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救済の聖女のやり残し ~闇と光の調和~  作者: 物書 鶚
第一章 第二部 魔導工学と魔獣
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第二十六幕 「魅了」

求めようとしても、この手になかった物

求めようとせずに、この手にした物

かけがえの無いもの


「絶対に失ってなんかやるものか」



「んで、メイはどうしちゃったのコレ。」

私は骨抜きになった彼女を睥睨しながらリリスに疑問を投げかけた。


私と視線を合わせた途端、メイは口をあわあわと戦慄(わなな)かせながら、さらにリリスの陰に隠れるが……顔だけは覗かせたままで視線は私に突き刺さったままだ。


一般的な価値観を超越し、論理の壁を築き、おおよそ通常では耐えがたい体験を乗り越えた精神強度の持ち主とは思えない有り様のメイ。


どう見たって異常だ。


「これはサキュバスの権能の一つである『魅了』の影響下にあるんです。セレナの外観を変えているのは『夢見』における視覚への干渉の一つですけれども、その視覚に『魅了』の魔術を内包させている状態です。

なので、メイはセレナを見た瞬間から魅了状態に陥っているので余程の精神強度を持った人間でないとこの状況からは抜け出せません。」

ドヤ顔満面でリリスが説明する。


なるほど、これがサキュバスによるかの有名な『魅了』の効果なのか。


改めてメイを観察する。

相変わらずリリスの陰に隠れていて、顔は紅潮し目は潤んでいる。縋るようにリリスの服をつかむその腕はわずかに震えている。歓喜か感動か、あるいは羞恥と興奮に打ち震えるかのような……自らの感情に戸惑い陶酔する、恋する乙女の様な振る舞い。


内股でモゾモゾすんな。


あの飄々(ひょうひょう)とした態度と自らの論理を自慢げに語る弁舌を披露した彼女とは思えない。ていうか、落差がすごくて面白い。


「つまり、これってリリスの造形による私の外観の美しさに打ち震えてるとかではなくて、純粋に魔術の効果なの?」

そう言いながら私は改めて鏡に映る究極美らしき身体を持った女性を眺める。

やっぱ何度見ても完全な美しさをもった躰だが……違和感しかない。


「はい、たとえセレナが……性欲(たぎ)っててギットギトに脂ぎって醜悪でいやらしい微笑みを浮かべるデブ男でも同じ効果を出せますよ?」

リリスは事も無げにとんでもない例えを出してきた。


一瞬、自身がそんな風貌になったのを想像して寒気が走る。


「やめて、それは嫌。」

やや血の気が引くのを感じつつ懇願(こんがん)する。


「私だってセレナがそんなになるのは嫌です。」

リリスは笑顔のままその状況があり得ない事だと保証してくれた。

それを聞いて私は心の底から安堵する。


「で、私のこの姿は何?正直、純粋に凄い美しさだと思うけども、自分の認識との乖離(かいり)がすごくて違和感しかないわ。」

私は身体をひねり、腰のくびれや横から見た女性らしい曲線美を観察し、あらためて感嘆する。


「何と言いましょうか……私の持つ知識における『最も美しいバランスの肉体』という造形を、セレナの顔ベースで私なりに頑張って作ってみたんですけれども……高い評価をしてもらえたようで安心しました!」

自らの功をほめて欲しい子供の様な屈託のない笑顔を私に向けながら自信満々で言い放つリリス。


「ええ、びっくりしたわ。素直に『完全なる美』とか『究極の美』みたいな感想が思い浮かんだもの。……でもこれ、私自身には『魅了』が効かないのね?」

魅了の魔術の説明をされたあたりからふと疑問に思っていたことを口にする。


「……あれ? そういえばセレナは『魅了』されませんね?」

数拍の間を置いて期待外れの反応が返ってきた。


「……どうやら想定外の事態かしら?」

やや呆れた表情でリリスの方を見つめると、後ろのメイが「ひぃ。」と息をのんで身をよじる。視線を向けただけで尋常じゃない影響が彼女の心身に及んでいるのは間違いなさそうだが、大丈夫かなコレ……。


