第十六幕 「彼の意志」
ゴミみたいな人生、ともに歩んだ哀れな仲間たち
こんな人生に意味が有るのだとすれば
それは誰かのために命を使うことだ
「それが、アイツらの為なら。悪くは無いさ。」
「つまり…アレだな。集落で唯一生き残りだったガキも、肉親や知人が残虐に次々に殺されるのを見て……心が壊れちまったって訳だな。」
グリムヴェインは心底悔しそうな顔をして言い放った。
そして少し喋り疲れたのか小さく息を吐くと、そのまま黙ってしまった。
私は彼がたとえ話をしてる間、ずっと彼の顔を見ながら話を聞いていた。
彼の顔は殆ど表情を変えることは無く、時折わずかに悔しそうに歪むだけだった。
しかし目の奥の光と彼が纏うマナは、様々な想いを宿しながら雄弁に彼の感情を物語っていた……楽しそうな仲間との時間、何気ない日々を過ごす安寧、突然の訪れた不幸への困惑……そして、絶望的な未来。
そして、ここまで話し終えた彼の目はとても虚ろで…積年の疲労をなみなみと湛え、乾ききっているのに泣いているかのように……私には見えた。
「……その少年たちは、その後どうなるのですか…?」
ずっと黙って彼の話を聞いていた私だったが沈黙に耐え切れず、彼に話の続きを促そうと質問した。
「…その後、か。……そうだな。」
少し枯れたような声。
だが彼は構わず喋り続ける。
「ガキどもはそれぞれの家族を弔い、別れを済ませた後……村の保存庫にあった道具や食料を持てるだけもって、集落を離れるために森へと入るんだ。
どうせ集落に留まっても意味は無いし、何より海魔族が再び来ることを恐れたんだろうな。なんせ奴らの仲間を一人殺しちまったんだ。
そいつを探しに来るかもしれないし……仲間が殺されたことに気づいたら復讐されるかもしれない。その事を恐れたリーダーのガキは、全員に持てるだけの道具と食料を持たせて森へと逃げ込んでいくんだ。当然、喋れなくなったガキも一緒に、な。」
ややかすれたままの声で彼は続きをしゃべり始める。
私と同じように黙って話を聞いていたリリスだったが、彼がしゃべり始めて間もなく何も言わずに立ち上がってスタスタと移動し始めた。
彼女は私の左後ろにあった机に向かい、その横に備え付けてあった収納棚に手を伸ばして何やらごそごそと物色している。
グリムヴェインはそんなリリスをよそに喋り続けている。
各々自由すぎやしないかな…。
そしてグリムの話が途切れようとしたところで…
「セレナ様。」
リリスが近づいてきて私に声をかける。振り向くと彼女の手には木製のコップ。収納棚にあったのかな?
「棚に水差しが見えたので、もしやと思ったのですが中は空でした。申し訳ありませんが、こちらにお水をお願いできませんか?」
そういうことか。
……優しいね、リリスは。
「承知いたしましたわ。」
私は笑顔で二つ返事をし、手にコップを持ったままの彼女へと向き直りコップの上に両手をかざして水のマナを行使した。
顕在化した水がコップへと注がれ、器を満たす。
「ありがとうございます。」
リリスは小さく会釈すると、グリムヴェインの横へと移動し彼の前にコップを両手で差し出した。
「どうぞ。」
リリスは一言だけ、そういった。
「……。」
差し出されたコップとリリスの顔を交互に見て、わずかに困惑した表情を見せた彼だったが。やがて無言でコップを受け取った。
「遠慮なく飲んでくださいね。」
リリスはにっこり笑顔を向けると、そのまま彼の横を通り過ぎて椅子に座りなおす。グリムヴェインの顔がさらに困った顔になる。
ちょっとだけ笑ってしまった。
「魔術で作っただけの何の変哲もない水です。毒生成の魔術など私にはできませんのでご安心を。」
彼がそんなことで困っている訳ではない事は判っているが、冗談めかして私は付け加えた。
「……疑ったりしているわけじゃねぇさ。」
コップに目を落としながら、一言だけ零す。
その後に彼はコップに口をつけ、ぐびりと飲み下した。
一口の水により喉を潤された彼は、少しだけほっとしたかのように…ふうと息を吐き肩を下す。
「森へと消えた少年たちのその後はどうなるのでしょうか?」
ほんの少しだけ緩和した空気を感じつつ……私は彼が水を飲むのを待ち、話の続きを尋ねた。
「……どうなるんだろうな…。」
