第十四幕 「少年たちの死闘」
血と煙の香り
躯の焼ける臭い
物言わぬ者たちの声
少年たちの叫び
「あの日の記憶」
「ブィィリーズ・クリィィィフ遊撃隊!」
自分でも信じられないくらい大きな声が出た。
緩慢していた仲間たちの気配がビクリと反応するのを感じる。
怒りと殺意に満ち憎悪に復讐を散りばめた激情が、体の芯から全身を充たしてゆくのを覚える。それなのに頭はひどく冷静で、標的の状況を観察するために極限まで集中力が高まっているのを理解する。
それは俺の体からあふれ出て周りの皆にも伝播しているのだろう。
恐怖で塗り固められそうだった体は別の感情に支配される。
仲間たちの意識が自分に集中しているのを確認する。
「隊列!2-3-1!!」
目の前の脅威に最も効率的に対応するための最善策を考える。
小さなころから何年もごっこ遊びでみんなと考えた。
狩りのたびに練習した。
猛獣と戦う時にも実践した。
実績ある戦術を選択する。
「中央!マイルズ!!基本応戦形態!
戦術「対象確殺」!総員構えェイ!!」
ピシリ、と一瞬で意識が一つにまとまるのを認識する。
そのまま背後の気配たちが流れるように移動してゆく。
俺は腰につけていたバックラーとショートソードを装着し、腰を落として構える。視線は標的から外さない。
視界の右端で、ガレットが山刀を逆手に構えて左手を突き出している。
目線は鋭く口は怒りで歪み、歯はきつく食いしばられているのに呼吸は細く長く安定している。シィィ…シュゥゥ…と歯の間から風切り音が聞こえる。
左後ろからシェインの短い呼吸が聞こえる。
タッタッタッとリズミカルなステップ音が聞こえ、時折刃物を研ぎ合わせるような金属音が聞こえる。
俺の背中を飛び越えて、細く鋭い殺意がまっすぐ向けられている。
太く大きく、深く長いマイルズの吐息が静かに響いている。
ずっしりとした気配が中央に構えている。
俺とガレットの間をまっすぐ突き抜けるように、燃える復讐の決意が待ち構えている。
さらにその左側から静かにじっと動かないサイルの気配。
息を殺し刹那の機会をうかがうかのように極限まで高められた集中力、ピクリともしないのに全身から荒れ狂うような猛威を放っている。
ちらりと一瞬、彼に目線を向ける。低く低く構えられた姿勢、手に持つ細く長い槍の切っ先には鈍色に輝く複雑な形をした鋭利な刃。毒々しい色の液体がたっぷりと付着している。
カシャリと何かが割れる音がする。
最後尾のドニーが素焼きのツボを投げたのだろう。きっとその割れたツボの破片にも……サイルの持つ殺意の切っ先に塗りたくられた液体と同じ色の、煮詰められた憎悪の色が光っているのだろう。
一切のよどみなく、仲間たちは隊列を形成し、各自の役割に応じた構えを取り終えた。
海風の吹く音がびゅうびゅうと響く。
燃え盛る炎のごうごうという音に、木々や躯が燃えてパチパチと弾ける嫌な音が混じりながら耳へと届く。
俺達の平穏はもう焼き尽くされたことを告げる。
火の粉が風に流されて俺たちの周りをすり抜けてゆく。
切り刻まれた魂たちが風にまき散らされてしまうかのように光は消えてゆく。
生臭い鉄と肉の匂いが俺たちを包み込んでゆく。
怨念と悲哀を孕んだ思念が俺たちに追いすがっているかのように纏わりつく。
音と光と匂いが、俺たちの中に渦巻く黒い感情をさらに色の濃い物へと塗りつぶしてゆく。
奴は目の前でずっと裂けた口をニタニタと歪ませていた。
上を向いたまま、視線だけをこちらに向け、口の端からダラダラと涎を垂らしながら舌をちらつかせていた。
俺たちが隊列を整え、武器を抜き、構え、視線を突き刺すまでの間。
歯牙にもかけぬといった風に、余裕で俺たちを眺めていた。