「……特にセレナに影響がでないようになどといった調整はしてないので……この場合、通常であれば鏡を見たセレナも自身の姿に骨抜きになるはずでした……ね?」

自身の権能が効かない事象が発生したというのにのんきな反応だ。


「それにしては驚いてなさそうね?」

その理由を知りたくて突っ込んでみたものの……。


「だってセレナですし、あり得ない事でもないかと思いますよ。」

想定外でも何でもないです、といった謎の信頼を寄せる答えが返ってきた。


「……まぁ、リリスが良いなら深くは突っ込まないわ。」

「不思議ですね!」


そんな面白おかしそうな反応をするリリスをみて、納得のいく答えが返ってこない事を理解した私は追及を諦めることにした。

そして既に腰を抜かして地面にへたり込み、リリスの太ももにしだれかかるメイを睥睨する。


「……あっ、あの!せ、セレナ様ぁ…どうか、私に…お情けを……このままでは私……気が狂ってしまいそうですっ……。」


既に魅了の術によって尋常じゃなく狂ってるメイを見てため息を一つこぼし、私はリリスに忠告する。


「さ、リリス? そろそろサキュバスとしての権能お披露目会は終わりにしましょ。メイをこのままにしたら手帳の謎を説明してもらえそうにもないし。ね?」


私は彼女が失念してる可能性を思い浮かべつつ、本来の目的を思い出させようと提案をしてみると。


「……あっ!」

案の定、リリスはしまったといった風な反応をよこす。


まったく……。

すっかりうっかり淫魔め。


自身の才能の誇示をするタイミングが下手くそすぎだよ……。






その後、ややあって。


私の眼前には正座する魔族と、それを仁王立ちで見下ろす人族。


見たことない景色ね。



「つまるところ……私は、サキュバスの恐ろしさをまざまざと体験させられたという訳だ。ね?」

リリスから状況の説明を受けたメイはたっぷりと間をおいてから口を開いた。やや不機嫌そうな声色でリリスをじっとりと睨みながら、恨み言をこぼす。彼女の顔は真っ赤だし、目には涙を溜めている。


「えーっとですね? 個人的には『魅了』状態は多幸感に(あふ)れた通常では得難い体験だと思っているので、悪意や敵意の類をもってしてメイを術中にはめた訳ではない事をご理解いただきたく。」

余裕なさげに目を泳がせながら弁明をするうっかりサキュバス。


「確かに、リリスの『魅了』は薬物とは比べ物にならない体験を私に味合わせてくれたけどね? 誇張でも何でもなく……正気のまま気が狂うかと思ったよ…。本当にセレナに慰めてもらわないと死ぬかと思ったんだから。ね?」

つまりメイは状況を完全に認識したまま、何の違和感もなくあの言葉を発していたという事だろうか。

『魅了』の認識改変力は凄まじい物なのだろう。


ていうか私も色々と危なかったようだ。

こっわ。


「ごめんなさい……。」


「せーっかく手帳の中身を解説してあげようと、意気揚々と訪問したと思ったのに!まさかこんな仕打ちに遭うとは!思いもしなかった!ね!」


「……本当に申し訳なく…‥。」


「これは貸し一つだからね!」


「はい……。」


プリプリしながらリリスへと詰め寄るメイ。詰め寄るというか、覆いかぶさらん勢いで上からがなりつけている。

リリスはすっかり縮こまって俯いて謝辞を述べるのみ。


私は椅子に座ってやりとりをのんびり眺めているだけ。

こーゆーのは中途半端に止めるより、すっきり吐き出させた方がいいと思う派なので、とりあえず好きにさせておく。


ちなみに私の姿は元の残念ボディに戻ってる。

魅了の術も解消されたようだ。


やはり自分の体が落ち着く。



「ほんと、急に知らない場所にいると思ったら周りの雰囲気は何となく怖いし!声がしたと思ったら凄い素敵な声で心が打ち震えるし!誰かが覗いてきたと思ったら魔族だし!リリスだったし!安心したと思ってベッドから出たら美の女神が居るし!去来する幸福感に色んなものが溢れ出そうになるし!さしもの私も状況が把握しきれずだよ!ね!?」


