第二十二幕 「帰りの馬車」
知らなかった世界の話
知る機会のなかった世界の話
知ってしまった世界の話
「それを知ってしまったら、無関係で居ることなんて出来ないよ。」
結局あの後、メイドのレネアがお茶請けを持って執務室に入室する頃には話は終わってしまっていた。邸内に手頃な女の子向けの茶菓子の用意が無かったので、急遽簡単に作れるスコーンを焼いてくれたようなのだが……既に翌朝以降の打ち合わせも含めて話は終了。
リアムとフィンともう一人の手練れを連れて『朝方8時までには村に行くのでそこで改めて段取りを執り行おう。』と、いう流れになった。
レネアが焼いてくれたスコーンはお土産として包んでもらい、セドリック達に見送られた後、私とリリスは帰りの馬車で送られている所だ。
御者は護衛を兼ねたリアムとフィン。
大変だね、小貴族の従者はあっちこっち色々と使われて。
ちなみに馬車の中にいるのは私とリリスだけ。
リアム達の「恐らく夜の10時前には村に戻れるだろう。」って会話を最後に大人しく馬車に揺られている。
「ぬー…。」
リリスが馬車の中で唸り続けている。
マナフォートに関わる話をしてた時から、ずっと難しい顔をしたままだ。
「そんな顔して唸って……まだ頭を悩ませてるの?そんなに難しい話じゃないでしょ、高級軍需物資の不正な横流し問題なんて。」
悲しいかな人間社会において珍しくもなんとも無い話。
セドリックのいう所、人の業の深さたるや。ってやつだ。
「そっちの話は……まぁ、なんとなく解るんですけども。私が疑問に思うのはマナフォートで負のマナを増幅したらっていう現象の方なんです。
高濃度な負のマナによる汚染で人為的に魔獣化を引き起こす、なんて簡単にいいますけど……可能なんですか?」
指折り何かを数えているようだけど、彼女の計算では納得がいかない様だ。
「んー、たぶん具体的にフォートレスアーマーとマナフォートのセットで、ドレだけの期間軍事行動が可能か話していないせいかも。」
「というと?」
「非戦闘状態、つまり『ただ行軍したり待機するだけの状態』だと、一本のマナフォートでおよそ14日間。二週間の連続使用が可能なんですって。」
「単位は『本』なんですね。」
「『銀の筒』だからね。」
「そして思いのほか長持ちでびっくりしました。」
「1万人を超える将兵と関係者を極地で軍事的に運用するためだからね。一定の連続使用時間が確保できないと戦術の幅が狭まるわ。」
「なるほど…。ということは…マナフォート1本で極寒の極地に2週間居たのと同等の負のマナが生み出せるってことですか?」
「流石に個人用の環境遮断結界は魔力消費を最大限効率化されて展開されているだろうから、同等って事にはならないと思うけども。まぁ考え方としてはそういうことよね。」
「それでも2週間という長い期間、極寒の死地に耐える結界を展開し続けられる分の魔力を負のマナに変換する……通常の野生動物であれば極寒の死地に2週間どころか7日間だって耐えられないでしょうけど、この森で負のマナに曝されるだけなら絶命を免れて魔獣化する、っていうのは有りそうな話なんですね。」
「実証するだけの事例が確認されていない以上、予想の域は出ないけれども。故意に行われているとしたら、本当に恐ろしい事よ。」
「そして魔獣化してしまった生き物は負のマナへの渇望が抑えられなくなる。残虐性と破壊衝動により周囲に被害を与えつつ、貪欲かつ残酷に周りの生物を襲いだす。」
「7年の間に非正規品である『銀の筒』がどれほどの本数が使用されたのかは判らないけれども……それを複数の個体が吸収したのは間違いないわね。」
「セレナが屠った個体。そしてグリーンリーフ村の人たちが認識している黒毛の個体。少なくとも2体は発生が確認されてるんですもんね。」
「クマという生物は縄張り意識の強い単独生息の動物だし。縄張り内に負のマナが流れ込めば必然的に魔獣化するんでしょうね。森の生物の中でも一番個体としての優位性が有るのは間違いなくクマ。それを魔獣化する事を目的として投棄されたゴミの山と隠された銀の筒。」
「偶然、という方が無理がありますね。しかし……いったい何の目的でそんな事をグリムヴェインさん達にやらせたんでしょうか…?」
「恐らくグリムヴェイン達に銀の筒を横流しして、指示通りに処理することを仕事として依頼した闇の住人が居るはずよ。
もちろん、誰かに話せば全員消すぞっていう脅迫とセットにしてね。
その黒幕……あえてそう呼ぶけども。黒幕が目的とするところが魔獣の人為的作成なのか、その発生による国家の被害なのか、はたまた更にその先か、別の所に目的が有るのかは今の時点では情報が足りなすぎるわ。」
私はお手上げだと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
