、読破済みで、読めるところは読めてて、読めないところは読んでない所じゃなくて読むことが出来ない所だった。
そしてどうやらその内容を全て記憶してると来たもんだ。
魔王とリリスの関係を知ってるのは、朝の干場で何となく察してたけど……遺跡の存在も理解しているし、目的地について触れていたという事からリリスの父君の意図も把握してるのか。
天才っていうか、一種の化け物じゃないかしら。
この娘は。
そう思った私は口を開いた。
「円周率小数点第314位から3ケタの数字。」
「1、5、5。」
「即答すんじゃないわよ、怖いわよ。」
「え、セレナは答え知ってるの?」
「知らないわよそんな先の計算。」
「私の記憶力の証明にならなくない?」
「メイの頭のヤバさは証明できたわよ。」
「酷くない?」
「ほら脱線。リリスが泣くわよ。」
流れるように会話が繋がる。
ちょっと楽しい。
「ぐぎぎ。」
「もうメイ一人でいい気がしてきました。」
「いやだよ、極寒の死地に一人で行くなんて。」
「連れてかないわよ?」
「付いていかないよ!?」
「えっ、メイなら遺跡の調査喜んで取り組みそうだと思ってました!」
「私が興味あるのは遺跡調査じゃなくて暗号文! 私寒い所が苦手だから極寒の死地には絶対行きたくない!ね!」
「あら残念、便利かと思ったのに。」
「便利っていった?!酷くないかね?!」
「冗談よ。この手帳の解読だけでも死ぬほどありがたいわ。」
「やっぱりセレナは謝った方がいいかも。」
「話を蒸し返したらだめよ、リリス。」
「なんか遊んでないかね?二人とも?!」
「いや、キミら三人とも脱線して遊んでるでしょ。」
唐突に差し込まれたディダの発言。
「「「ごめんなさい。」」」
「セレナだけ許してあげない。ボクを騙せないと判ったうえで二人をからかって遊んでたでしょ。」
リリスの悲しそうな顔と、メイの呆れた顔がピッタリのタイミングでくるりとこちらに向けられる。
「ごめん。」
思わず顔をそむけてしまった。
「セレナはたまにひどいです。」
「悪気なく悪いことするよね、セレナは。」
「ごめんってばぁ。」
「キミら先に進む気あるかい?」
ディダの語気がやや厳しくなる。
「さ、じゃぁディダ様のお力をお借りしつつ!メイが記憶してるというリリスの父君の手帳の暗号解読解説会を開始したいと思います!拍手!!」
無理やり軌道修正を試みる。
「セレナはディダさんにこそ、ちゃんとした方がいいと思います。」
「ディダ様にそこまで無礼にふるまえる胆力はすごいって思う。よ。」
「リリスは素直でいい子だよね、セレナと違って。メイもちゃんと畏敬の念を忘れないから好きだよ、セレナと違って。」
だめだ、流れ変わらんかった。
はー!楽しい。
「ごめんね!ずーっと小さいころから孤児院で厳しく躾られてたし……聖女として祀り上げられてから神殿暮らしも同じだった。討伐隊でも仮面被って振舞ってたから……なんかすごく楽しくって、こういう遠慮の無い会話っていうの。」
私は思わず、流れるように本心で喋ってしまった。
ピタリと3人の反応が固まる。
うっわ、気まずい。
「……まぁ本心だね。」
ディダがぼそり。
「ごめんなさい!セレナ!」
そう叫びながらリリスが飛びついてきて抱きしめてきた。
そりゃもう悲痛な表情のままで。
普通に痛い。
「セレナ、それはずるいと思うんだ。が…。」
メイが言葉とは裏腹にとても申し訳なさそうに眉を歪ませている。
普通に心が痛い。
「いや、だから楽しくてつい、っていう意味でね?別に私は今までの境遇に不満を覚えてて失われた時間を取り戻そうとかそういう……ねぇディダ。脱線してるんだから止めてよ。」
「そういうのを身から出た錆っていうんだよ。そのままリリスに抱っこされてるといい。」
「ちょ、ディダ!」
「大人しくしててくださいね。セレナ。」
そう言いながら腕に力を入れ更にギュッと抱きしめるリリス。
彼女は私をしっかり捕縛した状態で床に敷いてある絨毯へと腰を下ろしてしまった。
ぐぬぅ、動けん。
リリスはそのままディダの方へと顔を向けると。
