第十七幕 「銀の筒」
情報とは命を救う価値を持つもの。
そして、その価値は鮮度が物を言う。
であれば、我々の仕事は命を扱う仕事。
「常に油断なく。正しい情報を正しい者へ正しく伝える。忘れずにね。」
結局、あの会話の後。
グリムヴェインは私たちに助けを乞う事はしなかった。
手を伸ばせ。
そういって差し出した手を握り返すことを彼は選ばなかった。
彼の答えは変わらず…野盗の一団として、その頭領として司法の裁きを受けることを望んだ。
なぜ彼がたとえ話として身の上を話したのか、彼自身は潔白であり続けようとしたのか。
彼自身の口から、本当の理由を聞くことはついにできなかった。
私なりに考えて、いくつかの理由を想像することはできる。
知ってほしかった。
本当は救ってほしかった。
なんとかしてほしかった。
本当はただ怖かった、卑屈なだけだった。
欲に染まって正気を失いたくなかった。
哀れで不幸な仲間たちをギリギリつなぎ留めるために必要だった。
どうか自分の命ひとつで、哀れな悪党へと堕ちた仲間たちを……せめて命だけでも助けてほしかった。
だが、これはただ私の想像でしかない。
彼は結局、意思を示さなかった。
このあと村に来る審問官に対しても、彼が命乞いなどする事は無いだろう。淡々と罪状を聞き、淡々と罪を認め、黙したまま護送され。
そして王都で司法のもと粛々と裁かれ、無惨に散るのだろう。
仲間ともども。
確かに彼らは裏社会で生き続け、暗い闇に染まりきり、法に触れる事をしつくして来たのだろう。
盗み、謀り、酒に溺れ、薬に狂い。
女を犯し、人を傷つけ、殺したことも有るのだろう。
裏社会に生きている者たちは、それを当然のように享受している。
それが彼らの法であるかのように、掃き溜めに生きる者たちの倫理だとでも言わんばかりに受け入れている。
事実、彼の仲間たちの手によってリックは死にかけたし、彼の仲間たちの意志によってメイも犯しつくされたのだ。
彼の仲間たちには暗い気配が色濃く纏わりついていた。
だけど、そんな中でも潔白であり続けようとしたグリム。
血の香り、酒と薬に溺れたものの体臭、色欲にまみれた者たちが纏う香り。
暴力や殺意、敵意に満ちた純然たる暗い気配。負のマナ。
私だけが認識し判断できる、一切の犯罪の気配を纏わない男。
そして、ハーセル家が奇跡により救われたと知った時に見せた彼の、心から安堵した表情と仕草。本当に最後の一線を越えずに済んだんだ、とでも言いたげな……あの反応。
もしかしたら、彼らが一般の……罪の無い人たちを手にかけたのは初めてだったのではないのだろうか?
仲間たちが本当の悪に堕ちないように奔走し続け、ギリギリの所でまとめ上げてきて、ほんとうの意味で道を外れないように導き続けた。
それでも仲間たちは裏社会での悪事に慣れてしまった。仲間たちは酒や薬に溺れた末、ついにハーセル家に手を出すこととなってしまう。
それでも仲間たちを見捨てることができず、彼は悩み苦しんだ。
グリム少年はあの時からずっと変わらず。
どうにか仲間を生かし、なんとか闇から救い出そうと足掻いているのではないのだろうか……?
だけど…そうして生き続け、少しずつ追い詰められて疲れ切ってしまった彼に、唯一残された最後の手段が……自分の命を賭して奇跡を願う事。
リリスと私が最後に救いの手を差し出した時、彼は一言礼を述べた後にこう言った。
「だが、俺はこのままでいい。奴らにこれ以上罪を重ねさせない為にも、今までの罪を清算するためにも。俺たちは、もう覚悟を決めるべきだ。」
諦め疲れきったた目で。
「手を差し出してくれたことには感謝する。だがもう駄目なんだ。あいつ等が本当のゴミ屑にならないようにする為には、こうするしかないんだ。」
そう言い放ったのだ。
私は今、つい先ほどまでの出来事を思い出して顔をしかめながら……保安所にある執務室の机で陳述書をしたためている。
今回の事件に深くかかわり、様々な視点を得た者としての意見を司法へ伝え、より正確な裁きが行われるようにするためだ。
私が知ったことを時系列ごとに記述し、私見を加えた彼らに対する順当な評価を書き連ねている。コレが審問官の手を経て、裁判官の手へと渡り法のもとで裁きの判断材料になることは確実。
手を抜かず、私情を挟まずに彼らの事を記載する。
これを見た審問官は何の疑いもなく彼らを悪と判断し、彼らを王都へと護送し監禁するだろう。
そしてしかる後、裁判は開かれ罪状が述べられ、彼らの極刑が決定する。
それらはごく自然な流れとして行われるはずだ。
本来ならばそうあるべきだ。
だけど……
私たちが彼と話し終えて部屋を出るために、外で待機しているマークを呼ぼうとする直前。
グリムは最後に一言
「村の北部にある崖の下を調べろ。
廃棄されたゴミの山の中に『銀の筒』が有る。」
そう、呟いた。
驚愕により私の目は大きく開く。
そしてすべての疑問が氷解する。
彼がすべてを語らない理由。
そういうことだったのか…。
……クソが!バカにしやがって…!!
