第十五幕 「戦いの後」
救いは無かった
希望は無かった
それでも生きた
ただ生き抜いた
「それだけだ。」
目が覚める。
気分は最悪だ。
石のように重い頭なんとか持ち上げる。
ズキズキと痛みが走り吐き気を催すが、何とか堪えつつ状況を確かめるために目の前を見る。
水平線へと夕日が沈んでいくところだった。
いつの間にか風は収まり、静かな潮風が肌を撫ぜている。
今朝から荒れ気味だった海はさざ波となって穏やかに寄せては返すだけだ。
空にあった薄気味悪い雲は嘘みたいに消え去っている。
海面に浮かぶ夕日を、ぼうっと眺め続ける。
視界の端には焼け落ちた家がいくつか映っている。
広場にあったやぐらも既に炎は消し止められていて、周りに突き立てられていた歪な杭はすべて抜き取られ、何も刺さっていない状態ですぐそばに打ち捨てられていた。
視線を右へと流し、海辺へと向ける。
緑色の鱗をびっしりと生やした醜悪な化け物の骸がそこにある。
一本の柱が突き立てられており、根本は化け物の喉元へと突き刺さっている。よく見れば引きずったような跡があり、砂浜の終わりの所まで巨体は移動していた。
どうやら仲間たちの手によって波打ち際からだいぶ引き離されたようだ。
潮が満ちれば波にさらわれる可能性が有るからな……ちゃんと考えてるみたいだ。
そんな風景を眺めていて俺は理解する。
どうやらすべて夢ではなかったようだ。
目が覚めた瞬間、願った。
あの目の前に広がる景色が、ただの悪夢で。
目が覚めたのであればすべてが元通りで、いつもの風景が目の前にあるように。
心の底から真剣に願った。
だが、叶うことは無かった。
そのことに涙は出なかった。
黒い感情に心が塗りつぶされてから、悲哀や絶望、怒りや妬みは俺の心と一体になってしまったかのようだ。
さっきまでは化け物の脅威から必死に生きるため、全力でその手段を模索するために思考は澄み切っていたはずなのに。
霞かかった頭が次の行動を思いついてくれない。
そんな風にぼんやりと視線を漂わせていると、後ろから足音がした。
俺は未だ重い頭をひねりながら足音の方へと向く。
「グリムさん。目が覚めた?」
「ドニー…。俺、どれくらい気絶してた?皆は?」
歩み寄りながら近づいてきた彼に状況を尋ねた。
「たぶん2時間くらい。ガレットは先に回復したからサイルと一緒に家屋を見て回ってる。シェインとマイルズは……皆の為に穴を掘ってるよ。」
「わかった、俺も行く。」
「大丈夫?」
「俺だけ休んでいられない。」
「……うん。」
ドニーはそう呟くと集落の方へと顔を向け、ほどなく歩き始めた。
彼の顔は涙の跡が残ったままで、衣服も吐しゃ物がついたままだった。
俺も衣服のあちこちが破けていたし擦り傷だらけ、顔もきっと涙と鼻水でぐちゃぐちゃのままだろう。だが気にはならなかった。
重くのしかかる思考と動こうとしない身体を何とかして奮い立たせ、ゆらりと立ち上がった俺はドニーの後を追った。
集落の東側にある少しひらけた草地。
大小いくつのもの横穴が掘られた場所、一番端の穴の前にマイルズがうずくまっている。
目の前の小さな穴には小さな布の包みが据えられていた。
包みの周りには女の子向けのおもちゃや小物、そこらで摘んできたのであろう花がいくつか添えられている。
彼の横にはずらりと墓穴が並んでいる。
その上列中央。
ロランと思しき腹のへこんでしまっているのが判る包まれた骸。
エヴァであろう四肢の無い頭部と胴体だけの、包まれた骸。
その隣には丸い包みだけのリア姉さんであろう骸。
その両隣の片側。
エド爺ちゃんとローズ祖母ちゃんも頭部だけで包まれているのだろう。
ひとつずつ布に包まれている状態で横穴の隅に安置されている。
反対側に有るのは。
本当に人が包まれているのかと疑うほど、細く短くなってしまっているアルド爺さんとマール婆さんの包み。
ちゃんと二つの穴にそれぞれ安置されていた。
別の列にはデリックおじさんとノーラさん。
顔が布の間から覗いている。あんな酷い状態だったけど、手が加えられて人の形に戻してから包まれているのだろう。
ハンク義兄さんとサラ姉ちゃんの顔は比較的きれいだ。
でも彼の下半身はほとんど残って無かったみたいに小さい。