そして俺たちが準備を終えると、ニタァ…とさらに大きく歪ませると。
両手に掴んでいたニーナとラディを目の前に投げ捨てた。
悠然と両腕を開き、爪とヒレのある両手を広げた。
ゆっくりとこちらへと歩み寄る。
「ガレット。炎弾、牽制。準備。」
彼は左手に意識を集中させる。
「シェイン。追撃、眼球。準備。」
彼はステップを維持したまま、ギリリと短刀を握り締める。
「マイルズ。制圧、右腕。左腕は俺だ。」
彼は長い呼吸を止めた。
「サイル。トドメ、喉だ。任せるぞ。」
彼は微動だにせず小さく息を吐く。
「ドニー。何かいい薬が有ったら判断は任せる。」
彼は無言でポーチから小瓶を取り出す。
ずんずんと遠慮なく間合いを詰めてくる巨体は投げ捨てたソーヤとラディに近づくと、最初から何もなかったかのようにソレをグシャリグシャリと踏み抜いた。
ざわっと感情が膨れ上がるのを自分と周りで感じる。
「待機。」
感情と気配をそのままに、思考は微塵も揺らがない。
対象との距離は数メートル。
「連携、2,1,4,3,5。指定。」
「「「「了解」」」」
後衛以外が姿勢を落とす。
化け物は構わず尚も近づいてくる。
「用意。」
間合いだ。
「行け。」
ガレットの意識がはじけ飛び、彼の左手から炎弾が複数放たれる。
奴の体めがけて飛翔する3発の殺意。
俺は炎と並走するかのように走り出す。
驚いたように目を見開く化け物。
奴は初弾を右手でかち上げて弾き飛ばすが次弾が胸部へと命中。
最後は足元に着弾し砂煙を巻き上げる。
「ヴェアァ!」
奴はうめき声をあげるが体は身じろぎもせず姿勢は崩せていない。
だが俺は構わず砂煙にまぎれて奴の懐へと飛び込んだ。
地面すれすれからバックラーを軽く構えつつ、ショートソードを奴の喉元めがけて緩く突き出す。
奴はそれを嫌がり俺ごと薙ぎ払おうと振り上げた右手を力任せに叩きつけてくる。
身体をひねりながら奴の右手をバックラーでギリギリいなす。
タイミングを間違えば鋭い爪で腕ごと持っていかれそうな勢いだ。
クマなんてメじゃない。
俺に続く形でマイルズが飛び込むように襲い掛かる。地面にたたきつけた奴の右手甲を全身の体重をかけた片足で思い切り踏み抜いて潰す。
ゴチュッ、という音がして奴の手のひらがひしゃげた。
「ギャバァッ!」
悲鳴をあげながら思わず奴が身を硬直させた瞬間、マイルズの背後からシェインが飛び上がり、彼の肩を踏み台にして化け物の頭より高く跳ぶ。
奴の目めがけてナイフを突き出す。
奴は反射的に顔を背けようとするが、シェインの正確無比な手の動きはソレを追従し逃げることを許さない。奴の右目に深々と短刀が突き立てられる。
「ギュィィ!!」
潰された手の痛みと、失った目の痛みで悲鳴を上げる化け物。
思わず体をのけぞらせようとするがマイルズが右腕へとしがみつく。
俺も振り上げられていた奴の左手の平めがけてショートソードを突き刺し、そのままひねりあげながら奴の左腕へとしがみつく。
「ガァァァ!!」
怒り狂ったように叫びながら奴は俺とマイルズごと両手を掲げ上げる。
化け物の膂力は俺らの体重を物ともせずに軽々と持ち上げてしまう。
高々と3メートル以上の高さへと掲げられた俺とマイルズ。
このまま奴の力で地面に叩きつけられればひとたまりもないだろう。
だが奴が俺らを掲げた瞬間。
奴のつぶれた右目の死角から飛び込んできたサイル。
彼の長い槍が奴の無防備になった喉元へと突き刺さる。
サイルはそのまま柄をひねり、刃を奴の喉元深くへとねじ込む。
ブチブチと肉がえぐれる音がしながら、どぷどぷと奴の傷口から青紫の液体があふれ出た。
「ヴェゴボァ…」
奴の口から水音が漏れる。
動きが遅くなった。