お前らがそうするつもりなら、私も考えがある。
私は私が持ち得る全てを以って、彼の意思に報いる。
私が出会った救うべき者たちを、私の意志によって選ぶ。
私がそうしたいから。
そう決めた。
絶対に彼らを死なせてなるものか。
私は決意を固く結び、その想いを陳述書に書き殴る。
しばらくした後―
私は完成した陳述書に封蝋を施し、執務室を出た。
受付に併設された執務室を出ると、マークとティムの姿が目に映る。
マークは私が書状を書いてる間ずっと、警護のために執務室の扉前に立っていたようだ。
ティムは相変わらず簡易受付の椅子に座って、怯えた目をこちらに向けている。そろそろ慣れて欲しいのだが…。
ま、無理か。今の私に怯えないのは。
わたしは保安所を出る際にマークへと向き直り、陳述書を差し出した。
「大変お手数ですけれども…この後いらっしゃる王都からの審問官の方へ、こちらの書状をお渡しいただけますでしょうか?今回の事件に関係した者としての陳述書になります。彼らを裁く正当な証拠として機能するはずです。」
「承知いたしました。必ずお渡しいたします。」
マークは一礼の後に私の手から書状を受け取った。
「それと……取り調べの間、ずっと外で待っておりましたが……その、大変静かでいらっしゃったので気になってしまって…。奴との話は無事に済んだのでしょうか?」
ずっと何か物申したげなマークだったが、書状を受け取った後決心したかのように私に尋ねてきた。
「ええ、とっても良いお話が聞けました。ご協力感謝いたします。私どもはこれで失礼しますので、王都からの者が到着した後もよろしくお願いいたしますね。」
私は張り付けたような笑顔で彼に応えた。
受付に座っていたティムがビクリと跳ね上がる。
私はそんな彼を尻目に、颯爽と保安所の出入口から外へと出た。
出入口の扉が閉まる際にティムのつぶやきが聞こえた。
「聖女様が…またブチギレてる…。」
よくわかってんじゃん。
さすがティム。
私は保安所を出て通り向かいにある西の詰め所へと足早に歩く。
入り口ではなく、隣の馬車の方へと。
「せ、セレナ様、お待ちください。」
私の急変した機嫌の悪さにたじろぎながらもリリスが声をかけてくる。
心配そうな顔をしている彼女をみていて、少しだけ申し訳なく思う。
「申し訳ありません、リリィ様。お話は後で……夜の寝所にて、その時にお願いいたします。」
今は話せないから夢見でね、と暗に伝えてみる。
通じるかな?
「…! は、はい!」
伝わったみたい?すんごい嬉しそう。
やっぱサキュバスは本能的に夢見が好きなんだろうか?あるいは、単純に自分の技能が役立つのがうれしいとか?
そんなことを考えながら私は馬車の所へたどり着く。
きょろきょろと周りを見回す。
目的の人物の姿は見えない。
「セレナ様?どなたかお探しなのですか?」
リリスが私の様子を見て尋ねてくる。
ちょうど良い。
「……いえ、ちょっと商いの用を思いついたので例の兄妹に会いたいのですがー。」
私はちょっと大げさに声をあげて答える。
「兄妹…? あ、エミリアさんとルーカスさんですか。」
リリスも私がローム兄妹を探していることを理解した様だ。
「えぇ、彼の馬車が有ったのでこの近くにいらっしゃると思ったのですがー。」
もう一度、大げさに声を大きくして喋ってみる。
「お呼びでしょうか?聖女様。」
建物の影から、ようやくルーカスが姿を現す。
「よかった!近くにいらっしゃったのですね!」
私は大げさに喜んで見せた。
本当は保安所の裏に潜んでて、慌てて物陰に隠れながら急いで大周りで移動してきたのを知覚強化で認識していたのだけど。
彼は息ひとつ上がっている素振りもない。流石は諜報員。
「近くで仕事がありまして、そちらの方から戻ってきたところですよ。馬車の荷の確認に来たところに聖女様のお声が聞こえまして、ね。」
涼やかな笑顔で答える。
相変わらず飄々としている。
やっぱこいつ嫌い。
「まぁ、商談か何かでしたか?お役目ご苦労様です。」
笑顔で答えておく。
仕事って諜報活動やろがい。
まぁいいけど。
「いえいえ。それで我々に何か御用でしたか?」
素知らぬ顔で、しれっと要件を尋ねてくるルーカス。
「えぇ、実は欲しい品がいくつかありまして、もしかしたらお取り扱いが有ればと思って探しておりました。」
「それはそれは、ご用命いただき感謝の限り。一体何をお求めで?」
彼はそういいながら馬車の横戸を開いて積み荷の紐を解く。
携行品や旅道具、色んな雑貨類が目に入る。
「旅に必要な物資の補充と…、何か戦闘の補助になる様なものでも有れば嬉しいのですが。」
