第十九幕 「子爵邸にて」
古巣から後輩が報せを携え訪れた
何のことは無い、要人に便宜を図れとの報せ
もはや振るうことも有るまいと思っていた体が芯から疼く
私の肌が事態の異質さと時代の変容を感じ取る
「さて、彼は今後どう動くでしょうか……楽しみですね」
グリーンリーフ村の西から森の奥へと続く道を2時間ほど進んだ先。
ルミナ大陸の中央にある森林地帯。
ルミナス王都・北方森林地帯領地伯セドリック・グリーンヴェイル子爵領。
グリーンリーフ大森林の片隅に彼の屋敷はあった。
日も落ちきった時間、深い闇に閉ざされた暗い森に彼の屋敷から漏れた明かりが揺らめいている。
中からは人の話し声が聞こえており、その雰囲気は非常に楽しげだ。
「はっはっは!それはまた傑作だ。彼女は一度成らず二度も聖女の奇跡に触れ、その身で体験したということか!」
グリーンヴェイル子爵の笑い声が食堂に響いてる。
決して豪華とは言えない普通の造りの屋敷、それでもしっかりと手入れが行き届いており家具や調度品も上品なものばかり。
全体的にとても落ち着いた雰囲気。
出された料理も豪華というよりは親しみのある家庭料理に近いものだ。
とても気兼ねなくくつろげる食事会の席で、私は先程までの出来事を話しながらリリスと共に彼との交流を楽しんでいた。
「その後のルーカス様も、妹君がすごい状況だと言うのにとんでもなく冷静な反応をするものですから。私ちょっと意地悪してやろうと思いまして。彼と彼の愛馬であるノウス様にも強化を体験してみないかー?と提案してみましたの。」
私は眼の前のテーブルにあるメインディッシュにナイフを入れながら話す。
ハーブの香りを纏わせながら旨そうな脂の匂いが鼻腔をくすぐる。
野鳥のジビエかなんかだと思う。おいしそ。
「ほぉ、それで彼は?」
心底面白そうに私の話に相槌を打つ子爵。
「軽く流されましたわ。主従ともども。小憎たらしい受け流しっぷりにございました。」
私はため息混じりに言い放つと、ナイフで切り取った肉をフォークで口に運ぶ。淡白ながらも滋味あふれる旨さが口の中に広がる。
思わず顔がほころんでしまう。
それを聞いた彼は再び面白そうに笑いながらグラスを傾ける。
「それにしても……トマス様はいつから見ていらしたのですか…?あの後、私共に話しかけられるまで気づきませんでした…。」
リリスが場繋ぎに話を広げてくれる。
あのルーカス達とのやり取りの直後、トマスは私達に声を掛けて用事の状況を確認しに尋ねてきた。
私が概ね用事は済んでいることを伝え、彼が御者を務める馬車にてセドリック・グリーンヴェイル子爵の屋敷へと来たのだ。
私はトマスの存在には気づいていたけど、彼が状況を静観しているのを察してほっておいた。だけどリリスは気づいてなかったようで、唐突に背後からトマスが声を掛けたのに驚いて「ひゃん!」って言ってた。
かわいー。
「お邪魔にならぬよう控えておりましたので。まぁそろそろ頃合いかと思いまして、お声かけを致しました。驚かせてしまったことは平にご容赦を。」
給仕をしながら同席しているトマスさんが、リリスに向かって深々と頭を下げた。
「あぁっ、そんな頭を下げていただかなくても! 決して責めようとかそういうことではないのです。本当に私きづいてなくって、純粋にその身のこなしに感心して聞いただけなんです!」
リリスが慌てて取りなしている。
「リリィ殿。こやつら執事というものは機を伺うことに長けておる。万事を整え、有事に備えて、即時に物事を収められるよう常に振る舞う習性を磨くことを何よりの信条としておるのだ。
トマスは王宮でも執事として働いた経験を持つ者でな?かつて昔は陛下直属執事長殿と腕を競った仲だという話もある。老練な執事はある種の達人だと思われるが良い。」
セドリックが大真面目にふざけた様子で、とんでもない事をリリスに吹き込んでいる。まぁ、あながち間違いでも無いのだが。
「まぁ!本当ですか?」
素直なリリスがちゃんと驚いてみせるのを見て子爵が満足げな笑みを浮かべてる。
「セドリック様。あまりお客様に妙なことをおっしゃらぬように。」
トマスがじろりと子爵を睨みつけている。
「ふふふ、すまんな。」
そう言って上機嫌になりながら再びグラスを傾けた。
終始和気あいあいとした雰囲気で、会食は進んでいる。
子爵は終始笑顔のまま、本当に楽しそうにしている。
心底嬉しそうに。
思い起こせば屋敷について馬車から降りるときも、子爵自ら玄関先へと迎え出て歓迎の意を示してくれた。
全身に喜びを滾らせながら、心の底からの笑顔で。