「マイルズ!離れろ!」
俺はそう叫びながら飛び降りる。
マイルズも右手から離れると地面にどさりと落ち、そのまま転がるように離れた。サイルも槍から手を離すと距離を取った。
身体をひねり着地した俺は続けて声をあげる。
「ガレット!奴の口やエラを炎で塞ぐんだ!!」
彼は大きく息を吸い込んだ後に息を止め、山刀を握ったままの右手と左手の手のひらを前に突き出して目を見開いた。
ふらつく化け物の胸元に、ボゥっと小さな火球が顕在化する。
ガレットが両手を大きく左右に開く。
それに応じるかのように、胸元にあった小さな火球は大きく燃え広がり巨大な火球となって化け物の上半身を包み込む。
「ギュアアアアアアアァァァッ!!」
喉を震わせているかのような不快な鳴き声が響き渡る。
「火を絶やすな!マナを注ぎ続けろ!!」
俺は叫んだ。
「くたばれクソ魚ァ!!!」
ガレットは憎悪と殺意を籠めてマナを解放した。
更に勢いと熱量を増した火球が、化け物の肌を炙り続ける。
「ギ、ギ……。」
炎を打ち払おうと両手でもがく化け物。
だがガレットの炎は奴の手を意に介さず燃え続ける。
やがて奴はふらりと振り返ると、海の方へとよたよた動き始める。
「海に逃がすな!足を狙え!」
俺はガレットから山刀を奪い取ると、化け物へと駆け寄る。
シェインは予備のナイフを右手に持ち替え走り出した。
サイルも落ちていた銛を拾い上げて化け物を追う。
俺たちが関節や腱めがけて刃物を突き立てるが、強靭な鱗がそれをはじいてしまう。動かすためであろう比較的鱗が薄く小さい足首や膝裏もダメだ。ノドや手のひらの様にはいかないようだ。
「クソッ!鱗が邪魔だ!!」
シェインが叫んだ。
「サイル!こいつを奴の膝にぶつけて!!一つしかないから外さないでくれよ!!」
追い付いてきたドニーが小瓶をサイルに手渡す。
「みんな離れろ!」
小瓶を受け取ったサイルが叫ぶと同時に、俺とシェインは後ろに飛びのいた。
彼が見事な投擲で小瓶を化け物の膝に当てると小瓶が割れて中身の液体が奴の皮膚を濡らす。
途端にシュワシュワと鱗の表面が泡立つ。
変なにおいが辺りに漂ってきた。
「多分鱗が腐って脆くなってるはず!!」
ドニーが叫んだ。
「シェイン!風の刃でぶった切れ!!」
俺はすかさず指示を出す。
一瞬驚いた顔をした彼だが、真剣なまなざしになると右手にもった短刀に左手をかざし、目を閉じて念じる。
彼の真剣な想いに風のマナが応え、それは顕在化した。
彼のナイフは真空の刃を纏い切断力を強化される。
精霊とのつながりによりそれを理解した彼は化け物の膝めがけて短刀を投げ放った。
シュパァン!!
風切り音と破裂音が響く。
信じられないスピードでまっすぐと飛翔したナイフは、脆くなった鱗を弾き飛ばすように貫通し、化け物の膝を突き抜けた。
右ひざから下を失った化け物は、バランスを崩して砂浜に倒れる。
同時に奴の上半身を覆っていた炎が霧散してしまった。
背後から「ドサッ」と何かが地面に落ちる音がした。
「ガレット!?」
俺が慌てて振り返ると、ちょうど彼が地面に倒れこんだところだった。
「クソッ……もう魔力が…。」
額に脂汗をにじませながら、それでも化け物をにらみつけるように顔を向けたまま地面に突っ伏している。
ガレットが無事なのを確認し、ほっとしたのも束の間。
まだズリズリと海を目指す海魔族。
嘘だろ?!まだ動くのか!!
片目をつぶされ、両掌を負傷し、喉を貫かれ、毒を注がれ、上半身を黒焦げにされ、右ひざ下を失ってもなお、目の前の化け物は順調に海へと向かっていた。
多分もう片方の目をつぶしても海に逃げるのは止められない。
魔族の生命力はいったいどうなってるんだ!!