姉ちゃんの身体も頭以外は異様に細い包みになっている。
ベンとリラの穴は大きく掘られていて二人仲良く並べられている。
どちらも頭が無くて、代わりに刺青と褐色の肌が覗いている。
間には小さな小さな包みが一つ、慈しむ様に置かれている。
トムとクララは抱き合ったままの様だ。大きな包みが大き目の穴に置かれている。多分、無理に剥がしたら傷つけてしまうから諦めたのだろう。あいつらならきっと首はちゃんと元通りにしてくれてあるはず。
よく見ると大きな包みの上にはもう一つ、小さな包み。
あれはウィンディのだろう。
オーウェンさんの包みにはロープが巻き付けられていた。
彼の身体は肋骨が開いちゃってたからな…仕方なくだろう。
細く長い包みはグレースさん。比較的まともだった彼女の骸の胸元にはエリーちゃんらしき小さな包み。まだろくに歩き回れない小さな子だった彼女は、いつもグレースさんの胸に抱かれていた。
どの穴も並ぶように掘られたり、大き目の穴にひとつにまとめられている。
その穴の中央、ひとつだけ一人用の穴に安置されている骸。
布には包まれず、首と胴は切り離された状態で穴に安置されているのはゴルグさんの遺体。
体中に刻まれた傷痕が痛々しい。
彼の胸の上には山刀とデカい刃物が置かれており、その上に彼の手が添えられている。ゴルグさんの頭部の横には、小さな包み。
中身は…きっとソーヤさん。
きっとコレは…戦った者への敬意の埋葬かな…、ガレットなりの。
どの穴にも故人の所縁の品が一緒に安置されている、一部は焦げていたり壊れてしまっているのもある。そして、ちいさな花がいくつか添えられている。
俺は静かに歩きながら、それぞれの墓穴を見つめる。
感情が乱れて泣くかと思ったが、不思議なほど心は凪いでいた。
マイルズの後ろまで戻ってきたところで声をかける。
「ごめん。手伝えなくて。」
「……しょうがねぇよ。ぶっ倒れてたんだもの。」
うずくまってた彼は少し体を起こしながら話す。
こちらを向かないままだ。
「マイルズが掘ったのか?」
「いんや、それぞれ自分の家族の分掘って……後は皆でがんばった。」
「そうか……、三人の分ありがとう。」
「別にいいさぁ……。埋めるのはやってやれよ。」
「うん。」
「……ラディの穴、一生懸命掘ったらよ。ほんの4,5回掘っただけで…あいつが入る穴になっちまった。」
「うん。」
「…あんなにおっきく育ってくれたのによ。……こんなにちっちゃくなっちまった……。」
「……。」
かける言葉が見つからない。
「そしたらよ、シェインがよ。『皆の思い出の品や花も一緒に埋めよう。』ってよぉ。馬鹿みたいに走り回って集めてくれた。」
「…うん、いい奴だ。」
「いい奴だ。俺には思いつかねぇよぉ。」
「お前も皆の為にいっぱい掘ったんだろ。いい奴だよ。」
「……そっかぁ。」
そういってマイルズはまたうずくまってしまった。
言葉が途切れてどうしたものかと逡巡する。
ふと、顔をあげると草地の向こう側でドニーが草花を摘んでいる。
俺は彼の方へと歩み寄った。
「まだ花を添えてやるのか?」
「うん、なるべく香りの強い奴を集めてる。被せた土にも植えるつもり。」
「虫よけと獣除けか。」
「流石グリムさんだね。」
「トムさんには俺もいろいろ教えてもらったからな…。」
「……うん。」
「……任せていいか。ガレットたちを見てくる。」
「………うん。」
そういって彼は鼻をすすりながら腕で目元を拭う。しかしすぐさま顔を上げ、黙々と採集を続けた。
俺はそれを見届けると、踵を返して集落の方へと向かった。
焼け崩れた家屋の近くを歩くと未だに焦げ臭さと鉄臭い血の香りが鼻をつく。火は消し止められたのだろうけどむせ返るような臭いに顔をしかめてしまう。殆どの家は屋根が焼け落ちてしまっていて、室内も大部分が黒焦げだ。
少しだけ高い位置に建てられて比較的しっかりした作りをしていたはずの俺の家は、執拗に焼き討ちにあったのか全焼状態だった。あれじゃロランやエヴァ、リア姉さんの思い出の品を探すのは大変だったろうに。
俺の私物も全滅かな。まぁ碌なモノは無かったし、仕方ない。
そう思うと短いため息が出た。
小さく息を吐きながら隣にある別の家へと視線を向ける。