「戦闘の補助…ですか。それは例えばどのような?」
ルーカスの表情がピクリとした反応を見せる。
「霊薬や強壮剤です。討伐部隊では愛用していたので、有れば便利だなと。」
「霊薬や強壮剤を…聖女様がですか?」
彼は訝しげな態度を見せる。
うん、私の事を知っていれば変なことを言っているのは判るよね。
奇跡の癒しと尋常ならざる強化を可能とする聖女には無用の長物。
「できれば……『マナフォート』が有ればいいんですが。」
「!」
ルーカスの表情が一瞬だけ固まる。
「いやー、さすがに軍ご用達の特殊霊装銀は取り扱ってないですよ。」
それもほんの一瞬で戻って、飄々とした態度に戻る。
「ですよねぇ…、供のリリィ様に持たせておきたいと思ったのですが。仕方が有りませんね。通常の霊薬や強壮剤の類は取り扱ってらっしゃるのですか?」
さも当然。といった具合で私も調子を合わせる。
「それでしたら、こちらに幾つか取り扱いがありますよ。」
ルーカスは笑顔で別の横戸を開く。
内蔵された小物棚に霊薬の小瓶や丸薬の包みがずらっと並んでいる。
「少し拝見させていただきますね。」
私はそういって棚に近づく。
「旅用にお持ちになるならここら辺の汎用系がおすすめですよ。」
そういってルーカスも私に近づきながら商品案内のふりをする。
「ふむふむ。」
私は商品を眺めチェックする風を装い、視線を適当に泳がせる。
そして声のトーンを落とし口元を周りに見せないようにしてルーカスへと喋りかけた。
「『銀の筒』に関する供述を得ました。不正使用と流出の疑いが有ります。陛下への陳述書を書きました、早馬の用命を。」
ぼそりと、そう呟く。
「……。」
黙ったまま。
はぁ、と小さく息を吐くルーカス。
それもほんの一瞬の事だった。
「どうですか?どれかお求めになりますか?このセットなどは王族にも卸している確かな品質のものになりますよ!とある高名な薬師による特別な品です!救済の旅へと向かわれる聖女様にはお安くしておきますよ!」
そういって自然な振る舞いで霊薬の小瓶がいくつか入った箱を取り出す。
私の依頼に対する返答、『王族に卸す』と『確かな品質』という軍で用いられる合言葉の一つ。
やっぱりローナ兄妹は王国の諜報員で間違いない。解っていたことだけど。
ていうか金取るんかい。
「まぁ!それは大変ありがたく思います!おいくらですか?」
笑顔で依頼の対価を尋ねる。
ルーカスは黙って笑顔で指を2本立てた。
「2,000ディルですか?」
ずいぶん安い依頼料だね?
「200,000ディルです!王室ご用達の霊薬セットですよ?!これでも破格のお値段にございます!」
ぶぇー!?
思わず変な声が出そうになるのを口があいたところの寸で止める。
黙って聞いていたリリスが目を剥き慌てだす。
「あ、あの?セレナ様、そのような高価なものを私などに…。」
「おやおや、まさか救国の聖女様とも有ろうお方が20万ごとき支払えないとでも…?もしや討伐隊の英雄たちに王は報酬を支払ってないのでしょうか…?」
神妙な顔をして、さも残念だという顔をするルーカス。
ぶっとばされたいのかな、こんにゃろ。
そもそも私はルミナス教徒だ!金品の報酬なんざ貰えんわ!!
「リリィ様ァ、ご安心ください。この位…何でもありませんワ。」
新発見。
煮えくり返る怒りを抑えてたら、声がなんか上ずるわ。
私はサイドポーチから財布を取り出し、大金貨を2枚とりだした。
大金貨の間に小さく折りたたんであった2通目の陳述書を隠し、ルーカスへ差し出す。
ルーカスが両手を器にして差し出してきたので、そこにまとめて置く。
私が金貨を置いて手を引くと同時に彼は手を閉じた。
そして畳んだ書状を手品のように袖へと滑り込ませると、大金貨二枚だけを指でつまんで見せた。
理力で視力と集中を強化してなきゃ確実に見落とす手際の良さ。
「確かに頂戴いたしました。ではこちらをどうぞ!」
そういって霊薬の入った小箱の蓋を閉じてこちらへと差し出す。
「ありがとうございます、良い取引でしたワ。」
受け取りながら笑顔を作る。
が、なんだか…こめかみがピクピクする。
キレそう。
私の白い肌に青筋とかが浮かんでなきゃ良いけど。
ウキウキ顔のルーカスは、さらに手を広げ商品棚を指しながら続けた。
「さぁ他にご入用な物はありませんか!大口のお客様には破格のお値段でご提供いたしますよー!」
ざっけんな!
コイツまだ何か買わせる気?!
諜報員、スパイ。
国家、組織において最も重要で最も警戒すべき存在。
これを軽視する者は必滅の未来を迎えるのサ