グリムヴェインはコップを手に持ったまま、顔を天井へと向けた。
「きっとリーダーのガキには目的が有ったんだろうけど。思うようにはいかなかったのだろうな…。
普段行くことの無い森の奥へ奥へと向かい、集落から離れる事を選んだのだろう。決して皆が離れないように気を使いながら、初めて歩く場所を慎重に慎重に進んでいったに違いない。
時折猛獣に……オオカミやクマなどに出くわすこともあっただろう、それでも皆で協力して退治してゆくのだろうな。強大な魔獣に出会わなかったのはせめてもの幸福だったのだろう。
途中で迷うこともあったのだろうし、それでも皆で協力して少しづつ地図を作って深い森を進んだのさ。目印になるような川や大岩、たまに見つけた洞穴などの位置を少しづつ書き込んでいったのだろう。
慣れない道を進むことで体調を崩す奴も居たろう、それでも仲間の力と知恵を併せて乗り越えたのだろう。薬草に詳しいガキが一生懸命頑張ったし、仲間たちも彼に協力してなんでも助け合ったのだろう。
そうやって何日も何か月もかかって森を東へ東へと進んでいったのさ。
集落から逃げ、過去の絶望と決別し、何の当てもない希望もない未来のために。ただひたすら東を目指し……やがて森を抜けるんだ。」
グリムヴェインはしみじみと語る。
リーダーの少年に心情を重ね、彼と彼の仲間たちに起きたであろう数々の苦難の日々に思いを馳せるかのように。
彼は語り続ける間、語り部や吟遊詩人のように情景を思い描かせるような叙述的な話をしていたわけではない。
彼の話は拙く、要領を得ず、不器用で、無様だった。
だが、彼が纏う雰囲気と彼が零す言葉は不思議とその情景を頭にまざまざと思い描かせた。
「そうやって森を抜けた彼らは……次にどうなるのでしょう。」
「どうしたかったんだろうなぁ…。」
彼は何度も思いを馳せ、記憶を重ねる。
「身寄りのない、何か月も森を彷徨った汚いなりをしたガキどもは森を抜けた先で色々な所を訪ねるのだろうな。……木こりの家や、開拓民の小さな集落。まだ村なんてそこらに無いような時代に、助けを求めて、庇護を求めて、色々な所を彷徨う。
だが、7人ものガキをまとめて面倒見てくれるお人よしなどそうそう居るもんじゃないからな。それでもきこりのおっさんは少ない食べ物から分け与えてくれたし、開拓民の中には心配そうに声をかけてくれる奴らも居ただろうな。
そして彼らは親切な人に教えてもらうんだ、この大陸の王都の存在を。
活気と仕事がある、豊かな場所の存在を。
どうやらそこに行けば仕事があるらしい、どうやらそこでは戦える者を集めているらしい、どうやらそこに行けば身寄りのない小さな子供を面倒見る施設があるらしい。
彼らはそこを目指すんだ、大陸の中央にある王都を、な。
そうしてまた何日か旅して、ようやく見えてくるんだ。
城壁に囲まれた白亜の城、その周りに広がる城下町、その町すらも囲む大きな壁。
彼らの希望の都に、やっとの思いでたどり着いたんだ。」
グリムヴェインはそこまで話し、息をつく。
「……その後、彼らは王都で…どう過ごすのですか…?」
私は言葉を選びながら答えを求めた。
ずっと想像していた答えが近づいてくるのを予感する。
私の握りこんだこぶしに力が籠る。
「どう過ごせばよかったのだろう…、な。」
彼もまた、答えを求めながら応えた。
途方に暮れるような、ぼやくような力のない応え。
だがそれは急変する。
「知ってるかい、聖女様。」
彼は唐突に尋ねてきた。
その口調は、固く怒気を孕んでいた。
僅かに緩んだ空気は、再び冷たく硬くなってしまう。
「どんなに働く意思が有っても、身寄りのない子供は雇ってもらえない。
どんなに戦う意思が有って魔術の才能が有っても、水準が満たされてない子供は見習い兵にすらなれない。
どんなに才能や体力が有っても、年齢が足りないと冒険者組合には入れない。どんなに薬の知識が有っても、得体のしれない子供を弟子に取る薬師なんて居ない。
どんなに皆と離れたくなくても、孤児院は小さな子供しか受け入れてくれない。
豊かな王都とはそういう場所だったんだとよ。」
悲しいかな、現実はそうだろう。
誰が好き好んで身元も素性もはっきりしない子供を自分の生活圏に置くだろうか?