そんな私の仕草を見てリリスもまた悩ましげに目を閉じながら思案にふけっていた。
……裏社会の住人であろう『黒幕』。
そして闇市場の流通品、哀れな小悪党と哀れな獣達。
恐らくこれらは全て繋がっている。
問題はそれらの繋がりを示す証拠なんて一切見つからない事が分かりきってること。
真の悪は狡猾で慎重。
気取られたり辿られるような痕跡など残すわけがない。
だけどいつか尻尾を掴んでやるんだ。
未だ横行してるであろう特殊礼装銀の横流し。
ほぼ確実に神殿の上層部が絡んでるに決まってる。
神聖魔術の適正のある信者による術式封入作業は軍関係者と神殿関係者相互の監視状態にある、その状況下で非正規品の管理に携わり横流しが可能と思われる人物なのは神殿上層部に関係していて高度な神聖魔術を使用できる『表面上疑われない高位神官』しかありえない。
かつての大戦時、義父である大司教マティアス・ルミナリスは自身の不甲斐なさを懺悔するかのように現状を私に教えてくれた。
問題が表面化したものの増産が急務である背に腹は代えられない状況下、責任者として内部の汚職を是正しなければならない立場にいる彼が、諸事情を含めた情報を私に明かしたということは……彼は自身の権力において可能な調査に限界を感じており、特異な存在である私に一縷の望みを賭けた。そういう理由だと思う。
だが今もなお、極限の死地での作戦行動は継続されている。
そして状況が解決された報せは聞かない。
私は養子として世話してくれた個人的な恩義に報いるためにも、一介の教徒として真摯に人々を導く姿勢においても、義父であるマティアスを尊敬しているし力になりたいと心の底から思う。
その義父の真剣な想いも連中は嘲笑いながら影で蠢いてるのだろう。
海辺の集落から命からがら逃げ延びた少年たち、頼る先の無い彼らを飲み込んだ悪意。
己の無力さに嘆きながらも信仰に縋り、世界が良きものであってくれと願いながら精一杯生きる信仰の民たちを食い物にする悪意。
民の安寧を願い続け手が届く全てを導かんと祈りと信仰の日々を暮らす純然たる女神の従僕を悩まし続ける悪意。
人の思いにつけ込み勢力を伸ばし続ける『闇の住人たちクソ野郎共』の犠牲者は増え続ける。
バカにするにも程がある。
私がグリムヴェインが最後にこぼした言葉を聞いて、即座に激昂した理由はこういった事だ。
救済の旅の目的の一つ。
私のやり残したことの一つ。
私は連中を絶対に許さない。
「……セレナ、また何か怖い雰囲気になってますよ。」
私の悶々とした感情のうねりを感じたのか、リリスがおずおずとしながら私に話しかけてきた。
「……ごめんね。この闇社会に関連した理不尽な事柄は…私の中で許しがたい事の一つとして余りにも大きな存在なの。どーしても穏やかでいられなくなっちゃう。」
そういった後、深呼吸をしながら気を落ち着かせろ、と念じる。
「グリムヴェインさんと話し終わった後の雰囲気もすごかったです。
『セレナが怒るとこんな感じになるんだ。』って思いました。……でも、良かったんですか?夢見の中で話すって言ってたじゃないですか?」
「メイドのレネアに協力してもらった実験のお陰で、指環の隠匿性能がより柔軟かつ有用なものだと解ったからね。今もぺらぺら喋ってるけども、リアムもフィンも全然気配に動揺が見られないわ。」
当然、馬車に乗った時点で私とリリスを範囲に含む隠匿結界は念じてある。特定範囲の一室を自動的に隠匿結界化する方は『移動中の車内』が適用されるのか不明なので、あえて個別の隠匿結界を意識した。
「あれは私もびっくりしました。指環の力で、なし崩し的に密談を始めるのかなー?って程度に考えていたんですけど……セレナは突然、検証実験をはじめるんですもん。」
「断りなく勝手に実験しはじめたのは悪いと思ってるわよ?でも詳しい経緯を話さずに実証に適した状況を得るのは難しいじゃない?だから私は機会を逃さないためにも信用に値する子爵と執事の反応を含め、メイドに実験協力してもらったってワケ。」
「そこは全然いいんですけど…。結局のところ、対の指環の性能はどんな物だってセレナは考えてるんですか?」
「んー…。個人別の隠匿結界の範囲については5m以内を自在にってのは合ってると思う。そして隠匿魔術の行使が出来ない私の意志に準じて、対の指環はメイドのレネアに対し少なくとも『音の遮断』と『口の動きの偽装』をやってくれたわ。だから装着者に対する第三者への隠匿機能っていうのは、ほぼ完全に自動的に行われているんじゃないかな、って思ってる。
あの時私は範囲内に居るリリスと子爵と執事には隠匿せずに、範囲外のメイドには音と口の動きを隠してほしいって念じてたからね。