このまま海に逃げられるのはまずい。
化け物どもの仲間に俺たちの存在を知られる可能性がある。
海洋生物の嗅覚や海中での意思疎通はとんでもない性能を持っているという話をアルド爺さんから聞いた事が有る。
釣りや漁をしてれば、それが本当だって何となく理解できる。
だから何としても止めなきゃダメだ。
どうしたら…!!
俺が逡巡していると、背後からドスドスと音が響く。
何事かと振り返ると、マイルズが燃え盛る柱を持ちながらこちらへと走ってくる。粗削りにされた杭替わりの柱は、炎によってさらに研ぎ細り炎の槍となっている。
ばかやろう、そんなのが奴に刺さるか!
そう言おうとしたらマイルズが叫んだ。
「みんなで奴をひっくり返せ!!こいつを喉にねじ込んでやる!!」
そういって這いずる化け物の体の下に燃えてない方の柱を突き入れたマイルズはてこのように柱を押し上げる。
サイルが飛び出してマイルズと一緒になって化け物をひっくり返そうとする。少しだけ体が持ち上がりそうになるが、ひっくり返す前に戻られてしまう。
ドニーは走り出すと、カバンからロープを取り出して奴の残った足に手早くしばりつけた。時折魔族が噛みつこうと暴れるが、デカい身体と弱った動きでは俺たちを捉えられない。ドニーの意図を理解したシェインがロープの逆端を近くの岩にしばりつける。
それでも奴は止まらず、俺たちの邪魔をものともしない。
腕にしがみついても俺たちごと這いずりやがる。
ドニーとシェインが張ったロープもどんどん張りつめて今にもちぎれ跳びそうだ。
「クソが!止めらんねぇ!!」
「なんで死なねぇんだ!化け物!!」
「毒も効かねぇし、こんだけ出血してんのに!!」
くそ…!何か手は……!
「そうだ!グリムさん!土のマナで穴掘ってください!!」
ドニーが叫ぶ。
実は俺にも土属性の適性がほんの少しある。
でも生活にも戦闘にも使えないレベルの微弱なものだ。
精霊の応えなんて感じたことが無い。
そんなショボい才能が活躍したことなんて無かった。
みんなもソレを知ってる。
「ダメだ!!俺の土属性の才能じゃこんなデカい奴閉じ込める穴は掘れない!」
それは俺も考えたけど、俺のマナの出力じゃ…せいぜい人一人が入れる穴を砂浜に掘れるくらいだ。
「ちがう!デカい穴に閉じ込めるんじゃない!こいつの半身横に腰から背中が落ちるくらいの横長の穴でいいんだ!そしたらもっと小さな力でひっくり返せます!!」
そんなにうまくいくものか!?
でももう方法が無い!
「俺の魔力量じゃチャンスは一度だ!!後は頼むぞ!!」
「まかせろ!」
「わかった!」
「やってくれ!」
「早くしてください!もうロープが!!」
俺はやぶれかぶれになって土のマナを全力で行使した。
土のマナが持つ安定を反転し、結合を解いて反発を生む。
魔力出力に応じて反発力により安定と結合を失った土たちがはじけ飛ぶ。
ドバッ、と変な爆発音がして、化け物の腹のすぐ横にマイルズが入れそうなくらいの穴が空く。
結構頑張った?
ハナクソみたいな量しかない俺の魔力量が一気に空っぽになり、全身の力が抜けてしまってそのまま地面へと倒れこむ。
地面とキスする直前。
土の精霊が嬉しそうにしていたのを一瞬だけ感じた。
上手く動かないからだと、状況が見えなくなってしまった体勢のまま。
祈るように耳をそばだてた。
くぐもった音の向こう側で。
「いった!成功です!!」
「やっちまえマイルズ!!」
「ラディの仇ィィィ!!!!」
「死ね化け物ォォォ!!!」
あいつらの叫び声が遠くに聞こえた。何とかなったのだろうか……
直後。
「ギュアァァァァァァアアア!」
今までで一際大きく鋭い、断末魔みたいな奴の叫び声が聞こえた。
それは一時激しく空気を震わせるが、やがて急激に衰え…間もなく弱々しく潰えた。
俺は心底安堵しながら意識を手放した。
たとえ相手がひと噛みひと薙ぎで潰せる相手だとしても、どんなに弱い相手でも侮るべからず
全身全霊で滅せよ
油断とはかくも危ういもの