そして何度も何度もハーセル家のことについての礼を述べながら、頭を下げたのだ。
ハーセル家のことは子爵にとっても重大な事件であり、彼は彼なりに神経をすり減らしていたのだろうと思う。しかし領主として落ち込んでいても何も始まらないがゆえに気丈に振る舞っていた。
そこへ聖女到着の知らせが届いたときの彼の心情や如何に。まさに神の思し召しかと言わんやと全力で便宜を図ったのかも知れない。
更には無事にハーセル家は救われ、傷も心も癒やされたとなれば。もはや至上の喜びに溢れんばかりだろう。
その後も討伐隊の小話や村の事など、本当に何気ない話をいろいろとした。
彼の笑い声は絶えることなく続き、場を賑やかした。
食事会を終え程なくして、我々は彼の執務室へと招かれた。
トマスが用意してくれた紅茶が置かれたローテーブル。その回りに備えられたロングソファに腰を掛けている私とリリス。
その上座にあるソファに腰をかけながら、セドリックは切り出す。
「さて、聖女様。夜には宿に戻られる事をご希望とのことですし手短にまいりましょう。」
「はい、承知いたしましたわ領主様。」
緑葉亭の一角で行われたいつぞやの会談のように、それは始まる。
「聖女様のご活躍により、我が領内における最大の問題である犯罪組織問題は解決された、そう考えてよろしかったでしょうか?」
領主はそう切り出す。
「現時点において確認されている犯罪組織の拿捕と、他に人為的犯罪の確認が取れて居ないのであれば、本件はこれで解決という判断でよろしいかと。詳細につきましては会食前に拝見したリアム様とフィン様の報告書の通りにございます。特に補足することも御座いません。」
「まぁたかだか木材資源を目的とした管轄領における事件。対する犯罪もそう大規模になりますまい。」
セドリックにとって今回の事件は偶発的におきた野盗による単一の事象。
そう捉えているのだろう。
「……そういうものでしょうか。」
私は胸中にある思いを抑えつつ、ここは恭順の姿勢を示しておく。
「とはいえ、聖女様のお力添え有ってこその解決。この場にて、改めて感謝申し上げます。」
「全ては女神の導きと我が身命の志有ってのこと。皆様の平穏の礎となれたのであれば幸いでございます。」
「と、言うわけでございますので。我が領からささやかでは御座いますが…お礼を差し上げたく存じ上げます。」
「領主様……私はルミナス教徒の象徴的存在であることをお忘れなく。」
「金品の類は受け取れない。と、おっしゃりますかな?」
「そのとおりでございます。」
「ふむ、それならば……ローム兄妹から購入された旅道具の代金を立て替えさせて頂いて、それらを村からの返礼の品とさせていただくなどは。」
「それもかなりの金額になってしまいますし……高価な品物を受け取ることも、我々は良いこととは捉えておりません…。」
「うーむ……では従者殿の方にお預かりいただくという形で…。」
「領主様、彼女も南方諸国から殉教の旅で来られたルミナス教徒にございます。立場は私とそう変わりございません。」
「おや? そうだったのですか……私はてっきり。」
順調な会話のやりとりに突如不穏な間が差し込んできて、私はドキリとする。
「てっきり……何でございましょう。」
平静を装いつつも言葉にトゲを含んでしまう。
「私のような熱心なファンが押しかけてきて、無理やり共柄に居座ってしまったのかと!」
セドリックがおどけてみせた。
「それは……間違ってはいないかもしれません。」
リリスが同意を示し、語り始めるかのようにカトラリーを置いた。
お、おや?
何を言いだすのかな?
「私はセレナ様の聖女として成された奇跡の業の数々に心の底から信奉しておりましたので……凱旋で戻られるウワサを聞いて居ても立ってもいられず、一目お会いしようと王都を目指しました。
ようやく王都にたどり着き、とある店の方に聖女様の所在を尋ねたとき、既に王都を発たれたとの話を聞いたときの無念たるや……身を焦がす思いに突き動かされながら後を必死に追いかけ、野営されているセレナ様を見つけたときの心に溢れる思いたるや…。
女神ルミナスの導きと、運命のめぐり合わせを感じずには居られません。
必死に彼女にすがりつき、涙ながらに共柄を望んだあの晩の事。
今思い出すと迷惑甚だしい限りでございます。」
私はちょっと驚いてしまう。
聖女セレナと信奉者リリィの偽装設定をかくも鮮やかに当事者として語るとは……祈りの所作の自然さといい、この子は演技力が半端ない。
やっぱサキュバスって種族は他者を演じることに長けてるのかな?