しっかり把握と記憶できてるなぁ。

流石天才。


「私の内装の趣味を……怖いって言った……。」

止めておけばいいのに無駄な抵抗を試みるリリス。


「んん-!?」

何か言ったかなとばかりに更に覆いかぶさるメイ。


「なんでもないですぅ……。」

更に身を縮めるリリス、もはや床に伏して土下座の姿勢だ。


魔族を人族が言葉だけで圧倒してる。

すごい眺めだ。


でもまぁ、頃合いだろうか。

そろそろリリスが本気で辛そうだ。


「ねぇ、セレナ。いい加減止めてあげなよ。」

突如左後ろから声がする。


出たな、神格。


相変わらず何の気配もなく唐突に現れる。

いや、これは夢見だから私の知覚が正常じゃない可能性があるけど。


「発言の直前に出現してるから気配も無いし唐突で合ってるよ。それとメイ、そろそろ彼女を解放してあげてよ。ボクとしてもキミの暗号解読を早くお披露目して欲しいのだけども。」


人の思考を読みつつ、その場を仕切りだすディダ。すんごい会話しずらいから此方のルールに合わせて欲しい物だと思うけど。

ディダの発言も一応筋道が通ってるからややこしい。


「……びっくりした。えっと……ディダ…様でよろしかったでしょうか。」

唐突に声をかけられて驚いたのか、さっきまでの形相がすとんと抜け落ちている。どうやら冷静に戻ったようだ。


「呼び方はキミの自由だ、様をつけてもつけなくても構わないよ。」


畏怖しろって言ってなかったっけ…。

そう思いながら私は振り返りディダを視認した。


相変わらずちっちゃくてかわいいのに尋常じゃない存在感を放っている。


「畏敬の念は言葉ではなく態度で示すものだ。彼女にはそれがありありと見て取れる、ボクはそれで満足さ。」


「そうでしたわね、私としたことが大変なご無礼を。」


そういって私が言葉を取り繕って話すと


「セレナの場合は素で喋らない方が慇懃無礼(いんぎんぶれい)なんだから、普通にしてよ。」

ディダは淡々とした表情で私の腹の内を知りつつ周りに説明してくれる。


「様式美よ。解ってるでしょ。」


「そうだね、ボクとセレナの間には必要な儀式のようなものかもしれない。」

そういってディダは少し面白そうな表情をした。


……初めて笑顔を見たかも?


「ディダさん……メイが許してくれないぃ……。」

私が静観を決め込み助け舟を出さない事は理解していたのか、どうやらリリスは突如現れたディダへと救助を求める事にしたようだ。

土下座の姿勢のまま、助けを乞う様な表情でこちらを見るリリス。

目は涙で潤んでおり今にも流れ落ちそうだ。


ていうか、その姿勢で涙が落ちないのはおかしくないか?

あれか、夢見効果?


「リリス、別にメイは怒ってない。照れ隠しに虚勢を張ってるだけだ。」

胸中を見透かす神格は何のデリカシーも無く言い放った。


「うっ……ディダ様、あの……私にも体裁というものが。ですね?」

あけすけに自身の内面を見透かす神格に対し、しっかりと物言いをつけるメイ。やはりこの娘は尋常じゃない精神力をもってる。


「偽りの言葉はどんなに飾ろうとも、いつかそれで身を滅ぼす毒となる。素直に己の思いを告げる事こそ最大限に相手を心を律する力となるんだよ。」

いつも淡白で動きの無い表情だったディダが、突如メイを慈しむような優しい笑顔で言葉を放つ。


メイがハッとしたような表情で目を見開き、少し逡巡した後に気まずそうな表情になる。


そのままメイは少し下がって静かに座り込み、リリスに手を差し出して顔をあげるように促した。

されるがままに顔を上げたリリスは怯えた表情でメイの目を見ている。


「……正直言うとすごい体験をしたって思ってるし。気分はむしろ……体験したことの無い幸福感というか……よ、良かったの、で。本当は怒って無いです……ちょっと知らない感覚に混乱はしてたかもしれないけど。ね。」