「ディダさん、メイの治療の時みたく助けてもらう事はできますか?」
何の遠慮もなく、笑顔でそう問いかける。
「キミは本当に素直でいい子だよね。もちろん容易い事さ。」
そういってディダは手をすっとかざした。
音もなく光の線が現れて空中に大きく四角い枠が浮き出る。
次の瞬間、いつぞやにリリスに見せてもらった父君の手帳の中で見た、記号を組み合わせたような文字列と同じものが、光輝く文字となって大量に表示された。
「どうかな、メイ。キミはコレを見て何が表示されたか理解できる?」
ディダは作業を終え振り返りながらメイを見る。
「当然です、ディダ様。これはリリスの持っていた彼女のパパの手帳において最初のページから記載されていた文字表の部分をそのまま表示したものです。」
彼女の目が急に真剣味を帯びて空中に浮いた光る文字を追っている。
「正解だ。リリスの夢見の力を借りてキミの記憶に有る物をここに表示した。イメージに合わせて文字が自由に移動できるようになっている。説明を交えてやってみてくれるかな。」
それだけ言うとディダは光る枠から離れて椅子に座ってしまった。
「これ、リリスが何か手を貸したりして協力してるわけじゃないんだ?」
抱っこされたままの私は上を向きつつ問いかけた。
ちなみに私は彼女に体重を預けたままリラックス状態です。
らくちん。
「はい。私が夢見の権能を用いて空間に描写してるわけじゃないですよ。多分メイの記憶を覗いて手帳の中身を見ても、こうも円滑に描写することは出来ないと思います。私は父の暗号文字を理解できてないので。」
「つまりこれは、メイの脳の構造を光の点と線で描写したときと同じ原理ね?」
「正解だ、セレナ。メイの記憶を映像として転写したような物だと思ってくれていいよ。」
そんな会話をしているうちに考え込むように沈黙していたメイが動き出す。
「よし。じゃあ解説を始めよう。」
そう言うと光の枠の横にメイが移動した。
さしずめこれから講義を開始する教授のように、彼女の横には長方形の光の枠があり、その枠内には謎の記号のような文字列群。
「まずはこの文字群の構成について。リリスやセレナはこれを暗号文だと予想したようだけども、実際の所は暗号文程度の物でもないのが実情だ。」
そう言うとメイは手をすいっと動かす。彼女のイメージに合わせて光板の文字列が移動する。今までページ別に区分けされていたであろう文字群が全て均等に並ぶ。
「二人はこの文字群を見てなにか気付くことは有るかな?」
「うぇ…、えっと…。」
嫌そうな反応をしたリリスだが頑張って文字を睨みつけながら考えている。
「……同じ文字が存在しないんじゃないかしら。」
私はさっと答えてしまう。
リリスが驚いて私を見下ろした後、慌てて光板の文字を見直す。
「正解だよ。もう確認したのかい?流石セレナ。」
すこし驚いた顔をするメイ。
「違うわ。メイとディダの会話で『文字表』という言葉から推理しつつ、ざっと確認した程度の類推よ。」
リリス座椅子にもたれかかったままの私は答えた。
「それも流石だ。」
メイはニッコリと微笑むとメイは拍手のジェスチャーをして見せる。
「はー、流石セレナ。全然気づきませんでした。」
じっと文字列を見つめながらリリスは感心している。
「では、次。この文字表の基本構成を理解できるか。な?」
均一の間隔で理路整然と並んだ光る文字達を指し示すメイは次なる問題を繰り出す。
「……各文字は共通の記号らしき文字、恐らく数詞か段階を表す補足記号。」
私は文字群を眺めながら考える。等間隔に並んでいるものの、法則のようなものは見いだせない。
「セレナ。解読の手法については色々有るけど、総数の把握と最小構成要素の分解は重要だ。よ。」
メイがヒントをくれる。
それを聞いて私は改めて文字群を見つめる。
総数は75文字。最小構成は…恐らく右側に配置されている記号。それに対して左側に配置されている補足記号は全ての文字列に似たような形で刻まれている。
「右の記号は…5種類ですか?」
リリスが指さし数えながら口にする。
「そうね。私もそう思う。
三角形を縦にずらして重ねた記号。上昇や…追加?