デリックおじさんとノーラさん、息子のモリスの住む家。
集落の長ロランの弟であるデリックおじさんの家も似たように小高い丘の上に在り比較的作りはしっかりしている。しかも我が家に比べれば被害も少ないようだ。それでも屋根は半分焼け落ちてるし、石壁も半分崩れてしまっている。
崩れた石壁の隙間から二人の影が見えた、シェインとサイルだ。
俺が二人のもとへと駆け寄ると、足音に気づいた二人が同時に振り返り即座に構える。
「俺だ。無事か?」
「グリム…脅かすなよ。」
「声くらいかけてくれ…。」
「すまん。ガレットは?」
「俺はこっちだ。」
声がした方を覗き込むと、ガレットが扉の前で何やら手を動かしている。
「もう大丈夫なのか?」
二人の間を抜け、ガレットのそばへと近寄りながら俺は声をかけた。
「あぁ、不思議と魔力はすぐ戻った。」
「…そうか。」
彼のきつく鋭い眼差しは、デリック家の半地下倉庫へと続く大きな扉へと向けられている。保存食や貴重な薬、共有の道具など集落で共用されている財産がしまってある保管庫の扉だ。
頑丈な扉にはしっかりとした鍵が施錠されており破壊は容易ではない。
「目的は中に保管されている物か?」
俺は3人に尋ねた。
もはや集落として運営が不可能になった状況、この中にあるものは俺たちが生き残るための重要な資源となる。
「それもあるけど、モリスの痕跡が一切ない。もうすぐ日が落ちるから外は探せないし、集落で探せてないのはこの扉の中だけだ。デリックさんがモリスを匿うとしたらここだろう。」
サイルが答える。
「だけどデリックさんやノーラさんの身体には鍵が無かった。一応建物も探したけど見当たらない。ぶっ壊そうと思ったけど…もし中にモリスが居たら大きな音立てたら怖がらせちまう。」
シェインが続けて話す。
「グリム、俺の炎じゃ錠前を焼き切るほどの火力は出せない。何かいい案は無いか。」
ガレットが悔しそうに錠前をにらみつけてる。
彼の視線の先に鋳鉄製の黒鉄で補強された扉と錠前。
作り自体は単純だがそれゆえに頑丈なので叩いて破壊するのは困難だろう。
「……そうだな、お前の火魔法を掛け金のこの部分に集中させて、シェインの風魔法で空気送りながら熱を閉じ込めるイメージで包み込む。赤熱して軟化した部分を一気にぶったたけばひしゃげて外れると思う。」
俺は錠前の曲がった金属部分を指さして指示する。
そして、もう一つ腰に装着しておいた獲物を手に取る。
枝払い用の小さなハンドアックス。作りはしっかりとしているから、こいつなら熱した鉄をぶっ叩いても問題ないはず。
「えぇっ、俺の風魔法も?!そんな制御なんてできねぇよ…。」
「俺も炎の集中なんてやったことねぇぞ。出来るかわかんねぇ。」
二人が弱音を吐く。
「出来るかじゃない、やるんだよ。モリスが居るなら早く助けなきゃならないし、俺たちが生きるためには、この倉庫の中身は重要だ。」
このまま座して待つほど悠長な状況ではない
「「……。」」
しかし表情は曇ったままの二人。
「ガレット、シェイン。やってくれよ。俺も水出して冷やすくらいなら手伝えるからよ。頼むよ。」
心配そうな顔をしたサイルが懇願する。
「大丈夫だ、海魔族を攻撃した時を思い出せ。魔術はイメージの結実だ。お前らの思いが精霊に応えて魔法は形を成すんだ。ガレットの炎だって見たことない位強力だったし、シェイルの風を纏ったナイフはとんでもない威力だっただろう? 真剣に、一生懸命願えば精霊は応えるんだ。」
二人を励ますために先ほどの戦闘の事を思い出しながら俺は喋った。
嘘でも方便でも何でもない。本当にあの時の二人の魔術は見た事も無いほど強力だったし、シェイルに至っては武器にマナを纏わせていた。
あんな使い方したことなんて一度も見たことが無い。
しばらく二人は考えていたが、やがて同時に顔を見合わせると互いに強く頷いた。
ガレットは両手を手前から錠前へとかざす、火のマナが行使され小さな赤い炎が灯る。シェインはその炎を挟み込むように手を広げて風のマナを行使し空気を動かす。炎が揺らめきながらも光を強めやがて橙色へと変わる。
ただの風に吹かれる炎ではだめだ。
「思い描くのは渦だ。中心の錠へと上下左右に空気を巻き込みつつ、炎と風を飲み込み続ける小さく激しい渦だ。」