おずおずと気恥ずかしそうにメイは伏し目がちに言った。


「……本当に怒ってない?」

じっとメイの目を見つめたままリリスが問う。


「命の恩人にあのくらいの事で……本気で怒るわけないじゃん。ね。」

観念したかのような笑顔でメイが言い切った。


「う…う゛あぁん!」

泣きながらリリスがメイへと覆いかぶさりそのまま押し倒してしまった。


「ぎら゛われだがどおも゛っだぁー!!」

安心したのだろう、そのままメイの胸に顔を埋めて慟哭するリリス。


「そんなに凹むくらいならやらなきゃ良かったのに……。」

メイは呆れたような声でいう。だがその手は泣いてるリリスの頭を優しくなでている。


いつぞやの夢見とは逆の光景だなぁと思いつつ、私は微笑ましくそれを眺めていると、横から威圧的な視線を感じることにふと気づく。


あれ、やっぱ知覚効くじゃん。


そう思いながらディダの方を向くと、彼女は腕を組んだ姿で仁王立ちして意味ありげな視線で私を睨んだ後、顎でしゃくる様に二人の方を指し示した。



はいはい、ちゃんと仲裁しろって事ですね。


「ま、リリスは不安だったというか羨ましかったんでしょ?私とメイが小難しい話で盛り上がってるの見て、自分がついていけない事に。

だから自分の独壇場である夢見に誘って、そこで自分の才能を見せつけてたんじゃない?『私もこういうことが出来ます!』ってね。」


私も飾らず思ったことを思ったままに聞いてみる。


「そうなの?」

メイが自分の胸に顔をうずめたままのリリスに問う。


「……うん。」

やや間を置いてリリスは頷く。


顔は見えないけど耳が真っ赤だぞ。


「あらま、ごめん。仲間外れにするつもりはなかったんだけど……ちょっと無神経すぎたか。ね?」


「……ううん、私が勝手に思っただけだし。」

いまだ顔をうずめたままのリリスは鼻声でモゴモゴと喋る。


「くすぐったいよ。」

むずがゆそうに笑いながらメイはリリスの頭を優しく抱きしめた。


「……ごめんね。」

「こちらこそ。ごめん。ね。」


よし、仲直り完了。


「セレナ。キミは謝るとことか無いの?」

今度はじっとりとした視線を投げつけながらディダが口を開く。


ほう?

私にも謝るところが有るかどうかとな?


ふん。と鼻から息を一つ吐き出し、目をつむったまま胸を張って腕組みした私は口を開く。


「私は事態に混乱してたわけではないし、被害を受けたとも思ってない上に愉しんでた訳でもないので。状況を静観していただけだから…。謝罪を要求されても困るのだけども?」

何の迷いもなく、一言。


言い切ってやった。


「うわ、本当に心の底からそう思ってる。」

ディダが驚いたように反応する。


今日の彼女は表現豊かだね、いつもそうしてくれりゃいいのに。


「偽りの謝罪で場を飾っても、この場に妙な気遣いという毒を生むだけじゃない?私は誠心誠意、私の無罪を主張するわ。無関係とは間違っても言わないけれども。」


ディダの言葉を用いてはっきりと言っておく。


「いってくれるね。流石セレナだ。」

面白おかしそうな顔をしてディダが賞賛の言葉をこぼす。


「私も……セレナが謝る様なことではないかと思います。」

いつの間にか顔を上げ上体を起こしていたリリスは、心の底から嬉しそうな顔をして言った。

顔にはしっかり涙の跡。夢見の効果で消せばいいのに、変に律儀な事で。


「まぁ、それがセレナらしいよ。ね。」

同じく上体を起こし終えて座った姿勢のメイは、やや呆れた顔をしていたが……口元はにんまり笑っていた。

顔は照れたままで赤かったけど。



「……誉め言葉と受け取らせていただくわ。」

ややむず痒い思いが胸中渦巻くが……甘んじて受けておこう。

それくらいの割を食わないと彼女たちに申し訳ないし。



「まったく、君たち3人とも、仲良く楽しみすぎだよ。こうも話が一向に進まないと……正直やきもきさせられるね。」

そんな呆れたような憎まれ口をたたくディダも顔は笑っている。


どうやら私たち3人とも、交流が楽しすぎて脱線し放題なのは共通問題らしい。困ったものだ。



「じゃ、ディダ様のご要望にお応えするためにも、いよいよ本題とまいりましょうか。ね!」


そういってメイは元気よく立ち上がり言い放つ。


「はい! よろしくおねがいします!」

一時忘れていたことを既に忘れているかのように、心待ちにしてましたと言わんばかりの気勢で目を輝かせるリリス。


「天才のお手並み、拝見させていただきましょ。」

私もいよいよ手帳の中身が知れる時が訪れた事に期待を隠せない。

自然と姿勢が前のめりになる。




ディダは満足げに私たちを見守るだけ。


彼女と『雇い主』が望む……私たちの目指す先に繋がる何か。


さぁ、見せてもらいましょうか。


認識改変系って怖い

戦闘において相手を敵と認識できなくなるんですよ?


変な勘違いした人は謝って下さいね

ごめんなさい

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