誰が好き好んで必死に築き上げた自分の労働環境に正体不明の子供を招くというのだろうか。
成長して働ける年齢の人間をまかなう余裕のある孤児院などそうそうありえない。
そんなのは、ごくごく僅かな限られた例しかない。
例えば、光の精霊に認められた勇者のような存在、とか。
例えば、特別な癒しの力を持った奇跡の様な存在、とか。
「そしてな、そういう哀れな若者達が最後に向かう場所がどういう所か……慈悲深い女神の徒たる聖女様はご存じかね。」
ギリリ。と手に力が籠る。
それは彼のコップを持つ手だったかもしれない。
あるいは私の握り続けた拳だったかもしれない。
「あの華やかな都にも、望まれぬ者たちの掃き溜めがある。
行く当ての無い者たちが行きつく先だ。
生きるためにどんなことでもするクソどもが蠢く日陰。
ルミナスの栄光とやらが降り注ぐ都に出来る深い深い影だ。
嘘と暴力と不誠実な意思が蔓延る人間の恥部だ。
不幸と絶望に染まり切った哀れな人間の拠り所だ。」
貧民街。
……予感はあっていた。
予想通りの結末だった。
誰にも救われなかった彼らは、救いようのない道へと進んでしまったのだ。
「……。」
声が出せない。
言葉が見つからない。
「哀れな少年たちに、最後に手を差し伸べたのは。……そういう暗闇を支配する者たちから伸びた腐った臭いがする甘い誘惑だったのさ。」
いつしか彼の顔は怒りと憎しみに満ちていた。
「そうやって、離ればなれになる事もできず裏社会へと進んじまったガキたちは。その世界で少しずつ生き方を覚える。盗みや暴力、違法な取引や薬物、酒に女。どうしようもない恐怖に怯えて逃げ延びた先で、安易な救いを求めて深い深い闇へと沈んで染まってゆく。」
あまりにも残酷で救いの無い道筋を。
「そしていつしか殺しも覚え。すべてを受け入れるのさ。」
彼は淡々と語った。
「……本当に、そうするしか……無かったのでしょうか。」
「ウソも本当もクソもない、結果として事実そうだったってだけだ。」
「だとしても…、道は…。」
「他にもあったというのか?
ガキたちはただ生きようとした、それだけだ。
死にたくないから生きようとしただけなんだ。
それが社会にとって悪だった。それだけだ。」
綺麗ごとを言うな。
そう釘を刺されてしまう。
事実は変えられない。
その通りだ。
なら、私が聞けることはもうこれだけ。
「……そんな世界で、リーダーの少年はどうやって彼らをまとめ続けたのですか。どうして彼自身は血に汚れずに居られたのですか…?」
私は最後の疑問をぶつけた。
「……さぁな、きっと卑怯者で臆病者だったんだろう。
酒に溺れるのが嫌で、欲に染まるのが嫌で、血に塗れるのが嫌だから。
知識や心や体を死に物狂いで必死に鍛えたのさ、何かに縋らなくても良いように、誰かを殺さなくても済むように。自分だけはそうやって強いまとめ役を買って出て裏社会で舐められないように振舞うのさ。年下の仲間たちには安易な手段を取らせていたくせにな。」
「……。」
きっと、これはウソなんだろうな……。
どうにかして彼らを…仲間たちを繋ぎ止めるために、必死に自分だけは正気であろうとしたんだろう。
でも、世間はそれを評価しない。
司法もそれを考慮したりしない。
彼もそれを理解している。
そして私も。
「そんなどうしようもない救えないクズになっちまった連中に…他に誰が手を差し伸べて地獄から抜け出させてやれるってんだ。」
最後に彼は吐き捨てるように呟いた。
「それは…」
私は口を開きかけ、どういったものかと逡巡した、その時。
「目の前にいらっしゃいますよ。」
唐突にリリスは、さも何でもない事だとでもいいたげに、そう言い切った。
グリムヴェインがきょとんとして振り返り、彼女の方を見てる。
「ね!」
そんな彼の肩越しに私を覗き込みながら。
ニッコリ笑顔でこちらを見てくる。
……ほんと、素直な子。
私は小さく息を吐き……まっすぐと彼を見つめなおした。
じっと彼の目を見据え、静かに口を開く。
「私は女神ルミナスの徒として、己の身命に誓い、私の眼の前にあるあまねく全ての者たちに、分け隔てなく手を差し伸べる。そう心に決めております。」
私の意志をしっかりと伝えるために。
ゆっくり、はっきりと、ひとつずつ言葉を紡ぐ。
「老若男女を問わず、人種を問わず、思想と主義を問わず。
……例えそれが悪人であろうと。」
例えそれが魔族であろうと。
「助けを求め、手を差し出す者に対し。私は首を横に振りません。」
そう言い切った。
そんな啖呵を切った私と、笑顔のまま見守るリリスをグリムヴェインはもう一度交互に見つめた後―
ふっ。
と小さく息を吐いて笑った。
「ありがとうよ。お二人。」
どんなに強く堅い意志も
長い長い間、労苦に晒されれば脆くなるのさ
やさしく包んであげたいね