集中する二人の意識を散らさないように、ゆっくりと静かに伝える。
俺の言葉に触発され二人の思考が変わる。変化した想いがマナとなって伝わり炎と風の形が変わる。
揺らめく炎は、渦巻く球形へ。
吹き抜ける風は、炎へと吸い込まれていく渦のように。
渦巻く炎にその身を炙られ続けた黒鉄の錠前は、少しずつ赤熱し始める。
「火の威力をあげろ、範囲は絞れ。風で熱を捕らえろ、押し込めて留めるんだ。一体となって金属を溶かすまで離れない意思を籠めろ。」
球形の炎は大きさを震えながら維持し、その渦の速さを強めてゆく。
橙色の炎は光を増して輝き始め、やがて黄色の炎へと。
赤みを帯びてきていた金属は、その光を強くし黄色へと輝き始める。
「グリム!予想以上に魔力を食われる!集中が持たない!」
「なんかっ、跳ねのけようとするみてぇな力がっ!て、手に来てる!ヤバい!!」
ガレットとシェインが悲鳴を上げた。
額に脂汗が滲んでいる。
「ギリギリまで耐えろ!頑張ってくれ!!」
俺は小さな斧を両手で構えると体勢を落として備える。
「グリム!!」
「もう無理だ!!」
俺は斧を振りかぶった。
「離れろ!」
俺の合図に合わせて、二人は吹き飛ぶかのように後ろへと跳ぶ。
俺は間髪入れずに斧を錠前めがけて振り下ろした。
鈍色の刃が火球とまとめて錠前に食い込む。
ピキュン!
と、聞いた事も無いような金属音がして黒い錠前がひしゃげた。
同時に火球がはじけて、俺の両腕に反動の様な衝撃が伝わる。
俺は思わず斧から手を放してしまった。ゴトリと床に落ちた手斧の刃が欠けている。…錠前の方は、無事に掛け金が断たれていた。
俺は安堵し、熱を持ったままの錠前をけり落とし頑丈な扉を開けた。
そして俺たちは4人そろって中へと入る。
しぃんと静まり返った倉庫の中。
沈みかけた夕日が、採光用の小さな窓から僅かに差し込む。
そこには虚ろな表情で倉庫の隅にうずくまり、ピクリともせずに虚空を凝視するモリスの姿があった。
俺は駆け寄って彼の肩に手を置いた。
暖かい。
生きてる。
外傷も見当たらない。
無事だ。
しかし様子がおかしい。
身体は石のように固まっている。
全身の筋肉がギチギチに強張ってしまっている。
虚空を凝視した目は俺達を見ておらず。
瞬きすらせずに見開いたままだ。
「モリス…?」
俺が声をかけても反応が無い。
ガレットが室内のランプに明かりを灯した。
背後のランプに照らされて、俺の影がモリスの隣へと落ちる。
「うぁ…。」
ビクリ。
と落ちた影を避けるように跳ねる。
「お、おい!?モリス、どうした?!」
サイルも彼に近寄ろうと動いた。
それに合わせて背後のランプに照らされたサイルの影が、モリスのそばへとにじり寄る。
「あぁぁぁああ!! うぁあああああ!!!!」
言葉にならない叫び声をあげながら涙と涎を垂らし恐怖にひきつった顔で俺たちを見つめている。
彼は影に挟まれ壁に追い込まれたかのように這いずりながら逃げ回る。
いったい彼はどうしたと……
―その時俺は、窓を見てふと気づく。
倉庫の窓から見える景色を見て気づいてしまう。
ここからは、広場がよく見える
西日がわずかに差し込むこの場所は、広場を見下ろす形で
海岸と広場をよく見通せる
だから彼は見ていたのだ
まだ言葉も碌に話せない小さなモリスは
ずーっと一人で見ていたのだ
大好きな父が割かれる様を
大好きな母が丸められる様を
腹から引き抜かれるワタを
貫かれるクイを
引きちぎられるカラダを
喰いちぎられるクビを
切り刻まれるニクを
削がれるニクを
炙られるニクを
右腕を 左腕を
右脚を 左足を
首を 腹を
胸を ニクを 胎ヲ
スベテヲ
化ケ物ドモノ 宴ヲ
暴れまくって泣き叫び続ける彼を何とか家から連れ出した。
奴らがまだ近くにいるかもしれないから夜の海岸が恐ろしくて火は焚けなかった。俺達は山道の中腹にある小さな横穴で身を寄せ合い夜を明かした。
モリスは暴れ泣き疲れていつしか寝てしまった…翌朝、彼は普通に目を覚ましたが……
彼は言葉を喋ることが出来なくなっていた。
かくして少年たちは強敵を打ち破り
思い出に花を添えた
魔法の鍵で宝物庫を開け放ち
囚われの者を救い出す
これは英雄譚なのかな?