波の様な形…波線を重ねた記号。これは海や水面を思い起こすわね。
方向性を表す…矢印や流れを表す記号。風…とか力の向き?
…四角形の中に横線…これは安定か合成?
上方向に枝分かれする記号は、木や成長の表意かしら?」
「うふふ。流石セレナ、実に的確な表現だ。ね。」
そう言ってニンマリしたメイは手をヒョイと動かす。
先ほどあげた5つの要素だけが抜き出されてたてに並ぶ。
「直感による印象は大事だ。印象は共通性の高い言語として表意文字や象形文字などに用いられるね?さて、5つの要素を表すこれらの文字。セレナなら何を示すかわかったね?」
その発言に合わせて5つの要素は正五角形の頂点に配置したかのように配置を変えた。
一番上に重複した三角形。そこから時計回りに、矢印、枝分かれ、安定、二重波形。
なるほど、これは……
「私達人族が体系化した学問。魔術における五大属性。火・水・風・土・木を表す記号、かしら?」
「おー…、なるほどぉ…?」
納得したようでイマイチだと首を傾げるリリスが面白い。
「そうだね、正解だよ。実際の属性の相克関係や循環構造とは特に紐づけられていないが。これらの記号は人族の5大属性の学問を元に選択された文字といえる。ね。」
メイの言葉に合わせて、光板に表示されていた5つの記号が、私達の文字に置き換えられた。
すなわち
重三角形は 火
二重波は 水
矢印は 風
四角形は 土
枝分かれは 木
これらが5つの基本図形
「そして、左の図形は見るからにシンプル。セレナは数か段階を示すと言ったけど、その考えでいてくれて良い。斜線は数を表し、1本~4本までは単純に斜線が増え、5本の時点で形をバツ印に変える。この短辺と長辺で構成されるやや個性的なバツ印が5を表すんだね。以降長辺に更に斜線を足して6~9を表意するわけだ。」
メイの解説に合わせて光板の斜線とバツ印が数を数えるかのように追記されていく。
なるほど、これで1~9が数えられて…。
「メイ、それじゃぁ右の基本図形とまるい記号が左に有るだけの物は?」
リリスの質問通り斜線の代わりに丸印のものも有る。
「それは0を指す記号だね。特殊文字というわけではないけど…。これらを補助記号の小さい順に並べ、基本記号の並びを揃えると……。」
メイが光板の前ですっと手を横になびかせる。
その動きに合わせて文字群達はメイのイメージに合わせて並び順を変える。
「あっ、これなら私にもわかりました!」
リリスが嬉しそうな声をあげて目を輝かせている。
「なるほど、これは暗号文字では無かったのね。」
私は眼の前に並んだ文字列を見て感想を述べた。
「そう、セレナの言う通りだ。これは『暗号文字』じゃなくて『代替文字』。エリシア語の基本表音文字である50音を表す代わりの文字列なんだよ。」
つまり
火を「あ」 水を「い」 風を「う」 土を「え」 木を「お」
の母音として
1~9番を「あかさたなはまやら」行
0番を「わ」行の子音とした文字列を基本構成とする
私達、人族が使う表音文字『エリシア語』を表しているのだ。
魔族の王が娘に託した物。
解き明かされた中身は、魔族の敵である人族の言葉を用いて記された代替文字によって構成された物だったのだ。
円周率のくだりは……多分合ってる
と思う……
ハズ……
有識者のご意見・ご感想をお待ち申し上げます