まぁせっかくリリスがお膳立てしてくれたのだ、乗らない手はない。
「リリィ様の言う通り、そういう経緯が御座います。
私個人は殉教の旅に単身を望み王都を出立しましたが……、彼女の熱意と行動力を無碍にするのを厭い、考えを改めて彼女が共柄として旅することを認めました。故に彼女もまた、敬虔なルミナス教徒として歩む身に御座います、どうぞその所をご理解いただきたく思います。」
私は気を取り直し、セドリックに向かってお断りを告げた。
「なるほど、その様な出会いでありましたか。配慮至らぬ大変ご無礼な物言い、平にご容赦を。」
頭を下げながら謝罪を述べるセドリック。
この人は本当に人格者だなぁ。
「あ、いえ。領主様の仰ることも間違ってはいませんので…。」
リリスはリリスで超素直。
「セドリック様、聖女様の身を案じられるのは結構ですが不用意に人を疑われるような事をなさらぬよう申し上げます。よしんば調査の必要が有ると仰るのであれば私めに申し付けください。王都にも多少のつてが御座いますゆえ。」
トマスがため息混じりに具申した。
セドリックはバツが悪そうに片眉を曲げながら肩を竦めて答えた。
よし、ここは一つ上手を取るべく立ち回ろう。
「王都のつてといえば……お二人はエミリア様からどこまでお聞きに成られたのですか?」
「それは…どういう―」
と、セドリックが言い掛けたところで。
「セレナ様、それ以上の言及はおやめください。エミリア様の報を受けた後、野盗の対応に関しては私が具申した所であり、セドリック様がそれを了承し必要書類をお作りに成られました。」
トマスは主君の言葉を遮り、ピシャリと私の発言を止めた。
ふむ、やっぱそういう事か。
この件に関してはトマスの采配によるところが大きい。
そしてかつて彼は王都で陛下直属の執事として働いていた。
主君の手足として動く執事の経験が有る者が、その情報の秘匿性について言及したということは、つまり相応に隠すべきやり取りが有ったということの証左。そしてその判断が可能なだけの身分の証明が合ったということだ。
エミリアは自分の正体を明かしたうえでトマスはそれを察し、十全な対応を君主へと具申した。
セドリックはそれを信用し、私達に対して最大限の便宜を図った。
これだけ聞けば充分だよね。
「承知いたしました。この件に関してはそれで問題ないかと存じ上げます。」
私は目を閉じて静かに会釈を返した。
「感謝いたします。」
トマスも私に応じる。
「ふむ、王都での事情を知る者たちだけのやり取り。と言った所になるのかな?いささか仲間はずれにされている感は有るが……優秀な執事を持つと、こういう事はまま有ることでもある。私も良しとすることにしよう。」
セドリックはそう言って肩をすくめながら紅茶を啜った。
うーん、物わかりの良い方で助かる。
「さて、聖女様のご意向は理解致しました。御恩には別の形で報いるとしましてハーセル家と野盗にまつわる話を締めとさせて頂く形でよろしかったかな?」
ティーカップを置きながらセドリックは私に尋ねてきた。
少々残念そうな面持ちだが、これはまぁ体裁として受け入れてもらおう。
「ご理解いただき感謝致します。私共としてもこの件に関しては特に申し上げることも有りません。審問官に関する書状も渡せましたし、本件に関する陛下への陳述書も優秀な早馬にて届いている頃でしょう。」
「早馬……あぁ!そういうことですか!」
ようやくエミリアとフェデルが王都に向かった本当の理由を理解したセドリックは膝を叩いて声をあげた。
「セドリック様、ご理解いただけたのであれば声を抑えてくださりますよう申し上げます。」
トマスがまた発言を慎むように具申する。
トマスがさっきから我々の発言に水を差す理由は簡単だ。
恐らくこの屋敷の外で、例の正体不明の追跡者の動きを察知してるからだ。
私の知覚範囲内にもそれらしい不自然さは有る。
でもハッキリとはわからない程度。本当にその道のプロ中のプロなんだろうなと理解させられる。
今は監視が主な動きみたいだけど、妨害とかしてくるようになったら嫌だなー、程度の感想は抱くが……正直今はどうしようもない。
というわけで。
「さ、セドリック様。残りの問題の方へお話を移しませんか?魔獣の件についてお聞かせしたいこともいくつか出来ましたし。」
私はたっぷりと含みのある視線を子爵へと向けた。
「ほぉ……それは以前仰ってた『提案』とは別に。ということですな?」
彼もまた興味深そうな視線を私へと突き刺してくる。
トマスも涼しい顔して君主のそばに控えているが、一言一句聞き逃すまいと言う気迫を滾らせているかのようだ。
私の隣に座ってるリリスだけが、のんびりと紅茶を啜り……
ほわぁ
って顔してる。
……呑気だなぁ。
物語における登場人物の中で
老練な先達者というものは非常にかっこいい存在だと思う
大丈夫、糸で戦ったりはしないから
でも、お祈りは済ませておきなさい