だから『姿の隠蔽、音の遮断、局部的な視覚偽装』についていうのであれば、隠匿魔術を行使する際の思いに反応していたってのはリリスが闇魔法を行使していた実情と、今回の私の実験の差異によって確認できたと思うの。
ただしリリスの父君が見つけたっていう『隠匿魔術の最適化』を端に発する、いろんな魔術の最適化ってのは正直まだ…正確にどうなってるかわかんない。
父君が同族をたしなめる時に使用していた精神干渉系の魔法の効能や魔術強度、効果深度がどの程度のものかわからないし…指環の有無による差異は個人にしか認識できないものじゃない?」
ここまで一気に話してリリスを一瞥する。
リリスは真剣な顔をしてふんふんと頷いている。
実体験を伴う認識済みの話しだからちゃんと話に付いてきてるみたい。
「メイの治療に使用した『冥魂の揺籠』についても、リリスの実感は魔術強度の減衰が気持ち緩やかだった、くらいだったわよね?対象が茫然自失していたメイだった事も関係してると思うけど……正直な所、術者本人じゃない私にはわからないわ。」
これまたお手上げと言わんばかりに首をかしげた私を見て、リリスもまた考え込むように首をかしげた。
「うーん、術者本人の私ですらハッキリとした違いはわかりませんし……いずれにせよ効能の確証を得るにはもっと検証が必要そうですね。焦って調べて勘違いしたり指環の存在が悪い人に知れちゃうのも避けたいですし。ゆっくりじっくり調べるのが良いと思います。」
とてもリリスらしい返事が帰ってきた。
「まぁ、ディダが全てを教えてくれりゃ早いんだけどね。焦らしてる風というより語ることを許されていないって感じだったのも含めて、簡単に全てを知ることは難しそうね。」
私も先を急がず長いことを構えるのが良いと思ってるし、その点において私達に認識のズレが無いのはありがたいことだ。
「それよりも私、今は早く宿に戻ってメイとお話したいです!」
目をキラキラ輝かせながらリリスが意気込んでいる。
「手帳の件ね。私もおよそ数時間で暗号を解読した天才の手腕が如何ほどのものかすごく楽しみよ。」
リリスの期待に満ちた喜色満面の顔を眺めながら、私も自然と笑顔になるのを感じながら答える。
そうして会話は途切れ、ゴトゴトと馬車に揺られながら……私はひとり思いにふける。
―しかしまぁ…
ほんと、今日は色々と忙しくなってしまった。
メイが手帳を解読した件も突然だったけど…。
グリムヴェインから聞けた話、『銀の筒』の事。
あれは本当に大きかった。
それに伴ってローム兄妹に輸送依頼という形で、陛下への陳述書を早馬で輸送出来たことも重要だ。
何もなければエミリアとフェデルのお陰で陛下へと陳述書が届いている頃だ。あれだけの情報があれば陛下の指示の下、色々な政府組織が動くことになる。
そうなると子爵との会合を経て事前了解の言質を取る事は必要なこと。
彼の領内における魔獣討伐に関わる『銀の筒』という最悪の懸念材料が有る以上、絶対に知らせておきたかったが……それに付随して行われるであろう行政執行が滞りなく行える状況を整えられたのは最善の行動と言える。
…それでも、やっぱ片道2時間弱の往復は正直しんどい。
子爵の馬車はごく普通の馬車で、魔導工学による乗り心地の改善をされたものじゃないので……おしりがちょっと痛い。
それでも普通の馬車の中では上質な部類に入るんだろうけど。
遥かに上質なものを体験してしまうと下には戻れなくなってしまう人の性。
今日の私の働きっぷりを陛下に評価してもらって、グリーンリーフ森林地帯領地伯の功績を具申しようかな。
そんで爵位をあげてもらおう。
そしたらセドリックはもっと良い馬車を買えるだろう。
そんなとりとめもない事を考えてるうちに馬車は無事に緑葉亭の前へと着いた。リアムとフィンに礼を述べ別れた後、お土産のバスケットを抱えたリリスと共に玄関の扉を通り抜ける。
「マーサ様、只今戻りましたー。」
私はコールベルを鳴らす前に大きめの声を張り上げて呼びかける。
「おかえり~、有意義な会合だったかーい?」
すぐ横の待合所の方から間延びした声が聞こえた。
振り向くとローテーブルに本をいくつか積み上げ、ソファに座った状態の女性が手に持っている分厚い本に栞を挟みパタリと閉じたところだった。
「……もしや、ずっとお待ちになられてたのですか…?」
聖女モードでなんと言ったものかと、やや迷いつつ。
呆れ顔を向けながら私は彼女に声をかけた。
「そりゃもう、色々と楽しみにしてたもので。ね。」
ワンピースタイプのパジャマにカーディガンを羽織り、わくわくが止まらないといった風の笑顔を投げかけてくるメイが居た。
ソファの脇には着替えやら身支度の道具が色々と入った広口のバッグ。
この娘……さては一緒に泊まる気だな……。
ここまでのまとめのお話
まとまってるかは知らん
そして夜は女の子3名によるパジャマパーティーだ!
間に入ると死ぬヤツ!




